ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

食文化の継承・スローフード

2014-07-29 21:17:03 | 北の湘南・伊達
 伊達に移り住んで2年が過ぎた。

 それこそ沢山の驚きに、心熱くしている。
 これが一番ということはなかなか言えないが、
 毎日のことだけに食べ物の美味しさには、
いつもいつも、心から「美味しいね!」の言葉を繰り返している。

 伊達は、『北海道農業発祥の地』と耳にした気がするが、
南向きになだらかな丘陵地が広がり、その多くが畑である。
 東京から訪ねてきた知人が、
「わざわざ美瑛まで行かなくても、素晴らしい景色。」
と、絶賛してくれた。
 今、その畑は夏野菜の最盛期を迎えている。
また、噴火湾からは、毛ガニをはじめ新鮮な魚介類が次々と水揚げされている。

 さて、
 2年前『だて歴史の杜』に新設された『伊達観光物産館』が、
この春、拡張工事を終えリニューアルオープンした。
 そこの一角に「だてのてんぷら」というお店ができた。

 通常、てんぷら(天麩羅)は魚・貝・肉・野菜などに
小麦粉を水で溶かしたころもをつけて油で揚げた料理のことを言う。
 しかし、北海道では揚げかまぼこの一種で、
魚肉をすりつぶして練ったものを小判状にし油で揚げたものも
「てんぷら」と言うのである。
 「だてのてんぷら」はそれである。

 私は、館内のその店で、初めて「だてのてんぷら」を知った。

 店先に、そっと紫色のしおりが置いてあった。
 そこには
『「だてのてんぷら」は
北海道伊達市に伝わる幻の特産品「いとうのてんぷら」の
味覚を継承するため、
市民有志が結集して設立した「有限会社・伊達紋別」による
究極のスローフードです。』
と、記されていた。
 裏面を見ると
『「特別なことは何一つない、余計なことをしないだけ」
<略>この飾り気のない「豊かな味」に
ピリオドが打たれようとした2001年
<略>市民有志が立ち上がり現在に繋がっています。
食文化とは、風土がつくり、そこで暮らす人間に一番近い「自然」であると思います。
<略>美味しさにはドラマがあります。』
と、あった。

 私は、このてんぷらを郷土の食文化として継承した
その心意気に打たれた。
そして、何はともあれ、早速買い求め、
オープンで賑わう店先で一枚がぶりと立ち食いをしてみた。
「この味なら、守りたい、続けたいと思うなあ。」と感じた。

 先日、地元のお年寄りが話してくれたが、
野菜の煮物には決まってこのてんぷらを入れるのだそうだ。
 「私は、だてのてんぷらじゃないとダメ。
他のものを入れても、あの味は出ないんだよ。」
と、胸を張っていた。
 まさにスローフードである。

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新しい刺激

2014-07-24 23:05:52 | 北の大地
 昨日の昼下がり、家内と一緒に花壇に立っていたところ、
ご近所の奥さんが仕事帰りのような出で立ちで通りかかった。
 雨上がりの天気だったので、
「いい天気になりましたね。」
と、声をかけた。
 「そうですね。」と明るい返事の後、
「きゅうりあるよ。いつもどうしてるの?買ってるの?少しあげるね。」
と、おもむろにエコバックのような袋から、
4,5本のきゅうりを取り出し渡してくれた。

 伊達に来てから、よく野菜や魚をご近所からいただくが、
それにしても私が驚いたのは、
「いつもどうしてる?買ってるの?」
の言葉である。
 今までの私の基準は、
食べ物は当然買う物であり、きゅうりだって買い求めるものである。
それが、いつも買うのか?の問いなのである。
私にとって驚きの一場面だった。

 40年の首都圏での生活に馴染んでいた私にとって、
北の大地での暮らしは、
時として、新鮮な驚きにめぐり合わせてくれる。
それは私にとって新しい刺激になっている。

 今年春先の出来事もその一つだった。

 今年5月12日、
JR北海道の江差線の木古内と江差の間42、1キロが廃線になった。
 長年、その線を利用してきた地元の人にとっては前日11日は、
最後の列車が通る日となった。
 その日、北海道のメディアは、
江差線との別れを惜しむ人々の様子を数多く報道した。

 その一場面を私は鮮明に覚えている。
 お別れ列車が通った後、マイクを向けられた地元の女性が、
 「蛍の光、流れたしょ。涙、出たわ。」
と、言ったのである。

 この声を聞いた当初、私は思わず苦笑していた。
 最後の列車が通り過ぎ、様々な思いが蘇り涙する。
それが一般的な感覚ではないのか。
それなのに『蛍の光』を聞いて、初めて涙が出る。
あまりにもデリカシーがないのでは・・・、
と、思い若干苦々しく思ったのである。

 しかし、私は何故かこのワンシーンが忘れられなかった。

 そして、最近気づいたのである。笑わないでほしい。

 廃線という事実をしっかりと受け止め、
変わっていくこれから暮らしを力強く歩もうとする人にとって、
この日、涙は不要だった。
なのに予期しなかった『蛍の光』だった。
悲しみがこみ上げ、涙がこぼれてしまった。
それが、あの言葉だったのだ。

 そこに、極寒の地で生き抜いている女性の逞しさを垣間見た。
 また一つ私はつぶやく、『かなわない!』と



伊達のビュースポット<有珠山と昭和新山>
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初めの一歩!

