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ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

「ジ・エンド!」と決める日まで

2021-07-10 17:07:04 | ジョギング
 ▼ 最初に、6月26日(土)付け地元紙・『室蘭民報』の、
文化欄「大手門」に掲載された随筆を転記する。

  *     *     *     *     * 

        勝手にチャレンジャー!
              
 伊達に居を構えてからは、「毎日がサンデー」。
ダラダラと朝を過ごし、そのまま1日が終わるようで、怖かった。
 だから、ジョギングを始めた。
毎朝、決めた時間に決めた道をゆっくり走る。
 なら、ウオーキングでもよかったが、少し見栄を張った。
自宅から3キロ足らずの周回を荒い息に汗だくで、スロージョギング。
 でも、気分は晴れやか。そのまま1日が過ごせた。

 冬は、走れない日が続き、春が待ち遠しかった。
そんな2月、家内と、
ある店先で『春一番伊達ハーフマラソン』のポスターを見た。
 「ハーフだけでないよ。10キロも、ほら5キロもある!」。
思わず口にした。
 5キロのコースは毎朝ジョギングしている道と、一部が重なっていた。
地元の大会。身近なコース。心が動いた。
 「5キロなら・・」。でも、心細かった。強引に家内を誘った。

 4月、家内と一緒に5キロの部に出場。
いつもの道を、少し速く走った。
 ゴール後、記録証を貰った。
無性に嬉しかった。
 それを頭上にかざし、写メを撮り、すぐに息子らへ送った。
私は有頂天になった。
 その勢いのまま、知り合いなどいないのに、
10キロの部の健脚たちを、拍手で迎えようと沿道に立った。

 そこに、沢山のランナーに混じって、
手首と手首を紐でつないだ視覚障害の方と伴走者が走り着いた。
 テレビ画面以外で、初めて見るシーンだった。
ゴールした2人の後ろ姿を目で追った。
 素敵だった。互いの健闘をねぎらい、讃えあっていた。
視力にハンディがありながら走りきった女性と、
その援助をし続けた男性。
 2人の背中が「まぶしくてまぶしくて」。
そっと有頂天にしていた記録証を後ろに隠し、
「なんか恥ずかしい!」と呟いた。

 大会会場から自宅までの道々、「伴走者になりたい。」と何度も思った。
でも、私には無理。
 せめて、あの2人と同じ10キロを走りたい。
身の程知らずと思いつつも、このままではいられなかった。
 だから、あの日、私は紐で結ばれたランナー達の
『勝手にチャレンジャー』になった。
    
  *     *     *     *     *

 ▼ この随筆は、同じようなことを何度か
ブログに綴ってきたことを、コンパクトに書き直したものだ。
 8年前のこのエピソードを契機にして、
私のチャレンジは今も続いている。

 あの時、「勝手にチャレンジャー」になっていなかったら、
大会でずっと5キロを走り、満たされていたと思う。

 10キロの完走を目指して、
それまでより距離を伸ばしての朝のジョギングや、
その後のハーフやフルマラソンの意欲も、
あの出会いがなければ、決して湧いてはこなかったはずだ。

 ▼ お陰で、『伊達ハーフマラソン大会』をはじめ、
洞爺湖、八雲、旭川、そして東京・江東区の大会に、計20回も参加してきた。
 そして、途中棄権を3回経験したものの、5キロ1回、10キロ2回、
ハーフ13回、フルマラソン1回を完走した。

 今も、週に2,3回は、30分から1時間のジョギングをし、
コロナ後に、各マラソン大会が再開する日を心待ちにしている。

 ▼ さて、そんな威勢のいいことを言いつつも、
確かに年齢を重ねている。
 「まだまだ!」と思いつつも、走るペースは年々遅くなっている。
回復力も以前との違いを強く感じる。

 それでも・・・・・!
私を『勝手にチャレンジャー』へと誘い、励ます出会いが、
この町の道々には、今までも、
これからもいくつもいくつもあると思う。

 だから、「ジ・エンド!」と私が決める日まで、
きっと、荒い息と大汗をかきながら、
走り続けるに違いない。

 ▼ 数日前だ。
深夜の雨が上がっていたので、
予定通り、家内と一緒に5キロを走りはじめた。

 有珠山に昭和新山、日によっては羊蹄山も、
望める農道に続く坂道にさしかかった。
 そこで、愛犬を連れた『サンダルに片手ポケット』の彼に
久しぶりに出会った。

 荒い息のまま、私が先にあいさつをした。 
「おはようございます・・。お元気そうで・・!」。
 彼は、相変わらず足もとはサンダル。
そして、いつも片手をズボンのポケットに入れ、
もう一方で愛犬の綱を握っていた。

