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たのしい夢日記

京都奈良寺社巡り・思い出・読んだ本…日々のあれこれを写真と共に。

第三十番・椿寺地蔵院

2016-03-14 23:00:07 | 洛陽三十三所観音巡礼
さあ、咲き具合、散り具合はどうかな?

覗いてみると…





満開!

よし!


洛陽三十三所第三十番札所、椿寺地蔵院。 この季節を待っていた。 

巡礼を始めたのは去年4月初め、その頃行っても良かったはずだが、なんとなく、三十番を初めに持ってくるのも?と思い。


つい最近ここのお寺がFacebookのページ持っているのを知り、開花状況を見ることが出来るようになっていた。

「散り椿開花してしまいました。二月の開花は例がないそうです」というようなコメントを見てちょっと焦っていた。三月後半が満開なのだが今年はいったい満開はいつになるかわからない、という事も書いてあり。

ちょうど良い時期と休みの日が合えばいいが…まあ、桜ほど急に散らないだろうし。

良かった、ホントにちょうど良い咲き具合散り具合。













この椿は、太閤秀吉が「北野の大茶会」の時、この場所を使った事から献木したものだとか。北野天満宮はすぐ北側にあるのだ。

残念ながら私が見た木は秀吉の献木したものの二世だそう。それにしても見事な大木、これで樹齢120年だとか。一世は樹齢400年、昭和58年に枯れたという事、大学生の頃に来ていたら一世が見られたのか。








行基創建のこのお寺の十一面観音菩薩さまで、私の洛陽三十三所巡礼、32番目。 結局ラスト、33番目は東寺の観音さまに決定!











まだ寒い。

2016-02-22 22:38:46 | 現実
うん、寒い。

寒い中、たくさん歩いた。

今日は日差しも弱く、2月末としては寒いのでは。と思い去年を振り返ってみると、同じ時期に奈良の般若寺へ水仙を撮りに行っている。

あの時も寒かったな…そういえば。天気も同じような曇り空で。


今日も奈良、東大寺。それこそ去年の般若寺の近くだ。というか、有名度で言うと般若寺が東大寺の近く、と言う風になるのだろうが。

東大寺に行ったのはたぶんずいぶん前だろう。「大仏様は写真撮っていいんだなあ」と思った記憶があるから、写真撮ったのだろうがなぜか、ファイルにない。


大仏殿はさすがに大仏様が入っているだけあって、でかい!







平家の焼き討ちで焼け落ちたというのが信じられない位の迫力の廬舎那仏。

以前来た時と違うのは、やはり外国人観光客。ここは有名どころだけあって、9割がた外国人のように思える。大仏殿前の通りで、鹿と記念写真撮っているのも外国人ばかり。やはり、野生動物がお寺の傍を我物顔に歩き回っているのは珍しいのだろう。しかもさわれるのだから。

それにしても鹿の数も増えてないか?ここまで鹿をよけつつ歩いた記憶はないのだが。




二月堂の傍にも眠たそうな鹿が。

二月堂まで足を運んだのは初めて、こちらの方が大仏殿より良い。 「お水取り」で有名な建物だけれど、こうして昼間に上がってみても、景色もよくて良い。ここにはそれ程外国人も来ないようだ。この建物から松明が見えるのは迫力だろうな。




観音様が祀られている辺りも質素で落ち着いた感じで、静かだ。




しかし、寒い…

手が冷たい…手袋してたら写真撮れないし、な。 

二月堂下のお休み処できつね蕎麦を注文する。あったまろう。

「はい、たぬきひとつ!」

とおじさんはキッチンに向かって叫ぶ。

あれ? それって大阪だけでなく奈良でも逆だった? 載っていたのは天かすでなく、私の注文した油揚げでの方であった。やっぱり逆なんだな。


外国人男性を4人ばかり連れた中年女性がいる。 うどんとそばの違いを英語で説明している。発音は「ジャパニーズ」だが、内容はちゃんと説明が出来ている。ボランティアガイドの勉強をした人だろうか。そういえば大仏殿近くでも60歳位の男性が外国人二人に英語で説明しながら歩いていた。
最近は英語で観光案内、のニーズあるだろうな。

鹿も寒いのかな。せんべいが欲しいだけかな。



さて、ここから春日大社へ。その前に手向山八幡宮がある。

「このたびは 幣もとりあえず手向山 紅葉のにしき 神のまにまに」

菅原道真の、百人一首の句に詠まれている神社。ここにあったとは知らず。



なんだかかわいらしい鳩さんのマーク。 


春日大社は…大きい神社はたいていそうだけれど、あまり印象は強くない。 建物に由緒がある、というものではない事が多いからだ。 ぴっかぴかに塗られているし。
ここは第六十次式年遷宮である。

天皇家そろい踏み、これは印象に残るなあ。さすがである。






そろそろ馬酔木が盛りの季節だ。スズランみたいな花はかわいらしい。




春日大社を出ると、森の中を歩く路が。

「上の禰宜道」を行く。あの春日大社や東大寺のにぎわいが信じられないほど静かな道、誰も歩いていない。今日は混雑覚悟で来ていたから、こんな静かなお散歩は想定外、気分がよいウォーキングだ。





わ、ここも人がいない!

