夢をかなえる新聞・聖教新聞 -人間革命の指針-

聖教新聞は夢をかなえる新聞です。その中より「新・人間革命」、名字の言、体験から夢をかなえゆくための指針をつづります。

創価教育同窓の集い2005

2006-05-05 23:39:14 | スピーチ・メッセージ
どうか皆さんは、それぞれの使命の道において「職場の指導者」に、「社会の指導者」に、「平和の指導者」に、「文化の指導者」に、「正義の指導者」に、「世界の指導者」に、また、「人間の指導者」「庶民の指導者」になってください。

きょうは、うれしいことに二人の大翻訳家をお迎えすることができました。 この30年来、お世話になってきたバートン・ワトソン博士と、リチャード・ゲージ先生です。ワトソン博士が英訳された中国の歴史書『史記(しき)』は、不朽の名訳として光り輝いております。この大著『史記』には、2000年以上にわたる中国の栄枯盛衰(えいこせいすい)の流転が記録されています。

その変化を貫いて見いだされる不変の法則は、何か。それは「善の不滅な力」(今鷹真訳『司馬遷』筑摩書房、以下同じ)であると、博士は喝破しておられます。つまり「悪は悪を行なった人間を破滅させる」。悪の報いは、必ず悪人自身が受けるのです。そして「善は、父から子へ、君主から臣下へ、師から弟子へと永続する」と達観しておられます。まことに透徹した歴史観です。だからこそ、後世のために、悪は悪として、徹底して追撃し、厳正に断罪せねばならない。そして“正義は必ず勝つ”という歴史を、未来の世代に示し切っていかねばならないのです。

偉大なものが正しく評価されない社会。それと戦い抜いたドイツの哲学者・ショーペンハウアーは言いました。「生粋のすぐれた者が登場するとき、まず行く手をはばむのは劣悪な者である」(秋山英夫訳『ショーペンハウアー全集14』白水社)まったく、その通りです。それゆえに、嫉妬の愚人たちから憎まれ、悪口されることこそ、「第一の光栄」なのです。

ところで、翻訳において大切なことは何か。ゲージ先生は、「辛抱(しんぼう)」であると語っておられます。すなわち「1日に1000回、1500回と、字引(じびき=辞書)を引くのに耐えること」と言われるのであります。私は感銘しました。一日また一日、一歩また一歩、地道に辛抱強く、信念の行動と努力を貫き通す。これこそが、勝利の王道なのです。

きょう集まった皆さん方の多くは、40代。私も、この年代から、トインビー博士をはじめ、世界の知性との対話を開始しました。中国とも、ロシアとも、平和の心を結び、世界中に味方をつくり、友情の道を開いてきました。皆さんも、これからが人生の本舞台です。いよいよ、忍耐と粘りと執念の勝負です。


学会の大発展の根本の因

2006-03-26 21:17:42 | スピーチ・メッセージ
本年7月、男子部は結成55周年を迎える。おめでとう!(大拍手)それは55年前(1951年=昭和26年)のきょう、1月6日のことであった。 私は、正午近く、戸田先生のご自宅に呼ばれた。23歳になったばかりであった。

当時、戸田先生の事業は最大の苦境にあった。すでに前年の夏には、当局から営業停止命令を受けていた。さんざん先生にお世話になってきた人たちが、ひとたび風向きが悪くなると、一人また一人と、先生のもとを去っていった。なかには、「戸田のバカ野郎!」と不知恩(ふちおん)の罵声を浴びせて、離れていった者もいたのである。最後に残ったのは、実質的に、私一人。若き私は、悪口(あっこう)と中傷を浴びながら、先生の事業の再建へ駆けずり回って働いた。給料は何カ月ももらえない。食事も満足にできない。 せめて体が、もう少し丈夫であったなら。苦しみ、悩み、もがきながら、新たな活路を求めて、真剣に唱題を重ねた。毎晩のように御書を拝した。

