「広宣流布」は、単なる“スローガン”ではない。言葉として、いくら高く掲げても意味はない。具体的に一歩一歩、実現していかなければ、大聖人が開かれた無上の幸福の「大道」を後世に広げていくことはできない。それではあまりに、大聖人に申しわけない。このことは戸田先生も、厳しくおっしゃっていた。
そして広宣流布は、この現実世界を舞台としての、魔軍との熾烈な闘争の連続である。正法の勢いが弱まれば、それだけ魔の軍勢が勢いづいてしまう。
ゆえに、現実のあらゆる局面において、「仏法は勝負」との証を示していかねばならない。闘争に闘争を重ね、勝ち抜いていく以外にない。個人の幸福も社会の繁栄も、着実な広宣流布の発展も、その上にしか築かれていかないからだ。
私どもにとっても本年は、ますます「正」と「邪」が明確になっていくに違いない。大聖人門下の誇りと確信に燃えて、誉れの広布の戦いに勇気凛々と臨み、堂々と勝利の栄冠を勝ち取ってまいりたい。
【第25回本部幹部会 1990-01-18 創価文化会館】
そして広宣流布は、この現実世界を舞台としての、魔軍との熾烈な闘争の連続である。正法の勢いが弱まれば、それだけ魔の軍勢が勢いづいてしまう。
ゆえに、現実のあらゆる局面において、「仏法は勝負」との証を示していかねばならない。闘争に闘争を重ね、勝ち抜いていく以外にない。個人の幸福も社会の繁栄も、着実な広宣流布の発展も、その上にしか築かれていかないからだ。
私どもにとっても本年は、ますます「正」と「邪」が明確になっていくに違いない。大聖人門下の誇りと確信に燃えて、誉れの広布の戦いに勇気凛々と臨み、堂々と勝利の栄冠を勝ち取ってまいりたい。
【第25回本部幹部会 1990-01-18 創価文化会館】
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