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nekomitu日記

ポンコツ日記

7日目

2019-09-20 20:47:00 | 日記
9月13日
約9時間の開腹手術を終え
しばらくの間
高熱と痛みにうなされる時を過ごした。

今日で手術から7日目

想像よりずっとシンドかった😫

入院前のblogで書いたように
一年前に取り残されたままの
横行結腸の癌と周辺のリンパ節切除

そして、
肝臓に転移した癌は、開腹してみたら
結果的に5か所にあった

見える腫瘍はすべて切除したそうだ。
これは「転移性肝腫瘍」というらしい。

昨日
初めて自分の傷口の全容を見た😵

例えるなら…
巨大なムカデが胸の辺りからおへそまで張り付いてる感じ😖
管が通っていた穴が右横に3箇所開いている。

わ…💦💦すごいな。
しかも…痩せたな…
去年から10kgくらい減っていた←結果的にちょうどいい 笑


人間の身体って凄い…
4日目には自力で歩いて
院内をしばらく歩くことが出来た。

がしかし…😣
すぐに息苦しくなって座り込む。熱が出る
体力は確実に落ちているな…参った😓


癌のステージは?と主治医に聞くと
「今の段階でStage4Aですね」
主治医がサラリと言ったので
初めは言葉を失った…😨へ…マジか。

そそくさとググる。




主治医の説明によると
退院後の抗がん剤治療は確定
退院後3週間程度で体力を戻して
開始となる。

6ヶ月間…長い。

使う抗がん剤の種類とかで
副作用も変わってくるそうだ…

だからといって、
絶対再発しないとも限らない…。

一度癌になると
常に不安と隣り合わせなんだな。
相変わらず50:50の人生😓


さてさて…
これから
どんな感じで生きますか?
去年同様に自分と向き合う…

人にも環境にも翻弄されず
もっと時間を大切に

「丁寧に生きる」事をやってみようか?


去年を乗り越え
「私はもう大丈夫!」
「復活した!」と意気揚々と走って😄
決意表明のごとく本まで書いたものの。
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まさかの事態😵😵

