濱の与太郎

祭り!ベイスターズ!なにより、ヨコハマが大好きだぁ~

地震の前兆・・・・

2016年09月27日 | ひとりごと・・

これは、あくまでも”ど素人”の意見として受け止めてほしい
本日17時、日没が迫る芝浦上空を撮影したもの

オイラの経験上(あまり当てにならない)!
こうした雲がでたあとに地震が発生している
念のため、ご注意を!!

ハズレ1位も捨てたもんじゃない

2016年09月27日 | ひとりごと・・

2011年の暮れのこと
監督要請していた工藤公康(現ソフトバンク監督)との交渉が難航していたDeNA
その“ハズレ1位”で監督に指名されたのが絶好調男!!“中畑清さん”だった

初年度の2012年は46勝85敗13分けで首位に41ゲーム差!ダントツの最下位
2013年は64勝79敗1分け
2014年は67勝75敗2分けと、2年連続で5位と撃沈!!

結果はともあれ、その間、若手は確実に力を蓄えてきた
その代表格が筒香だ。2013年、清さんは心を鬼にして鹿児島・奄美大島で行う
秋季キャンプのメンバーから筒香を外した

これで火が付いた筒香、翌2014年、終盤4番に座り、打率・300、22本塁打、
77打点。開幕から4番に座った2015年はキャプテンに就任、打率・317、
24本塁打、93打点と数字を残す。さらに、侍ジャパンの4番を任される
そして2016年の活躍はご承知の通り。初CS進出の最大の功労者だとオイラは思う

また、DeNAの発足初年度に清さんが「レギュラーを張る選手に育てたい」と、
熱い視線を送っていたのが、当時プロ6年目の内野手・梶谷隆幸だった

試合に出場するもミスが相次いだ梶谷だったが、清さんは使い続ける
2013年にはケガから復帰、後半戦にバッティングが覚醒!!
規定打席は届かなかったが打率.346、16本塁打と結果を残した

さらに、2014年には外野手にコンバートされ、自慢の俊足で盗塁を重ねていく
終わってみればプロ入り初めて1シーズンでレギュラーを張り、39盗塁で盗塁王!!
目を掛けてきた清さんの期待に見事に応えた選手のひとりである

そして、ドスコイ!!山口も忘れちゃいけない!!
11勝でチーム勝ち頭の山口俊。2014年のシーズン中、清さんが抑えから先発に転向、
これがきっかけとなり、今じゃ先発の柱として欠かせない投手に成長した

最後は、周囲の反対を押し切り、清さんがクローザーに指名した右腕!!
山崎康晃は史上初となる新人年から2年連続30セーブという快挙を成し遂げる

昨年まで6、5、5、6位ながら、負けても負けても前を向く清イズムと球団の営業努力
これがあいまって観客動員数は大幅に増えていった・・・
清さんが残したものは「熱いぜっ!!」だけではない!!

蒔いた種が芽を出し、そして確実に実を付け始めている













今年は少しハラハラさせたけど、頼むぞ!!康くん!!

股覗き

2016年09月27日 | ひとりごと・・

米大統領選(11月8日投開票)に向けた民主党ヒラリー・クリントン候補(68)と、
共和党ドナルド・トランプ候補(70)による第1回テレビ討論会が26日夜、
ニューヨーク市郊外ヘンプステッドのホフストラ大で行われた

各種世論調査で、両候補とも「好感を持たない」との回答が5割を超える「不人気候補」
どちらも「これっ!」といったセールスポイントがなく、イマイチ同士の対決でもある
結局、どっちを選んでも一緒!!と、必然的に投票率も低くなる

日本でも同じような現象が多々見られる。近頃は、択んだ結果“見事に裏切られる”ってやつ
東京都民など、2回続けて詐欺にあったような感があるのでは?こりゃ~~最悪だ・・・
果たして、こんどの新知事の手腕は如何に??

さらに、富山じゃ群発地震どころの騒ぎじゃない!!舛添さんを上回るダメ議員が続出!
税金泥棒というレベルじゃない!!議員として・・・ではなく「人として」如何なものか
ダメな連中を択んだ選挙民にも問題がある。「自分たちも被害者」・・それは通用しない

さて、ネットで、
ラミレス監督「番長にも非情采配予告」「先発予定29日ヤクルト戦は勝利最優先」
・・・という“見出し”を見つけた

??????いくらでも疑問符がつく
いまさらながら、当たり前のことであり、ネットニュースに掲載されるほどの内容じゃない

週末、ベイは5連勝で勝率5割に復帰!!2位・巨人と1.5ゲーム差
28、29日のヤクルト戦に連勝し、巨人が残り2勝3敗以下なら逆転で2位に浮上!!
そんな状況下、引退を表明した番長の「プロ野球新記録24年連続勝利」は別の話

先発がだれであろうと“なにがなんでも勝たなくちゃいけない一戦である”
チームにとって、また、ベイファンにとって、ハマスタでのCS開催こそが悲願!!!
これは、あからさまにラミちゃんをヨイショ!!するだけの内容!極めて不愉快!!

