ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

コロナの時代へ 徐々に

2020-05-30 17:28:20 | 思い
 前回ブロクの冒頭で、2階の窓から見える電柱に、
カラスが巣を作っていることを書いた。

 電力会社の高所作業車が来て、その巣を撤去した。
だが、カラスはすぐ、同じ場所に巣を作り直した。
 そのしたたかさに、心打たれた。 

 ところが、この巣に関してその後があった。
巣を再生してから、カラスはその巣にしばしば飛来した。
 時には、カァーカァーと、よく鳴き交わしていた。
耳障りだった。

 それが、1週間も続いたろうか。
数日前のことだ。
 再び、高所作業車が来た。
若干時間をかけて、電柱の梁から巣を取り除いた。
 巣の形跡など、全く無くなった。

 それから、どれだけ時間が過ぎただろうか。
甲高く鳴き交わすカラスの声が耳についた。

 窓から電柱を見た。
代わる代わる、カラスがその電柱に飛来した。
 そして、巣のあった場所や近くの電線に止まり、
鳴き叫んだ。
 でも、やがてその声も消えた。

 ところが、
巣のあったすぐそばの電線に、
2羽のカラスが並んで止まっていた。

 鳴き声など聞こえない。
風もなく、辺りは静止していた。
 2羽は次第に近づき、寄り添うようにしながら、
何度も何度もクチバシを交互に合わせた。
 時には、そのクチバシで相手の羽をなでた。
一方は、静かにその行為を受け入れ、動こうとしない。

 2羽は、巣を失った悲しみに耐えているようだった。
巣には、すでに産み落とした卵が、あったのかも知れない。
 その落胆を、互いに優しく慰め合っていた。
私の目には、そう映った。

 そんな2羽の仕草は、30分程続いた。
やがて、1羽が電線から離れた。
 すぐもう1羽も同じ方向へ飛び去った。
以来、その電柱にカラスの姿を見ることはない。

 春の陽気に包まれながら、
思いがけない『愛の巣』劇場に、
熱いものがこみ上げていた。

 今は、コロナの時代である。
これは、『新しい生活』なんかじゃない。
 今までとは『違う生活』をしなければならないのだ。
2羽のカラスのように、次へと飛び立つしかないようだ。

 つい先日、朝日新聞の『折々のことば』の一文に、
思い悩んだ。

 このコラムを執筆している鷲田清一さんが、
イタリアの作家・パオロ・ジャルダーノの
「コロナの時代の僕ら」から、次の言葉を紹介していた。

 「今からもう、よく考えておくべきだ。
いったい何に元どおりになってほしくないのかを。」

 そして、この作家はこうも言う。
「今までとは違った思考をしてみる・・・」。
 『コロナは今「僕らの文明をレントゲンにかけている」のだからと』。

 これから先、どんな暮らしになっていくのだろうか。
一読して、不安でいっぱいになった。
 「レントゲン」の結果は、どんな変化を私たちに求めるだろう。
  
 だが、思いとどまってみよう。
この渦中に私たちはいる。
 この時代に暮らしている。
人ごとなんかではない。

 ここで、私に「できることは?」。
それは、いつだって同じだ。
 淡々と自分の足で1歩1歩進むことだけ・・。
どう思い悩んでも、それしかできない。

 歩を進めながら、試行錯誤をくり返すのだ。
そして、徐々に軌道を整える。
 私は、それだけだ。

 当然、「今までとは違った思考」が求められる場面もあろう。
「元どおりになってほしくない」ことにも気づくだろう。
 それでいい。

 さて、そんな時代の学校についてだ。
校長職の頃、「学校だより」にこんな一文を載せた。

 『 親は、どの子を育てるにも初心者(若葉マーク)だと言います。
最初の子でも、二番目、三番目の子でも、
その子を育てるのは初めて、初心者なのです。

 初心者なら、きっと様々なミスがあって当然です。
何もなく順調に育てることのできる大人はどこにもいません。

 初心者であることを自覚していたなら、
ミスに気づいたとき、きっと何のためらいもなく、
その行為を軌道修正できると思います。

 今、この子にとって最良のことは何か、
それを考え働き掛けをする。

 そこでそれが最良のことでないと気づいた時
〝若葉マーク〟をしっかりと意識し、
何のてらいもなく勇気をもってやり方を変える。

 そんな親でありたいと思います。 』
  
 この学校だよりには、保護者から反響があった。
数通のお手紙と、校長室まで直接声を届けてくれた方もいた。
 どの人も、「子育ての最中、励まされた」と言うものだった。