こうなると
よっしゃー克服した!
と安心できるのは
5年後生存率44%に入った時なんだろな。


いや待て…
その前に他の病気するかもしれないし
事故に遭うかも…
いやいや…ボケるかも😣

ふと…そんなことを考える。

病棟にあったこの本…
読んだら
少し心が軽くなった気がした。



つまり…

一年先の自分なんて明日のことすら
本当に予想もつかない…
確か去年のblogにもそう書いた。


ひとまず
手術は終わった…
来週には退院。自宅療養に移る
闘病記はまた…😊






























転移

2019-09-11 12:10:00 | 日記
9月11日
明日からの戦いに備え
髪をバッサリ切った。

去年8月の癌手術…
と同時に17歳の愛猫の死

そして怒涛のスケジュール

10月仕事復帰→11月熊本での新規事業立ち上げの辞令を受け→12月神奈川から熊本に転居→電子書籍出版→新規事業立ち上げ

色んな葛藤も、モヤモヤも
辛くて投げ出したいこともあったけど、
何とか仕事も軌道に乗り出しかけていた。

怒涛の一年を過ごし
気がつけば9月

早いな…
あっという間


8月14日
癌の術後一年目の検査で
一年前の癌の取り残しが見つかった。

初めは耳を疑った…

カメラの検査技師の動揺した声が
朦朧とした意識の中聞こえてきた…

「なんで?ここにあるの?」「え??」

主治医が検査室に呼ばれたらしく…

主治医から説明を受けるまで
時間がかかった。


つまり…
主治医によると
こういう事だった…

もともと一年前
2カ所に癌があって
関東の病院で見つけられ、印を付けられたままの状態の癌を今回の検査で
見つけた検査技師が「何で?」となったのだ。

ということは、
一年前に摘除した癌は
関東の病院は見落としていたという事になる。
それを熊本の病院が見つけ去年摘除した…


乗り越えた!!と思ったら
一年後
まさかの…取り残し。

頭は混乱した。
しばらく整理がつかなかった…

こんな事があるのか…

私は何も知らず
一年間癌を温存していたのだ。

定期的な検査でも腫瘍マーカーの数値がだんだん高くなるものの異常は見つからず…

7月の人間ドックでは腫瘍マーカーの数値が
尋常じゃない程高く出た。



肝機能の数値も「要精密検査」だった。
嫌な予感がよぎった。

更に翌週
MRIや精密検査を重ねると
肝臓に3ヶ所癌が転移していた。

今回は
横行結腸の取り残された癌と、
肝臓の3ヶ所の癌を開腹手術で両方切除し

術後は化学療法確定となった。

最短で9月12日入院13日手術

つまり、明日入院だ。


初めて癌が見つかった去年より
「怖い」というのが正直な今の心境だ。

胸の下からヘソのあたりまでを開腹する…

去年の傷も残った身体に
更に大きく傷が残る事になる…

化学療法の種類や副作用は未だ分からない…。

癌のステージも
術後しばらくしないと分からない…

復帰の目処も立たない…

癌の取り残しが無ければ、転移もなく
切らなくても良かったのかもしれない。

どうして…
こんな事に…

流石に一人になったら涙が溢れてきた。
大げさかも知れないが「死」を覚悟した

説明に同席した娘は
釈然とせず…

「医療ミス」じゃないか?
と…

しかし…

これもまた
何かしら私に課せられた
意味のある試練なんだろう…

そう思った。

私がいなくなれば
娘は一人になってしまう。

雇用した社員もいる…
ここで負けるわけにはいかない。

未だやり残したことがたくさんある。

不思議だったのは今年に入って

いつも漠然と感じていた
ポジティブな感覚が
今年は全く感じられなかった事だ。

それでも「成すべきをなす」
と自分に言いきかせた。

年明け早々
足の痺れからヘルニアの診断

毎日身体がだるい…
原因不明の急激な動機や息苦しさ
耳鳴りや吐き気で深夜
救急に駆け込んだこともあった。

更には、
天敵のリウマチは悪化していた。
2週間に一度、関節のいたるところにステロイド注射をされ。

正直なところ「満身創痍で挑む」といった状態だった。

リウマチは免疫を抑えなけれ悪化する。
癌は免疫を上げなければならない…

つまり…
主治医曰く
私の体の中では癌とリウマチの
「いたちごっこ」が繰り広げられているわけだ…


とにかく焦っていた…
やった事がないこと経験がないこと…
だから答えは分からない。


私達の新規事業を
沢山の人に知ってもらうこと
興味関心を持ってもらうこと…
そのために私は何をすべきなのか?と

お友達の紹介でラジオ出演してみたり…
イベントをやったり…
パンフレットを置かせてもらったり…

日々
人と会って頭を下げひたすら話し…

本当にこれでいいのか…
いつも葛藤していた。

そして、
癌の取り残しが見つかった日の
数日後は
自分のトークイベントを控えていた。

断るべきか…と
携帯を手に取った瞬間…

イベント告知が
Facebookにアップされた。

これは…「やるべき」
という事なんだろな
そう思った。

結果的にイベントは、
当日参加も含め盛会に終わり、トークイベントでは感動して泣いて下さった方もいて…沢山のご縁に感謝する時間となった。




イベントの間は、モヤモヤした不安は忘れていた。

皆んなの優しさに触れ感謝の気持ちでいっぱいになった。

それから数日経ったMRI検査で更に
肝臓への転移が分かった…


何で…
こんな時に…
言葉を失った。

娘が隣に居たので、至って平気なふりをしていたが、開腹手術と化学療法の説明を受けながら目の前が真っ暗になった。

娘も気丈に振る舞っていたが
動揺していることは
手に取るように分かった。

さて…

入院までの日々をどう気持ちを切り替えて過ごすか?

