新婦人 盛岡支部

たのしい、うれしい、おいしい、ためになる!がいっぱい!

●花架拳はじめませんか●

2012-05-31 15:13:21 | ●小組(サークル)●

さつき班の『花架拳小組』をご紹介します

心も体もリラックス・リフレッシュ、うつくしく、健康に・・・

花架拳は中国の伝統武術で、健身術、舞い、として現代によみがえりました。

<6月の予定> 1日、8日、22日

<7月の予定> 6日、13日、27日

いずれも午後3時から

会場:もりおか女性センター別館2階第1和室

(会費とは別途に花架拳運営費 月1,500円)

はじめての方、おためし体験無料です

ぜひ体験にいらしてくださ~い


今日のつぶやき

2012-05-29 05:14:06 | ●日記●



●陸前高田へ●

2012-05-26 11:51:35 | ●日記●

被災地復興応援バスツアー第2弾(新婦人岩手県本部主催)、陸前高田市へ行ってきました。5月25日、プランターと盛岡支部からのお米50キロを積んで、朝8:30盛岡を出発。

出発してすぐに、バスは1軒のお店の前を通りました。陸前高田市で被災して、1年ほど前に盛岡で再開した「俺っち」という飲食店です。言葉に尽くせない思いを胸に頑張っているんだろうなぁと…
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バスは花巻などを経由して参加者がそろったところで、みなさんから一言ずつお話して頂きました。近しい方が被災されたという人が多かったです。

また、被災して東京で就職した方の話をテレビで見たという参加者が声を詰まらせて言います…「東京のほうではもう被災地の話題はほとんどないので、自分からはその話はしないと言っていました。さぞ心は寂しかったろうと思う」。

途中、「道の駅みやもり」でトイレ休憩。あ、この日は幼稚園などの遠足が多く貸し切りバスは大忙しだったようで、胆沢から来ていただいたバスでした。
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宮守のめがね橋。
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バスは「川の駅よこた」にとまり、陸前高田支部の方が同乗。道中の案内をしていただきます。一関支部の方たちもマイカーで合流しました。
気仙川の河口から8kmの所にあるかんなり橋の手前数百メートルまで津波がきたそうです。

バスに同乗してくれた陸前高田のTさんは看護師で保育園に勤めていたそうです。今考えれば保育園にいたから助かったと思いますと言います。子どもたちは昼寝から覚めて、小さい子たちの着替えを終えた所でした。机の下で地震がおさまるのを待って園庭へ。大きな子たちはパジャマのままです。上着を着せたり靴をはかせたりして、何人かは保護者がお迎えにきて引き渡したそうです。
そうこうしていると海から津波が来るのが見えます。子どもたちを抱えて必死に裏山へ駆け上がったそうです。薄暗くなってきて小学校へと避難しました。「寒くて雪が降り余震が続き、子どもたちはとてもかわいそうでした。子どもたちを守るのだという一心でした」

プレハブが何棟か建っている仮設の市役所が見えてきます。ちなみに一棟一億円だそうです。市職員たちは復興に向けて一生懸命頑張っていますが、やはりメンタルケアも支援し続けていく必要があるそうです。
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高田病院――まわりは何もありませんでした。3・11の時、ここら一帯は海になってしまったとのことです。
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旧市役所は6月に国の予算で取り壊されます。
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高田高校…上に避難していたが波が迫ってきて、裏山を駆け上り山の上の合宿所に逃げた。地域の人も逃げてくるのでその人たちを助けながら生徒たちが一生懸命頑張った。
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かつて中心市街地だったはずのこの一帯は荒涼としていました。この町で生活していた方々の悲しみ寂しさはいかばかりかと…
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和野の会館で、お弁当をいただきながら地域の方の話を聞きました。避難所にもなった会館で当初は200名ほどが身を寄せたそうです。
そこでは自主防災組織の事務局長の話を聞きました。3.11…子どもたちが必死の形相で坂の上の会館までの走って来る、そしてずぶ濡れの住民たちが命からがら避難してきたそうです。農家から600キロの米が届き、おにぎりを握ってみんなに配りました。握っても握っても次々はけていったそうです。身内を探し訪ねてくる方々への情報提供のために避難者の名簿作りも急ぎました。避難生活――支援物資は炭水化物が多く、肉、生鮮食品、野菜が不足していました。これが足りないということを伝え徐々に改善されていきました。それでも風邪や発熱は起こりますので、救護班が頑張りました。本当に不眠不休の活動だったと思います。
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昼食と交流を終えて、中和野の仮設住宅でプランターに花を植え、土手に水仙を植えました。ひきこもり状態になっているお年寄りもいるそうです。
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1歳くらいの女の子を抱っこした若いママが出てきました。子どもが遊ぶ場所はあるの?と聞くと、向かいに半年違いの子もいて一緒に遊ぶこともあるそうですが、近くには公園もなく、まわりは歩道もない狭い道で散歩するにも危ない環境だと言います。
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名残惜しいのですが、時間の関係もあって早々に仮設住宅を後にしてバスは一本松に向かいます。

被災地の方たちが口をそろえて言うのは、忘れないでほしいということ。
私たちはそのことを胸に刻んで、被災地が本当の意味で生活を取り戻すように息の長い支援を忘れずに続けていこうと思いました。
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