ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

カルルス温泉 高1の冬

2023-06-24 11:57:40 | あの頃
 北海道では毎日のように熊出没が、
ニュースになっている。
 特に、大都会である札幌での目撃情報には驚く。

 家内の妹夫婦は、札幌市南区で暮らしている。
真駒内公園に近いところだ。
 その公園も熊の目撃が相次ぎ、閉鎖になった。

 その義妹から、家内にLINEメールがあった。
一部を読んでくれた。
 「家から歩いて2分くらいの所でも、
熊が出たの。
 朝、ゴミ出しに行って、
もしも熊が座っていたらどうするの」。
 
 決して大げさじゃない。
現実味のあることだけに、私も家内も表情が曇った。

 伊達は、札幌とは比べものにならない小さな町だが、
ここ数年、熊出没の情報はなかった。

 ところが、ついに21日、熊らしいものを見たとの情報が流れた。
しかも、その場所は、私もご近所の方々もよく利用する
パークゴルフ場の近くなのだ。

 『ゴミ出しに行って、
・・熊が座っていたら・・』が、
私の町でも現実味を帯びてきたようだ。

 さて、4月に『カルルス温泉 高1の夏』と題し、
このブログで、キャンプでテントを張った場所が、
よく熊が出る所だと知り、慌てて撤退したエピソードを記した。

 今回は、同じ年の同じ温泉地で、
同じ仲良し5人組での冬バージョンである。

 今もカルルス温泉にはスキー場があるが、
当時は、新しくできたスキー場で賑わっていた。
 私たち5人は、ほとんどスキー経験がなかった。
本格的なゲレンデに立つのは、初めてのことだった。

 高校1年の男5人、何事にも無鉄砲な年頃だった。
突然、スキーが話題になると、
「スキー場に行ってみよう。滑ってみよう」と、
計画は即断即決、実行に移された。
 家族はあきれ顔だった。
 
 正月元日から2泊3日で、
室蘭から直行のバスでカルルスへ行った。
 到着するとすぐに、宿を探した。

 やや小高い所に木造の大きな旅館が見えた。
ここなら空き部屋があるだろうと訪ねた。
 「一番安い部屋でいいです」とたのんだ。
案内されたのが、大宴会ができるような大部屋だった。

 5人で泊まるには、あまりにも広すぎると思ったが、
高1の男子にはクレームをつけるだけの技量はなかった。
 黙って、部屋の隅に荷物を置いた。

 とにかく宿が決まった。
気分を変え、ゲレンデに行く身支度をして出発した。

 スキー場に着くと、貸しスキーをかかえてゲレンデへ。
見る人見る人、スイスイと滑っていた。
 簡単にできると思ったが、まずは練習をと、
小さな子に混じって、初心者コースで試した。

 5人とも小さい頃に子供用スキーで、
坂道を滑り降りた経験があった。  
 スキーの長さは違っても、転ぶことはなかった。
やはり簡単なものだった。
 2度3度滑り終えると、物足りなくなった。

 リフト券を買い、勢い込んでリフトに乗った。
初めての体験だった。
 ドンドン上がっていくリフトにつかまり、興奮していた。
眼下には、ゲレンデを滑る人々の姿があった。
 遠くを見ると真っ白な山々が連なっていた。
気分は爽快だった。

 ところがリフトを降りて、真顔になった。
先に見える急な斜面は、予想外だった。
 見下ろすだけで、怖じ気づいた。

 5人とも、滑り降りることをためらい、立ち尽くした。
後ろからリフトを降りた人たちが、次々と滑っていった。
 スキーを履いたまま、ストックをしっかりと雪面に刺して、
滑り止めをし、その場にいつまでもいた。

 5人を見て、スキー場の人らしい方が声をかけてくれた。
正直に言った。
 「怖くて、滑って降りられません!」。
「そうですか。じゃ、こちらのコースからゆっくりと降りましょう。
私の後ろをついてきてください。
 途中で何回も休みながら降りましょう」。

 少し進んだところに、
見ていた斜面とは違うコースがあった。
 やや斜面が緩やかだった。

 私たちは一列になって、彼の後から斜面を、
斜めに横断するように滑っては向きを変え、
また滑っては向きを変えをくり返した。

 ようやくリフト乗り場近くまで着いた。
お礼を言う私たちに彼は、
 「しばらくこの辺りで練習したら、また挑戦してください。
今のように斜めにゆっくりと滑り降りるといいんです。
 すぐに慣れますから」。
 
