授業実践と授業観察から、私は楽しい授業の条件を次の3つとした。
① その授業の学習課題(学習問題)に魅力があること。
② その授業の学習方法(進め方)に魅力があること。
③ その授業の構成員(教師・友達)に魅力があること。
『楽しい授業の条件 その1』で、学習課題の魅力について述べたので、
ここでは、②学習方法の魅力について、私見を記す。
私がいう『学習方法』とは、授業展開そのものを指すが、
授業の冒頭つまり導入の段階で示された学習課題に対して、
どんな方法でそれに迫り、解決に導いていくのか、
それが学習方法=学習の進め方である。
この学習の方法=進め方は、まさに多種多彩、千差万別で、
定番など決してないが、
学習課題の達成・解決にとって最も有効であることが望ましいとされている。
また、学習方法とはその授業の成否を決定づけるものであり、
授業の根幹と言えるものである。
したがって、授業を立案する教師にとって、
学習方法の吟味と採用は、教師としての技量か問われ、
ワクワクする時間であると共に、苦悩の時間でもある。
「こんな方法で、はたして子どもの理解は進むのだろうか。」
「この進め方で、課題達成に近づけるのだろうか。」と不安を抱くこともある。
また、アイディアに富んだ方法が生まれ、期待感を膨らませることもある。
いずれにしても、教師の情熱から生まれた学習方法が、
授業の運命を握るのである。
若干重複するが、学習方法を決めるとき、
教師は、常にその授業で学んでほしいこと、
つまり、学習課題の達成を強く意識する。
それは当然のことであり、授業はまぎれもなく学習の場であり、
課題達成のための時間なのである。
しかし、その学習方法に対して、
子どもが魅力を感じず、意欲が持てないものであれば、
授業の使命である課題達成は、遠のくことになるであろう。
味気ない時間から実りを得ることなど絶対にできない。
つまり、学習方法とは、
学習課題を達成させるためのものであると同時に、
その学習方法が
「面白そう。」「やってみたい。」「このやり方でできそうだ。」等と、
子ども自身が受け止め、
魅力と感じてこそ、課題の達成が期待できるのである。
そして、達成が実現できそうだという学習の過程が、
どの子も楽しさを感じる時間となるのである。
続いて、子どもが魅力を感じる学習方法の手掛かりを4つ紹介する。
1 バリエーションを豊かに
「聞いたことは忘れる。見たことは覚える。やったことは身につく」
この言葉は、体験学習の重要性へのキャッチフレーズだが、
課題に対応した的確な体験は、子どもに活気を与えてくれる。
「大きなかぶをどうやってぬいたのか。やってみようよ。」
と、授業の一部に劇を取り入れる。
「今日の問題は一人で考えるのではなく、最初から班で解くことにしよう。」
と、グループ学習の授業にする。
「今まで学んだことで心に残ったことを4コマまんがにしよう。」
と、まとめの学習をする。
学習方法は、教師と子どもの一問一答であってはならない。
じっと机に向かい、前を向き、
教師の話を聞いているだけでは、面白味は全くない。
課題に応じた学習方法は、
毎時間授業のどこかに変化があったり、
デジタルやアナログな教材が使われたりと、
とにかくバリエーション豊富でなければならない。
今日はどんなやり方で授業が進むのか。
その期待感が魅力なのである。
そのため、教師には豊かな発想力が求められる。
併せて、学年会等々教職員のチームワークが
豊かな発想力を補う役割を負ってくれる。
2 流れが見通せる
ドリル学習のような、くり返しくり返しを通して進んでいく学習に、
集中力を発揮し意欲が持続する子が多い。
これは、学習の流れのパターンが分かり、
学習内容と共に学習方法を熟知したことが、
意欲につながったからである。
このことが示すように、学習の流れが理解できること、
言い換えると学習の流れに見通しが持てることが、
子どもにとっての魅力の一つになる。
教師が示す学習課題を受け止めたはいいが、
教師の発問が迷走し、
最初の発問と次の発問の関連性があいまいで、理解できない。
あるいは、渡されたワークシートによる作業学習が、
どう課題解決に役立つのか見当がつかない。
こんな先の見通せない学習では、魅力はほど遠く、
学習の押しつけでしかない。
学習を進めていくにつれ、
達成のめどがおぼろげながらでもつかめてきた。
