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ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

D I A R Y 6月

2024-06-29 11:46:11 | つぶやき
  6月 某日 ①
 家内が所属しているママさんコーラスは、
市内の音楽団体に加入している。
 だから、伊達カルチャーセンターで行われる年1回の
「伊達市民音楽祭」で練習の成果を披露している。

 同じように、隣接する室蘭市の音楽団体にも加入している。
なので、「室蘭市民音楽祭」にも出演する。
 こちらは、毎年6月と10月、年2回開催だ。
会場は、『室ガス文化センター』である。
 この音楽祭が今年も実施されたので、聴きに行ってきた

 家内がママさんコーラスに加えてもらったのは、
伊達に来てすぐである。
 もう10年以上のキャリアになった。

 私は、ステージに立つ彼女たちの名前がほとんどわかるようになった。
それだけに身内のようで、聴いていてもついつい力が入ってしまう。
 無事に歌い終えると、いつも大きく息を吐き安堵するのだ。

 さて、会場の『室ガス文化センター』についてである。
この名称は、2018年4月に室蘭ガス株式会社が命名権を取得した。 
 それまでは『室蘭文化センター』と言った。
私は、今もその呼び方が自然である。

 ここは、1964年に建てられた。
ちょうど最初の東京オリンピックの年であった。
 高校1年だった私は、
大きな新築のこの文化センターには、
窓が1つもないと聞き、驚いた。

 「それじゃ、空気の入れ換えってどうするんだ?」
真顔でクラスメイトに訊いた。
 「知らんよ。なんか仕掛けがあるんだよ」
わずらわしそうな答えに、
「どんな仕掛けなんだ。大丈夫なのかな?!」
どうしても不安を払拭できなかった。

 当時、どこの映画館も、
休憩時間には客席の両側の暗幕と窓を開け、
空気の入れ替えをしていた。
 まだエアコンや空調設備など、
目にしたことも耳にしたこともなかった。
 私には、「不思議な建物」にしか思えなかった。

 初めてこのホールに入ったのは、
建設の翌年だった。
 東京オリンピックの記録映画が完成し、
全校生徒がそろってここで鑑賞した。
 市川崑監督の天然色映画だった。
真っ赤な太陽が昇るところが、強烈なインパクトを私に残した

 その時に、文化センターの外観も内装も2度3度と見て回った。
本当に窓がなかった。
 帰りの道々、
「空気の入れ換えはどうするんだ?」。
 同じようにクラスメイトに尋ねた。
やはり、面倒な顔をされた。

 それから60年が過ぎた。
きっと老朽化は進んでいるのだろう。
 それでもこのホールでは、次々と合唱団がステージに立ち、
コーラスを響かせていた。

 ふと、ある会合の席で、
室ガス文化センター解体に反対する署名用紙が、
回ってきたことを思い出した。
 その用紙に私が名を記すことが、どれだけのものかは不明だ。
でも、色々な経緯があっての解体だろうと思いつつも、
「できることなら、残して欲しい」
そんな願望だけで署名した。

 「その後、解体はどうなったのだろう・・?」
終演と共に会場を背にしながら、
斜陽の町を歩いた。


  6月 某日 ②
 数日前より、朝食前のルーティンが変わった。
例年よりやや早いようだが、
ジューンベリーが実りの時を迎えている。

 なので、私は脚立に上がり、
赤紫色に熟した実を1つ1つ摘み取り始める。

 歩道は、熟れすぎて落ちた実や
小鳥たちが食べ残した実で汚れている。
 家内は、そこの掃除からだ。
その後は、手の届くところの実を、
同じように摘み取っていく。

 まだ朝早い小1時間だが、
何人もの方が私たちの横を通っていく。

 どの人も朝の挨拶は忘れない。
そして、足を止めずに通りすぎながら声をかける人、
立ち止まって二言三言話しかける人、
私たちの様子を見ながらしばらく話し込む人などが・・・。
 話題は、どの人もジューンベリーだ。
いくつかを記してみる。

 「どんな味ですか」
「ちょっと種が大きいけど、甘いですよ。
一粒食べてみませんか」
 ご近所の奥さんは、やや遠慮気味に赤紫色になった一粒を取り、
試食する。
 「あら、お洒落な甘さ!」
「成る程! お洒落な甘さですか」
 「上品な味の甘さです」
「それはそれは、ありがとうございます」
 なぜか、嬉しい気持ちになっていた。

 同世代の見慣れない男性が、私の脚立の横を通った。
ジューンベリーを見上げて、
「おはようございます。いっぱい実りましたね。
楽しみですね」と言う。
 「はい」
私の返事など要らないように続けて、
「いいことです。いいことです」
と、すたすた去って行った。

 どうしてだろう。
脚立の上から私は、摘み取る手を止め、
しばらくその後ろ姿を笑顔で追っていた。

 週に数回は、愛犬と一緒に我が家の前を通る奥さんがいる。
私たちは、犬の名前を覚えた。
 そして、犬は私たちの顔を覚えた。
最近では、私たちを見るとやや急ぎ足で近寄ってくる。
 これにはいささか情がうつってしまった。
次第に可愛くなった。

 それに加え、ジューンベリーの実が大好きなのだ。
歩道に落ちた実を見つけては、ペロペロとなめ始める。
 次々と黙々となめ続けるのだ。

 家内の竹箒での掃除など不要な程、
綺麗にしかも夢中になって食べる。 
 食べ過ぎで、お腹を壊さないかと心配になり、
奥さんに尋ねると、「全然、大丈夫!」と言う。

 今朝も、立ち寄ってくれないだろうかと、
犬と奥さんが現れるを心待ちしていた。


 