 教育関係だけじゃないが、今はみんな若葉マークだ。
3ヶ月ぶりに、子ども達が学校に戻ってくる。
 子どもも先生も、こんな経験は誰もしたことがない。

 学習の遅れが気になる。
だから、緊急避難策として、
高校生が、9月新学期制を提案した。

 飛びついた大人、早々否定した大人、様々だが、
学校現場には、浮き足だってほしくない。

 きっと多くの子どもが待ち望んだ学校の再開である。
みんなと一緒に過ごす時間を、どれだけ楽しみにしていたか。

 新学期のスタートなのだ。
新しい出会いもいっぱいある。
 新しい目標を見つける時だ。

 そんな時、
「3ケ月間の遅れを、今日から取り戻します。
頑張ってください。」
 そんな大人の事情を決して押しつけないでほしい。

 先生たちには、3ヶ月の空白を跳び越え、
以前と変わらない雰囲気の学校で子ども達を迎えて欲しい。

 そして、毎日をゆっくりとゆったりと構え、
一人一人の子どもに寄り添って欲しい。
 子どもの心の内を知って欲しい。

 3ヶ月のブランクについては、そこから策を練るのだ。
みんな若葉マークだ。
 キャリアのある先生だって同じ、
管理職も同じだ。
 学校の英知を集めるのは、子どもの今を知ってからだ。

 今こそ、子ども理解に徹する時だ。
そして、一人一人のニーズに応じた指導策を練るのだ。
 若葉マークだから、いつだって何のてらいもなく、
やり方をかえていいのだから・・・。
  
 若干、横道になるが、
学校9月始まり案も、子供らを知ってから、
検討をはじめてほしい。
 子どもの実態や学校の実践を見ないでの結論は、
不安を抱えて提案した高校生らに、
失礼なのでは・・・。




    朝陽を受け サクラソウ
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純粋・懸命・健気 いい!

2020-05-16 16:56:36 | あの頃
 ▼ 陽気に誘われ、早朝散歩に出た。
ご近所のご主人が、自宅横で庭いじりをしていた。
 「最近、カラスがうるさいね。」
それが、私への挨拶替わりだった。

 確かに、朝から大声を張り上げ、
鳴き叫んでいた。
 小鳥のさえずりとは違い、耳障りだ。
だが、これも春だからと、思い直した。

 月曜日だ。
2階にある私の部屋から見える電柱に、
カラスが巣を作っていることに気づいた。

 これも、年中行事の1つだ。
ご近所さんが電力会社に連絡したらしい。
 翌日には、高所作業車など数台が出動し、
その巣を撤去した。

 きっと、何日もかけての巣作りだったろう。
それが、あっと言う間に無くなってしまった。
 カラスの立場からすると無念なことだろう。
巣のない電柱を見ながら、
例年通り、変な感傷が心をかすめた。

 ところが今年は若干違った。
翌朝、いつも以上にカラスの鳴き声が大きい。
 2階の窓から電柱を見ると、
再び巣作りを始めていた。

 小枝を集め、2,3羽がしきりに飛び交い、
電柱の梁に止まったり、体の向きを変えたりしていた。

 その日は、まだ巣の形状までには至っていなかったが、
翌日には、撤去前と変わりない物になった。

 きっと、カラスだけではないのだろう。
生き物はみんな、外敵の理不尽な攻撃に、
めげてなんかいないのだ。
  
 つい、コロナ、コロナの日々に沈みがちだ。
世界が元に戻るには相当の歳月がかかるだろう。
 もう老兵だが、
私もコロナなる外敵にめげてなどいられない。
 みんなも、頑張れ!