 5人とも、最初の意気込みが消えていた。 
暗くなるまで初心者コースを滑っては上り、
滑っては上りをくり返した。
 でも、再びリフトに乗る気にはなれなかった。
スキーは面白いものではなかった。

 旅館に戻って、夕食前に温泉に入った。
ポカポカとほてる体で、食堂で夕飯を食べ、
5人は広すぎる部屋に戻った。

 驚いたことに部屋には、テレビも暖房もなかった。
布団が5組、隅の方に積んであった。
 さすがにこれには黙ってられなかった。
「暖房だけでも」とそろって頼みに行った。
 
 「寒かったら、いつでも温泉に入れるから温まって、
早く布団に入って寝てください」。
 そんな返事だった。

 広い部屋に戻ると、
布団を並べ、早々と潜り込んだ。
 何も楽しくなかった。

 翌朝、温泉の湯船につかりながら、相談した。 
予定を変え、1泊にした。
 でも、1日練習して、もう1回だけリフトに乗ろう。
そして5人で滑りおりてから、帰ろうと決めた。

 楽しくないことと楽しくないことのままで、
終わるのは嫌だった。
 前日、私たちを先導してくれた方の
「すぐに慣れますから」が背中を押した。
 初心者コースで、昨日以上に黙々と滑った。

 そして、午後、意を決してリフトに乗った。
ジャンケンに負けた私が先頭で、
前日と同じようなコース取りへ、
何度もターンをして無事滑り降りた。
 5人で歓声を上げた。
楽しいと思った。

 何度も、リフトに乗りたくなった。
もう1度、上から滑りたかった。
 でも、あの大部屋に泊まるのは嫌だった。

 「明日、天気が悪くなるみたいだから」。
家族には、そんな理由付けして帰宅した。
 夏に続いて冬も2泊3日の計画が、
1泊2日になった。




   ツルアジサイ ~水車アヤメ川自然公園
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好天の朝 あれやこれや  

2023-06-10 13:20:57 | 思い
  ⑴
 母の日に、義母の3回忌法要が旭川であった。
1日での往復運転には自信がなかったので、
前日、市内のホテルに宿泊した。

 3年前になるが、葬儀の朝、旭川は快晴だった。
ぶらりと辺りへ足を伸ばすと、
葬儀場前の河川敷も近くの山々も、
朝日を浴びた新緑が鮮やかで、心に残った。
  
 だから、今回も同様の期待をした。
願い通り北都の朝は好天だった。
 早々、家内を誘い散歩へ出る。

 市民文化会館から緑道が続いていた。
『七条緑道』と言う名前がついているのを知ったのは、
歩き始めてしばらくしてからだった。

 花壇はムスカリが花盛り。
その道の所々には『彫刻の街・旭川』らしく野外彫刻があった。
 作者を見ると、どれも加藤顕清の名。

 1体1体が、朝の木漏れ日を受けていた。
どの姿もみんな、私に何かを語りかけているようだった。
 しかも、突然訪問した私を、そっと歓迎しているかのよう。
私は立ち止まっては見上げ、また次のブロンズに近づき見上げた。

 ブロンズの上は朝日の青空で、澄み渡っていた。
大きく深呼吸をすると、期待通りの心地よさが胸いっぱいに広がった。

 勢い、緑道の先の「常盤公園」まで足を伸ばす。
美術館前には、あのブールデル作『雄弁』が、
朝日に向かって力説していた。
 「不思議!」、勇気が湧いてきた。

  ⑵
 目覚めると、カーテンの隙間からの日差しは弱く、
明らかに雨模様。
 雨が降ったりやんだりの日がダラダラと続いている。

 聞き慣れなかったが、『蝦夷梅雨』と言う。
通説では「北海道には梅雨がない」。
 だが、何年か前から「エゾツユ」が、
よくローカルニュースの話題になっている。

 40年の東京生活では、6月に入ってまもなく、
梅雨が始まった。
 教職の合間、校舎の片隅でしばしば雨に濡れた紫陽花を見た。
その静かなたたずまいに、足が止まった。
 多忙さに振り回され、余裕を失っている私に反省をうながしてくれた。
「もっとゆっくりでいいんだよ」と。
 だから、じめじめとしたイメージの季節だが、嫌いではなかった。

