■東北大学キャンパス前
■ドキュメンタリー映画『被ばく牛と生きる』を観るチラシ
■ドキュメンタリー映画『被ばく牛と生きる』を観るガイドブック
11月13日、東北大学アジア研究センター主催の災害人文学研究会2018年度第5回研究会ドキュメンタリー映画『被ばく牛と生きる』を観るへ行ってきました。
【『被ばく牛と生きる』畜産酪農家の苦悩】
「許されざる命の物語、経済価値のないと言われる家畜の“いのち”の重さとは・・・存在が許されない被ばく牛とその命を守る畜産酪農家たちの5年間の記録!」
それは、壮絶なドキュメンタリー映画でした。
「原発事故から2か月後、国は“警戒区域内にいる全ての家畜を殺処分にする”指示を出す。避難を強いられる畜産酪農家は、涙を飲んで殺処分に応じるしかなかった。しかし国の方針に逆らい、少数の畜産酪農家が被ばく牛を生かそうと決意・・・。」
被ばく牛を活かし続ける畜産酪農家の6人を2011年から5年にわたり追い求めたドキュメンタリー映画でした。
【こんなことがあった!?】
事故当時は、圏内に3500頭の牛、3万頭の豚、60万羽の鶏など、多くの家畜が生きていたそうですが、事後直後、各町村の役場は畜産酪農家に対して、家畜は畜舎に閉じ込めて避難するように指導したそうです。
繋ぎとめられた牛たちで元気な牛は、綱を切り離し離れ牛(野良牛)になって野原を走り回り、2年目は安楽処分となり、繋がれっぱなしで逃げられなかった牛たちは餓死し、ミイラ化してしまったそうです。
ドキュメンタリーの映画は、餓死しミイラ化した牛、野良牛の映像から始まりました。
【壮絶な全頭殺処分指示の行く末】
殺処分に同意した畜産酪農家、それを拒み続けて被ばく牛を活かし続けた畜産酪農家の葛藤は想像を絶する原発事故の現状でした。
“いのち”の重さの違い、経済優先社会の中で失われていくもの、原発事故が引き起こしたコミュニティの分断と問題提起は尽きませんでした。
被ばく牛と農地と復興を目標に大学研究者たちが観察してきた様子も映画化されていました。
避難指示区域では、帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域に分かれ、現在、避難指示が解除された区域が広がっています。
大震災から7年8か月、被爆した牛たちを活かし続けている畜産酪農家たちは、今、どうしているのか。大学の教授たちは、継続して研究に取り組んでいるのか気がかりでした。
【この事実を忘れない】
私たちに出来ることは何かと問われれば、この事実を忘れないことと大震災を風化させないことなのではと思いました。
昨年の2月、石巻・雄勝に犠牲者を慰霊し津波の教訓を後世に伝える石碑「未来へつなぐ命」が建立したというニュースを見たことがありました。
被災地では、いろいろな震災に関するモニュメントが設置されていますが、大震災と福島原発事故を含めて、これからも忘れずに取り組んでいかなければならない大きな課題なのではと思いました。