新薬師寺は薬師如来様の回りをかっこいい十二神将立像が囲んでいる、という配置の本堂、入ってみると、とても暗い。蝋燭の灯りしかないのだ。 おのおのの神将の前に蝋燭台が置かれ、その蝋燭の灯りに照らされるお目目ぱっちりで美しい仏様、強面の神将たち、うん、これは素晴らしい。
この雰囲気はよい。静かで人もいないし…
十二神将立像が人気、と聞いていたが月曜だからか。

私の寅年の守り神は真達羅(シンダラ)大将。中では穏やか目。人気があるのは伐折羅(バザラ)大将らしい。戌年の守り神だ。


さあ、どうしよう?百毫寺? 花の寺、だからいってみたいんだけど。
一キロくらいあるけど…レビューで、「階段がきつかった」って書いてた人がいたけど… ここまで来るのはめったにないから、行ってみようか。








うん、長谷寺とか、神護寺に比べたら全然。段々がばらばらな感じなのと、ひっかかりやすい石が多いから気をつければいいだけ。

ここも人がいない。

いや、この石段、いいよね、むしろ。







椿が盛りを迎えつつある境内からは奈良市内が一望。

そろそろ、あの向こうへ帰ろうか。また、歩くなあ。












第十番~十四番清水寺・第九番青龍寺

2016-02-15 20:58:31 | 洛陽三十三所観音巡礼
「なんか暑いような気がするんだけど」「暑いですよね?」と職場で不思議がった土曜日。

後で聞いたら5月位の気温だったとか。それで冬の服装なんだから暑いに決まっている。

天気予報では「来週は冬の寒さに戻りますので、体調管理に気をつけましょう」とのこと。


はい、確かに今日、月曜日は寒かった。けれど違うのは日差し。空気は冷たいけれど、日差しは確実に春を思わせる強さに変わっている。もう冬の寒さ、とは言い難い。


清水寺は、正直な所それ程、普通に行ってもあまり感動はしない。もう何度も行ったからだ。去年の夏の様に、内陣に入って千日詣りする、というのならちょっと違うけれど。

洛陽三十三所では、ここの5つのお堂を回る事になっており、行った人のブログを読んだところ、三十三所のご朱印は、本堂のご朱印所でいっぺんにもらうのだという事だった。

そもそも、5つのお堂って???そんなにあったの?「寺」ってなってるとこもあるけど…舞台の所が本堂だけれど、その他は今一つわからない。


清水寺には祇園四条駅から行くルートと五条駅から行くルートがある。どっちにせよ20分以上歩く。私は五条坂の混雑を避けて、南側の大谷廟の無数のお墓の横を通る道が好き。
まずここを通って清水寺に行く人はいないので、静かなのだ。
お山にびっしり、それこそ「生えている」ようなお墓群はまったく、怖い感じはしないし。

あれ?

「土砂崩れで通行止めになっています。ここから清水寺には行けません」

???土砂崩れするようなとこ、あった??左はお墓群、右は小さいお寺やなんかがあるだけだと思ったけど…

しかたない、茶碗坂を登る。




観光客がまず最初の記念写真をよく撮っている仁王門のすぐわきに、清水寺善光寺堂がある。いやいや、こんなに小さなお堂、今まで全然気づかなかったわ…みんな仁王門の方しか見てないもんね。

覗いてみると、明るくて如意輪観音様がよく見える。かわいらしい!!如意輪観音って、座っていてポーズがリラックスしていていい感じなのだけれど、この観音様は顔がカワイイ!

ちょっと、阿部サダヲさんに似ている。





次は朝倉堂だが、残念ながら工事中で参拝できない。名前の通り、越前の朝倉家が寄進したものだそう。


さて、本堂。入る手前に梅が。






左右の腕を頭上に高く挙げて化仏(けぶつ)を戴くお姿は清水寺独自のもので、 「清水型観音」と呼ばれています。

だが、秘仏なのでお厨子に入っていて、ちらと見えるのは「御前立仏像」なのだそうだ。33年に一回しか御開帳しないそう。

ろうそくをつけてお詣り。それほど沢山のろうそくは上がっていない。
みな、舞台の方に行ってしまうので案外、本堂に上がる人は少ないのだ。おかげで大混雑の清水寺とは思えぬほど落ち着いてお詣りさせてもらった。

奥の院も残念ながら工事中。運慶快慶作の千手観音像がご本尊だそう、工事が終わったらじっくり見に来よう。


西山の方は雪かな?





もう一か所、子安の塔の傍にある泰産寺に行く前に、ご朱印所がある。

先ほどのブログにも、「本来なら全部お詣りしてからご朱印所だろうけれど、場所的にちょっと非現実的」と書いてあったとおりで、泰産寺に行ったら出口の方が近くて、戻るのは結構大変。清水寺は広いのだ。

よってご朱印は頂いておく。

「参拝できない所があっても頂けるんですよね?」
「はい、参拝はできないんですが…いいですか?」と逆に言われる。

そりゃ、普通、参拝記念にもらうものだからなあ。
しかも三十三所「巡礼」なんだから巡礼しないでもらうのは本末転倒というものだろうが、工事中とあってはしかたない。傍まで来てるからいいだろう。気持ちは入っているのだ!

