女身仏に春剥落のつづきをり 綾子
句集『伎芸天』中、「秋篠寺」と題して数句並べているが、その代表的な一句。昭和四十五年、六十二歳のときの作。
秋篠寺は、奈良県奈良市秋篠町にある寺院であるが、殊に伎芸天像と国宝の本堂があることで知られている。
( 「秋篠寺」の草創は,光仁天皇の勅願とか秋篠氏の氏寺であったなどと言われていて、はっきりしない。宗派は当初、法相宗と真言宗の兼学であったが現在は単立宗となっている。)
堀辰夫によって、東洋のミューズなどと呼ばれている伎芸天であるが、平安時代の末期の火災で焼けている。したがって今ある象はほとんどが復元で、頭部は天平時代に作られた脱活乾漆像、体の方は鎌倉時代に修理で作られた木彫である。しかし違和感は無く、全体像は時代が同化していて見事としか言いようがない。
さて掲句であるが、最初上五は<伎藝天>だったのが、後に推敲されて<女身仏に>なったことから、これによって「象」は女性としながらも仏一般に敷衍して、剥落の非情な世界を描きだした。
「仏像の剥落」と「春の剥落」とを重ねあわせると、そこに女身である「象」と「綾子」の物理的な変化が、また「季節の春」と「綾子の心身の春」の面からみると、現象的な推移に遠ざかりゆく時間の無常さを感じないわけにゆかない。
すべてのものは転移変遷しやがて亡びゆくものだが、真理というものがあるのなら移ろいつつも決して消えることはない。綾子はこの句によって歴史の変遷や時間の推移を超越した永遠の生命が、仏像に流れていることを表現したかったのではないか。
**************************************
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます