関ヶ原の戦いは、戦国史上はもとより、日本史上にその名を留める大戦として広く知られています。ここでは戦いの発端や結果はもちろん、それと同時に日本各地で起こった局地戦も含めて多角度からご紹介していきたいと思います。 なお、本稿は巷説・伝承なども引用の上で作成してあり、史実の追究を目的として作成したものではないことを、あらかじめお断りさせていただきます。 |
![]() 慶長五(1600)年九月十五日、現在の岐阜県不破郡関ヶ原町一帯で、徳川家康を総大将とする東軍と、毛利輝元(実質上は石田三成)を総大将とする西軍の間で一大決戦が行われたことは、歴史にさほど詳しくない人でも知っていると思われる事実である。しかし、戦いはわずか一日で実にあっけなく終わった。結果は家康が勝利を収め、三成等西軍首脳は斬首・所領没収・減封などの処分を受け、程なく家康は江戸に幕府を開いて政権基盤を確固たるものにしていく。 しかし、戦いが行われたのは関ヶ原一帯だけではない。東北から九州にいたるまで、各地でそれぞれの思惑を抱く大小名たちが、裏切り・すれ違い・父子の訣別など様々な人間模様の渦巻く中で、それぞれの戦いを行っているのである。 ここでは「関ヶ原の戦い」と言うよりも、むしろ「慶長五年の人間模様」的な角度から、悲喜こもごものエピソードを織り交ぜて、この日本史上未曾有の大戦およびそれに付随して各地で起こった大小の戦いをご紹介していきたいと思う。 ![]() ![]() 風雲・慶長五年 ![]() ![]() 関ヶ原周辺の戦い ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 全国各地の戦い ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 決戦とその後 ![]() ![]() ![]() 関ヶ原の戦い・注目武将 ![]() ![]() 関ヶ原の戦い・アラカルト ![]() ![]() ![]() ※背景画像:関ヶ原町歴史民俗資料館蔵『関ヶ原合戦図屏風』(掲載許可済) |