同居人がいつも言うとおり、これだけの有名なお寺、さすがの書体で書いて下さる。5か所分書いて頂くのでずいぶん時間がかかる。全部「大悲閣」なのが残念と言えば残念?ちょっと違うのあってもよさそうだけど。

並み居る中国人観光客の間をすり抜け子安の塔へ。




ああ~こんなところにお堂があったんだ。泰産寺…寺?寺なんてあったか?と思っていたのだが。やっぱり、子安の塔の方に気がいってしまうので全く気付かない小さなお堂。
塔の中には、小観音を胎内にやどす千手観音様が祀ってあるのだそう。もともとは聖武天皇と光明皇后が祈願され、安産されたので建てられたという縁起があるそう。
聖武天皇って…またずいぶんと古い歴史があるものだ。

ちょっと小腹がすいたので、大好きなぜんざいでも頂こうとお休み処へ。

入ったら「One?」とお店の女の子が人差し指出して聞いてくる。「一人ですか?」と言いたいのだろう。笑って「日本人ですよ」と言うと「すみませんお好きな席へどうぞ」

そうよね…今日は8割がた中国人観光客だもんね…春節恐るべし。


清水から坂を下って高台寺方面へ。

青龍寺は第九番札所。以前から何度か表を通っているが、清水寺と一緒に、と思って行っていなかった。また、門も閉まっている小さなお寺、ちょっと行ってみる、にはハードル高そうだったので…インターホンで開けて頂く形式だし。



実際普通のお家くらいの広さだが、可愛らしい梅の木が庭の真ん中に。

春告花だね。









第二十九番福勝寺・第三十三番清和院

2016-02-01 19:52:50 | 洛陽三十三所観音巡礼
洛陽三十三所観音巡礼を始めたのは去年4月初め、桜の頃だった。

今日は第三十三番札所、清和院へ行ったのだが、満願では、まだない。

ところどころまとめて行ったりしているので、順不同。 あと、8か所である。

さて、トリは東寺か、清水寺か。清水寺には5か所、第十番から第十四番までの札所が固まっているのでいっぺんに同じところで書いて頂く事になるのだそうだ。それより一か所で「ラスト!」ってなる方がいいかなあ。


さて、今日の二つのお寺。住宅街の中にあるようで、あまりフォトジェニックではなさそうなので、この時期にした。庭や花、紅葉が有名な所ならなるべくその、一番良い時期に行く事に決めてまわっており、あまり植物系が期待できないところは真夏や冬、と考えていたのだ。

清和院はアクセスが難しかった。google map無かったら絶対迷っていた。バス停から言われたとおりの道をたどって…いるはずなのだが何しろ目印がない。家ばかりで、たまに仁丹印の住所板(↓↓たとえばこういうの…今日行った場所ではないが)で確認が出来る位。



しかしこの仁丹の住所板、京都ではあちこちにあるけど味があるよなあ…

くねくねと細い道をたどってやっとたどり着く。

清和院、というと…藤原高子が女御だったよね? と言う事は在原業平のライバルか。いや、「むかしおとこありけり」のひとはライバルなんかとは思ってなかったかもね。



小さなお堂のみ、参拝者は私だけ。

奥の事務所でご朱印をお願いする。小さい所によくある、インターホンで呼ぶ形式、かなり時間経って年配の男性が現れ、窓を開けてくれる。










随分と時間をかけ、丁寧に書いて下さる。横の張り紙もいい味の文字で書かれている。この方が書いているのか。



出来上がったご朱印にこれまた丁寧にドライヤーかけて乾かしてくださる。

うーん、素敵な文字。年配の男性というより、女性が書きそうな優雅なご朱印だ。今の所、洛陽三十三所の中で、私の好み、1,2を争うかも。

「聖観音菩薩」のはずだが…そう書いてあるのかな…




ここから歩いて10分位で福勝寺。

ここは「ひょうたん寺」と言う別名を持つ。如意宝珠を二つ重ね合わせるとひょうたんの形になるから、とか。明後日くればひょうたんのお守りが頂けたのだが。また、ひょうたんと言えば、豊臣秀吉。寺格をあらわすご朱印をもらっているのだそう。

観世音菩薩に勅願された天皇から、紫宸殿の「左近の桜」を分木されたという事で「桜寺」という別名もあるそうだ。

ここは1日と16日のみ、本堂に上がれるようになっている、と言う事だったので今日をねらったのだが、こちらには、いかにも「良く来ていそう」な参拝者の方々が。

脚の悪い年配女性が、杖を突いて本堂に上がり、熱心に何か祈念されている。









お寺の近くにはよく、法衣、仏具の専門店が軒を並べていたりするものだが、ここの近くには法衣専門のクリーニング店があった! 初めて。



確かに、位の高いお坊様の豪華な法衣ならば普通の着物より手間がかかりそうだ。袈裟なんかだと金糸銀糸入ってるし。 

観光寺じゃない所を巡るとこういう、まず訪れる事はないだろう通りを歩いて、面白いものを発見できる。

インフルエンザ

2016-01-29 00:44:44 | 夢と現実



同居人がインフルエンザにかかり月曜からずっと家にいる。
人生初インフルエンザだそう。


私は18年位前かかったのが初。その頃はタミフルもなく、また感染についてもあまり知識が普及しておらず「インフルエンザは熱がすぐは下がらないから、2日休んでいいですよ」とマネージャーに言われて、3日目まだ微熱ある状態で仕事に行った。
ひどい風邪位の認識だった。隔世の感あり。
きっと生徒さんにうつしただろうなあ。

2回目は10年前。このブログ始めてすぐだ。「頭痛がずっと続いて」等と書いている。
ずっと体調が戻らず同居人の誕生日に満足のいく料理が出来なかったとも。
その時は職場で3人かかり大変だった。

このいずれの時も同居人にはうつしていない。
2回目の時は、4日は人にうつすから外にでるな、と言うルールが世の中に出来ていたので、うつさないよう家でも「隔離政策」、しかし1回目は何も。
同居人は丈夫なのである。

今回も、土曜日から熱があったようなのだが、普段熱など出さないので具合が悪いのが自分でわからなかったらしい。
日曜になって

「どうも調子悪い。風邪かも」

「ほんと?熱測ってみよう」

...38度5分。

「よくこれで、お風呂入ったりイカスミパスタ食べてたね...」

そう、割合元気にしてたのである。

私なら、そんなに熱あったら動けないんだけど...食欲もなくなるし。

病院でインフルエンザ確定、今度は同居人の会社で3人くらい出ているようだ。

よって「隔離政策」私は別室に布団敷いて寝ている。
暖房ないので毛布が着ぐるみになったようなのを寝袋風に。結構暖かい。

何時もと違う寝方のせいか、準備が整ってないのに漫才をする事になり舞台袖で緊張している夢を見た。

その上寝坊...



写経

2016-01-25 21:53:55 | 現実
「筆と墨を買ってご朱印を書く」

と同居人が言う。

「…文字はともかく朱印はどうするの?」
「スタンプの赤いのを買ってきて…」
「消しゴム印?」

とあほな事を。

私がお寺でご朱印をもらっていると、書いている人をいつもじっくり眺め、「やっぱり有名なお寺の人はうまいよなあ」と感心していたのだが、それを見て格好いいなあ、と思い、筆文字を書いてみたくなったらしい。

ご朱印はともかくお習字はたまにいいだろう。

お正月休みにハンズに行く機会があったため、文房具の所を見てみる。

「あ、写経セットがあるよ」

トレースする般若心経を書いた紙、筆、小さな硯と墨、というセットだ。

「久しぶりに写経しようか」

もう一つ筆、下敷きも二つ買う。後で気づいて書道用の文鎮、それをまとめて入れる硯箱もアマゾンでゲット。

日曜日の午後に写経タイムとなった。





同居人はYouTubeで「般若心経10回 練習、瞑想などに」と言うのを見つけてきてかける。

声明風の大勢の声の般若心経の流れる中、筆を進める。

…字が読めない…崩しててわからない…のがある…

「草冠が変だ」

「これ、なんて字だ?」と同居人も呟く。

わかんなくてもいいのかな…とりあえずなぞれれば…それでも、写経のために座り、心落ち着けて筆を進めているのだし…
きっと、昔の人が写経して納経した時も、わからない言葉や字があった人もいたに違いない。

初めて写経したのは苔寺、西芳寺だった。調べてみると、1999年つまり17年も前の事だ。

苔寺は参拝にも予約が必要なのでずいぶん前から計画をしていったはず。その時も字がわからない!とか思った記憶はないのだがきっと同じだったろう。

物凄い大雨の日の翌日で、苔がみずみずしく、と言うより苔から水が噴き出している、と言う状態、お蔭で活き活きした苔が見られたのをよく覚えている。



先に書き終わった同居人は、別の紙に縦横にやたらと線を書いている。

「まっすぐな線が書けないんだ」

見ると、確かに横一直線、縦の線などがくねくねしているところがある。「不」の横棒とか。

そうか!

書き方が全然違うのだ。

私は子供の頃書道を数年やっていたので、とめ、はね、を自然にやってしまうが、同居人はペンと同じようにずっと同じ筆圧で書いている。
ならばまっすぐの線を書くのは難しい。
止めてから一気に引かないとふらふらしてしまう。

よく、一回泳げるようになったらしばらく泳いでなくても出来る、と言うけれど、書道もそうなんだなあ、と実感。書道教室に通っていたのは小学校中学年位までの数年のみ、つまり45年は経っている事になる。
それでも手は(脳は、だろうが)覚えているのだ。

さて、次回はどの位きれいに書けるかな。


飛鳥寺・岡寺・うってかわってお初天神

2016-01-25 16:46:53 | 御朱印帳
一月、寒い時期だが年始、神社仏閣への参拝にはよい時期。

1月2日か3日には、どこかに初詣によく行くのだが、今年はどこに行こうかと同居人と相談、ドライブがてら奈良に向かう事に。

同居人は混雑が嫌い。それなら、京都のお寺は初詣の人々でいっぱいであろうから避け、奈良の田舎へ行く方がよいだろう。


確か友人のオーストラリア人の旦那様のご両親が奈良観光に来られ、一緒に付いて回った時に行ったかも・・・と記憶の定かでない(なにしろ20年前の話だ)飛鳥寺を目指す。

飛鳥大仏を見たかったのだ。

右から見る顔は厳しく、正面から見ると、真正面ではなく、聖徳太子ゆかりの橘寺の方角を見ていられるとか?そして左からのお顔はちょっと優しい、と説明を受ける。









写真OKなのか…

東大寺の盧舎那大仏も写真OKである。鎌倉の大仏様も撮っていいようだ。 大仏様はいいのか?

「昔の仏様の顔だな」

「法隆寺の観音様も細長いもんね」

思った通り参拝客は少ない。

お寺の傍の土産店で、葛粉と「蘇やねん橿原」というとんでもない名前のお菓子を買う。古代のチーズ「蘇」をちょと入れているようだが食べた感じはチーズケーキ。それにしてもこれ、橿原神宮御用達…でこの名前…

次は岡寺へ。

山の中へどんどん行っちゃうんじゃ?というような所を上がると駐車場が。

お寺はさらに上がるようだ。破魔矢もっておりてくる人がいる。




「結構、賑やかだね」
「意外だな」
「あ、西国七番なんだ」

山中に突然結構な伽藍が登場。「厄除け」の赤い幟がたくさん。私もご朱印と厄除け(寝室の頭の辺りの壁につけるように言われる)頂く。





さらに登ると、洞窟の観音様。




さらに登るとなかなかよい景色。奈良は高い建物がないから、広々見渡せる。あれは、甘樫の丘かな?見下ろすと本堂が。





さて、神社への初詣は少し遅れて先週。





梅田にいったついでに、お初天神(露天神社)に参拝。ここは何度も通っているし見に行ったこともあるが、「何度も通った」のはなぜかと言うと飲み屋さんが立ち並ぶアーケードの中にあるからだ。実は、1300年の歴史を持つ社なのである! しかしあまり「参拝」という神々しい雰囲気はないのだ。すぐ横にお初天神ビル、というのがあり居酒屋なんかが入ってるし。ビルの谷間にあるし。


ここはまた、近松門左衛門の「曽根崎心中」縁の地でもあるので、ちゃんとお初と徳兵衛の像がある。



ん?桜が?造花? 不断桜?

