はじめに・・・このブログについて
はじまりは2005年4月6日から。
現在別居中(ダンナが勝手に出て行きました)→調停離婚が成立しました。
覚え書き↓
2009年11月 ダンナがまたおかしくなりはじめた。
2009年12月 ダンナがまた出て行った。(二度目の別居)
2010年 2月 姑とのバトル。これ以降一切連絡を取っていない。→姑の電話で暴言。
体調を崩して寝込んだ。仕事を休んで一日中寝込んだ。体がだるくて暑いのか?寒いのかすら感覚が全くわからない。
不思議なことに体温は何度測っても低すぎて体温計は点滅してエラーを表示する。
何だこれ?
1日目はとても動けず、2日目に少し動けるようになり、出勤しようとして病院に寄ることにした。
何だろう?何で熱が上がらないのにこんなに体調悪いんだ??
ウイルス性のものではと心配なので念のための病院。
先生は言った、「疲れだね、秋ばてってやつですよ」
季節の変わり目で、交感神経がおかしくなって不調を起こしているとのこと。こんな症状はほんと初めて、これも年取ったってことなのかな。
それにしても動けなくて寝ている間、息子たちが色々と動いてくれた。皆優しかった。
長男は、風邪でもないのにのど飴、それからレトルトのおかゆを買ってきてくれた。
次男はテストで早く帰ったので、買い物を頼んだが、帰ってきて慣れない手つきで、その割には上手に、りんごとオレンジをカットしてそれぞれ冷蔵庫に入れといてくれた。
病院行くならいつでも言ってな、って。
調子悪い時に息子たちはとても優しい。
ありがたいなーと。
体調はすっかり良くなりまた元どおりの生活。
いつもの普通の生活がこんなに貴重だなんてね。
長男と話してたらダンナがお盆に面白いことを言ってたとのこと。(笑)
昔、ダンナが家を出てしばらくして私は必死でなんとか家庭というものをなんとか取り戻したいと思って必死だっころ。
ダンナは彼女がいて(バツイチ子持ちの)、家を出て彼女の家の近くのアパートを借りた。
悲しくて虚しくて、その夏休みに家族でどこかに行こう!と提案して一泊でUSJに行く計画をした。
ダンナは出て行ったのに、家族四人、とても楽しく旅行をしてる(笑)
すごく虚しかった。でも子供たちは喜んでいた。
ほんの少し、こういう楽しい時間を積み重ねてダンナとまた家庭を戻せるんじゃないか??
その時はとにかく必死だったなー。
そんな旅行中にもダンナの携帯がブーブー鳴っている。
彼女からのメールだ。
私にとってはそういう虚しい、辛い思い出なのにどうもダンナは違うらしく(笑)
いまだに家族で行ったことを出して来ては子供達にまた行こう!行こう!と誘っているという(笑)
私は知らなかったけど、家族で焼肉行こう!と何度も誘ってるらしい。もちろん今更家族ごっこに向き合う子供達ではない(笑)
小さな子供を置いて家から勝手に出てって、バツイチ子持ちの彼女と付き合い、それでも家族でUSJに行ったことが忘れられないと。
私にはもうさっぱりわからん(笑)
あ、でもちょっとはわかるようになったかな?!
男とはそういう生き物なんだと妙に最近は物分りが良くなった。
でもそれとダンナを許せるかという問題はまた違う。
それでもダンナが今でも私達への生活費を取り上げないのは、そうした歪んだ愛情がまだ子供たちに残っているからなのかなと思ったりする。
なんとなくわかる、だけどやっぱりブキミだから一緒にはいられないけど。
ダンナの会社辞める、がまたいつものことであることを願う!
