自己内観ブログ

自己を信じて大地にしっかり根付いた生き方をするための日々の閃きを綴ります。

記憶の濃淡

2018-05-22 09:33:00 | ひらめき
5年位前から物の断捨離から始まり最近は、記憶の削除や置き換えが始まっているような気がします。(脳の疾患からくるものでなく(^o^;)

記憶は、時系列にあった方が取り出しやすいのでそのように脳で整理しているようです。物を置き忘れた時など、順番どうりに戻ると見つかったり、日付けや時間を戻って行くと思いだしたりする時があります。

その時系列に整理しておいた記憶が波のようになり始めているような気がします。

波ですから、高くなったり低くなったり、激しくなったり穏やかになったりです。

以前の記憶が、このように変化しますから誰かとコミュニケーションを取る時に、あまり細かく擦り合わせようとすると、妙なことになります。
若い人は、勘違いで終わっても高齢者は、認知症にでもなったかと悲しくなったりしやすいので、お互いにいつもより思いやりを持って接した方が良い時みたいです。

何故こんな事象が出て来ているかというとひとつには、時間の概念が変化してきているのだと思います。時間を数字で表してそれに合わせて生活しているのが、現代社会なわけですが昔は、朝日が登ったら起きて陽が沈めば眠っていたわけで、誰かと待ち合わせるのは太陽が真上になったらとか..などとやっていたわけです。
そういう形に戻りたいと魂が望んでいるのかもしれません。

もうひとつは、時間は本来、伸び縮みすると思うのです。夢中になって何かをしたり、愛する人と共にいたりすると、時計で測る時間は同じでも短く感じます。
その反対のことをしている時は、長く感じます。
だから、時間を長さではかるより内容で判断するのがその時を大切にできるやり方だとと思うのです。
しかしながら、現代社会は複雑になりそんな、のんびりしていられなくなり、それどころか時間内でたくさんのことを消化処理することが優先されてきてしまったようです。

そういう意味でも、魂は、ゆっくり内容を吟味して進んで欲しいと望んでいるように思います。

これからは、重苦しい記憶や悲しい記憶は、脱ぎ捨てて忘れて明るく前進することが
本来の魂が望んでいる方向だと思うのです。

誰かがそのように思い、忘れたとしても、誤りを正すのではなく、そこに至る思いを尊重して自分も忘れたふりをすることも大切だと思うのです。

そうやりながら、みんなが軽くなって行けたらなと思っています。

ありがとう、たくさんの記憶その経験を基に来たけれど、もう大丈夫だよ\(^_^)/



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