電飾、でした。

なんか、クリスマスツリーみたいだな…






















真田丸跡

2016-01-12 23:27:09 | 現実
1年前から楽しみにしていた大河「真田丸」、1回目は面白かった。
待った甲斐があったと言うものだ。三谷幸喜は好きだけれど大河ではどうか、不安と期待の入り交じり。見てないけど「新撰組!」はちょっと「違った」と言うし、映画「清洲会議」はイマイチだったため。

大河の初めの方はあまり、面白くない事が多い。時代設定、状況設定で説明的になるし、主人公の親から始まってササッと進むので。

「真田丸」も無論、父の真田昌幸の活躍からだが1回目から幸村が子役ではないのが良かった。草刈正雄演じる真田昌幸 、曲者で面白い!


通っているネイルサロンのある京橋から真田山公園はそう遠くない。電車で7、8分と言う所、終わってから行ってみる。

ちょっと小高くなった真田山公園は、ビルに囲まれている。大阪城は見えない。
ここにある三光神社には幸村像、その足元に大阪城に続くと言う「真田の抜穴」がある。
後から作ったものだと言うので繋がってはいないんだろうけど、つい「プリンセス・トヨトミ」を思い出してしまった。










昨日放映されたばかりでもあり、訪れる人たちも少なくない。ご朱印も頂いて記念にお守りも、と思ったら六連銭模様入りお守り売り切れ。やっぱり大河の影響かな。

真田幸村のお墓があるお寺まで行ってみる。

公園内を歩いていくと、お墓がびっしり並んでいる。
みな戦没者のものだ。
街中なのに静かで、お墓が芝生にずっと並んでいるさまは、外国映画をふと思わせる情景。





心眼寺はごく普通のお寺、観光寺ではないので、幸村の墓を見られるのみ。










祭日でもあり、やはり、次々と家族連れ、カップルもやって来る。今年はこのあたり、人通りが増えるんだろうな。
次は以前にも行った、幸村終焉の地、安居神社かな。
猫が沢山いたけれど。
座った幸村像のお尻のとこに猫が寝ていたのが妙に印象に残ったものの、だれもいない静かな所だった。今年は大々的に六連銭の真っ赤な旗が翻っているかも。

第二十八番壬生寺中院・第二十四番長圓寺

2016-01-10 17:14:19 | 洛陽三十三所観音巡礼
一年の仕事がとりあえず終わり、さ、お休みの間にどこにお詣りに?花は、何かいいのが撮れるかな…


この季節であれば、千両万両、南天、山茶花、等の写真が撮れるが…とお気に入りのサイト「sodakyoto」を覗いてみると、私の好きな法金剛院で千両、万両が盛りとある。

法金剛院は桜、蓮がきれいなお寺でその時期は人でいっぱいだが、冬ならそれはないだろう。ならば、その近くの洛陽三十三所、壬生寺、長圓寺はまだご朱印貰っていないから一緒に参拝しようか。







長圓寺は一条天皇の時代、と言うから紫式部や清少納言が活躍したころか、疱瘡が流行ったので観音像を宮中に備えて祈願法要を行った、その聖観音像が祀られているという事、厄除けの観音様だ。

建物自体は昭和のものが多いのできれい。もう蝋梅が咲いていた!早いなあ。



有名なお寺と言うのではないので、参拝は私だけ。しかも、観音堂の中にもだれ~もいない。ここから観音様抱えて逃げる人いないのか? 

社務所に行くと、「丁寧にお詣りして頂いてありがとうございます」と言われる。見てたの?  そうよね、監視カメラはあるに決まってる。

愛想良い対応で、あめちゃんまで下さった。ちょっと、珍しい。


ここから壬生寺へ。壬生狂言でよく知られているが行ったことはなかった。一度見てみたいとは思っているが…





パゴタを模したともいう仏塔には、千体の仏像が祀られているのだとか。

洛陽三十三所の十一面観音は中院にあるということ、中院といってもとても小さなお堂だ。




壬生寺はそこまで境内が広いという訳ではないが、盛りだくさん。

本尊は延命地蔵菩薩だけれど、その他に水掛地蔵、弁天様、歯薬師如来なども。 

一夜天神、には菅原道真が左遷され流される前に親戚の人に会った、という由来があり、「遠くにいる家族親戚の無事を祈る」ものなのだそうだ。

いやいや、色んな神様仏様がおられるものだ。いろいろな心配事がみな、あるのだという事だけれど。

お守りも売られている。入っている小さな紙に願い事を書いて持っているようにするのだそうで、私も父の事を書いてバッグに入れることにした。

ここにはまた、「壬生塚」という場所があり、新撰組ファンの聖地のひとつだろう。近藤勇の胸像の横には絵馬が飾ってあるのだが、どれもアニメ風の新撰組の人々が描かれてぶら下がっている。それもみな、結構上手な絵なのでびっくりする。




さて、法金剛院。

予想通り、だれ~もいない。そういう時に良くあるように、庭師の方々が入っている。お掃除の方も。

ここにある面白い物のひとつがこれ、「仏手柑」。柑橘なのだけれど、形が仏様の手のようだと言うのでこういう名前で呼ばれているらしい。

確かにそんな風だが、「ブッシュカン」と言うとなんだか音の響きは外国語風にクールである。




そして入り口近くにある「実葛」。水に浸して出てくるねろねろ~を整髪料にしたというもの。実だけ見るとなかなか美味しそうにも見える。







誰もいないお寺でゆっくり、のんびりと座って…と言うのもいいのだが、実は冬はそれがやりにくい。

とりあえず、寒いのだ!

