
ランドクルザーの歴史のお話です。
ランドクルーザーの歴史は古く1950年代にアメリカ進駐軍愛用のジープのようなクルマを日本でも作れないか?
というコンセプトの元・・・FJ20系を開発しました。
写真を見るとモロ・・・ウイルスジープのパクリ・・・
日本は中国の事をパクリ大国とバカにしているケド・・・思い起こせばやっている事は一緒・・・きっと当時のアメリカ人は
「日本はアメリカのパクリ大国じゃないか!?」なんて言っていたのだろう・・・そう・・・進化の初めは皆・・・パクリなのです。

次・・・1960年代となり・・・いよいよ私ら世代にはなじみのある40系の登場です。
文献によると20系時代に30番台まで使ってしまったらしく・・・40系となったそうです。
1984年の70系登場までの24年間ランドクルーザーシリーズとして併売されていたロングセラーヒットでした。
余談ですが30年近く前のお話です。・・・当時、バイク小僧だった私は野沢温泉までの林道をバイクで走行中に私の前を走るクリーム色の40系が道を外れて横転しました。ドライバーはシートベルトのおかげで無傷でした。後続からくる者たちを呼んでみんなで起こしてやりました。ボコボコになってしまった外見からして助けを呼ばなくては帰れないと思った矢先に「キュルキュルキュルキュルキュル・・・ブボボボボボボボ」ドライバーは皆にお礼を言ってボコボコの外見の40系で自走していったのです。・・・なんてタフなクルマなんだろうと・・・その時思いました。
そんな凄い40系のデザインを彷彿させる現代のFJクルーザー・・・なんていうと聞こえが良いのですがコレもデザインのネタぎれの
パクリじゃないか!・・・まぁいいか・・・おじいちゃんにそっくりな孫ということで・・・

その次・・・1967年(昭和42年)いよいよ一般の人が認めるデカいゴージャスなランドクルーザー50系の登場です。
私が思うに50系の登場でランドクルーザーの歴史の系統図がここで分岐したと思います。
開発当初の質実剛健なコンセプトを引き継いでいるのが40系で
ゴージャスに荒野をクルージング的な要素も取り入れたのが50系ではないか・・・なんて思います。
ランドクルーザーシリーズではあまり売れなかったのかナ?・・・実車をほとんど見たことが無い・・・
この年はミニスカートを履いた外国人が話題となりソ連の宇宙船が着陸に失敗したり四日市ぜんそくによる公害事件があったりの年でした。・・・で・・・余談ですケド・・・私が生まれたのもこの年です。
自動車業界では・・・ハイエース・2000GT・N360・コスモスポーツ・・・なんてクルマがデビューしました。

次の次・・・1980年代60系登場・・・50系の流れを汲んだ大きなボディーです。
ステーションワゴンのラインナップにディーゼルエンジンを採用しました。
私が思うにここでもランドクルーザーの系統図に第二の分岐点があるでしょう
1980年代となり日本はバブル景気に沸いてきた年代です。・・・ランドクルーザーも一般ユーザー(丘サーファー的な人たち?)から受け入れられるようになってきました。後期型の角目になると荒れ地を走るが為の仕事のツールよりアスファルトの都会のネオンにもマッチするようなオーバーフェンダーを付けたハデなタイプになりつつありました。ということで60系になるとジープ系の通称ゲタタイヤなんか似合わないスタイルへとなっていったのです。

・・・で・・・その1980年代の第二の分岐点で70系もデビューしました。
先に述べていた40系の後継機種として60系じゃないランドクルーザーを求めるユーザーの為のこっちが本当のランドクルーザー?・・・なのかナ?・・・丘サーファーがカッコつけて乗るクルマではなくリーフスプリングを用いたシャーシにデカいエンジンを積んでいる荒れ地を走るが為の最高の道具としてコアなユーザーが乗るクルマでした。
実は海外ではこの70系の流れを汲むランドクルーザーが造られ続けているそうです。

