5月 某日 ①
私が会長を務める自治会には、830世帯が入会している。
市内では、大規模な自治会である。
それだけに、全世帯を対象にした親睦交流は大事にしたい事業である。
この事業は5月の『観桜会』と8月の『夏まつり』の2回が、毎年計画されている。
4月の自治会総会終了直後から『観桜会』の準備は始まる。
今年度は、初めてカラオケ大会をプログラムに入れた。
マイクを握ってくれる方が何人現れるか、
今までにない取り組みなので、見当がつかなかった。
でも、エントリーが少ないときは、
「役員が歌えばいい」と決めて、当日を迎えた。
カラオケ機器と音響は、地元業者に委託した。
どうやら業者は不慣れだったようで、
セッティングに手間取った。
やっと音が出るようになったのは、
11時の開会直前だった。
カラオケ大会が始まる相当前から、
2人の司会者は、入れ替わり立ち替わり、
カラオケへのエントリーを呼びかけた。
私もエントリーの動向がすごく気になった。
尻込みする中から、何人かがマイクを握ってくれた。
そして徐々に、歌い手が現れ次第に盛り上がった。
参加した役員OBが、
「私もカラオケをやりたいと思っていて、
できなかったんだけど、
こんなに盛り上がるとは、本当によかったね」。
と、帰り際に笑顔で言った。
それにしても、
カラオケについて予想もしなかった声が2つあった。
「これには、参った!」
観桜会の数日前、 顔馴染みの奥さんと立ち話をした。
「今度カラオケをするんですね。
だけど、曲はどうするんですか。
歌いたい曲のCDを持って行って、歌うんですか」
奥さんは真顔だった。
「いやいや、カラオケ機器をレンタルしましたので、
どんな曲もすぐ歌えますよ」
そう答えると
「そうですか。
そうじゃないとね。
できませんよね」。
奥さんはそう言いながら、
しばらくビックリした顔のままだった。
そして、当日の会場では・・・。
受付を済ませたご主人2人に、挨拶がてら声をかけた。
「今年からカラオケを始めました。
是非、エントリーして好きな曲を歌ってください」
すると、すまなそうに
「会長! 俺さ、CD持って来なかったから、歌えないわ」。
「やっぱりか、そう思っていたのか!」
ため息しながら、大きなギャップを感じた。
5月 某日 ②
連休が明けてから、自治会に関連する様々な団体の総会が続いた。
私が副会長をする「中央区社会福祉協議会総会」をはじめ、
「中央区体育振興会総会」「防犯協会中央区支部総会」
「中央区交通安全協会総会」「中央区連合自治会総会」と。
そして、〆は「伊達市連合自治会協議会」の総会であった。
この総会では、例年、市長が来賓挨拶をする。
お決まりの冒頭挨拶に続いて、どんなことを話すのか、
例年、私の大きな関心事であった。
昨年度は、総会の日がたまたまこの協議会の会長を務めるO氏の誕生日だった。
なので、まだ40歳代の市長は、70歳を超えているO氏へ、
「お誕生日おめでとうございます」と挨拶で述べた。
どこか場違いな気がして、この若い市長にやや失望した。
「市内の全自治会長が集まる貴重な席なのに・・
誕生日おめでとうとは・・! 残念!」
それが私の本音だった。
そして、今年度の市長の挨拶は、
「昨年度のこの総会は、O会長の誕生日に行われました。
今年度は違いましたが、つい先日会長は70・歳になられました。
誠におめでとうございます」って・・・。
その日と翌日、北海道新聞の地元版には、
この市長による市政運営の特集記事が連載された。
様々な機会を記者目線で論じたものだったが、
市政の長としての2年間を厳しく総括していた。
この記事に、今後に不安を感じた市民もいたことだろう。
2年続けての協議会総会での挨拶に加え、
この特集記事である。
失望と共に任期を折り返した若い市長に、
「もっとしっかり!」とエールを送りたくなった。
ふと、校長として勤務していたS区の区長Yさんを思い出した。
人口40万を越える特別行政区の長なのに、
彼はとても気さくな人柄の方だった。
区長は、毎年4月の校長会に出席し挨拶をした。
私は,12回もそれを聞いた