暖冬とはいえ、お寺には通常、暖房はない。事務所あたりにたまにストーブ置いてある事があるが、火の気は基本、禁物だろう。

その上板の間。足からも寒気が上がってくる。 冬のお寺巡りの時には、外を長い事歩いたりするのでヒートテックのソックスを履いて行くが、これも靴があってのものなんで…

退散。






第七番長楽寺・第三十一番東向観音寺

2015-12-29 19:08:54 | 洛陽三十三所観音巡礼
長楽寺は東山、つまり京都中心部から言うとnorth upで右下。東向観音寺は左やや上。



共通点は「桓武天皇の勅願により開基」というのがあるけど平安京遷都した天皇だからほかにもいっぱいありそう。

なんで今回はこういうバラバラな位置の二つのお寺に巡礼となったか。それは着物dayと友人の突然の思いつきのため。

初めての、誰かと一緒の巡礼である。



H先生と私は毎年浴衣か着物で京都散策をし、写真を撮ってもらったりして楽しむ事にしている。お互い神社仏閣が好き、写真も好き、というので…。

おりしも紅葉が色づきかけ、秋の散策にぴったりな11月。 着付け後、茶箱弁当を風雅なお店で頂く。




今回はH先生「北野天満宮に行きたいんです」

有名な神社なのに行ったことがない、という。受験の時にも来る機会がなかったのか? 

学問の神様、官公のお社は、ウシだらけである。いっぱい石のウシが寝ている。以前にも来て、「なんでウシなんだろ?」と思ったのだが、たんに菅原道真が丑年生まれだという事らしい。




きものパスポート(着物を着て京都を歩くと、割引のあるお寺やサービス受けられる店がある)を見せると、素敵なしおりを頂けた。



「思ったよりいいものくれたね」と失敬な事をいう私達。

私はついでに洛陽三十三所の第三十一番、東向観音寺がちょうど北野天満宮の境内にあるので、寄っていくことにする。

小さなお寺だが、官公が幼い頃勉学に励んだ場所、本尊十一面観音は道真公自作とか。豊臣秀頼が再建したと言う。立派な由来である。

でも東側を向いてるから東向観音、って、それでいいのか?





こぢんまりとしたお寺、北野天満宮へはぞろぞろと人々が歩いていくが、こちらに足を向ける人はいない。参拝客は私とH先生だけ。社務所でH先生に待ってもらいご朱印を頂く。

去年の春から、この「洛陽三十三所観音巡礼」をしていて、かなりご朱印もたまったと見せると、H先生、突然「私も買っていいですか?」

「テーマがあるって、いいですね…」

見ると社務所に同じ、専用のご朱印帳がある。以前は大きいお寺しか置いてなかったようだが、最近はご朱印が流行りだからか、この小さな所にも。



「ん?二つ買うの?」

「ひとつは母の分です」

と言って二つご朱印をもらう彼女。  代理でもいいのかな~自分で参拝しなくてもいいのかな~~

「巡礼するのなら、さっき着付けしたところの近くにも、東山の紅葉の名所でひとつ、お寺あるよ。行ってみる?」

と言う訳で戻る。

第七番長楽寺は、建礼門院出家の寺、と言う事で有名。しかし紅葉には早すぎ、残念!




以前から、すごい階段、と思っていたが草履で上がるとさらにすごい。本堂まで上がると結構な高さである。滝まである! 敷地は広い、と言うほどでもないのだが、東山に沿って上に伸びている感じ。







この滝の回りの石組にはあちこちに仏様の姿がある。

滝自体は清水の滝と同じように、温泉の打たせ湯みたいなのだが、かなりの水勢で柄杓もころげそう。 

ここも参拝客は私達二人だけ。

ちょっと降りた東山、高台寺辺りなどは紅葉狩りの観光客でにぎわって歩きにくいことこの上ない位なのだが、ここでは落ち着いて庭を眺めることが出来た。人がいない秋の京都なんて、あり得ないのが普通だ。
















ちょっと早い紅葉狩?

2015-11-09 20:25:22 | 現実
11月初めの連休は、結構好き。

もう暑くない。まだ寒くない。

残念なのは紅葉にはまだ早い事。紅葉は勤労感謝の日辺りだし…

それでも、11月は、歩き回るには良い月。





11月2日は、年に2回だけ公開する、法然院。むろん、法然上人ゆかりのお寺。ここ、もう少し、それこそ勤労感謝の日位に公開してくれればいいのに…よく、「参道の紅葉が見事」なんて写真つきで見るのだけれど、その時は公開していない。いや?参道は歩けるのか?かも?今度試してみよう。