ここで70系の派生モデルプラド78型の登場となるのです。
プラド78型は、悪い言い方をすれば・・・アフター的な装備を豪華にして一般受けするようにしてリーフスプリングやデカいエンジンだったのをコイルサスと小さいエンジンにしたディチューンなのです。・・・が!・・・小さい触媒でOKだったディーゼル最盛期はここまでで後の規制問題によりデカいディーゼルエンジンは終わりましたし荒れ地用のサスの味付けにコイル式の技術も追いついていったのです。
事実、当時のプラド78型は売れに売れました。大きすぎないボディーサイズは都会のアスファルトジャングルにも似合うし素晴らしい走破性で週末は森の奥深い大自然の中、家族キャンプなんていうシーンにも似合っていたのです。

1989年・・・いよいよ現代の代表するランドクルーザーの基礎ともいえる80系の登場です。パワートレインに革新的な進歩がありました。パートタイム式からセンターデフロック付のフルタイム4WDとなったのです。
・・・で・・・ここで系統図を書き直すような変化があったのです。・・・80シリーズ以降、足回りはコイル式となり見栄えの向上と装備の充実により高級SUVという新しいカテゴリーへと向かって行ったのです。


・・・で・・・現代のランドクルーザーシリーズは高級SUV・・・知識も経験もなくても全てコンピューター制御によりどんな荒れ地でもクリアできるクルマへと進歩したのです。
ここでふと疑問に思ったのですが・・・思い起こせば当時、プラド78の後の後継機種は無くなりただのランドクルーザー1本になると思ったのですがプラドの名前は現代でも継承されています。
とても大きいか(ランドクルーザー200系)大きいか(ランドクルーザープラド)の違いであってコンセプトは一緒?・・・
結局、現代のクルマとなってリーフスプリング式のサスペンションはなくなりコアユーザー専用路線ではなく一般のユーザーに受ける路線(高級SUV)へと進化してきたのです。
ということは・・・派生モデルとして生まれたプラド78型だったのか?それとも直系の系統図の実は線上に位置するのがプラド78型なのか?どっちが本家でどっちが分家なのか?獄潰しの異端児だったのか?家柄を背負って立つ頭首だったのか?・・・今では200系よりプラドの方が売れているような気がする・・・
(プラド)という名をはじめて付けた78型をめぐるランドクルーザーシリーズ進化の系統図・・・の・・・お話でした。
ランドクルーザーの歴史は古く1950年代にアメリカ進駐軍愛用のジープのようなクルマを日本でも作れないか?
というコンセプトの元・・・FJ20系を開発しました。
写真を見るとモロ・・・ウイルスジープのパクリ・・・
日本は中国の事をパクリ大国とバカにしているケド・・・思い起こせばやっている事は一緒・・・きっと当時のアメリカ人は
「日本はアメリカのパクリ大国じゃないか!?」なんて言っていたのだろう・・・そう・・・進化の初めは皆・・・パクリなのです。

次・・・1960年代となり・・・いよいよ私ら世代にはなじみのある40系の登場です。
文献によると20系時代に30番台まで使ってしまったらしく・・・40系となったそうです。
1984年の70系登場までの24年間ランドクルーザーシリーズとして併売されていたロングセラーヒットでした。
余談ですが30年近く前のお話です。・・・当時、バイク小僧だった私は野沢温泉までの林道をバイクで走行中に私の前を走るクリーム色の40系が道を外れて横転しました。ドライバーはシートベルトのおかげで無傷でした。後続からくる者たちを呼んでみんなで起こしてやりました。ボコボコになってしまった外見からして助けを呼ばなくては帰れないと思った矢先に「キュルキュルキュルキュルキュル・・・ブボボボボボボボ」ドライバーは皆にお礼を言ってボコボコの外見の40系で自走していったのです。・・・なんてタフなクルマなんだろうと・・・その時思いました。
そんな凄い40系のデザインを彷彿させる現代のFJクルーザー・・・なんていうと聞こえが良いのですがコレもデザインのネタぎれの
パクリじゃないか!・・・まぁいいか・・・おじいちゃんにそっくりな孫ということで・・・