 ゆったりとした口調が、返ってきた。
「おや! 今日は母さんも一緒かい。
強い雨降ったけど、この先の道も大丈夫だ。
 水たまりもない。普通に走れる!」。

 「そうですか。行ってきます。」
「ああ、気つけてなぁー!」

 彼とは、この付近の道でしか出会ったことがない。
名前も住まいも知らない。

 なのに、もう5、6年も前から、この道を走った時には、
すれ違いながらの挨拶とさりげない短いやり取りを、
期待するようになった。
 
 この朝も、私たちが走るこの先の水たまりを、
気にかけてのひと言だ。
 とっさの思いつきであっても、
その温もりに、たまらなく惹かれる。

 ▼ 半年前になるだろうか。
市内の斎場で、大きな葬儀があった。
 
 地元紙の訃報通知の欄に、
私より3歳年上で亡くなられた経歴と共に、
顔写真があった。
 市内では指折りの会社の会長さんで、
その顔には、見覚えがあった。

 時々走る道沿いに、
10数台の作業用トラックが駐車するスペースがある。
 その方は、いつも数人の若者と一緒にそこにいた。

 少し離れた所にいる彼らに、
私は大声で朝の挨拶をし、そこを通り過ぎた。

 やがて、早朝に出勤する従業員を出迎えるために、
その方がいることに気づいた。

 同じ頃、その方も、私がそこを月に何回か、
走りながら通ることに気づいた。

 以来、私の姿を見ると、
わざわざ通りまで足を運んでくれた。
 そして、穏やかな伊達の朝に似合いの、
清々しい笑みを浮かべ、
「おはようございます」と言ってくれた。

 私も会釈と一緒に挨拶を返しながら、
明るい表情で、そこを走り抜けた。

 いつも、いつも、それだけ。
でも、いつからか、その出会いを望んでいた。

 今朝も、そこを通った。
当然、あの姿はない。
 つい面影を求めて、従業員の中を探した。
きっと、これからもここを通る度にそうするだろう。

 


     国道沿いの ラベンダー 
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オンライン マラソン ・・・

2021-06-12 14:31:46 | ジョギング
 春はマラソン大会に参加してきた。
4月は、伊達ハーフマラソン大会、5月は、洞爺湖マラソン大会、
6月は、八雲ミルクロードレースと続いた。

 新緑の中を、多くのランナーたちと一緒に、
同じゴールを目指して、走るのは楽しい。

 しかし、コースの途中には、様々な葛藤がある。
息が切れて、苦しくて止まりたくなる。
 突然、足が重くなり、走れそうもなくなる。
喉が渇き、水分補給に飢える。

 そのたびに、一緒に走っている
見ず知らずのランナー達の様子をうかがう。
 時には、その表情をチラッと見る。

 涼しい表情で走っている人など、誰1人としていない。
中には、同じように今にも止まりそうな走り方の人も・・・。
 でも、みんな、1歩1歩を刻んで、
前へ前へ、ゴールへゴールへと向かう。

 その強さ、たくましさに度々助けられ、
葛藤と向き合い、私も走り続けられた。
 それが、マラソン大会の最大の魅力だ。

 しかし、春の3大会はコロナで中止になった。
予想はしていたが、2年連続だ。
 振り返ると、一昨年9月末、旭川の大会で、
ハーフマラソンをゴールしてから、
大会には参加できずにいる。

 だからか、週に2,3回の朝ランも、
熱が入らないまま・・。
 でも、いつか再びと、
走るのを辞める気持ちにはなれないできた。

 2月だったろうか。
マラソン大会は中止だが、
洞爺湖オンラインマラソンを行うと知らせがきた。

 5月の中旬から2週間以内に、
フルマラソンの距離以上を走る。
 期間内なら何回に分けて走っても、
どこを走ってもいい。
 走った距離と時間は、
スマホのアプリで計測・記録するシステムだった。

 完走したら、「完走メダル」がもらえるが、
タイムや順位はつけないと言う。
 エントリー手数料として200円少々を振り込めば、
後は、アプリをインストールすればいい。

