剱岳 点の記 新田次郎
あらすじから
明治39年、参謀本部陸地測量部の測量手柴崎芳太郎は、五万分の一地形図作成のために三等三角点網を完成すべく、
北アルプス剱岳への登頂と三角点埋設の至上命令を受ける。当時の剱岳は前人未踏の信仰の山であった。
ほぼ同時期には日本山岳会(当時は山岳会と呼称)が結成され、剱岳初登頂を虎視眈々とねらっていた。
柴崎は、かって剱岳に挑んだが登頂できなかった先輩の古田盛作ふるたせいさくを訪ねる。
古田は信頼できる案内人として、宇治長次郎を紹介した。
そして柴崎は現地へと向い、宇治長次郎と登頂路を探すが、なかなか見つからない。
そんな中、不思議な行者との出会い、山岳会の小島烏水との出会いがある・・・。
悪天候や地元の反感、山岳会との葛藤など様々な困難と闘いながら、
柴崎測量隊は山頂をめざして進んでいく。
そして、難行苦行の末、剱岳山頂に至るが、そこで柴崎らが見たものは・・・。
※「点の記」とは - 国家基準点(三角点、水準点)ごとに、点名、所在地、設置年月日、選点者、観測者、
そこに至る順路と略図等を記載したもの。
転載ここまで
日露戦争後、地図を作成するのは軍の仕事であった。
本州で唯一地図が作成されていない空白部が剱岳であった
なぜなら、剱岳は前人未到の針の山であり、地元の立山信仰という宗教上の理由からも
人間が上ることができない山とされていた。
しかし軍はそんなことは関係ないとばかりに柴崎に剱岳の測量を命じる
それは日本山岳会が剱岳初登頂を狙っているという情報を得たためで
軍の威信をかけて初登頂を柴崎に強いるのであった。
地元の案内人長次郎の協力を得て、剱岳周辺から登山口を探すが
針の山と恐れられる剣へ足がかりが見つからず時間が過ぎていく
また地元の立山信仰の信者たちや長野県の役人などが
柴崎の邪魔をする。
あきらめかけた柴崎の前に、不思議な行者が現れ
剣を極めるなら、雪を前に上り雪を背負って帰れという不思議な言葉を
柴崎に与えるのであった
果たして柴崎一行は苦難の果てに剣の頂に到達するのだが
そこで一行が見たものは・・・
という話
明治時代の装備なんか、今とは比較にならないでしょう
藁で編んだ靴に、布製のテント。
アイゼンなんかなく鉄製の爪を草鞋に結び付けて雪山を上る
草鞋で登れない岩は裸足で登らねばならない
そんな時代に、いかにして剱岳に上ったのか?
実話ならではの迫力に満ちた小説でした。
地図を作るというのはどういうことか
ぜひ読んでほしい本です
お寺も今ある場所かしら🤔
寺田屋も三条に今もあります
事件あった所から
移転したのですか🦋
本能寺の場所は、変わってないようですね
池田屋はもうないそうです
石碑があるようですね
どちらも京都市役所から近くですね
いい気候になってきましたね
散歩がてら行ってください