その次・・・1967年(昭和42年)いよいよ一般の人が認めるデカいゴージャスなランドクルーザー50系の登場です。
私が思うに50系の登場でランドクルーザーの歴史の系統図がここで分岐したと思います。
開発当初の質実剛健なコンセプトを引き継いでいるのが40系で
ゴージャスに荒野をクルージング的な要素も取り入れたのが50系ではないか・・・なんて思います。
ランドクルーザーシリーズではあまり売れなかったのかナ?・・・実車をほとんど見たことが無い・・・
この年はミニスカートを履いた外国人が話題となりソ連の宇宙船が着陸に失敗したり四日市ぜんそくによる公害事件があったりの年でした。・・・で・・・余談ですケド・・・私が生まれたのもこの年です。
自動車業界では・・・ハイエース・2000GT・N360・コスモスポーツ・・・なんてクルマがデビューしました。

次の次・・・1980年代60系登場・・・50系の流れを汲んだ大きなボディーです。
ステーションワゴンのラインナップにディーゼルエンジンを採用しました。
私が思うにここでもランドクルーザーの系統図に第二の分岐点があるでしょう
1980年代となり日本はバブル景気に沸いてきた年代です。・・・ランドクルーザーも一般ユーザー(丘サーファー的な人たち?)から受け入れられるようになってきました。後期型の角目になると荒れ地を走るが為の仕事のツールよりアスファルトの都会のネオンにもマッチするようなオーバーフェンダーを付けたハデなタイプになりつつありました。ということで60系になるとジープ系の通称ゲタタイヤなんか似合わないスタイルへとなっていったのです。

・・・で・・・その1980年代の第二の分岐点で70系もデビューしました。
先に述べていた40系の後継機種として60系じゃないランドクルーザーを求めるユーザーの為のこっちが本当のランドクルーザー?・・・なのかナ?・・・丘サーファーがカッコつけて乗るクルマではなくリーフスプリングを用いたシャーシにデカいエンジンを積んでいる荒れ地を走るが為の最高の道具としてコアなユーザーが乗るクルマでした。
実は海外ではこの70系の流れを汲むランドクルーザーが造られ続けているそうです。

ここで70系の派生モデルプラド78型の登場となるのです。
プラド78型は、悪い言い方をすれば・・・アフター的な装備を豪華にして一般受けするようにしてリーフスプリングやデカいエンジンだったのをコイルサスと小さいエンジンにしたディチューンなのです。・・・が!・・・小さい触媒でOKだったディーゼル最盛期はここまでで後の規制問題によりデカいディーゼルエンジンは終わりましたし荒れ地用のサスの味付けにコイル式の技術も追いついていったのです。
事実、当時のプラド78型は売れに売れました。大きすぎないボディーサイズは都会のアスファルトジャングルにも似合うし素晴らしい走破性で週末は森の奥深い大自然の中、家族キャンプなんていうシーンにも似合っていたのです。

1989年・・・いよいよ現代の代表するランドクルーザーの基礎ともいえる80系の登場です。パワートレインに革新的な進歩がありました。パートタイム式からセンターデフロック付のフルタイム4WDとなったのです。
・・・で・・・ここで系統図を書き直すような変化があったのです。・・・80シリーズ以降、足回りはコイル式となり見栄えの向上と装備の充実により高級SUVという新しいカテゴリーへと向かって行ったのです。


・・・で・・・現代のランドクルーザーシリーズは高級SUV・・・知識も経験もなくても全てコンピューター制御によりどんな荒れ地でもクリアできるクルマへと進歩したのです。
ここでふと疑問に思ったのですが・・・思い起こせば当時、プラド78の後の後継機種は無くなりただのランドクルーザー1本になると思ったのですがプラドの名前は現代でも継承されています。
とても大きいか(ランドクルーザー200系)大きいか(ランドクルーザープラド)の違いであってコンセプトは一緒?・・・
結局、現代のクルマとなってリーフスプリング式のサスペンションはなくなりコアユーザー専用路線ではなく一般のユーザーに受ける路線(高級SUV)へと進化してきたのです。
ということは・・・派生モデルとして生まれたプラド78型だったのか?それとも直系の系統図の実は線上に位置するのがプラド78型なのか?どっちが本家でどっちが分家なのか?獄潰しの異端児だったのか?家柄を背負って立つ頭首だったのか?・・・今では200系よりプラドの方が売れているような気がする・・・
(プラド)という名をはじめて付けた78型をめぐるランドクルーザーシリーズ進化の系統図・・・の・・・お話でした。
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