 こんな時だ。楽しい思い出話を綴るに限る。
今回は、幼稚園児に登場してもらう。

 ▼ 最後に校長職を勤めた小学校は、
幼稚園が併設されていた。
 だから、私はそこの園長を兼任していた。

 幼児教育の経験などなかった。
いつも、副園長からレクチャーを受けた。
 園児とのふれあいは、新鮮だった。
未経験なだけに、色々なことに心を熱くした。

 幼稚園は、区内のどこの公立幼稚園も同じで、
5歳児、6歳児のそれぞれが1学級の編制だった。

 約30名ずつの園児が、
浅草の花屋敷公園まで遠足に行った。
 
 制服に制帽、
それに背負った園児カバンも同じ姿で
最寄り駅から、電車で浅草に着いた。

 駅から花屋敷までは、仲店通りなどを
2列になって進んだ。

 9時半を回っていた。
カメラを持った外国からの観光客が何人もいた。
 その横を、年長さんと年少さんが、
2人で手をつないで歩いて行くのだ。

 青い目の人たちからは、
珍しいかわいらしさ、微笑ましさなのだろう。
 カメラを向け、笑顔をつくっていた。

 その数人が、列の前、横、後ろから、
シャッターを切りながら、つかず離れず着いてきた。

 子ども達は、そんな観光客など気にもかけない風だ。
目的地を目指して、淡々と歩く。

 そして、方向が変わり、
今までと違い年少さんが車道側になる。
 すると、誰かが「チェンジ!」と声を張り上げる。

 続いて、一斉に「チェンジ!」と声をそろえ、
一瞬手を離し、年長さんが車道側に移るのだ。
 着いてきた外国人が、驚きの声を上げる。
私は、ついその声に笑顔になる。
 だが、園児はみんな、それに構わず前を向き、前進だ。

 また道を曲がり、「チェンジ」の声とともに、
一斉に左右が入れ替わる。
 またまたシャッターを切りながら、
「ワンダフル」とでも言ってるのだろうか、
声が飛んでくる。
 園児は、いっこうに関心を示さず歩く。

 ところが、園児には長い道のりだったのだろう。
ようやく目的地の花屋敷に着き、
つないでいた手を離し立ち止まる。

 そして、やっと入園するその時だ。
どの子も、そこまでカメラ片手についてきた外国人に、
笑顔を向け、みんな手を振るのだ。

 「車に気を付けて行きましょう」。
先生からのその言葉を必死に守った。
 その任が終わった。
ようやく手を振ることができる。
 だから、園児らの笑顔は飛びっ切り輝いていた。
その懸命さに、私の心は洗われた。
 
 ▼ 秋のことだ。
江戸川を渡り、千葉県内の農園まで、
電車で芋掘り遠足に行く。

 毎年利用させてもらっている農園は、芋の蔓などを切り、
準備を整えて待っている。

 畑に着くと、園児達はシャベルを使って掘り始める。
土に隠れていた芋が現れる。
 それぞれ決められた自分のエリアから、
ゴロンゴロンと大小様々なサツマイモが掘り出される。

 その年は、特に豊作だったらしい。
畑からは、次々と芋が採れた。
 園児らは、芋の出現に歓声をあげ、
飽きることなく掘り続けた。

 私も園児らの手助けをしながら、
楽しい時間を過ごした。
 ところが、その後が大変な事態になった。

 自分で掘った芋は、持参したレジ袋にそれぞれ詰めた。
どの子の袋もパンパンになった。
 「いっぱい掘ったね。」
「うん、こんなにいっぱい!」
 両手でその袋を持ち上げたが、
その重たさで、手元がふらついた。
 いやな予感がした。

 芋の詰まったレジ袋を横目に、
昼食を済ませた。
 そこまでは、笑顔笑顔だった。

 農園から駅まで徒歩で10分少々あった。
そこまで、掘った自分の芋を持って行くのだ。

 帰路の出発は、まだ元気よかった。
ところが、すぐにその重さを園児らは感じた。
 やがて足どりが鈍った。
立ち止まって、袋を地ベタに置き、腕を休めた。

 そして、再び袋をぶら下げ、ゆっくりと進んだ。
「なんだ、これ。重たすぎ。」
 「重たいね。芋ってこんなに重い!?」
「とり過ぎた。仕方ない、がんばろう!」
そんな言葉も次第に消えた。