 だが、今年の6月は違う。
好天の朝であってほしいと願っている。
 それは・・・・。

 4月から自治会長になり、私の暮らしぶりは変わった。
まずは、郵便物が多くなった。
 電話がよく鳴り、訪問者も増えた。
会議への出席依頼もしばしば舞い込んでくる。
 当然のことだが、どんな依頼ごとにも、
1つ1つ丁寧に対応するよう心がけている。
 
 しかし、想定はしていたが、初めて知ること聞くことが多い。
判断に迷うことも、自信が持てないままの対応も珍しくない。
 それにアフターコロナが加わり、4年ぶりのことまで・・・。

 案の定だが、疲労感がどんどんと重なる。
年齢も影響し、朝はいつまでもベッドから離れたくないのだ。
 体も気分も重いまま朝を迎えることが増えた。 

 それでももしもだが、いい天気の朝ならどうだろうか。
疲れが残ったままの目覚めでも、きっと意を決して起き上がるだろう。
 アクティブな私になろうとするだろう。

 そして、朝日に染まる濃い緑色の山々を見上げたり、
アヤメやルピナスが咲き誇るご近所の花壇に足を緩めたり、
時には、散歩するワンちゃんに手を振ってみたりしながら、
小1時間程度のジョギングやウオーキングを楽しむ。

 すると期待通り、爽快感が体も心も軽くしてくれる。
迷いや不安、わずらわしさが消え、
一歩でも半歩でも踏み出そうとする私になれるのだ。

 なので、どうか明日は好天の朝でありますように。

  ⑶
 久しぶりに好天の朝だった。
前日から、天気が回復したらジョギングをと目論んでいた。
 家内を誘い、5キロのスロージョギングだ。

 最近は、走り始めて1キロまで左膝に痛みがあるが、
その後は、違和感なく走れる。
 しかし、翌日と翌々日はやや痛みを感じながらの歩行になる。
まだまだ無理はできない。
 なので、平坦のコースを走るようにしている。

 この日は、我が家から歴史の杜公園へ向かい、
公園の周回コースを3周して、帰宅するコースを選んだ。

 公園の周回は、アップダウンがない。
ウオーキングよりやや速いだけのペースでも、
2人とも息を切らしながら走る。

 1周目の途中で、2本のゴルフクラブを持った方とすれ違った。
挨拶を交わしたが、始めて見る顔だった。
 「散歩をかね、スイング練習のようだね?」。
走りながらの問いに、家内も同意した。

 そして2周目、驚いたことに同じところにその方がいた。
そして、近づく私たちに話しかけた。
 「2人とも元気でいいね。
俺も昔、走ってたんだ。
 100キロマラソンを8年続けて完走したこともあるんだ。
でも、今はこれしかできない」
と、クラブをかざした。

 思わず、私は訊いた。
「もしかして、私たちを待っていたんですか?」
 「そうだよ。頑張れって言いたくてね。」
そのまま通り過ぎる訳にいかなかった。
 私も家内も足を止めた。

 すると「いいから、続けて続けて!」。
うながされるまま、走り始めると、
「アスファルトより芝生のほうがいいよ!」。
大きな声が好天の青空からとんできた。
 



      アルケミラが 見ごろ
                    ※次回のブログ更新予定は6月24日(土)です  
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‘23 もう1つの春 ~ お裾分け

2023-06-03 11:21:59 | 北の湘南・伊達
 ▼ 移住した年の夏、夕方。
花壇の様子を見ていた。
 やっと顔なじみになったご近所の奥さんが、
勤め帰りに通りがかった。

 挨拶を交わした後、世間話の途中で訊かれた。
「お主人のところ、キュウリ、
どうしてます?」。

 私にとって、その問いは理解不能。
違和感があった。
 「キュウリ、どうしてるって・・!」
返答に困っていると、奥さんは問いを重ねた。
「お店で、買ってるの?」
 当然ではないか。
家庭菜園でもしていない限り、
他にキュウリを手に入れる方法などないに決まっていた。

 不思議な表情のまま言った。
「はい、スーパーで買いますけど・・」。
 「そうよね。
でも、今日もらってきたのがあるの。
 少しあげるね」。

 奥さんは、腕にさげていたエコバックから
キュウリを3本取り出し、渡してくれた。
 これが、当地での初めてのお裾分けだった。
 
 ▼ 11年が過ぎた。
本格的な春を迎え、今年もご近所さんをはじめ、
親しくして下さる方々が、包みやレジ袋を持って、
インターホンを押してくれる。
 春と一緒に、お裾分けのシーズンがやってきた。

