猫山の乳がん日記

2009年11月、2年半かかった乳房再建が完了。ホルモン治療は副作用のため1年間で中止し、無治療です。

通院(婦人科)

2007年08月31日 | 卵巣嚢腫/子宮筋腫
受診日ではなかったけど、傷口に当ててあるガーゼに
少量だけどずっと分泌物が付いているのが気になり病院へ。

傷口が化膿したらいけないし。
なんせ来週は病み上がりにしてはハードな4病院6科巡りの旅(宿泊含む)。
体調には万全を期しておかねば。

分泌物は別に気にすることではなく
シャワーできれいに流して、ガーゼ当てておけばOKとのこと

おもむろに傷口のサイズを定規で測る先生。
手術直後も母に傷のサイズについて話していたというから
いかに傷を最小限にするかに注力されているのでしょう。
傷は3cmと1cm位のが各1つ。
目立たない場所にあるし、胸の傷にくらべれば蚊に刺されたようなもんです。

Dr「胸の手術とどっちが大変だった?」
私「いやー、同じぐらいですね」
Dr「そっかー、どっちも手術は手術だもんね」

病理の結果が出ていた。
病理診断名:漿(しょう)液性嚢胞腺腫
嚢胞内の液体も嚢胞も良性。
9割がた良性でしょうと言われていたけど
最近残りの1割に入ってしまいそうな勢いの不幸続きだったから
この結果を聞き、ホッと一息。
    


夜、実家へ行き、仏前に報告。
お父さん、手術のとき近くにいてくれてありがとう。
病理の結果は良性でした。

母が便箋に日記のようなものを書き綴ってあるのを見てしまった。
お父さーん、お父さーん、お父さーん…って
泣き叫ぶ声がそのまま文字にしてある。
私の病室に来るとき、どうして我が家はこうやって病院にばかり
いることになるんだろうって思ってたって。
帰り道はお父さんがいてくれたら…って思って泣いて帰ってたって。
でも、お父さんがいつも「今がどん底なんだから、あとは這い上がって
いくしかない」って言ってたって。

3*年間生きてきた中で、間違いなく今年が一番辛い年になったけど、
今が最低なのだからあとは上がっていくだけ
と思うしかない。
ふと「さらにまだこの下があったりして…」って思ってしまうこともあるけど
お父さんがついていてくれるから大丈夫
おじいちゃんもおばあちゃんも這い上がるのを見守ってくれているから
大丈夫って自分に言い聞かせてみる。

最新の画像もっと見る

post a comment