 さほど気乗りしなかったが、一応手数料を払った。
試しに、スマホにアプリも入れてみた。

 そして、5月が来た。
10キロずつ4回に分けて、走ればいいことだ。
 さほどハードルは高くない。
開催期間が近づくと、徐々に意欲が湧いた。

 やはり『目指すものがあれば』なのか・・。
最近は、数日あけても、
10キロを連続して走っていなかったのに・・。
 1日おきに約10キロを4回走る計画を立てた。

 1回目から3回目は、朝ランで走り慣れた3コースにした。
そして、最終回は洞爺湖畔の10キロコースと決めた。

 笑われそうだが、スマホアプリはすごい。
走行距離、タイムやラップの計測に加え、
走行したコースを、地図上に記録するのだ。
 その精度にも驚いた。

 また、そのアプリで、
他のランナーの走行記録も閲覧できた。
 もの珍しさに惹かれた。

 大会のように一緒にゴールを目指すランナーは、
1人もいない。
 沿道の声援もない。
でも、オンライン上では、3000人を超える人々が、
フルマラソンの距離を走破しようとしている。
 少々、連帯感が生まれた。
 
 2回目を走り終えた日、
義母の悲報が届いた。
 葬儀から帰宅して、2日後に3回目、
一日あけて湖畔の4回目を走った。

 実は、4回目はオンマラソンの最終期限日だった。
ぎりぎり完走した。 
 こんなイベントがなかったら、
「10キロを連続4回」に、ここまで固執しなかったと思う。

 あれ以来、朝ラン5キロが物足りなくなった。
そう感じる日が再び来るなんて、思わなかった。
 「私、まだまだ、頑張れるのかも・・・!」。

 さて、文末は横道に逸れる。
洞爺湖畔での10キロ走の日は、緊急事態宣言の最中だった。
 その日は、数日で6月だというのに、
冷たい風が吹き、雲が低かった。

 スタート地点のすぐ近くでは、
5,6人の作業員が、舗装道路の片側を掘り起こし、
水道管の工事をしていた。
 それ以外、辺りに人影は探せなかった。

 500メートルも走ると、湖畔に出た。
5キロ進んでUターンし、同じ道を戻った。

 走りながら、
すれ違った人は、誰1人いなかった。
 有名観光地なのに、1台の観光バスも見なかった。
どこの観光ホテルにも灯りがない。
 惜春の風が、冷たさを運んでいた。

 1時間10分後、再びスタート地点でゴール。
相変わらず近くでは、同じ作業員だけが、
掘った道路の中で黙々とスコップを動かしていた。
 その頭上を、ここでも冷たい風が通り抜けていた。

 火照った体で荒い息のまま、観光地・洞爺湖の今を見た。
「4回の走行で、42,195キロを完走した!」
 その達成感が半減していた。




    みどり色・歴史の杜公園
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気 に な る !!

2021-02-13 16:59:03 | ジョギング
 ▼ コロナ対策は、マスクと手洗い、それに3密の回避。
後は、不要不急の外出をしないこと。
 誰もがみな同じ。

 私の場合、きっとそれが功を奏しているのだろう。
この冬、風邪で伏せることが今のところない。
 毎冬見まわれる、喉の痛み、発熱が一度もない。
コロナ対策のお陰に違いない。

 それにしても、マスク、手洗い、加えてソーシャルディスタンスの
飛沫ブロックが、感染症にここまで効果的とは・・・。
 
 「急所がわかってきた」と、今回の緊急事態宣言では、
最大の施策が、飲食店の時短だった。
 その結果が、対象地域での陽性者数の減少に現れている。

 マスクなしの会食による飛沫拡散が、
いかに感染拡大を招くか、それを証明した形なった。

 ワクチン接種が効力を発揮するまで、
この取り組みを粘り強く進めること。
 それに尽きる。

 ▼ さて、体育館のランニングコース通いを続けている。
週2,3回だが、朝の雪かきで、
出発時間帯が決まっていない。

 午前は午前の顔なじみ、午後は午後の方が、
必ずウオーキングやランニングで汗を流している。

 会釈だけの方、時には短い会話を交わす方など、
ランニングと共に、そのちょっとした交流が、
閉ざされた冬の楽しみの1つである。

 なのに、昨シーズンはよく見かけたのに、
全く出会わない方が、3人もいる。

 ▼ 1人目は、よく私の走り方をコーチしてくれた方だ。
4年前になるだろうか。
 走り方に違和感があった。

 とにかく足音が大きいのだ。
雪道で滑らないようにと走っていたから、
そうなったのだろうか。
 とにかく、バタバタと大きな音を立てて走り、
以前のように静かに走れないのだ。