そう考えていたら
不思議なことが起きた

仕事への問い合わせが
一気に数名から送られてきたのだ。

とにかく体力がある時は
会える人に会って話す…
説明する…

そして今日を迎えた。

何より申し訳なさでいっぱいなのは
自分の身体の事で
2年も続けて大切な時に会社を休職することになり迷惑をかける事。

病気は自己責任だ。

社長や周りの人達の優しさに触れて
申し訳なさが倍増した。


どんなに足掻いても明日入院
明後日は朝イチ手術

とにかく戦って勝つしかない。
復活する!そして恩返しする。

闘病日記は
また…




































潔い

2018-11-28 15:03:03 | 日記


元貴ノ花親方の離婚のコメントをTVで見た。

古き因習はびこる相撲協会の大改革に挑んできた「平成の大横綱」と言われた人物である

一連の相撲協会との確執



弟子の問題…

不条理な降格…



どの一門にも属さず

結果


部屋を閉じた



そして23年連れ添った奥様と「卒婚」

これまで部屋を支えることに人生を費やした

奥様に自分の人生を謳歌してほしい…そう言っていた



朝の情報番組で時々見ていた

その状況は、正直であるが故…

ブレないが故

叩かれ

それでも動じることなく堂々と静かに笑っていた





基本的に情報番組のネタは興味がないが

貴ノ花の情報だけは見入っていた



その姿に自分を重ねていたのかもしれないし

そうありたいと思っていたのだろう。



「潔い」そう思った。



何者にも囚われず執着せず

自分の信念を貫く姿

生きる姿



不器用と言う人もいるかもしれないが

私は理想の男性像をそこに見ていた

むしろ…

昨今

こんな男性が少ないことの方が嘆かわしい限りだ..

シャイで話すこと自体があまり得意ではない彼は

どんな質問にもひとつひとつ言葉を選び誠実に答えていた。



社会に出て
組織に属するとよく耳にする言葉

「もっと上手にやればいいのに...」

「下手に自己主張しないほうが良い」

「目立つとろくな事にならない」

「出る杭は打たれる」

「言ったところで無駄だ」

「とりあえず給料もらって生活できるからいいんじゃ~」

「やりがいも成長も無いけど会社が安定しているから辞めるのもったいない」


等々だ...

これは私の持論だが

上記の様に人や環境に依存してしまうのは、他の人に頼りたいだけでなく「他の人の言う通りに生きていったほうが楽だということ」が深層心理にあると思うのです

自分で色んな事を決めていくよりも、周りの人に決めてもらった方が責任を持つことがないし楽だと思うからです。



私はそんな風潮に身を置きたくもないし
「クソ」だと思っている

「一体誰の人生を生きているのか??」と問いたくなる



「誠実」「潔さ」「正直さ」「責任感」



これは私が大切にしていることだが

組織においてはどうにも厄介な存在となるだろう。



なぜならば



歯に絹着せぬ物言い

YES、NOをはっきり言う

不正や嘘、ごまかしを嫌う

議論歓迎

媚びない

群れない

無駄を嫌う←(面倒くさいの嫌いなだけ)

序列を嫌う

せっかち←(娘の折紙つき)

悪魔のようだ・・と診断で出たこともあった(笑)
http://www.seikakushindan.info/personality/entj.php?fbclid=IwAR33citlXfs58Vip2cEtQ95Z7nJ3nQTeTjjtvXsbsdZlvVLvCqGSxNxOyEg

これまでも度々blogで触れて来たように



時々自分でも
「クソばばあ」だなー
厄介だなー

と思ってしまう 笑

中二病が治らない婆アなのだ



私は私の人生を生きる..

どれも私の信条として大切にしていることだ。


話は変わるが

今日、面接した若い男性に「田崎さんがベンチャーでやりがいを感じていた頃って何を大切にされていたのですか?自分のルールとかモットーとかあったのですか?」と唐突に聞かれた

ぬぬっ。。。何だ突然。。(汗)

不意に出てきた言葉は「恥をかくことを恐れない」「一年前の自分よりイケてる自分になる」「とにかく動く」「諦めない」という言葉だった

「何故?」と理由も聞かれたので(おいおい面接なのにインタビューかよ!!)と思ったが
メモを取りながら真剣に聞いてくるので理由も話した

長くなるので
まとめるとこんな感じだ

「頭が悪い、経験や知識も無い、学歴もない、スキルもない..そんなポンコツな私でも、自分に負けたくなかったし
カッコイイ生き方がしたかったから沢山チャレンジして...失敗して...沢山恥じもかいたから今がある。敢えて楽じゃない方を選択してきた人生だ」と話した。


そんな「年の功」だよ的な話に「いや...いいお話が聴けて感動しました...潔いしかっこいいですね!本当にきてよかったです...有難うございます」と言われ
恐縮しまくった。


