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ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

ふと思い出す あの人この人

2025-07-12 13:29:59 | あの頃
 5月のブログに『探しもの・・!どこ?』と題して、
認知症の初歩ではないかと疑われる体験を記した。
 実に不安である。

 「認知症であっても、わりと昔のことはよく覚えている」
と聞いたことがある。
 私は、何か切っ掛けがあると、古い出来事が鮮明に蘇る。
「そんなことまで、よく覚えているね」
 しばしば驚かれる。

 それが「認知症からなのかどうか・・」は別にして、
ふとしたことで思い出す旧友たちがいる。
 それが、時として私の大切な清涼剤になっている。


 ▼ 5月になってから、今年もゴルフを再開した。 
いつも家内と2人のラウンドだ。

 しかも、愛車のトランクにキャディーバックを2つ積み、
足元はゴルフシューズ、頭はゴルフキャップで自宅を出発。
 
 10分少々で、クラブハウスに到着。
駐車と受付を済ませて、ゴルフカートに向かう。
 ほんの数分待ちで、「スタートOK!」の知らせが届く。

 自宅を出てから、20分足らずでラウンド開始だ。
こんな贅沢なゴルフに慣れてはいけないといつも思う。

 「手軽にゴルフができるからと、
プレーが雑になってはいけない」
そう自分に言い聞かせながら、一打一打スイングする。

 さて、なんとかグリーンにボールが載って、パッティングに移る。
パターを握り、いつものルーティーンでカップをねらう。
 その時に、よくSさんを思い出す。

 ゴルフ友だちの中で、彼とは1番多くラウンドしている。
私よりもキャリアも腕前も上である。

 私のパッティングがショートすると、
いつも彼は静かな口調で言った。
 「カップをオーバーする場合にはインすることもあるけど、
ツカちゃん、ショートしたら絶対に入らないんだよ」。

 だから、カップを超えるような強さでパッティングするよう心がける。
ときに、それが功を奏し、見事カップに吸い込まれる。

 しかし、先日も変わらずカップに届かないパッティングの多かったこと。
そのたびに、「ツカちゃん、ショートしたら・・」の静かな声が聞こえてきた。


 ▼ 有名ラーメンチェーン店なのに、
家内は、そこでラーメンではなく「あんかけ焼きそば」を食べた。
 私は、それに抵抗があり、
店の看板メニューのラーメンを注文した。 
 
 ある日、「一度は同じものを」と食べてみた。
以来、私も「あんかけ焼きそば」になってしまった。

 「あんかけ焼きそば」2つに「餃子」1つ。
それが、私たちの定番になって数年になる。
 店員さんにも「いつもの」で通じるように・・・。

 さて、一緒に注文する餃子についてだ。 

私が餃子を知ったのは、東京に行ってからである。
 それまで、メニュー名では知っていたが、
口にしたことがなかった。

 新米教師として勤務した小学校には、
同期が2人いた。
 男2人女1人、独身3人でよく夕食を囲んだ。
 
 今で言う「街中華」に、3人初めて入った時だ。
確か、私はチャーハンにした。
 2人は何にしたか忘れた。

 その時、餃子も注文しようとAちゃんが言った。
それに女性のYさんも賛成した。
 私は、餃子を「食べたことがない」と言った。

 Aちゃんは驚きながらも
「でも、美味しいから食べようよ」。
 3人前を追加注文した。

 その餃子が、先に来た。
2人は、小皿にたれをつくった。
 手を動かしながら、私に作り方を教えてくれた。
初めてラー油に酢と醤油を混ぜてたれを作った。
 その分量も2人に真似た。

 目の前のAちゃんが、箸で餃子をつかみ、
たれにつけてから食べた。
 美味しそうな顔が印象的だった。

 彼は食べながら、私に勧めた。
「ツカちゃんも食べてみな。美味しいから」 
 半信半疑だったが、
Aちゃんをまねて、たれをつけてから一口で食べた。
 初めての美味しさだった。