先日、日本人研究者の「股のぞき」が、イグ・ノーベルを受賞した。股のぞきとは、
股のあいだから後ろを眺める。すると、風景の奥行が薄れ、近くに感じる。さらに、
そうすると遠くに山が縮んで見え、絵のようだと錯覚する・・・

芥川龍之介の「河童」。そのなかにこんな描写がある。それが「股眼鏡(まためがね)」
道端で学生が突然「股眼鏡」を始め、道行く人を眺めだす。その理由を問うと、
「あまりにも憂鬱ですから、逆さまに世の中を眺めてみたのです」
「けれどもやはり同じことですね」

風景と異なり、社会の構図は別物・・・
例えば、ベイ躍進の本当の功労者は「清さん」・・しかし、誰もそう公言しない
誰が真のリーダーなのか?

これを科学的に証明できれば本物のノーベル賞!!それだけは間違いない・・・

牛鍋 その3

2016年09月27日 | ひとりごと・・

いまから27年前のきょう・・・
1989年9月27日、全長860m「横浜ベイブリッジ」が開通した日である
ベイブリッジはオイラの通勤ルートであり、この橋がなかったら・・・
ギュウギュウ詰めの満員電車!汗だくになり1時間強!!想像しただけで嫌になる

さて、前回、浅草・“ひさご通り”の老舗「米久」の牛鍋をUPしたが、
浅草・ひさご通りの「ひさご」、オイラ的には、なんとも和風(古風)な響きを感じる
この「ひさご」・・・どういう意味があるのかご存じだろうか

ひさごとは、瓢箪(ひょうたん)のことである
多くのサラリーマンには馴染みがあるワードだと思う
なぜなら、「ひさご」といえば、プリンタ用紙など、文房具の「ヒサゴ」が身近にある

その「ヒサゴ」は、小川秀信という人が「小川封筒店」という会社を起こしたのが始まり
その本社は名古屋にあり、名古屋と言えば、ご存知、信長、秀吉、家康のご当地でもある
創業者は、自分の名前に「秀」という文字があることから、秀吉公を尊敬していた

そのため、自社のマークに秀吉公の馬印である「千成瓢箪」を思いつく
しかし、千成瓢箪じゃ「欲が深すぎる」・・・・と悩んだそうだ

沢山できる瓢箪も、初めの「初成」だけが、ちょうどダルマのように直ぐに起きあがる
そのたった1つの縁起の良いダルマのように、真っ直ぐにした瓢箪を同社の商標に採用、
昭和39年にこのマーク(商標)と社名を同じにして「ヒサゴ印伝票」と改称した
その後、平成4年に「ヒサゴ株式会社」となり、現在に至っている



さて、浅草の“ひさご通り”も瓢箪と大いに関係がある
昭和34年まで、その地に浅草っ子の憩いの場所である「ひょうたん池」があった
いまはなき「ひょうたん池」の名を後世まで残そう!!と、江戸っ子が“ひとひねり”
通りの名前は「ひょうたん」ではなく、同じ意味をもつ「ひさご」になった



川端康成の「浅草紅団」、谷崎純一郎の「魔術師」にも「ひょうたん池」は登場する
それほど、当時の浅草を描写するに欠かせないのが「ひょうたん池」だった
当時の“浅草”を知る人もずいぶん少なくなってきた

牛鍋 その2

2016年09月27日 | ひとりごと・・

週末、浅草の老舗「米久(よねきゅう)」で牛鍋を食してきた
牛鍋と言えばオイラの地元“横浜”がその発祥の地と云われ、秘密基地と同じ区内に3軒の
老舗牛鍋屋がある。そんなわけで、年に数回、業界の寄合などで其々の店を利用する

さて、浅草・ひさご通りの「米久」。入店すると下足番のお兄さんが太鼓を鳴らしてくれる
個人で言った場合はその人数分だけ太鼓を鳴らす。ひとりだと「ドン」ふたりは「ドンドン」
しかし、団体の場合は人数分を叩くと近所迷惑になるので10回という決まり