2014-07-20 15:26:05 | 教育
 私は、大学まで北海道内で育ち、東京都で教職の道を歩み始めた。

 土地勘もない、親戚、知人、友人もいない所での教員生活は、
不安だけのものだった。
 しかし、茶色の雪解け道で汚れた春の北国の街並みから一変し、
東京都江戸川区の小学校の校庭は、明るい太陽の日射しがこぼれていた。
その校門に初めて立ったとき、私はこれから好運に恵まれた日々がスタートするような、
そんな気持ちになっていた。

 当時、東京を中心とした首都圏は、
人口増に伴う新校ラッシュで、教員の大量採用が続いていた。
 私の赴任した小学校も、その年は私を含め男2名女1名が新規採用教員として着任した。

 私は5年担任となった。
最初の体育の授業では、準備運動の一環として校庭を三周、列を作って軽く走らせた後、
北海道弁とも知らず「こわいか?」と子どもたちに尋ねた。
「ううん。」という返事に、「じゃ、もう三周。」とそれを2回も繰り返したのだった。
私は、ハアハアと苦しそうな子どもの姿を見て、
「なんでこわいって言わないの?」と訊いていた。
 北海道では、『くたびれた』『疲れた』『体がつらい』『体がきつい』ときなどに
『こわい』と言うのである。

 こんな有り様の私だったが、それ以上にひどかったのは授業であった。
 私は、発問の仕方一つ心得ておらず、ただただ面白おかしく、
漫談調で子どもの笑いを誘いながら授業を進めていた。

 ある日、一緒に着任した同じ年齢の男性教員が、国語の研究授業を行った。
 その授業は、物語の読みを深めるものだったが、
主人公の気持ちを考え、活発に発言する多くの子どもたちの様子に
私は凄い衝撃を受けた。
 一人一人が自分の思いを語り、
それを真剣に聞き入る子どもと担任。
私は、その時初めて授業のあるべき姿を知った。

 楽しい授業とは、子どもの笑いを誘い、面白おかしくその時間を過ごすことではない。
新しい発見や感動を多くの友達と一緒に作り出すことが授業であり、
それこそが楽しさなのだと、彼の授業から教えてもらった。

 私は、その日以来、あんな授業ができるようになりたいと思うようになった。
私に明確な目標ができた瞬間だった。
 しかし、そんな授業を私ができるようになったのは、それから20年も先のことになった。

 同期の教員が私に示してくれた授業のあり方、
それなくして教員としての私はなかったと思う。
 あれから40数年がたった今も、
あの授業を驚きの目で見つめていた私自身を鮮明に思い出すことができる。




近くの畑では豆の花が満開
 
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ジョギングの楽しさ

2014-07-15 11:35:52 | ジョギング
 伊達に来る前より、時々家内と一緒に朝のジョギングをしていた。
 私にとってそれは、
現職時代の暴飲暴食により次第次第に突き出てきたお腹への対策が一番の理由だった。
 その走りはまさにスロージョギングでわずか15分程度。
それでも私は大汗をかいていた。
 いつ頃からだろうか、次第に走り終えた時の爽快感を覚えるようになり、
ゴールが近づくと、不思議と心が軽くなっていた。

 伊達に来てからは、まさに毎日がサンデー。
 それ故、「時間がとれない。」「疲れた。」といった言い訳が成り立たず、
雨の日以外は、毎朝決まった時刻にジョギングスタート。
そして、決まったコースをスロースローで走った。

 少しずつ少しずつだったが突き出たお腹が小さくなり、
その上、走りながら目に留まる伊達の風景の変化に気づくようになった。

 それぞれの家の花壇の色鮮やかさに、心ときめき、
そして、遠くに見える山々と近くにある山々が
春夏秋冬によって四つの色に変化することに、心躍り、
私が走る足下にある畑では
きれいに並んだ小さな緑がグングンと成長し
力強く収穫の時を迎える姿に、心を熱くした。

 ジョギングは私の心にも体にも、瑞々しい喜びを教えてくれた。

 今、ジョギングは徐々に時間と距離を伸ばし、
まだ走っていない道はないだろうか、
車で通った道もジョギングなら新しい発見があるのではと胸膨らませながら、
週に2,3回のペースで、二人並走しながら続いている。


 

路傍で咲き出したアジサイ
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ジューンベリー

2014-07-09 16:50:27 | エッセイ
 伊達に移り住もうとした動機はいくつかあるが、
市内の閑静な住宅街に土地を求め、
そこに家を建てようと決めたのは4年程前のことになる。

 新築にあたり様々なことを見聞きし、
また、これから迎える老後のことも考え、
庭を造る土地はあるものの、慣れない庭の手入れは大変と思い、
建築業者さんには、
「空いた土地はカラフルな玉砂利を敷き、雑草が生えないように工夫してほしい。」
と、お願いをした。

 ところが、とても仕事熱心な業者さんは、
「手間のかからない庭にしますので、砂利より緑の庭にしましょうよ。」
と、提案してくれた。

 「そんな手間いらずの庭ならば」と、私は見事に心変わり。

 チップを敷き詰め、
色とりどりの宿根草をメインにし、
シンボルツリーとして一本の木を植えることになった。
現職時代から草花には全く興味をもたなかった私は、
ただただ業者さんの言うとおりにし、実際にその庭を目にする日を待った。

 伊達への引っ越しは6月だった。
 その日初めて、完成した我が家と庭を見た。
 その庭で迎えてくれたのが、穏やかな風に揺れるジューンベリーの樹だった。

 私にとって6月は、かねてより1年の中でも思い出のある特別な月であった。
まさにシンボルツリーにふさわしい樹との出会いだった。

 『ジューンベリー・・・?』
 それは通常6月に赤紫色の実がなることからの命名のようだ。
 伊達では7月初旬に実をつける。
 今年も、ジャムにし、近所にも配った。


   

今日の庭
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