ある年の挨拶が強く心に残っている
「東京23区のイメージーカラーは何色か。
そんな調査をした結果を見たことがあります。
皆さんは私たちのS区のイメージカラーが何色がご存じですか。
お隣のK区は、水色でした。
川や海をイメージする明るい感じがして、いいなあと思いました。
それに比べ、私たちのS区は『・・色』。
Sの名称からのイメージだとは思いますが、
『・・色』は暗い感じのイメージ色です。
お隣の水色と比べることはないと思いつつも、
私は悔しくなりました。
何とか、このイメージを払拭したいと考えています」
彼は控え目な抑揚で、そう語った。
あの時、少しでもS区を明るいイメージにできないものかと、
私なりに聞いた。
同時に、彼らしい想いだと思った。
私が校長会長をしていた年は、
様々な教育関連の席で、区長さんと一緒になった。
よく来賓控室で言葉を交わした。
強く印象に残ったやり取りがある。
彼は多忙な公務の中で、
来賓として様々な会合に出席していた。
なので、この日も公用車で会場入りした。
その時、「公用車」が私との話題になった。
当然、自宅からの通勤は公用車と思っていた。
ところが、彼は公用車を使っての通勤はしていないと言う。
「それは、公用車の使用規程に違反するからですか」
遠慮がちに尋ねてみた。
「そんなことに関係なく、区役所まで歩いて30分なんですが、
私には貴重な時間なんですよ」
彼は、楽しげに話を続けた。
「家から区役所まで、
その日その日いろいろとルートを変えて歩くんです。
毎朝、違う人とすれ違う。
朝の挨拶を交わす人もいる。
私に気づかない人もいる。
だけど1番いいのは、
私に声をかけてくれる人がいることです。
色々と大切な声がきけるんですよ。
朝の時間帯だから、
呼び止めた人も長々とは話さない。
だから、エキスだけ話してくれる。
これが、区政にすごく役に立つんです」
こんな地道な積み重ねを初めて知った。
彼の凄さの1つを理解した。

山菜『行者ニンニク』の花
※次回のブログ更新予定は6月14日(土)です
私が会長を務める自治会には、830世帯が入会している。
市内では、大規模な自治会である。
それだけに、全世帯を対象にした親睦交流は大事にしたい事業である。
この事業は5月の『観桜会』と8月の『夏まつり』の2回が、毎年計画されている。
4月の自治会総会終了直後から『観桜会』の準備は始まる。
今年度は、初めてカラオケ大会をプログラムに入れた。
マイクを握ってくれる方が何人現れるか、
今までにない取り組みなので、見当がつかなかった。
でも、エントリーが少ないときは、
「役員が歌えばいい」と決めて、当日を迎えた。
カラオケ機器と音響は、地元業者に委託した。
どうやら業者は不慣れだったようで、
セッティングに手間取った。
やっと音が出るようになったのは、
11時の開会直前だった。
カラオケ大会が始まる相当前から、
2人の司会者は、入れ替わり立ち替わり、
カラオケへのエントリーを呼びかけた。
私もエントリーの動向がすごく気になった。
尻込みする中から、何人かがマイクを握ってくれた。
そして徐々に、歌い手が現れ次第に盛り上がった。
参加した役員OBが、
「私もカラオケをやりたいと思っていて、
できなかったんだけど、
こんなに盛り上がるとは、本当によかったね」。
と、帰り際に笑顔で言った。
それにしても、
カラオケについて予想もしなかった声が2つあった。
「これには、参った!」
観桜会の数日前、 顔馴染みの奥さんと立ち話をした。
「今度カラオケをするんですね。
だけど、曲はどうするんですか。
歌いたい曲のCDを持って行って、歌うんですか」
奥さんは真顔だった。
「いやいや、カラオケ機器をレンタルしましたので、
どんな曲もすぐ歌えますよ」
そう答えると
「そうですか。
そうじゃないとね。
できませんよね」。
奥さんはそう言いながら、
しばらくビックリした顔のままだった。
そして、当日の会場では・・・。
受付を済ませたご主人2人に、挨拶がてら声をかけた。
「今年からカラオケを始めました。
是非、エントリーして好きな曲を歌ってください」