(よく考えると、面接官である私にそういう質問をし、やる気の姿勢を見せるという先方の策略だったのかもしれない...あ。たぶんそうだ。。)←素直に喜べない。。笑


だが、こんな人生だから安楽に流され依存的な仕事をしている..生き方をしている人には特に厳しいのだろう。言い訳ばかりで周りに頼ってばかりいる人を見るのが不快でしょうがない←(これもまた私の弱点なのだろう。自覚ある)

下手でもカッコ悪くてもいいから自力で最後までやってみようぜ~と言いたくなるw



以下は記事から抜粋した
「潔い人」に共通する10の特徴らしい


1.優れた決断力を持っている

2.確固たる自信のもとに行動を起こす

3.自分に非があれば、速やかに認めて謝罪する

4.他人の顔色をうかがわない

5.愛想よく振る舞うことはない

6.自分の考えに固執することはない

7.下手な言い訳をしない

8.悪い知らせほど早めに報告する

9.一度決断したことを安易に変えることはない

10.常に一人称で行動し人のせいにはしない

頷ける。。

ポンコツにはポンコツなりのプライドがあるのだww



































生きるということ

2018-11-28 12:48:39 | 日記


先日、姉と2人でもう1人の母親と思っている叔母に数年ぶりに会いに行った。



姉とこうしてゆっくり時間を過ごすのも

何年振りだろう…



海が見渡せる老人ホームにその姿はあった。

一生独身を貫き、親や兄弟のために尽くす人生を送りもうすぐ90歳になろうかという歳だ



部屋に入ると

歩行器に掴まって背筋を伸ばし

窓の外を眺めている小さくなった叔母がいた。



耳は遠くなっていたが相変わらずの笑顔で

手を握って泣いて喜んでくれた。



叔母に「なぜ外をみてたの?」と聞くと



「今日もこんなにお天気で…こんなに眺めのいいところでご飯が食べられてありがとうございます…って神様に手を合わせてたのよ…」といって



涙目ながら穏やかで優しい笑顔で言った…



思わず涙が溢れた…



今の自分が何て汚れてるんだろう…

荒んでるんだろう…



そう思った。



私が癌の施術をしたと話すと

ポロポロ涙を流して



辛かったね…

頑張ったね…



と手を握ってくれた。



気がつくと2人で泣き笑いしていた。



私は中学を卒業する頃

どうにも手がつけられないほどやんちゃな生活を送っていた



父が愛人と再婚することになり

家を引っ越す…その間

私の悪しき交友関係を絶つ目的も含めて

化粧品店を営む

叔母のところに数ヶ月間行くことになった。

当時は

「島流し」と言っていた 笑



叔母は厳格な母親と(祖母)と二人暮らし

そこへやんちゃな15歳の小娘が転がり込んだ訳だ



しかし…何もない田舎の温泉地

遊ぶところはおろか友達もいない…



あるのは「海」だけ



そんな環境で店の手伝いをしながら暇な時間はひたすら海を眺める…



そんな生活を送っていた。



当時子供ながらド派手だった私は

この土地から出たことのない祖母に好かれておらず…事あるごとに厳しく接され



泣いたこともあったが

いつも傍らで叔母が慰め笑わせてくれた。



何でも笑い飛ばしあったかい

まるでお日様の様な人だった。



その後は数年に一度里帰りの様な気持ちで帰っていたが



結婚して以降は

ほとんど会いに行けてなかった



私はそんな時を経て今目の前にいる叔母は



耳がよく聞こえないので

一方的にこれまでの人生を泣き笑いしながら語り出した。



あの時と何も変わらず

明るく優しいゆっくりとした口調だが

時々笑いを交える…。話の起承転結がしっかりとしてて

思わず引き込まれる様に話を聞いていた。





そんな話の中で叔母が何度も口にした言葉

「いいことがあって良かった…と喜んでいたら

必ず何かしら又良くないことが起こる…人生はその繰り返しだった」と



しかし、叔母が言う「いいこと」とは

私たちからすれば「え。それっていいことなの?」という内容だった。



叔母の「いいこと」とは不幸中の幸い…

というような話ばかり…

それでも当時の事を笑って話している



それでも前を向いて厳格な祖母のため

姉妹のため…弟(極楽とんぼの私の父親)のため

自分の人生を犠牲にしてきた…



だけど

一言も悔やみごとも言わず

「有難い…」を何度も言うのである



狭い温泉町から出たこともないまま

90年生きてきた叔母の言葉には

なんとも言い難い重みがあった。



女性として生まれて初めて恋に落ちた男性とも祖母の猛反対で
諦め別れてしまったという
以降一生独身


豊かな人生とは..