また始まった、ダンナがしばらく前にラインで意味深なことを言っていた。
どうせロクでもないことしか起こさない。
話すなら子供達を通してくれ、というのをソフトに伝えた。
毎年の恒例行事で息子たちはダンナの実家に。
そこでまたもやダンナの暴走〜。
来年の春に会社を辞めると。仕事は探すし、60までは働くつもりだという
でも会社からも退職通告を受けているようなやつ、どこにも通用するわけがない。
息子たちがもう呆れて嫌な気分になって詳しいことは教えてもらわなかったけど、姑には
「仕事辞めるより早く病気を直せ(精神病)」と言われ、
息子にも「そんな夢みたいなことをいつまで行ってるんだ!と、息子が初めてダンナに説教したらしい。
その時に嬉しかったこと、
長男が「お母さんが仕事を探すのどれだけ大変だったと思っとるんだ!」と言ってくれたのがとっても嬉しかった。
相変わらず情けないダンナ、ただただ目の前にある現実から逃げたくて不定期に仕事を辞めるんだと暴走する。
今回もしばらくして諦めてくれるといいなー
このまま無職になったらもっと厄介だ。
家族みんな呆れている、こんな情けない父親で本当に申し訳ないと息子たちに頭を下げるしかない。
またしばらく更新が止まった。
特に変わったことはなかった。
ただ、ダンナが来年の春に会社を辞めるようなニュアンスの話をしてきた。
私はもうダンナとは向き合えないので、毎週のように趣味部屋にいく長男と色々相談してくれ、と返事をしたが、長男は何も言ってこなかったよーという。
もう長男も社会人だし、毎週のようにあってるんだから長男に色々な相談をしてるれたらいいのに、と思う。お願いだから私に関わらないでほしい。
どうするつもりかはわからないけど、どっちにしたってやつの相談はロクなことはないのはわかっているので色々と腹をくくらないと行けないことがありそうだ。
もういい年なんだからそろそろ穏やかに生きさせてくれ、と思う。
私は山仲間さんと楽しくあちこちの山に忙しく出かけていたが、先週二泊三日の泊まりで、どうやら彼も同じところに来ていたことがわかった。
そして久しぶりにラインを送ってきた。
私はすごく楽しかったのに、彼のチームは怪我人が出たり、山頂まで行けなかったりと踏んだり蹴ったりだったらしい。
しばらくの間、女の子を連れて歩くゆるいハイキングをしていたようだがもうああいうのはやらない、と話していた。
女好きの彼のことだからなんかあったんだろうと思う。
彼とは偶然の出会いの連続だったけど、今回は山で会うことはなかった。
そういう時は縁がない時なのかもね、と私は意地悪く言うのだった。
色々話しててまたね、と切った。
彼は、「これからもラインしてもいいかな、山もまた一緒に行きたいな」と。
やっと彼のこと心の中から消えたのにまたラインでつながるとは思ってもいなかった。
彼の行動はしばらくよくわからなかったけど、
新しい山仲間たちとも山に行ってないみたいだし、ま、そういうことなのね、とも思ったり。
会いたいなーという彼に返事はできなかった。
また飲もうねーって社交辞令を言うくらい。
彼はどうして連絡をしてこなくなったんだろう?新しい仲間ができたから、私に飽きたから。
ならどうしてまた連絡をしてきたんだろう?
なんだかよくわからないな。
彼は私の心の支えだった。
一緒にいると楽しい、そうしてラインのやりとりをするのも楽しい。
でも心の支えだったから辛かった。
私は大人の女として、そう言うものすべてを飲み込み、明るく対応した。
でも彼とは一緒になりたいとか、もっと近づきたいとかそう言うものはない。
一緒にはなれないのだから。
ただの飲み友達、山友達、暇つぶしのライン友達って関係が今の私にはちょうどいい気がする。
次男が外国人に車をぶつけられて、途中で逃げられて。
色々あった一ヶ月間だけど新しい車も買ってなんとか落ち着いてきた。
無保険の外国人にはほんと、要注意です。
問題はなんとか解決し、長男は現在職場で研修中。
もうすぐ初めての初任給だけど、親父は一体給料いくらなのか?母さんはいくらもらってるのか?とストレートに聞かれた(笑)
今までお金の話をしたことがなかったけど初めて話した。
息子はダンナの給料が年齢にしては少ないのに驚いていた。
そりゃそうだ、出世を拒んでペーでいるのだし、鬱で一ヶ月とか簡単に休んでしまうのだ、給料なんて少ないに決まってる。
その中でもらってるお金を言うとまた驚いていた(笑)そんなんで生活できるんだ?と。(笑)
まあ、私も安月給だけど一応働いてるしね。
息子は今の仕事なら30代40代でそのくらいもらえるようになると言った。
あはは、まさか一家の大黒柱になってくれるの?と言うと「そりゃそうだよ!」と。
何だかジーンと心が熱くなって泣きそうになった。
もちろん息子の人生は息子のもの、私だってまだまだ働いて行くつもり。
息子のその気持ちがただ嬉しかった。
息子も今は気持ちに余裕あるけど働くって大変なこと、これから色々あると思う。
だけど親のことで心配かけてきた息子たちにはお金の苦労することなく、幸せになってほしいなと思う。