中国貴州省とそこで暮らしている苗族トン族等の少数民族を紹介しています。

日本人には余り馴染みのない中国貴州省と、今私が一時滞在中の雲南省や大理白族自治州大理古城について

大理州巍山県の「うだつ」の有る街並み

2016年09月06日 | 雲南省

大理白族自治州の中に巍山彛族回族自治県と云う県があります。その巍山県の南詔鎮には、ここ大理古城などよりはるかに古い街並みが良く残されています。また、巍山県では「うだつ」が付いている街並みが、それなりに残されています。と云うか古い街並みが残っているので「うだつ」の付いている建築物も多く残されていると云ったほうが正確かも知れません。

巍山県では、通りに面した道路沿いでも、大理古城と比べるとまだまだ古い街並みが残され、それなりに良く保存されています。それ故に、「うだつ」が付いた建物も沢山見受けられます。巍山県は元々彛族が打ち立てたと云われる南詔国の発祥の地と云われ、歴史的にも大理国よりも古いとの事。

このブログで大理古城の{うだつ}に付いて何度か触れたのですが、実のところ大理古城には「うだつ」がある建物はそれ程多くはありません。よく注意して見ると、大理古城内にある建物は、意外にも建てられた年代、時代もバラバラで、従って建物の形式、様式等にも一体感は無く、大理古城とは云うものの名ばかりと云う感じもしない訳ではありません。巍山県育ちの人の話では、大理古城に残っていた古い建物も文革の時に殆ど壊されたとの事です。それに引き替え、巍山県は、大理州からも遠く離れていた事もあり、幸いにも壊されずに残ったとの事です。

大理古城内の場合、前紀末に建てられた比較的に新しい建物には、「うだつ」が付いている物が多いようですが、それでも必ず「うだつ」が付いているとも限りません。良く注意して見ると大理古城の古い建物(一階建てが多い)にも意外に「うだつ」は付いていませんで、どちらかと云えば割合新しい20世紀末から今世紀初めの建物には「うだつ」が付いている様ですが、それでも大理古城では、新しく建てられた建物にも必ずうだつが付いているとも限りません。

大理古城の建物を見る限りでは、大体どの時代に立てられた建物には「うだつ」が付いているかも余りはっきりしません。私が今滞在している大理古城には、実を云えば古い建物は殆ど残されていません。

巍山県の「うだつ」

 

 

巍山県の場合は、「うだつ」が付いている建物は、それなりに古く歴史も有る様です。


巍山県の場合、ある程度古い建物には、この様に必ず「うだつ」が付いています。

 

 

 むろん、最近建てられた新しい建物もありますが、総じて巍山古鎮には、古い建物がの残っています。

 

元々はこの様な形の「うだつ」が主流だった様ですが、ある時期から形も変化した様で、建物の装飾としての「うだつ」が多くなったようです。大理古城の「うだつ」は、防火としての意味よりは、装飾として意味合いが強い様に思います。巍山古鎮で。


巍山県の古い街並み。大理古城と比べはるかに古い建物が残されています。観光客も少ない。

 

再建された拱辰楼。2015年1月3日に起きた火災で焼失したのですが新たに再建された拱辰楼。以前は建物の中に入る事が出来たのですが、今は立ち入り禁止。

 

巍山県の古城内には、地元の人が利用する茶屋も依然として健在です。茶屋で談笑したり、中国将棋や碁を打つたりと昔ながらの懐かし風景が見られます。また、一杯3元(以前は1元)のお茶を飲みながら、日永一日談笑して時間を時間を過ごす地元の人を沢山見かけます。巍山にも観光客相手の喫茶店や土産物屋等も増えて変わりつつありますが、それでも大理古城と比較すると古い街並みが遙かに良く保存されています。以前と比べ観光客が増えたとは云え大理古城等と比べれば何十分の一といった感じです。最近この歴史ある古い街並みを残そうと云う事で、保存運動も講じられている様で、以前からある古い建物を壊して、新しい建物を建てる事は禁止されている様です。

 

今も健在なお茶屋。一杯3元。

 

お茶屋で将棋を指す地元の人。

 

以前、このブログでも何度か「うだつ」に付いては触れたのですが、興味があれば覗いて見て下さい。

「うだつ」のある風景

 巍山県の象徴とも云える明王朝の初期に建てられた拱晨楼は火災で焼けてしまったのですが、私は以前巍山を訪れた際には、拱晨楼中にあるお茶屋さんで、お茶を飲むのが楽しみの一つでしたが、拱晨楼は再建されたものの、今は現時点では中には入れないようです。私としては、内部がどの様に復元されたか興味があったのですが、今は残念ながら立ち入り禁止です。

拱辰楼の火災で責任者が逮捕

大理州魏山県南詔鎮で明朝時代の建物が焼失



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