 その時、私の後ろから伴走し、
アドバイスをしてくれた方がいた。

 その方は、冬の期間、午前中はほぼ毎日、体育館を走っていた。
だから、私が走り始めると、しばしば後ろに付き、
走り方のチェックをしてくれた。 

 足の運びが徐々に改善され、
その後は、ドタバタ走りがなくなっていった。

 今はもう走り方に不安はないが、
今シーズン、まだその方の姿を見ていない。
 時には、走り方を見て、
「よくなったね!」と言ってもらいたいのだが・・。

 ▼ 2人目は、春の緊急事態宣言で、体育館が閉鎖になるまで、
私と家内の後ろを追尾して走った女性だ。

 切っ掛けは、その女性からの声かけだった。
「一人じゃ無理なので、走れるところまで、
着いていっていいですか」。
 私たちより一回りは若いスリムな方だった。

 以来、体育館で顔を合わせると、
明るく会釈をし、私たちの後ろを付いてきた。

 最初は、1キロだったが、1,5キロ、2キロと
距離を伸ばした。
 「今日は、3キロも走れました!」。
それ以来、体育館が閉鎖となった。

 ところが、春の陽気に誘われた日だ。
閉鎖が続く体育館に変わり、
雪が解けたサイクリングロードを走った。

 散歩を楽しむ人、いいリズムでランニングする人などと
すれ違ったり、追い抜かれたりした。

 家内と並走し、2,5キロ地点で折り返し、
残り1,5キロまで戻った時だ。

 一人で散歩している女性を抜いた。
どこかで見た後姿に思えたが、
振り返ったりはしなかった。

 しばらく進むと、後ろから声がした。
「すみません。体育館でご一緒した・・・」。
 その言葉で、ピンときた。
足を止めて振り向くと、
その女性は、私たちを追いかけて走ってきた。

 「こんな所でお目にかかるなんて!」。
体育館で後ろを走っていたその女性は、
嬉しそうな笑みを浮かべた。
 そして、
「この道のゴールの所に、車を止めているんですが、
そこまで後ろから付いていってもいいですか」。

 二つ返事の私たちを、荒い息で女性は追ってきた。
ゴールした額には玉の汗が光っていた。
 「ありがとうございました。楽しかった。」
女性はそう言い残し、
急いで運転席に座り、発進していった。

 今シーズン、体育館で顔を合わせることだろうと思っていた。
いまだ一度も見ていない。

 ▼ 3人目は、平日の午後2時頃、
黙々とウオーキングをしている男性である。
 きっとそれが日課なのだろう。
午後、ランニングに行くと、必ず出会った。

 いつも同じペースで、
200メートルの周回を、1時間以上も歩き続けていた。

 思い返すと、もう5年以上も前から、
彼を、定時刻にそこで見てきた。

 ところが、昨シーズンの初めだ。
彼の姿がなかった。
 「体調を崩したようだよ」。
どこかから、そんな声が聞こえていた矢先だった。

 いつもの黒のベンチコートの下に、
トレーニングウエアー姿で、2階出入口に彼が現われた。

 ほんの数回言葉を交わした程度だったが、
走るのを中断して、声をかけた。
 「お久しぶりです。
体調を崩されたとお聞きしましたが・・。」
 「もう大丈夫。
S病院の先生が、すぐに脳外科病院まで連れて行ってくれてサ。
 いろいろな人に、すっかり助けてもらって・・・。」

 「それは!・・・」。
呆然とする私に、彼は真顔で
「また、今日から頑張るさ」。
 言い終わるとすぐ、ベンチコートを脱ぎ、
屈伸を何回かして、
いつものリズムで、歩き始めた。

 以来、昨シーズンは、
午後のランニングコースで必ず彼を見た。
 なのに、今は・・・。
「どうしたのだろう?」。




   快晴の冬 猛々しい有珠
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やっぱり 旅先でRUNかな

2020-03-14 19:29:13 | ジョギング
 ▼ きっとコロナウイルスとの闘いは、まだまだ続く。
ついに、義母が暮らすサービス付き高齢者住宅では、
外部との接触が禁止となった。
 家族とも会えない日が続いている。

