この1年間は魂も体も死んでいていた。
何もかも見失っていた。
全てが半ぱな状態だったのにどれも解決することなく、
惰性で生きていました。
この1週間で急速に自分を取り戻しつつあることを自覚します。
でも人間は水のごとく"低い場所に落ちていく"のは必然です。
その流れをいかに抗うかが"人"としての生き様なのでしょう。
2007年はとても大切な年です。
【12月31日(2006年最後の日)】
三重に住む先輩のところに遊びに行きました。
2歳、4歳、8歳のお子さんと戯れていると心が安らぎます。
一緒にご飯を食べていてもただただ純粋に楽しい。
私の甥と遊ぶときも同じ。全ての原点は同じ場所から始まって
人それぞれの人生が彩られるのでしょう。
彼らの瞳はピュアです。私の瞳はどうなのか?
昔の自分自身は純粋だったのだろう。
3月に8歳の子とマウンテンバイクで近くの山へ
遊びに行くことを約束してお別れ。
次に会うときには素敵な体験をできたらいいなと考える。
朝一番に熊野古道のルートの1つの峠に登ってきました。
澄み渡る空気、眼窩に海を見て、彼方に紀伊山地を見て、
心の底から叫んできました。木霊が響きます。
何度も何度も叫んできました。負を追い出すように。
何もかも見失っていた。
全てが半ぱな状態だったのにどれも解決することなく、
惰性で生きていました。
この1週間で急速に自分を取り戻しつつあることを自覚します。
でも人間は水のごとく"低い場所に落ちていく"のは必然です。
その流れをいかに抗うかが"人"としての生き様なのでしょう。
2007年はとても大切な年です。
【12月31日(2006年最後の日)】
三重に住む先輩のところに遊びに行きました。
2歳、4歳、8歳のお子さんと戯れていると心が安らぎます。
一緒にご飯を食べていてもただただ純粋に楽しい。
私の甥と遊ぶときも同じ。全ての原点は同じ場所から始まって
人それぞれの人生が彩られるのでしょう。
彼らの瞳はピュアです。私の瞳はどうなのか?
昔の自分自身は純粋だったのだろう。
3月に8歳の子とマウンテンバイクで近くの山へ
遊びに行くことを約束してお別れ。
次に会うときには素敵な体験をできたらいいなと考える。
朝一番に熊野古道のルートの1つの峠に登ってきました。
澄み渡る空気、眼窩に海を見て、彼方に紀伊山地を見て、
心の底から叫んできました。木霊が響きます。
何度も何度も叫んできました。負を追い出すように。