濱の与太郎

祭り!ベイスターズ!なにより、ヨコハマが大好きだぁ~

ヨコハマ・元町のこだわり

2008年01月26日 | ひとりごと・・

横浜元町という街は、「ハマトラ」のブームによって知名度が飛躍的に高まる以前から、
「ファッション通」の人たちにとっては特別な街であったような気がする

特に地方から首都圏にやってきた若い女性たちにとって、元町は一種憧れの街で
あったかもしれない

そのお洒落なイメージ、ちょっと高級なイメージは、「一見(いちげん)さんお断り」的な
雰囲気も少々あって、元町を「使いこなす」ことはひとつのステータスであり、
おそらくそうした元町のイメージは現在もあまり変わってはいない

ここが「横浜であって東京ではない」ということもまたひとつ大きな意味があるのかも
しれない

「東京発」のファッショントレンドに安易に与することなく、その歴史の中で培われてきた!
独自のセンスというものに、人々は惹かれ、憧れを抱くのではないか?

ヨコハマ・元町とハマトラ

2008年01月26日 | ひとりごと・・

前にも書いたけど、「ハマトラ」流行の発信地は、他ならぬこの横浜の「元町」なのである!

横浜の「小さな商店街」からそれが始まった
「ハマトラ」はおそらく山手のフェリス(※)女学院などに通う女子学生たちが、「お膝元」の
「元町」で買い揃えたアイテムでオリジナルなスタイルを創り出したことに始まる
※ハマの住人はフェ-リスと発音する

そのスタイルを1970年代の末にファッション雑誌が紹介し、その記事が火付け役となって
全国的な大流行となってしまった

その「ハマトラ」にはいくつかの決まった定番アイテムがある
特にフクゾーのトレーナー、ミハマのローヒール、キタムラのバッグは当時「三種の神器」
とも呼ばれ、「ハマトラ」でキメたい女性たちにとってなくてはならない必須アイテムだった

フクゾーもミハマもキタムラもすべて元町に本店を置く老舗であり、それまでそうした流行とは
無縁の店であったと言っていい

やがて「ハマトラ」の大ブームは過ぎ去ったが、その舞台となった元町までもが時代の中に
置き去りにされることがなかったのは、「ハマトラ」に使われたアイテムの数々がいずれも
職人気質の老舗によって造られる良質の品々ばかりであったことによるものだろう

そもそも元町は「ハマトラ」によって全国的規模の知名度を得る以前からそうした街であったし、
それぞれに味のあるオリジナルな商品を提供する専門店の並ぶ商店街として独特の誇り!
(ステータス)を持っているから

そのイメージを「ハマトラ」の大ブームが決定づけたと言っていいのかもしれない

ヨコハマ・山手の四季

2008年01月26日 | ひとりごと・・

春の桜、初夏の新緑、ツツジやバラ、秋の紅葉など、山手・根岸界隈では、
四季折々の色彩を求めての散策も楽しい

特に桜の季節は見逃せない!歴史ある街だけに桜も大きく枝を広げた大木が
多く、桜色に染まった元町公園や山手公園の風景はまさに圧巻!である

初夏にはやはり港の見える丘公園のローズ・ガーデンを訪ねてみたい
美しい洋風庭園に咲き誇る各種のバラの数々は圧倒的な美しさだ!!




ヨコハマ・山手を散策

2008年01月26日 | ひとりごと・・
横浜の山手は、明治期には外国人居留地だったところで、その緑多い丘には瀟洒な住宅が建ち並び、
往時の面影を残す洋館などが残っている

根岸線石川町駅を出て、南へ坂道を上ると「イタリア山庭園」

この場所に一時期イタリア領事館があったことからこの名があり、整然と幾何学的にデザインされた
庭園が美しく、また、ここから見る横浜市街の眺望も楽しい!

さて、イタリア山庭園には「ブラフ18番館」と「外交官の家」があり、どちらも無料!!で公開されている
写真は「外交官の家」

この洋館は、明治末期に東京都渋谷区に外交官内田定槌氏の私邸として建てられたものであり、
横浜市が内田氏のお孫さんから寄贈され、この場所に移築復元された