 心配して家内が電話すると、
まもなく96歳の元気な声が返ってきたと言う。
 「こんなことでは死ねない、だって・・!」
さすが戦争を経験した人は魂胆が違う。

 それに比べ、私たちはどこまでこの自粛と向き合えるだろう。
とにかく毎日じっと自宅に閉じこもり、
耐えている子ども達が可愛そうでならない。

 どこかの国のように、
『お年寄りはみんな外出禁止!』にして、
子ども達を学校へ行かせて欲しい。

 そんな願いをもつのは私だけなの?。
悶々とした釈然としない日が続いている。

 一方、『風邪ぎみの方は外出を控えてください』。
そんなアナウンスが気になる。
 とうとう3月に入ってから、
ランニングで汗を流したのは2日だけ・・。

 2度とも、快晴無風の昼下がり、
寒さを感じない日を選んで、5キロを走った。
 走り終えた時の、爽快感がたまらなくいい。
翌日も,走りたいと思う。

 しかし、昨日より気温が低い、風が強い、
あるいは曇天。
そうなると、「風邪をひいては・・」と二の足を踏む。
 悶々とした日がさらに深まる。
これまた辛い。

 こんな日々で、改めて気づいた。
どこからか、「70歳を超えてまで、ランニングなんて無理して・・」。
そんな声がかすかに聞こえる。
 でも、私にはまだランニングは欠かせない生活のかてなのだ。

 さて、この騒動が収束に向かったら、どうする?
やっぱり旅先でランニングがいいかな・・・。
 ややその魅力のトリコかも・・。

 ▼ 2月初旬だ。
東京での研究大会に出席した。
 まだそれ程コロナが騒動になっていなかった。

 それでも飛行機の機内は、9割がマスクだった。
窓側の席で2つ3つ咳をした。
 すると隣席でマスクの若者が、
迷惑そうな不審な目で私を睨んだ。
 その後は、ずっと背を丸め、小さくなっていた。
マスクがないことを悔いた。

 久しぶりに、東陽町のホテルに泊まった。
翌朝、ランニングをすると決めていた。

 平日の早朝、青空だった。
通勤の人並みの多さに驚いた。
 伊達とは大きく違い、私も活気づいた。
でも、ランニング姿が少し気恥ずかしくなった。

 走りながら向かったのは、都立木場公園だ。
ここの遊歩道には、ランニングコースがいくつか設定されていた。
 1周3,5キロを選んで走った。

 途中に木場公園大橋があり、
その往復で、何人ものランナーとすれ違った。
 気恥ずかしさが薄れた。

 そして、年齢は様々、スタイルもスピードもそれぞれ。
でも、モクモクと走る姿に励まされた。

 芝生広場へ差しかかったT字路で、
園児カバンの女の子とお父さんが立ち止まっていた。
 その視線の先に、白梅が咲き始めていた。
きっと、梅の花をみつけ、何やら会話していたのだろう。
 喧噪の大都会の朝、小さな清涼感が漂っていた。

 公園からの帰り道、紅梅の並木を見ながら、
旅行先を走る新鮮さで、心も体も弾んだ。
 「きっと伊達は雪だろう。」
心をかすめた。

 ▼ 山深い温泉に一泊した朝、
さほど気乗りしない家内を誘って、走り始める。
 山間の傾斜道だが、舗装路だ。
上りに苦戦しながら、家内のペースで足を進める。

 右も左も山が迫っていた。
その斜面に林立する緑と、澄んだ空気が心地いい。
 二人とも息を弾ませ、迂回し、ようやく下り道へ。

 突然、視界が開け、背筋まで伸びる。
次第に息が整う。
 ゆっくりゆっくり、時には言葉を交わしながら走る。
緑だけの道には、音もなく、変化もない。
 淡々と走り、再びホテルへ戻る。

 丁度その玄関で、散歩から戻ったご夫妻と出会う。
どちらからともなく、挨拶をかわす。
 そして、
「走ってきたんですか。」
同世代のご主人が、やや驚きの表情をする。
 「ええ、その辺りをゆっくりと」
私の返事に、今度は奥さんが
 「すごいですね。長いこと走ったんですか?}
「いいえ、30分程度です。」
 すると、ご主人、
「毎日、そのくらい」
 「毎日ではなく・・、時々です。」
2人は、若干腑に落ちない表情をした。
 ここは説明がいると、感じた。