 食べながら何度もAちゃんを見た。
若干肥満気味だったAちゃんは、
額に汗を浮かべながら、やっぱり美味しそうな顔だった。

 あれから、何度あの街中華で3人で食べただろう。
餃子を欠かしたことはなかった。
 Aちゃんは、いつも美味しそうな顔だった。

 今回も、家内と向き合い、小さな皿にたれをつくりながら、
Aちゃんを思い出した。

 「餃子を教えてくれたのは、Aちゃんなんだ」
家内には何度も言った気がする。
 でも、美味しそうなあの顔がまた蘇ってくるのだ。
そして、半世紀も前の
「ツカちゃんも食べてみな。美味しいから」
が聞こえてくるのだ。 


 ▼ 4月に軽いギックリ腰をしてからは、
朝ランどころか、散歩もしなくなった。

 それに代わって、
ほとんど毎朝30分程度のストレットをしている。
 ゆっくりと時間をかけて、
それぞれの部位を意識して伸ばしていく。

 特に痛めた腰の辺りは、丁寧に無理しないで、
ゆっくりとストレッチ。
 これが、徐々に効果が上がってきているよう・・・。
まだ、ランニングまでにはいかないが、
期間を空ければゴルフだってできる。

 さて、そのストレッチにふくらはぎと一緒に、
アキレス腱の伸縮運動を2種類入れている。
 それをしていると、Zさんをよく思い出す。

 30歳代のころ、彼と同じ学校にいた。
年齢も同じで、気兼ねなく付き合っていた。
 よく一緒にお酒も飲んだ。

 毎年、互助会が主催する学校対抗戦があった。
あの頃は、テニスとバレーボール、卓球の試合があった。

 対抗戦が近づくと仕事に一区切りをつけ、
5時半頃から練習をした。
 
 彼も私も、体を動かすことが好きだった。
その上、汗をかいた後の「一杯」が何より楽しみだった。
 なので、練習には率先して参加し、
試合以上に楽しんだ。

 その日、バレーボールの練習を始めてすぐだった。
準備運動とサーブ練習の後、それぞれのポジションについた。
 サーブを入れて貰って、レシーブ、トス、アタックを始めたばかりの時だった。

 9人制の後衛にいた彼が、レシーブと同時に転んだ。
そして、そのままうずくまってしまった。
 「駄目だ。立てない」と言う。

 退勤前だった保健室の先生を呼んだ。
「アキレス腱を痛めたようです」と。

 体育館は3階だった。
比較的大柄な彼を交代交代で、おぶって1階に降ろした。

 「きっと入院になります」
保健の先生の声に。
 「じゃ、自宅近くの病院がいい」

 彼の希望する病院に診察をお願いし、
私が同伴し、タクシーで向かった。
 奥さんに連絡がつき、
その病院で落ち合うことになった。

 病院に着くと、すでに奥さんがいた。
彼は痛めた足をかばいながら、
私の肩をかりてタクシーを降りた。

 駆け寄った奥さんが、彼に言った。
「アキレス腱だって! ねぇ、痛くないの?」
それまでの彼とは違った。
小さく弱々しい声だった。
 「痛いよ」

 「そこで、待ってって。
車いすを借りてくるからね」
 奥さんは、小走りで病棟へ向かった。

 バレーコートで転んでから、
「痛くない?」と次々と訊いても、
 彼は「大丈夫!」とだけ言っていた。
それが、奥さんには「痛いよ!」と弱々しいのだ。

 私は、車椅子がくるまで彼に肩を貸しながら、
何も言えなかった。
 やっと奥さんに弱音を言った彼。
私たちには、それを押し黙り通した彼。

 私は、羨ましいような、寂しいような気持ちのまま、
車いすの彼と奥さんの後ろ姿が、病棟に消えるまで見届けた。


  【お知らせ】
 『goo blog』のサービスが11月18日で終了します。
 従って、私のブログも他のブログサービスに引っ越すことにしました。
 今後は『はてなブログ』に引っ越しを考えています。
 来週は、その引っ越し作業にチャレンジしてみます。
 なので、1週お休みし、
 7月26日(土)からは、『はてなブログ』からの発信を予定しています。
 『ジューンベリーに忘れ物 はてなブログ』で検索し、
 訪問して下さい。




       収穫目前 麦畑  

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