すると、すまなそうに
「会長! 俺さ、CD持って来なかったから、歌えないわ」。
「やっぱりか、そう思っていたのか!」
ため息しながら、大きなギャップを感じた。
5月 某日 ②
連休が明けてから、自治会に関連する様々な団体の総会が続いた。
私が副会長をする「中央区社会福祉協議会総会」をはじめ、
「中央区体育振興会総会」「防犯協会中央区支部総会」
「中央区交通安全協会総会」「中央区連合自治会総会」と。
そして、〆は「伊達市連合自治会協議会」の総会であった。
この総会では、例年、市長が来賓挨拶をする。
お決まりの冒頭挨拶に続いて、どんなことを話すのか、
例年、私の大きな関心事であった。
昨年度は、総会の日がたまたまこの協議会の会長を務めるO氏の誕生日だった。
なので、まだ40歳代の市長は、70歳を超えているO氏へ、
「お誕生日おめでとうございます」と挨拶で述べた。
どこか場違いな気がして、この若い市長にやや失望した。
「市内の全自治会長が集まる貴重な席なのに・・
誕生日おめでとうとは・・! 残念!」
それが私の本音だった。
そして、今年度の市長の挨拶は、
「昨年度のこの総会は、O会長の誕生日に行われました。
今年度は違いましたが、つい先日会長は70・歳になられました。
誠におめでとうございます」って・・・。
その日と翌日、北海道新聞の地元版には、
この市長による市政運営の特集記事が連載された。
様々な機会を記者目線で論じたものだったが、
市政の長としての2年間を厳しく総括していた。
この記事に、今後に不安を感じた市民もいたことだろう。
2年続けての協議会総会での挨拶に加え、
この特集記事である。
失望と共に任期を折り返した若い市長に、
「もっとしっかり!」とエールを送りたくなった。
ふと、校長として勤務していたS区の区長Yさんを思い出した。
人口40万を越える特別行政区の長なのに、
彼はとても気さくな人柄の方だった。
区長は、毎年4月の校長会に出席し挨拶をした。
私は,12回もそれを聞いた
ある年の挨拶が強く心に残っている
「東京23区のイメージーカラーは何色か。
そんな調査をした結果を見たことがあります。
皆さんは私たちのS区のイメージカラーが何色がご存じですか。
お隣のK区は、水色でした。
川や海をイメージする明るい感じがして、いいなあと思いました。
それに比べ、私たちのS区は『・・色』。
Sの名称からのイメージだとは思いますが、
『・・色』は暗い感じのイメージ色です。
お隣の水色と比べることはないと思いつつも、
私は悔しくなりました。
何とか、このイメージを払拭したいと考えています」
彼は控え目な抑揚で、そう語った。
あの時、少しでもS区を明るいイメージにできないものかと、
私なりに聞いた。
同時に、彼らしい想いだと思った。
私が校長会長をしていた年は、
様々な教育関連の席で、区長さんと一緒になった。
よく来賓控室で言葉を交わした。
強く印象に残ったやり取りがある。
彼は多忙な公務の中で、
来賓として様々な会合に出席していた。
なので、この日も公用車で会場入りした。
その時、「公用車」が私との話題になった。
当然、自宅からの通勤は公用車と思っていた。
ところが、彼は公用車を使っての通勤はしていないと言う。
「それは、公用車の使用規程に違反するからですか」
遠慮がちに尋ねてみた。
「そんなことに関係なく、区役所まで歩いて30分なんですが、
私には貴重な時間なんですよ」
彼は、楽しげに話を続けた。
「家から区役所まで、
その日その日いろいろとルートを変えて歩くんです。
毎朝、違う人とすれ違う。
朝の挨拶を交わす人もいる。
私に気づかない人もいる。
だけど1番いいのは、
私に声をかけてくれる人がいることです。
色々と大切な声がきけるんですよ。
朝の時間帯だから、
呼び止めた人も長々とは話さない。
だから、エキスだけ話してくれる。
これが、区政にすごく役に立つんです」
こんな地道な積み重ねを初めて知った。
彼の凄さの1つを理解した。

山菜『行者ニンニク』の花
※次回のブログ更新予定は6月14日(土)です