 今にも、袋の芋を持て余し、音を上げそうなのだ。
でも、自分の力で、幼稚園まで運ぶしかないのだ。
手を貸してくれる人などいない。

持ち上げられなくなった子は、レジ袋ごと引きずった。
 袋が裂け、芋が見えた、
それでも、諦めず駅へ向かった。

 駅に着くとホームまでは階段だった。
エスカレーターがない。
 見かねた駅員達が総出で、手助けをしてくれた。
 しかし、年長さんの多くは、
自分で運ぶと言い張った。

 「なんで、こんな所に階段があるの。」
そう呟きながらも、一段一段芋の袋を持ち上げた。
 「これは、芋との闘いだ。」
そう言って、袋の芋を両手で抱え、階段を一歩一歩上る。
 「闘いだ。闘いだ。」
口々に言いあい元気を振り絞る。

 ようやく電車に乗った。
幸い全員椅子に座れた。
 次の駅を待たず、話し声がさっと消えた。

 芋の袋を床に置き、
どの子も寝入ってしまった。
 夢中で芋を掘り、それを電車に運び込んだ。
まさにエネルギー補給の睡眠だ。

 30分後、全員を起こし、電車を降りる。
幼稚園まで再び、重たい芋との闘いである。
 ここでも、投げ出す子などいない。

 「だって、僕が掘った芋だもん」。
ついに、園児らは口を揃えて、明るくそう言った。
 私の心はまた温かくなる。




   『クロフネツツジ』の ピンク色
               ※次回の更新予定は5月30日(土)です
 
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コロナに向かう 81歳

2020-05-09 15:43:33 | 素晴らしい人
 ▼ ついに私の街に春が来た。
桃も梅も桜も一斉に咲いている。
 白木蓮も紫木蓮も辛夷(コブシ)も、みんな咲いた。
当然、我が家のジューンベリーも。
 そして、柳、ナナカマド、カラマツの新緑が、
柔らかな陽を受け、綺麗だ。

 当然、日の出も早い。
それに誘われ、私の目ざめも早くなる。
 いい天気の日は、しっかりと準備を整え、
6時半にはランニングスタートだ。

 どこを走っても、行きかう人はまばら。
「3密」の心配など要らない。
 でも、この陽気だからか、それとも自粛生活だからか、
ランナーとすれ違うことがある。

 みんな若い。
多くは、イヤホンを耳にしている。
 私が挨拶しても、耳に届かないのか、
視線すら合わせないこともしばしばだ。

 だけど、近づいてきたランナーが
私の左腕にあるオレンジ色の腕章を見た。
 「おっ、ガードランナーズだ。
お疲れっす。」
 さっと一礼して走り去った。

 『走りながら、子どもやお年寄りの見守りを!』。
そんな趣旨に、「私でよければ・・」と、
腕章をつけて走っている。
 それをねぎらう飾らないひと声だ。

 「何もしていないに等しいのに・・」。
それでも、快晴の青空を見上げたくなった。
 誰も見ていないことをいいことに、少し胸を張った。
きっとアカゲラだろう。
 どこかから、ドラミングが空に響いていた。
頬をなでる春風が心地いい。 
 