 「見慣れた道を走るのとは違って、気持ちがいいんです。
ちょっと荷物が増えますが、またとないことなので・・」
 「そうですね。散歩してもそう思いますから、
走れたら、また違うんでしょうね。」
 奥さんが、つけ加えた。
「走ってみたくなりました。無理かしら・・・」
 はじめて、家内が口を挟んだ。
「是非、頑張って下さい。」

 ▼ 3,4年前に『旅先でランニング』をしてみた。
その魅力を知った。
 旅行好きではないのだが、
知らない道を走るのはワクワクする。
 さて、今の霧がはれたら、どこを走る?

 まもなく桜の季節だ。
各地で桜並木が満開のトンネルをつくる。
 2キロ3キロと続く桜色を走り抜けてみたい。

 やがて海辺を抜ける潮風が心地いい時季がくる。
見知らぬ海岸線を走ってみたい。
 きっと風が運んだ波で、顔が塩辛くなるに違いない。

 子ども達を引率して、真夏の戦場ヶ原へ何度も行った。
雄大な男体山を見ながら、あの高原を走ってみたい。
 人間の小ささを思い知らされてもいい。

 

  アカマツと迎賓館 <だて歴史の杜>
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71歳の 新秋

2019-10-12 20:41:40 | ジョギング
 ①
 伊達に住み始めて7年になるが、
以来ずっと、散歩代わりにランニングをしてきた。

 生活のリズムとして始めたが、
こんなに長く続くとは思ってもみなかった。

 『伊達ハーフマラソン』大会を初め、
いくつかのマラソン大会に参加するようになった。
 それが励みになり、継続できたのだと思う。

 さて、5年前からマラソン大会出場の定型ができた。
それは、
 4月に伊達ハーフマラソン(ハーフ)、
 5月に洞爺湖マラソン大会(フルマラソン)、
 6月に八雲ミルクロードレース(ハーフ)、
 9月に旭川ハーフマラソン(ハーフ)、
 11月に江東シーサイドマラソン(ハーフ)だった。

 ところが、今年はそれに狂いが生じた。
1つは、5月の洞爺湖から6月の八雲までの期間が短く、
八雲へ出場することを諦めた。
 もう1つは、出場を予定していた『江東シーサイドマラソン』だが、
エントリーが多く、抽選で外れてしまい、出場できなくなった。 

 その上にだ。
4月の伊達は10キロも走らずにギブアップ。
 5月の洞爺湖は30キロまでがやっとで、リタイア。
ここまで、完走がないのだ。

 こうなると、9月29日(日)の旭川ハーフマラソンが、
今年最後の大会出場となる。
 想いはだた1つ。
今年1枚きりになるが、『完走証がほしい!』。

 記録は、自己ワーストでいい。
完走者の最下位でもいい。
 とにかく2時間40分の閉門までに、
21、0975キロをゴールしたい。
 それだけを目標に、その日、私は走った。


 ② 旭川は、広い盆地の中にある。
しかも、いくつもの大きな川が流れている。
 大会の主催者はあいさつで、
開口一番「皆さん、川の街へようこそ」と言った。

 そんな幾筋もの川の土手道や河川敷の遊歩道と橋、
道内第2の都市の市街地の4車線、そして自衛隊駐屯地内の道路と、
バリエションあるコースが、このマラソン大会のポイントだ。

 平坦な道に、土手や河川敷への上り下りが数カ所あり、
その上勾配のある橋が、体力を奪うのだ。

 だが、他のマラソン大会より、コースのいたるところで、
声援を送ってくれる人々がおり、途切れない。
 私は、それに励まされる。

 これで出場が、5回目になる。
コースも熟知している。
 例年と同じ場所で声援を送ってくれる方々の記憶が蘇った。

 まずはその声援についてだ。

 市街地の道路脇、7キロ付近には私設の給水所がある。
その先の交差点そばの自宅前では、簡易ベンチを出し、
家族そろって手を振り、ランナーを見送っていた。
 民家の並ぶ道では、
門柱に、『みんな、ガンバレ』の看板が立っている。
 旭橋では、義姉が私の名前入りのぼりを掲げて待っている。
1つ1つに、心が熱くなった。

