はじめに・・・このブログについて
はじまりは2005年4月6日から。
現在別居中。(ダンナが勝手に出て行きました)
ダンナの奇妙な部分などをその都度思い出して書いて行きます。
覚え書き↓
2009年11月 ダンナがまたおかしくなりはじめた。
2009年12月 ダンナがまた出て行った。(二度目の別居)
2010年 2月 姑とのバトル。これ以降一切連絡を取っていない。→姑の電話で暴言。
第一回の調停が終わりました。
まだ非公開の日記がたくさんあり、今回のことも詳しくは書けないのでまたそのうち公開します。
時間があったので裁判所近くの神社にお参りしてから弁護士さんとの待ち合わせの場所に向かいました。
家庭裁判所は1階ロビーから、エレベーターで上がったフロアやあっ、エレベーターの中でも数組同じフロアで降りました。待合室も大変賑わっていました(笑)
最初、通された待合室は私も弁護士さん二人だけでしたが何度か話をして戻ると数組の人がいました。
しかもみんな離婚調停の打ち合わせの話をしているし、みんな弁護士さんがついています(笑)
調停にも弁護士がつくのはどうやら当たり前のような感じです。
あまりにも賑わっていて唖然としました。
でもほとんどは若い方が多いようでみんなすっきり別れて新しい人生を生きるために真剣に頑張ってるんだな!と思いました。
あっ、私もトシいってますけど新しい人生を一応夢見てますよ(笑)
驚いたのは調停委員さんがとっても良い方だったってこと。本当に一見、町内の面倒見の良い男女の老人、といった感じの穏やかで優しい方達でした。
この方達が毎回担当してくださるとのことでとても心強いです。
その上、弁護士さんがフォローしてくれて、私は話したいことをきちんと伝えられたし、調停委員さんもよく話を聞いてくれました。
ダンナの方の話を聞きまた再び部屋に入りましたが、まあその内容はまたそのうち公開ということで。
簡単にいうと、調停委員さんはほぼこちらの味方でした。本当にありがたい。
あとはダンナがどのくらいで納得するかが焦点となりました。
マンション売却についても少しでも高く売れるよう、弁護士さんの知り合いの不動産屋さんにさていをおねがいしたら?という話になり、マンションの査定までお願いする事になりました。
やはり夫のことは一筋縄ではいかないようで、あまりにも自分勝手な考えで調停委員さんも呆れて苦笑してました。
とにかく、めちゃめちゃ緊張して出陣しましたが良い方向に動き出し本当に感謝でいっぱいです。
次回の二回目はもうしばらく後になりますが頑張ります。