 最新では、6月1日の朝である。
まずは、地元紙の記事を紹介する。

 『 洞爺湖ヒメマス釣り解禁 
           ~ 朝日浴び 魚信待つ
 洞爺湖のヒメマスが1日、解禁された。
待ちわびた釣りファンらが夜明けとともにボートを繰り出し、
さおを振っている。
 初日は快晴に恵まれ、朝日を浴びながら静まり返った湖上で
当たりを探していた。
 ・・・・午前4時頃からボートが次々と出航し、
湖岸も、さおを降る人があちこちで見られた。
 辺りには鳥のさえずりと、リールを巻く音、
さおを振るヒュッという音のみが響いていた・・・ 』

 ▼ ここでは、ヒメマスをチップと呼ぶ人が多い。
解禁になった日の朝、8時半を回ってすぐだ。
 インターホンが鳴った。
急いで玄関ドアを開けた。

 一緒に自治会の役員をしているMさんだった。
レジ袋をかざし、
「チップだけど、今朝解禁で、
兄が釣って、持ってきてくれたから」と言う。

 袋をのぞくと、丸々と太ったヒメマスが2匹。
「どうやって食べると美味しいの?」。
 お礼よりも珍しい魚の調理方法が不安になった。

 「塩ふり焼きが美味しいと思います。
塩をふればすぐ焼けるように、腹を裁いておきましたから」。

 早朝から釣った解禁日の貴重な魚と、
調理まで気にかけた心遣いのお裾分けだった。
 ずっと心に残るに違いないと思いつつ、
Mさんの後ろ姿に、しばらく頭を下げた。

 夕飯の食卓に載った塩焼きは、
その美味に箸が進んだ。
 地元の人だからこそ知る旬の美食であった。

 ▼ 2月中旬、毎朝、積雪があった。
車道の除雪が進んでいなかった。
 その状況を見ておこうと、地域を歩いた。

 4,5年前から言葉を交わすようになったSさんが、
歩道と車道の間に雪山を作りながら、
雪かきをしていた。

 「毎日、よく降り続きますね。
お疲れ様です」。
 挨拶がわりに声をかけた。
「まったく、ここまで降ると雪かきが大変。
 すぐ疲れるし、休み休みやってるんだ」。
いつも元気そうな方なのに、返事に精彩がなかった。
 気になったが、踏み込むのを遠慮した。
「それはそれは、無理しないで、
ゆっくり頑張って下さい」。
 
 その後、運転する車から、
何度か、ご自宅前のSさんを見た。
 背が丸まり、同世代だが老けて見えた。

 そのSさんが、入院し手術をすると聞いたのは、
4月に入ってからだった。
 そこまで悪かったことに驚いた。

 しばらくして、買い物帰り、自宅前でタクシーを降りた奥さんに、
バッタリ出会った。
 丁度、桜が満開の道端で、入院や術後の経過を尋ねた。
   
 私たちと同じで、お子さんを東京に残し、
夫婦で移住してきていた。
 まだコロナ禍で、面会のできない時期が続いていた。
経過は順調のようだが、
奥さんはポツンと、退院できる日を待っているに違いなかった。

 そんな寂しさや不安を感じさせないよう
奥さんは気丈に明るく話した。
 それでも、長い長い立ち話の合間からは、
心情が伝わってきた。
 もっぱら、うなずきながらの聞き役だった私は、
最後に「奥さんも、頑張って」と心を込めた。

 それから約1ヶ月。
奥さんが、新聞紙にくるんだものを抱えてインターホンを押した。
 家内が、玄関に出た。
話し声が聞こえた。

 「主人、退院しました。
昨日、庭のウドが伸びていたから、2人で採りました。
 食べて欲しくて・・・」。

 外を見ると、車が止まっていた。
運転席には、ご主人がいた。

 奥さんと家内を残し、玄関を出た。
私の姿を見たご主人は車を出て、迎えてくれた。
 思いのほか、顔色はよかった。

 「いやあ、元気そうで何より!」。
いつもの笑顔だった。
 私は、あまりのうれしさにご主人の両肩に手を伸ばした。
しかし、病後、その肩は、肉が落ち小さかった。
 一瞬、言葉を失った。

 夕食には、ウドの酢味噌和えがあった。
家庭菜園のウドを2人で収穫する姿が目に浮かんだ。
 春の味覚が、さらに味わい深いものになった。
歳のせいか、少々目元が緩んだ。 




  はじめて! トチノキの花 ~歴史の杜公園
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