Naoの誰でもわかる!英語の話

英語を勉強している人へ、面白い、ためになる話し、知識・情報などを、誰もがわかるように書いていきます。

英語力が「伸びる?伸びない?」わけを考える(1)

2014-08-28 | 英語の学習
①「英語を日常の言語にする」(Part 1)

私を含めて我々日本人は一所懸命英語を勉強していますよね。あ、僕は~今は大昔ほど一所懸命してないですね(冷汗)。でも仕事上、毎日英語圏5カ国(アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド)のどこかの大学からメールが来ていますので、それを読んで返事をしなければいけません。ですから、僕にとって英語は、今は限定的ながら「日常の言語」と言えるかも知れません。つまり、英語は勉強の対象ではなく、コミュニケーションの手段ということになりますね。まずは相手の書いていることを理解する(2回以上は読んで相手のメッセージ(主旨)を頭に入れます)、そしてそのメッセージに適切に応え、それと同時に自分の意見と、時にはユーモアを加えて、メールを相手に親しみやすい、心がこもったものと響くような形で終わらせます。最後の一言が大事ですね。あ、ちょっと話がずれました…(Sorry…)。

「英語が日常の言語になる」ことの重要性を考えたいと思います。私たちが母語の日本語を「習得」するために何をしたかを考えてみましょう。「ん?学校で「国語」を勉強したこと…?」まあ、そういう答えもあるかとは思いますが、でも、日常の言葉、例えば~「西村先生、トイレに行ってもいいですか?」なんてことを教科書で勉強しました?するわけないですよね(笑)。でも英語では、May I go to the bathroom, Mr. Nishimura?…って、学習しないと言えませんよね。ましてや、May I~の使い方は授業で学ばなければわかりませんよね。

つまり、私たちは私たちの母語である日本語を「学んだ」のではなく、「自然に習得」したということです。では、「自然に習得」するとはどういうことか?ここはちょっと難しいところですが、我慢して読んでくださいね。人が言語を習得する能力は、実はヒトの遺伝子にもともと組み込まれていると考えられているんです。この考え方は、1950年代にチョムスキーという人が最初に唱えたんですが、その考え方は現在の認知言語学の基礎的考え方にもなっています。簡単に言うと、ヒトという種は、言語がその生存に必要なものとして生まれた時からそれを習得する能力を持っているということです。ですから、生まれて育っていく過程で、他人(親を含む)と触れ合う機会(言語環境)を通して、その遺伝子は刺激され、言語中枢を形成して言葉が話せるようになるということです。どんな人でも少なくとも一つの言語を持っているゆえんはここにあるわけですね。

「人(ヒト)は誰でも言語を自然に習得する能力がある」ということを今言ったわけですが、じゃあ我々は、第2言語である英語も同じように「自然に習得する能力がある」のか?答えは…ないとは言えない…「ん?STAP細胞の話?」面白い!(笑)…いえいえ、それより間違いなくもっと理論的な話ですよ(微笑)。僕はさっき、ヒトという種は、「生存に必要なもの」として言語の遺伝子を持って生まれてきたと言いましたよね。そしてその結果として母語である日本語を自然に身につけた、ですよね。「生存に必要なもの」である言語だから、生来の遺伝子は自然に活性化し、その結果、日本語の言語体系を脳内に構築したわけです。では、英語は?「生存に必要…」じゃないですよね。だからもともと持っている言語の遺伝子はそう簡単には動いてくれないわけです。だって生きていく上で必要じゃないと「脳がわかっている」わけですから、第一言語を習得する時のように頭(脳)は動いてくれないわけです。でも、だからと言って英語を習得する能力がないわけではない。日本語、しっかり遺伝子が習得させてくれたでしょ。英語だって、私たちには潜在的に習得するだけの脳力(漢字間違ったわけではないですよ~(笑))はあるわけです。でも、そう簡単には脳は動いてくれない。なぜならば、英語は「生存に必要な言語」ではないからです。少なくとも、脳がそう理解している間は…。(End of Part 1)