戸田先生は、さまざまなことを熟慮された末に、理事長の職も辞任されたのである。<戸田先生が理事長辞任の意向を発表したのは昭和25年8月24日> 私は、思いあまって戸田先生にうかがった。「先生、先生が理事長をお辞めになれば、新しい理事長が、私の師匠になるのですか」戸田先生は言った。「それは、ちがう。苦労ばかりかけるけれども、君の師匠は私だ」わが人生の忘れ得ぬ一場面である ── 。

あまり自分で自分のことを言いたくはないけれども、次の学会を背負っていく青年部には、すべて知っておいてもらわねばならない。 あえて、きょうは、真実の歴史の一端を語らせていただく。

さて55年前、昭和26年の1月6日のこの日、私は、呼ばれて先生の部屋に入った。 あの剛毅(ごうき)な、偉大な戸田先生が、このときばかりは、憔悴(しょうすい)し切っておられた。事業の状況は悪化の一途であった。まさに絶対絶命の危機に追い込まれていたのである。厳しい表情であられた。部屋にいたのは、先生と先生の奥様と私の3人だけ。

そして先生は、「きょうはよく聞いてもらいたいことがある」と私に、こう話されたのである。「私に、もし万一のことがあったら、学会のことも、事業のことも、いっさい、君に任せるから、全部、引き受けてくれないか」先生は、さらに声を強められた。

「何が起きたとしても、私と君とが、使命に生き切るならば、きっと大聖人の御遺命を達成する時が来るだろう。誰が何と言おうと、強く、強く、君は、学会のために前へ進むのだ」戸田先生の遺言と、私は厳粛に受け止めた。

そして、この日の誓願を、“大楠公”の精神に託して、次のように日記に書き留めたのである。「先生は、正成(まさしげ)の如く、吾れは、正行(まさつら)の如くなり。奥様は、落涙。此の日の、感動、厳粛、感涙、使命、因縁、生き甲斐は、生涯、忘るることはない。後継者は、私であることが決まった。

激越の、年も刻々と明けて来た。いかなる苦悩にも打ち勝ちて、男らしく、青年らしく、若人らしく、本年も戦いきろう」(『若き日の日記1』聖教ワイド文庫)この日、この時の「師弟の誓い」のままに、私は、死にものぐるいで戦った。広宣流布の大師匠であられる戸田先生に、ただ一人、お仕えし、ただ一人、お守りし抜いた。これが学会の歴史である。師弟の本当の姿である。この一点にこそ、学会の魂があり、原点がある。

幹部であっても、戸田先生と苦衷(くちゅう)を分かつ者は、ほとんどいなかったといっていい。理事長を務めた人間までが、戸田先生を誹謗したのである。しかし、だれがどうあろうとも、私は心に決めていた。“断じて、戸田先生に、次の会長になっていただくのだ。そして、広宣流布の指揮を縦横無尽に執っていただくのだ”私は祈った。先生のために。学会のために。激闘の中で祈り抜いた。丑寅勤行(うしとらごんぎょう)もやった。
もう寝ても覚めても題目。歩いていても題目。車の中でも、電車に乗っても、時間さえあれば、すべて題目。ただただ、題目を抱きしめて、この世の残酷な苦難をはね返し、戸田先生が第2代会長に就任される道を、命を賭して、切り開いていったのである。

そして迎えた昭和26年の5月3日。苦悩の激動を耐え忍ばれ、ついに、戸田先生は、晴れ晴れと第2代会長に就任された。その盛大な推戴(すいたい)の儀式の日。戸田先生は、そっと私に「君のおかげだよ。本当にありがとう」と落涙された。また晩年、私の義父母と数人の学会首脳がいる席で、戸田先生は語っておられたという。「私の人生は、良き弟子を持って、本当に幸せだった」と。思えば、初代の牧口先生が軍部と対決して牢獄につながれたとき、獄中までお供し、最後まで戦われたのは、戸田先生、ただお一人であった。この「一人」が大事なのである。

その戸田先生を、人生のすべてを捧げてお守りし抜いたのは私である。ゆえに私は、第3代会長となった。この究極の「師弟不二」の大闘争にこそ、今日にいたる学会の大発展の根本の因がある。それを、断じて忘れないでいただきたい(大拍手)。