 そして、自宅まで残り1キロ余りの日だった。
予報よりも早くに、暗い雲が漂った。
 すぐに雨が降り始めた。

 いつもより早足だったからか、
これ以上のスピードアップはきつかった。

 濡れはじめた歩道の先を見た。
上下黒にピンクのシューズのランナーが、向かってきた。
 その距離が、みるみる近づいた。
私が速いのではない。

 明らかに軽快な走りだ。
距離が近づき、雨の中でも、
若い女の子だと分かった。
 ショートカットの頭がすっぽりと湿っていた。

 すれ違う一瞬、目が合った。
「おはようございます」。
私の挨拶に、彼女は、明るい笑顔を作り、
「おはようございます。」と応じた。

 すかさず私は続けた。
「雨だから、足元、気をつけて!」。
 その言葉の最中、
彼女は私の横を走りぬけた。

 だが、背後から明るく弾んだ声が届いた。
「はーーい。ありがとうございまーす!」。

 間もなく自宅だと思いつつ、
その声が氷雨ではなく、春雨だと思わせた。
 急に、足がスイスイと進む。
一瞬、年齢を忘れていた。「春だ!」。

 ▼ そんな春爛漫の朝が、その後一転する。
人と出合うことを避ける現実が強いられている。
 「今日までの努力が水の泡にならないように!」。
殺し文句を聞かされると、
小心者は、ことさらじっと閉じこもっていようと思う。

 だけど、心は真逆。
余計に明るい話題が欲しくなる。

 大先輩が高齢を押して、定期通信を送ってくれる。
ついつい笑いがこぼれる川柳があったりする。
 半年程前、こんな記事が載っていた。

 何年か前の「笑点」でのことらしい。
つい吹き出しながら、読み返した。
 
  *    *    *    * 
 
    18歳と81歳の違い

 道路を暴走する 18歳
   道路を逆走する 81歳

 心がもろい 18歳
   骨がもろい 81歳

 偏差値が気になる 18歳
   血糖値が気になる 81歳

 受験戦争を闘っている 18歳
   アメリカと闘った 81歳

 恋に溺れる 18歳
   風呂で溺れる 81歳

 まだ何も知らない 18歳
   もう何も覚えていない 81歳

 東京オリンピックに出たいと思う 18歳
   東京オリンピックまで生きたいと思う 81歳

 自分探しの旅をしている 18歳
   出掛けたまま分からなくなり皆が探している 81歳

 「嵐」というと松本潤を思い出す 18歳
   鞍馬天狗の嵐寛寿郎を思い出す 81歳

 ドキドキが止まらない 18歳
   動悸が止まらない 81歳

 早く「二十歳」になりたいと思う 18歳
   出来ることなら「二十歳」に戻りたいと思う 81歳

 恋で胸を詰まらせる 18歳
   餅で喉を詰まらせる 81歳 
 
  *    *    *    *

 ▼ さて、飲食店を営む私の兄のことだ。
同じく81歳である。
 「笑点」が取り上げた81歳とは違う。

 コロナの最中、電話がきた。
今も、毎朝、魚市場へ行く。
 培ってきたキャリアで、鮮魚を選ぶ。
確かな目利きの評判は、時々私も耳にする。

 その81歳が、受話器の向こうで弱音を吐く。
「コロナの最初の頃とは全然違う。
お客さんが来ないんだ。
 参っているさ。」

 どこの店も同じだ。
でも、今までどんな不況も乗り越えてきた。
 だから、今回も何とかできると知恵を絞ってきた。
少々自信もあった。
  
 「だけどなあ、店を開けていても、
誰も来ないんだ。
 俺はさあ、人がいて、
その人にものを売りたいんだ。
 そうしていたんだ。
だけど、それができないのさ。」

 兄の人生の支えと無念さを、
受話器はそのまま語っていた。
 胸が熱くなった。

 「なあ、頼みがあるんだ。
テイクアウトっていうのか、それを始めたんだ。
 それをインターネットで宣伝してくれないか。」

 兄は、私ならできるだろうと言う。
期待に応えたかった。だが無理だった。

 落胆の声が、
翌日もその次の日も耳から離れなかった。
 「俺はさあ・・ものを売りたいんだ。
そうしていたいんだ」。

 81歳でもなお、前を向く。
コロナに負けず、進もうとする。
 『18歳と81歳の違い』など論外だ。

 数日後、
『テイクアウトを始めました。
こんな時、ご自宅で、当店のお味はいかがですか?!』
 そんなタイトルに、
お持ち帰りメニューと写真を載せたチラシを作った。

 「店先に置いたり、来店した方に配ったり・・。」
50枚程を兄の店に届けた。
 今、私にできること・・?。そのくらい・・・。

 『頑張れ! 81歳!』




  春 真っ盛り  だて歴史の杜にて
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