物質的豊かさ
精神的豊かさ
またはその両方

人それぞれ「豊かさ」の定義はさまざまだろう

しかし叔母は人との出会と別れに感謝し
不幸中の幸いに感謝し

今こうして生きていることに感謝し
食べられること、歩けることに感謝しているのである。


そんな仏様の様な叔母の笑えるエピソードは

「私は最近...自分で都合が悪いと思ったり、面倒だと思ったら周囲の人にボケたふりをするようにしている」と言った事

内容を聞いて爆笑した

さすがいつも笑いに持っていく叔母らしいエピソードだった。


どんな困難があっても
自分の人生を生きられなくても
笑いと感謝で生き抜いた叔母に「生きる」という事を学んだ日だった





乗り越える

2018-10-29 20:43:21 | 日記
約3ヶ月を熊本で過ごした。

7月の癌告知…
8月の手術…入院

癌のStageは2だったもののハイリスクなガンの状態だったので補助療法(抗がん剤治療)を医師に勧められたが

9月26日抗がん剤治療しない…と決意し医師に返事をした。たとえ50:50でも5年間笑って過ごそうと決めたからだ。


10月
何よりも
辛く苦しい17歳で逝った愛する愛猫との別れ…
本来私が経験するはずだった病の苦しみを
全て背負って逝ったんだと思っている。


何度も死に至った経緯を書き残そうとしたが
途中で涙が止まらなくなって…未だに書けずにいる。写真や動画を見ても…近所で猫を見かけても…
涙が出て来る…

そして

21日神奈川に帰り仕事に復帰した。

孫の成長を感じてたくさん笑った喜びの時間

愛する者と別れた哀しみと後悔の時間

友達と過ごした楽しい時間

自分の存在意義がわからなくなった苦しみの時間

仲間や家族が励まし支えてくれた感謝の時間

大好きな叔母と会い心が温かくなって泣いた時間

抗がん剤治療しないと決めた覚悟の瞬間

この3ヶ月たくさんの感情たちが私の中にあった
何度も泣いたし、何度も笑った
何度も悩んだ…なんだか感情がぐちゃぐちゃになったような気持ちにもなった。

今…何故だか心は信じられないほど静かだ…。
上手く言えないけど以前のようにザワザワしない…

これは全てを受け入れ乗り越えたということなのかな…

強くなったのかな…

今年に入ってずっと心がザワザワしていたのに…

ザワザワしないように何かでごまかしているのかな…


答えはわからない。

ただ愛する者との別れを思い出し無性に泣きたくなる瞬間がある

別れはある日突然やってくる…

泣いても後悔しても遅い…突然やってくる


別れの哀しみに慣れることはないけど
時間が薬となって
癒してくれてきた

辛い過去も時間も幸せだったんだと
教えてくれる。

いつか私も大切な人たちと永遠の別れが来るだろう。それが一年後かもしれない明日かもしれない

その時後悔しない生き方をしよう

会いたい人に会い
行きたいところには行っておこう

謝らなければならない人には謝っておこう

愛を伝えたい人には真っ直ぐ伝えよう

許せないと思った事も全て許してしまおう

1日を大切にもっと生きてる実感を得よう

いっぱいオシャレもしよう

別れや最期を考えると
そんな感情が湧いて来る…



聴きたくなかった大好きな音楽も聴けるようになった。ほんの僅かだけど
全てが終わって色んな感情たちが

落ち着いたのかもしれない。


そんな事を考えていたら「あ!」思い出した!

そういえば55歳までに本を書く

という目標があった!ヤバイ。。すっかり忘れていたFacebookで公言したし…

とりあえず出版社を決めよう。
コンタクト取って相談してみよう。

その日のうちに実行した。

そもそも.目的は
私の人生を変えてくれた「師」への感謝の印として変化のプロセスを書き残したかったからだ。

あと、どんな風に葛藤しながら自分と向き合って来たかも残したかったからだ

あと娘に残すために…

「学なし、根性なし」の私が
今こうしてあるのは間違いなく「師」と娘のおかげである。