あるいは、こう進めていったら、きっといいものが仕上がる。
それが先の見通せる学習であり、
子どもはそこに魅力を感じることができる。
3 学び合う・高め合う
かねてより学校の授業と学習塾の授業の違いについて考えてきた。。
その大きな違いは、
学習塾の授業は、主に競い合いの授業であり、
学校の授業は、主に学び合い高め合いの授業にあると言えよう。
学習塾は、進学受験が目的であるため、
どうしても競争から逃れることはできない。
従って、授業も受験という競い合いがメインとなる。
それに比べ、学校は人格形成、
つまり人間性や社会性の育成を重視する。
従って、授業においてもそれが求められる。
全ての授業において、友達をはじめ
多くの人々との関わりの中で
学習を進めることが重要視される。
とりわけ、学級内の友達同士による
学び合い・高め合いの楽しさが大切である。
同じ解答であっても、
全く違う方法でそれを導き出した友達への驚きと共に、
発想や視点の豊かさに気づく。
同じ物語を読んだのに、
自分とは違う感動をしている友達がいることや、
同じ言葉への感じ方に大きな開きがあることに気づく。
これらは、学び合いから得た人間性の豊かさに直結する。
こんな体験への期待感が、学校の授業の魅力なのである。
4 子どもを主役に
できうる限り子ども自身が授業の進め方を
決めていけることが魅力につながる。
学習課題の有効な達成方法として、
A案でもB案でも大差がない場合には、
あるいは、三つの学習の順序が、A・B・Cであっても、
反対のC・B・Aであっても構わない場合などには、
その決定を子どもに委ねることは可能である。
子どもは、自らの学習のやり方を選べたことに
大いに満足する。
自分の学習方法と捉え、意欲を持って取り組むことができる。
誰でもそうであろうが、
自ら選んだこととそうでないことでは、
その魅力に歴然とした違いが生じるものである。
可能な場面では、進んで学習方法を
子どもに選択あるいは決定を委ねるようにしたい。
なお、『楽しい授業の条件 その3』で、学習構成員の魅力については述べる。

歩道が黄色く染まった
① その授業の学習課題(学習問題)に魅力があること。
② その授業の学習方法(進め方)に魅力があること。
③ その授業の構成員(教師・友達)に魅力があること。
『楽しい授業の条件 その1』で、学習課題の魅力について述べたので、
ここでは、②学習方法の魅力について、私見を記す。
私がいう『学習方法』とは、授業展開そのものを指すが、
授業の冒頭つまり導入の段階で示された学習課題に対して、
どんな方法でそれに迫り、解決に導いていくのか、
それが学習方法=学習の進め方である。
この学習の方法=進め方は、まさに多種多彩、千差万別で、
定番など決してないが、
学習課題の達成・解決にとって最も有効であることが望ましいとされている。
また、学習方法とはその授業の成否を決定づけるものであり、
授業の根幹と言えるものである。
したがって、授業を立案する教師にとって、
学習方法の吟味と採用は、教師としての技量か問われ、
ワクワクする時間であると共に、苦悩の時間でもある。
「こんな方法で、はたして子どもの理解は進むのだろうか。」
「この進め方で、課題達成に近づけるのだろうか。」と不安を抱くこともある。
また、アイディアに富んだ方法が生まれ、期待感を膨らませることもある。
いずれにしても、教師の情熱から生まれた学習方法が、
授業の運命を握るのである。
若干重複するが、学習方法を決めるとき、
教師は、常にその授業で学んでほしいこと、
つまり、学習課題の達成を強く意識する。
それは当然のことであり、授業はまぎれもなく学習の場であり、
課題達成のための時間なのである。
しかし、その学習方法に対して、
子どもが魅力を感じず、意欲が持てないものであれば、
授業の使命である課題達成は、遠のくことになるであろう。
味気ない時間から実りを得ることなど絶対にできない。
つまり、学習方法とは、
学習課題を達成させるためのものであると同時に、
その学習方法が
「面白そう。」「やってみたい。」「このやり方でできそうだ。」等と、
子ども自身が受け止め、
魅力と感じてこそ、課題の達成が期待できるのである。
そして、達成が実現できそうだという学習の過程が、
どの子も楽しさを感じる時間となるのである。