白砂壇を通り抜けて浄域へ。



本堂の阿弥陀如来様の前に菊をばらまいてある、と思ったらそれは散華として飾られているものだそう。

菊の花は外にも。こうして飾られていると華やかなものだ。




坂を下りていくと、上がってこようとする70代と思われる女性二人。

「この上、法然院?」
「そうですよ」
「なに、見られるの? 象の絵?」息を切らして言われる。

象の…絵?  ああ、そういえば現代作家の絵の展示があり、象、いた気が…

「象、ありましたよ」
「あと、何あるの?」

ふうふう。

「銀閣寺から歩いてきたの。遠かったわあ」

確かに、銀閣寺からなら十分歩いてはこられるが結構、時間はかかるだろう。

「普段公開してない伽藍が見られますよ」

どうも、大したことないならもう上がりたくないという風情だった



翌日は同居人の車で大原へ。

「俺、大原付近は車で通ったことはあるんだけど行ったことはないんだ」
「なんで通ったの?」
「日本海へいった」

ああ、同居人は社員旅行はよく、昔は日本海へ行って蟹、だったのだ。

「だから今回初大原」

三千院、実光院、勝林院、宝泉院、寂光院と回って、なんと6時間近くかかった。歩く距離が結構あるのだ。ご朱印も、三千院に3種類あったので合計7つも集まった。

私は今回実光院、勝林院、宝泉院が初めて。「声明」のメッカだそうで、実光院には声明の音合わせの楽器が色々置いてある。鰹節が並んでいるのかと思ったら、金属で出来たもの。

同居人と叩いてみると、鉄琴の音がする。左から順に叩いてみても音階はわからない…ファとシが抜けているんだそうな。


でも「平調」(ひょうじょう)「盤渉」(ばんしき)など、昔の物語で出てくる音の名前が書いてあるのが面白い。







1月2月まで咲き、春にもまた咲くという不断桜も見ることができた。しかし桜と言っても枝の先にちょぼちょぼとついているので、あまり華やかさはない。
桜はやはり、うんざりするくらい沢山「咲き誇る」のが桜らしい。




勝林院の柱の透かし彫りを眺めていると声明が聞こえてくる。 本堂の後ろの方でお坊さんたち、練習中か? 見てみたいものだ。

2人してうろうろと歩き回る。建物自体は立派だがそこまで大きい本堂ではない。

「これだった…」と同居人が指差す。

そこにはスピーカーが…

「あ、そゆこと。」 

ご本尊様の前にボタンがあり、「押すと声明が流れます」 3分間。うん、外から聞けば…まあ…


その後宝泉院でおうすを頂きながら700歳の五葉松を眺め、さらに寂光院まで足を伸ばす。三千院からなら2キロはあるのだが、山里を歩くのはそう苦にはならない。

畑の中にりっぱな家も見かける。昔なら茅葺だっただろう、と分かる形の屋根が特徴的だ。屋号が三角部分についている。


建礼門院ゆかりの寂光院は、焼けてしまったからまだ、新しい建物。建礼門院庵室跡、というのがこの傍にあるが、山の迫ったさびしい場所。

そのさらに奥に、小さなお堂があり、焼け残った本尊の地蔵菩薩様が今時期だけ公開しているので見に行く。
空調を完璧にした部屋で、ガラス越しに見る。真っ黒になってはいるが形はしっかり残っているので、重文指定はそのまま残されたという事、「有難いことに」と係の方が繰り返していた。

これは知らなかったが、ここは「しば漬け発祥の地」でもあるのだそう。
建礼門院のお付きの侍女、阿波内侍が、献上された野菜で初めて作ったのだとか。 我々も、それならと本場の地でしば漬けを買っていくことにする。
別に大阪のスーパーでも買えるけれど、お寺の向かいにしば漬けや佃煮を売っている店があるのだ。

「味見どうぞ」とご飯が出てきたのにはびっくり、小皿にご飯と漬物、佃煮を載せてくれるのだ。これは、なかなかの商法だと同居人と言い合い、いくつか購入。させられたか?



デジブック 『少しずつ、秋。』

ほんの少し秋

2015-10-26 17:54:36 | 現実
ここ数か月、忙しく日々を送っていたのを心配した同居人が「疲れをとるため」と温泉旅行を計画してくれ、滋賀県の永源寺温泉へ。



信楽の近くなので温泉宿でもたぬきが迎えてくれる。







川が見える部屋付の温泉に入り、美味しいイワナの塩焼きを頂いてのんびり。
晩御飯は部屋食でなく、レストラン。60代位、同窓会らしき男女6名がにぎやかに語り合っている。

「『あいこさん』が一番の美人らしいな」

同居人がつぶやく。

「なんで?」

「話を総合するとそうなる」と笑う。


うるさくしてすみません、と出て行かれたが、楽しげで悪くなかった。
静かな温泉宿もいいが、いかにも温泉らしく賑やかなのもいいものだ。ここはもともと「スーパー銭湯」風の日帰り温泉のみだったようで、レストランのほかにマッサージセンターがあったり、くつろいでテレビを見られる一角があったりとけっこうな人出だ。


翌日は永源寺を訪れる。

ここは静かでいいお寺だった。





参詣の人も少なく、少し紅葉が始まった庭をゆっくり。





あとひと月したら紅葉、よさそうだねえと話しながら散策。

このあたりはこんにゃくが有名。あちこちの出店で「赤こんにゃく」が売られている。
我々も手作りこんにゃくと山椒味噌を晩御飯用にゲットする。


芭蕉の句碑も。




「こんにゃくの さしみもすこし うめのはな」


「芭蕉って、俳句、うまいのかな…」

「そうだねえ…」

「柿食えば…もなあ…」


帰路でのお昼はここ。





こう書いてあるので、一時間も待たされたらどうしよう、と思ったがそういう事はなかった。せいぜい10分位で番が。

チーズフォンデュと、自家製ソーセージの煮込みしかメニューにない。



これもついてるのはパンのみで野菜などはないが、これで一人前2200円!!高っ!!