元々、太鼓は店員さんへの業務連絡用であり、その音と数で、客の入店と人数がわかる
そういうことで、浅草には、今半をはじめ、老舗の牛鍋(すき焼き)屋が数軒あるが、
“太鼓の牛鍋屋といえば米久”浅草っ子や食通にはこれだけで十分通用するってーわけ



米久、味はもちろんのこと!店の雰囲気(風情)が素晴らしい!!
流石!北大路魯山人や池波正太郎など、名立たる“食通”が愛した老舗である
かといって、けして敷居の高い店ではない

超!有名な「今半」もいいけど、下町のちょいとはずれにある老舗で食事をする・・・
これから涼しくなってくるし、鍋で一杯!お薦めだね

牛鍋 その1

2016年09月27日 | ひとりごと・・

江戸後期の錦絵などに「山鯨」と書かれた店の看板を目にする
山に鯨がいるわけもないのに、これはいったい何を意味する看板なのか
もちろん鯨の肉などではなく、肉は肉でも猪(いのしし)の肉

つまり、看板は「猪レストラン」ってーわけだ
こんなややこしい看板を出すには事情があった。江戸時代はまだ、獣肉を食べることを
良しとしない風潮が強く、表だって肉を食べることは一般に避けられていたからである

鯨も獣と同じ哺乳類じゃねーか!!言いたくなるが、当時の人々は海にいる鯨は魚!
そう認識、魚ならOK!!というわけで堂々と看板を掲げて営業していた!!
もちろん、別に客を騙していたわけでもなく、これは周知の事実。江戸っ子の洒落っ気

宗教上の理由から特定の肉を間違っても食べない!という国が世界に存在するなかで、
このように、日本は「建前と本音」とを使い分けてきた食文化が存在してきたわけで、
肉食という文化が存在しなかった時代、洒落とはいえ、かなりの柔軟性があった

酒もそうだ
仏教徒が守るべき日常生活における規則に「五戒」というものがある
五戒とは、不殺生戒・不偸盗戒・不邪淫戒・不妄語戒・不飲酒戒の五つをいう

特に禅系の寺院の門前には、「不許葷酒入山門」
つまり、酒を飲むことが激しく戒められていた
ところが、百薬の長・・・酒は「薬」として身体のために少しぐらい飲むのならよかろう!



ということで、酒として飲むのではない、という意識から、「智恵の湧き出るお湯」、即ち、
そういう意味を持つ「般若湯」という名がつけられ、いまでも高野山の宿坊などでは、
酒を「般若湯」といい、精進料理をいただきながら酒を呑むことができる

さて、猪肉を「山くじら」「ぼたん」、鹿肉を「もみじ」、馬肉を「さくら」と呼んでいる
「ぼたん」はお皿に盛った肉の形が牡丹(ぼたん)の花に似ているから。「さくら」は、
馬肉の色が桜の色に似ているから

で、「もみじ」というと、『奥山にもみじ踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき』
この和歌から鹿肉を「もみじ」と称したという。こうした言い換えは、近世までの日本の
食文化が肉食忌避文化であったからに他ならない

我が国に、仏教が伝来して以降、殺生の戒めの影響が大きかったのではないだろうか
天武天皇の時代には、肉食禁止の禁令も出されているし、江戸時代の「生類憐みの令」は
特殊なケースにしても、綱吉は猪肉や鹿肉など、食べることも販売することも禁じている

それでも、農耕民族とはいえ、有史以来日本人は狩猟をしてさまざまな獣肉を食べてきた
ただ、どの時代を振り返っても牛や馬などの家畜を食べる習慣はなかった
よほど、飢饉でもあれば別だが、農耕や合戦に支障をきたすという現実的な理由からである

実は、徳川将軍は牛肉を食べていた。それは食用ではなく“養生用”としてである
彦根藩(井伊家)は、将軍家に養生用として牛肉を献上していた記録がある
つまり、牛肉は薬なのである。牛肉を食べたことにはならないという都合の良さ!!

さぞかしおいしい薬だったことだろう。この牛肉がこんにちの「近江牛」のルーツである
わが国で、牛肉を食べるようになったのは、つい最近、西洋文化が押し寄せた明治以降だ
その理由は、「外国ではみんな食べている」という噂話が広まったからだ
ただし、多少の「後ろめたさ」があったようで、家で食べる時には神棚を布で覆ったとか



しかし、明治天皇が明治5年に牛鍋を食べたことから、庶民も大手を振って!!
牛肉を食べられるようになって広まったそうだ
現在、「牛鍋」『すき焼き』を普通に食べられるようになったのは明治天皇のおかげである