続いて、子どもが魅力を感じる学習方法の手掛かりを4つ紹介する。
1 バリエーションを豊かに
「聞いたことは忘れる。見たことは覚える。やったことは身につく」
この言葉は、体験学習の重要性へのキャッチフレーズだが、
課題に対応した的確な体験は、子どもに活気を与えてくれる。
「大きなかぶをどうやってぬいたのか。やってみようよ。」
と、授業の一部に劇を取り入れる。
「今日の問題は一人で考えるのではなく、最初から班で解くことにしよう。」
と、グループ学習の授業にする。
「今まで学んだことで心に残ったことを4コマまんがにしよう。」
と、まとめの学習をする。
学習方法は、教師と子どもの一問一答であってはならない。
じっと机に向かい、前を向き、
教師の話を聞いているだけでは、面白味は全くない。
課題に応じた学習方法は、
毎時間授業のどこかに変化があったり、
デジタルやアナログな教材が使われたりと、
とにかくバリエーション豊富でなければならない。
今日はどんなやり方で授業が進むのか。
その期待感が魅力なのである。
そのため、教師には豊かな発想力が求められる。
併せて、学年会等々教職員のチームワークが
豊かな発想力を補う役割を負ってくれる。
2 流れが見通せる
ドリル学習のような、くり返しくり返しを通して進んでいく学習に、
集中力を発揮し意欲が持続する子が多い。
これは、学習の流れのパターンが分かり、
学習内容と共に学習方法を熟知したことが、
意欲につながったからである。
このことが示すように、学習の流れが理解できること、
言い換えると学習の流れに見通しが持てることが、
子どもにとっての魅力の一つになる。
教師が示す学習課題を受け止めたはいいが、
教師の発問が迷走し、
最初の発問と次の発問の関連性があいまいで、理解できない。
あるいは、渡されたワークシートによる作業学習が、
どう課題解決に役立つのか見当がつかない。
こんな先の見通せない学習では、魅力はほど遠く、
学習の押しつけでしかない。
学習を進めていくにつれ、
達成のめどがおぼろげながらでもつかめてきた。
あるいは、こう進めていったら、きっといいものが仕上がる。
それが先の見通せる学習であり、
子どもはそこに魅力を感じることができる。
3 学び合う・高め合う
かねてより学校の授業と学習塾の授業の違いについて考えてきた。。
その大きな違いは、
学習塾の授業は、主に競い合いの授業であり、
学校の授業は、主に学び合い高め合いの授業にあると言えよう。
学習塾は、進学受験が目的であるため、
どうしても競争から逃れることはできない。
従って、授業も受験という競い合いがメインとなる。
それに比べ、学校は人格形成、
つまり人間性や社会性の育成を重視する。
従って、授業においてもそれが求められる。
全ての授業において、友達をはじめ
多くの人々との関わりの中で
学習を進めることが重要視される。
とりわけ、学級内の友達同士による
学び合い・高め合いの楽しさが大切である。
同じ解答であっても、
全く違う方法でそれを導き出した友達への驚きと共に、
発想や視点の豊かさに気づく。
同じ物語を読んだのに、
自分とは違う感動をしている友達がいることや、
同じ言葉への感じ方に大きな開きがあることに気づく。
これらは、学び合いから得た人間性の豊かさに直結する。
こんな体験への期待感が、学校の授業の魅力なのである。
4 子どもを主役に
できうる限り子ども自身が授業の進め方を
決めていけることが魅力につながる。
学習課題の有効な達成方法として、
A案でもB案でも大差がない場合には、
あるいは、三つの学習の順序が、A・B・Cであっても、
反対のC・B・Aであっても構わない場合などには、
その決定を子どもに委ねることは可能である。
子どもは、自らの学習のやり方を選べたことに
大いに満足する。
自分の学習方法と捉え、意欲を持って取り組むことができる。
誰でもそうであろうが、
自ら選んだこととそうでないことでは、
その魅力に歴然とした違いが生じるものである。
可能な場面では、進んで学習方法を
子どもに選択あるいは決定を委ねるようにしたい。
なお、『楽しい授業の条件 その3』で、学習構成員の魅力については述べる。

歩道が黄色く染まった
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