しかしながら、チーズは物凄く濃厚で美味しい。

「これよっぽどいいチーズ使ってんだろうな」

確かに、ちゃんとしたチーズを買ったらブロック1000円以上するのもある訳だし、これだけの量があればチーズ代だけで結構するだろう。

70歳、可愛らしいスイス風の服を着て手回しオルガンを演奏してくれる。大音響のエーデルワイスで温泉旅行は締め。




アルバム

2015-10-19 20:02:46 | 現実
8月9月に渡って3回、帰省した際に家の周りの写真を撮った。

父が育てていた花々を中心に。

父も「全部撮っておいて」と言っていたので。 この季節のものしか撮れていないけれど、一番庭の花がきれいな季節である事も確かなので、かえって良かったかもしれない。

撮った写真をどうしようかと考えていたが、いつもWEBでアルバムを作っているデジブックでフォトブックを作り、父に贈ることにした。




家の外観や中の写真も撮っておいたので、それも加えた。

錆びてしまった郵便受けも。






父がせっせと秤を使ってこまめに料理していたキッチンも。




喜んでくれるといいが。


久々の京都あるき

2015-10-07 00:53:35 | 現実
約2か月ぶりだ。

8月から9月にかけて、北海道と大阪を3往復、父の行先探し、家売却の手筈、様々な事の勉強をするのに時間もかかり、調べ物を夜中にして、朝早く起きて電話連絡、の毎日は結構大変だった。

高齢者施設はどんなものがあるかもよく知らず、家も車も売ったこともなく、ものの処分をどうするかも色々とやり方があり。

なるべく父には暮らしやすい環境を整えてあげたいし、少しでもお金が残るようにしてあげたいし、とあれこれ考えつつ準備するには頭も気も時間も使う。
物事知らなくて足元見られるのも困るし、とずいぶん勉強をしたので、お蔭でいろんなことを学んだ。

友人や親戚、同居人にも協力してもらい、ありがたいことに何とか父の行く先は決まり、片づけも引っ越しも済んでまず第一段階過ぎた感じ。
前日ほとんど寝ずに引っ越し、父は力仕事できないし、後片付けも一ちょっとした買い物もひとりで全部、というのもあり、へろへろで帰阪したのがシルバーウイーク。
帰省前に風邪をひいてしまったのもあり、えらい目にあった。

その直後の休みは風邪も抜けずぐったりしていたので、昨日は久々にどこかお寺に出かけて庭でも鑑賞しつつリフレッシュしたいと思っていたのだ。







等持院は以前から芙蓉の花を撮りたくて気になっていつつ、アクセスがいまひとつだったので行っていなかったところだが、ちょうど芙蓉の季節、sodakyotoでも紹介されている。行かないという手はないだろう。入り口で早速白い芙蓉が迎えてくれた。

足利将軍家代々の菩提寺で、かの足利尊氏が創建、天龍寺のあの美しい庭を作った夢窓国師が開山。




心字池があり、回りを巡っていくという典型的な庭園だが、芙蓉の花で彩られて華やかだ。天龍寺の池はもっと広大だけれど、やはり華やか。なんとなく、感じは似ていると思う。







庭は有名なのだが、この近くの金閣寺や龍安寺ほどメジャーではないからか、閑散としている。月曜だし。せいぜい5,6人しか参拝客がいないのだ。そして日本人ばかり。
賑やかな中国人観光客がいないお寺は久しぶりだ。

やっぱり、いいなあ、お寺のこの静けさ。鴬張りの廊下。もう、ちょっと冷たく感じるのだ。

お庭を見渡す廊下で坐って休もうと思ったら、「廊下に座ってご休憩はご遠慮ください」だそうで…残念。確かにここに座られたら奥の座敷、お茶飲ませてくれるようになっているがそこからは庭が見えなくなってしまうだろう。

だが庭は自由に散策できる。

あちこちにちょっとだけ、秋の色。






この葉っぱが真っ赤になるのは来月か。京都の美しい季節がまたやってくる。

引っ越し終了

2015-09-28 23:50:11 | 現実
やっと引っ越しが終わった。

と言っても私のではなく、北海道の父の引っ越しだ。83歳までよく一人で頑張ってくれたものだ。

先週、引っ越しを済ませ、翌々日には業者に入って屋内外の片づけを全部やってもらった。最近はそういう需要も多いようで、家を売却する前などに家のものを一切合財持って行ってくれる業者が沢山あるのだ。

仏壇をどうしようかと思っていたが、父は持って行けないのでいい方法で処分したいという。今回の業者はお焚き上げまで面倒を見てくれるというのでお願いした。あまり考えていなかったが神棚もあった。こちらもお焚き上げ。

私は大阪に帰り、片づけの日は業者さんのみでやり、終わってからメールで証拠写真を送ってくれ、それでよければ入金、という形。

写真を見るとびっくりするくらい何もなくなっている。

引っ越し直前の元の私の部屋、もともと今まで住んでいたのではないから大して物はないが。




終わってみるとベッドもカーテンもなく、布団や昔の教科書など入っていた押入れもきれいさっぱり。





リビングも同様。



備え付けのボード以外なにもない。




この間まで、帰省した時には座ってご飯を食べていたテーブルもなく、父が昼寝をしていたソファもない。

やはり、ある感慨があるものだ。

しかし実は、この家には、12歳から23歳までの11年間しか住んでいないのだ。 今の大阪のマンションには13年住んでいるからここの方が住んだ年数としては長いのだが、住んでいなくとも実家としてはそれからも30年あったのだから、馴染みの歴史が長い訳だ。
めったに帰省はしていなかったが…。

丹精していた花々はどうするのだろう、と思っていたのだが、父は意外に執着がなく、近所の人に分けたり、根から堀り起こして私のいとこに託したり、していた。

使わないと思ったら執着しない、というのは私も同様だが、どうも父のDNAだったらしい。