先駆の人とは能動の人

2005-12-18 12:17:45 | スピーチ・メッセージ
これからは一人ひとりが、社会的、人間的に力をつけていくことが大事となる。20年、30年の信心の持続のうえに、職場で、地域社会で、信頼と力を蓄積し、みずからを輝かせていくことだ。そこに3倍、5倍の広布の発展がなされていくのであり、それが絶対の要請となった時代に入っていることを自覚されたい。

広布における「先駆」ほど誉れ高いものはない。信心にも「能動」と「受動」の2つの姿勢がある。「能動」であってこそ、ほんとうの信心である。受動の信心には功徳は少ない。信心はあくまで能動でなければならない。

「先駆の人」とは能動の人であり、みずから率先垂範の人である。そこに栄光も勝利もある。すべてにおいて先駆をめざし、考え行動していく、根性、努力の人こそ、偉大であるし、平凡をつきぬけた英雄である。そこに本当の充実感と喜びがあることを知っていただきたい。

(第1回福岡県総会・昭和58年3月20日)

創価永遠の原点

2005-07-25 23:36:54 | スピーチ・メッセージ
「三類の強敵」と勇敢に戦わなければ、真の法華経の行者ではない、偽りの信心である、と大聖人は厳しく戒めておられる。現代において、権力による大難を受けたのは、牧口初代会長、戸田第二代会長、その直系中の直系の第三代の私である。この三代で創価学会は、世界一の広宣流布の団体となった。

仏法を弘めたゆえに、牧口先生は牢獄に入られた。戸田先生も入られた。私も入った。いわれなき中傷、誹謗、迫害を一身に受けた。「三類の強敵」と戦い抜き、大聖人の仰せ通りの実践を、寸分もたがわず、不惜身命で貫いてきた。ここに創価学会の永遠の原点があり、栄光がある。真実の日蓮仏法を弘めゆく中心、「広宣流布の柱」は、永遠に「創価の三代」である。皆さんはこれを忘れないでいただきたい。

なぜSGIの活動はこれほど世界的に広がりを見せるようになったのか

2005-01-15 22:50:10 | スピーチ・メッセージ
(ヘンダーソン博士の問いに対して)
まず、一心不乱に事に当たったからです。一人一人の人間革命に立脚点を置き、小さな自分を乗り越え、大きな目的を人生に据えたからです。そのうえで、なぜSGIがこれだけ世界的に発展し、不撓不屈の団体になったのかを一言で言えば、それは「徹して一人の人を大切にしてきた」からです。私の人生は、そのためにありましたし、リーダーにも、そういい続けてきました。それ以外に何か秘策があるわけではありません。そして、皆で励ましあいながら、ともに自己の「人間革命」に挑戦してきたからだと思います。それぞれが、「自己に打ち克つ」ことが大きな社会の発展につながり、やがて、人類の歴史をも動かしていく-これが、私どもの「人間革命」運動の核心なのです。

今こそ新たな広布拡大の時

2005-01-15 12:08:35 | スピーチ・メッセージ
にぎやかな繁栄を誇ってきた日本も、さまざまに深刻な陰りが出て久しい。多くの災害が打ち続き、人々は大きな不安を抱えている。経済苦や病気、人間関係などで深い悩みを抱える人も増えてきている。だからこそ、新たな折伏の時である。だからこそ、幸福の大法である妙法を弘め、「立正安国」の世界を断固として築いていかねばならない。

大聖人は、「大悪は、大善が来る前兆である。一閻浮提(いちえんぶだい=全世界)がひどく乱れたならば、(法華経に説かれている)『閻浮提の内に広く流布せしめる(世界広宣流布)』の文が実現することは、もはや疑いないであろう」(御書1467ページ、通解)と仰せである。苦しむ人が多いからこそ、同苦(どうく)し、ともに立ち上がっていく。それが仏法者の魂である。今こそ、広宣流布の新たな拡大を成し遂げていく時なのである。