 さて、10キロを過ぎて後半に入ってからだ。
次第に足が重くなった。
 走り込み不足を後悔しながら、マイペースで走った。

 コースが公園の散歩道から、土手道への上りにさしかかった。
この坂では、歩きだすランナーが意外と多い。
 私は、決まって呼吸を整えてから、
淡々と駆け上ることにしていた。

 その坂にかかってすぐだ。
道路右脇から、声が聞こえた。
 その声は、確か昨年も1昨年も聞いた気がする。
だが、この坂道に夢中で、気に止めてこなかった。

 なのに、今年は耳に飛び込んできた。
その声は、つぶやくように細かった。
 「これ、食べて行きなさい。食べて行きなさい。」

 やや腰の曲がった女性はそう言って、
四角い缶から、小さなクッキーを差し出していた。

 隣に並ぶ同世代の女性が、続いた。
「手作りです。手作り!」。

 「いただきます。ありがとうございます。」
笑顔で、クッキーを1枚手にしたかった。
 でも、その余裕が私になかった。
軽く会釈だけした。

 通り過ぎてから、
「これ、食べて行きなさい。」
の、あの細い声が母のそれと重なり、
いつまでも耳にあった。
 しばらくはそれが力になり、走り続けられた。

 続いて最終版だ。
ゴールまで2キロをきった所に、
河川敷からの最後の上り坂が待っている。

 ここで、3人の方が応援してくれていた。
もうヘトヘトの場面での励ましは、
そこに立って見守ってくれているだけで、
力になる。

 なのに、1人の男性が何やら叫び続けていた。
聞き取れるところまで近づいた。

 「もう少しで、ビールが飲めます。
もう少しで、ビールです。」
 それだけをくり返し、大声で言っていた。
 
 「そうか。ビールか。」
きっと私だけではないに違いない。
 このタイミングで、この声援だ。
どれだけのランナーが、この声を聞きながら、
この坂を上ったことだろう。
 
 今夜の宿と、夕食の生ビールを想像した。
その間に、スイスイと坂道を進んでいた。

 上りきって左の橋へ曲がった。
欄干から後続ランナーを見た。
 「もう少しで、ビールが・・」
と、声援が続いていた。
 後1キロ余り、苦しさに変わりはないが、
明るい気持ちでゴールを目指していた。 

 
 ③ 沿道からの声援は、
素敵なことばかりではなかった。

 実は、昨年の大会から、
ハーフマラソンのコースが一部変更になった。

 10キロまでの折り返し地点が近くなった。
その分、後半のコースが5キロ程度延長された。

 それを知らずに声援を送るお年寄りがいた。
彼は、目の前を通りランナー1人1人に、
小声でくり返し言った。

 私にも言ってくれた。
「ゴールまで後2キロです。ガンバレ。」
 変更前は、その通りだった。

 それが間違いだと瞬時に分かった。
でも、1人1人への声援が嬉しかった。

 しかしだ。
そのお年寄りは、
私の後続ランナーにも同様の声援を送った。

 最初に、そのランナーの弁護をする。
ゴールまでまだ7キロ、3分の1も残っていた。
 辛さ、苦しさのピークが近づいているところだ、
そこで、ゴールまで2キロと言う誤った情報だ。

 後続ランナーは、小声で声援するお年寄りに向かって、
声を荒げた。
 「そんなはず、ないだろう!」

 その声の大きさと、強さに、私まで萎縮した。
それまで長い時間、
声援を続けてくれた沿道のお年寄りが、
どんな気持ちになったか。

 でも、走り続けるしかなかった。
しばらく心が傷んだ。

 後続ランナーの言動を理解しつつも、
許せなかった。

 71歳のランナーは、ムキになった。
「この人より先にゴールする。絶対に抜かせない。」
 それしか私の気持ちを納める方法がなかった。
後続の足音を気にかけながら、走り続けた。

 さて、21、0975キロの結果だが、
完走証を手にすることができた。
 ほっとしてまもなく、花咲陸上競技場の門が閉鎖され、
トラックから人影が消えた。

 「また来年、ここを走りたい。
そして、またあの声援を受けたい。」
 そう思いながら、
夕食の生ビールをグイッと飲んだ。
 「う~ん、うまい!」。

 


  10月 伊達の遠景 何故かもの悲しい! 
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