    ジューンベリーの実がたわわに   
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D I A R Y 4 月

2024-05-04 09:43:44 | つぶやき
  4月 某日 ①
 目覚めてから、朝食までにはルーティーンがある。
まずベッドを出る前に、体温を測る。
 これは、コロナ禍と同時に始まったが、今も続いている。

 そして、居間へ移動すると、2種類の目薬をさす。
白内障と緑内障の進行を遅らせるものだ。

 続いて、血圧の測定。
いつ頃から始めたか定かではないが、
測定器は2台目だから、もう10年は続けているはずだ。
 ジョギングでも散歩でもゴルフでもいいから、
運動をした翌朝の血圧は130以下で安定する。
 自分でも不思議だ。

 次は、洗面所にむかう。
まずは、電気カミソリで髭をそる。
 もう真っ白になったが、
髭は若い頃から毎朝剃らないとダメで、よく伸びるし濃い。

 起きてすぐの歯磨きはしない。
「モンダミンでお口クチュークチュー」だ。
 洗面の後は、
もうバーコード以下になった頭髪を一応整える。

 そして、おもむろに眼鏡を水洗いし、
ティッシュで拭き取る。

 ここまでは、着替えをしない。
ずっとパジャマのままだ。
 それは、最後の体重測定のため。

 確か、伊達に来てからだと思う。
NHKテレビで『ためしてガッテン』と言う情報番組があった。
 そこで、「計るだけダイエット」が紹介された。
朝と就寝前、1日2回体重計に乗り、
記録するだけで痩せられると言うのだ。
  
 私も家内も、それを鵜吞みにした。
記録用紙もダウンロードし、きちんと記録した。
 まじめな家内は1日2回、ずっと記録し続け、
私も継続したが、案の定期待外れ、ダイエットには及ばず、
今は、朝だけ体重計に乗っている。

 さて、その体重計だが、
もう20年以上も使い続けた。
 所々に小さな錆が浮いてきて、気になった。

 買い換えを切り出しても、
家内は「まだキチンと計れるよ」と賛成しない。

 しかし、遂に私は強行・・・。
アマゾンで安価で売り出しているのが、
目に止まった。
 これなら、私の小遣いで買ってもいいと決めた。
家内も、しぶしぶ同意してくれた。

 数日後に届いたそれは
体重計ではなく『体組成計』となっていた。

 興味津々、トリセツを手にした。
すると、それに数秒乗るだけで、
体重の他に様々な数値を測定し、表示されることがわかった。

 1.体重 ⇒ 2.BMI ⇒ 3.体脂肪率 ⇒ 4.筋肉量
⇒ 5.内臓脂肪レベル ⇒ 6.基礎代謝量 ⇒ 7.体内年齢

 この7つ数が、次々と分かるのだ。
しかし、体重以外の項目は何を意味しているのか、
よく理解できなかった。
 それでも、年齢に相応しい数値がわかることだけは、
トリセツでわかった。

 その中で、比較的安易に理解できたのが「体内年齢」であった。
『同じ体重でも体組成により、体内年齢は変わります。
 筋肉量が多く、基礎代謝量が高くなるほど体内年齢は若くなります』
と、解説があったからだ。

 早々、年齢や身長などのデーターを入力し、
静かに計測機に乗ってみた。
 体重から順に、数値表示があった。
そして、7番目に『体内年齢』が出た。

 現在76歳である。
その私に対し、「何歳と出るか・・・?」。
 実年齢以上にならないことを願って、目をこらした。
表示はなんと『64歳』と出た。

 最近、富に疲労感があり、年齢を感じていた。
そこに示された『64』の数字だ。
 パッと気持ちが明るくなった。

 にわかに信じがたかった。
翌朝も『64』。
 そして、先日は『62』だって・・・。

 「オレは、まだまだやれる!」
何に対してそう思ったかは、自分でも理解できていないが、
その数値だけで元気になったのは確かだ。


  4月 某日 ②
 近くにグループホームがある。
地域代表の1人として、2か月に1回だが、
その施設の運営推進会議に出席している。

 今回も、利用者の状況や職員の動向、
活動報告、そして事故報告などがあった。

 その後、食事のメニューと、
要支援や要介護の違いによる利用者の過ごし方の写真を通して、
ホーム内の様子を紹介してくれた。

 転倒や入居者同士のトラブルなど、
認知症による予期しない行動があったりして、
ご苦労も多いに違いない。
 なのに利用者と職員の明るい雰囲気に、
きっと利用者の家族も安心するだろうと感じた。

 さて、会議の最後に、職員の1人から研修へ参加した報告があった。
高齢者虐待防止・身体拘束の正常化に関するものだった。
 職員は、「スピーチロック」と言う言葉を遣った。
初めて耳にする言語だった。

 「ちょっと待って」「ダメでしょ!」などの声がけが、
スピーチロックにあたると言う。
 スピーチロックは「言葉の拘束」で、
そのような言葉かけが、
身体的、精神的に行動を抑制することになると言う。

 介護現場には、
「フィジカルロック」「ドラッグロック」「スピーチロック」
の3つのロック(身体拘束)があるのだとか・・・。

 「フィジカルロック」は、物理的に利用者の体を拘束し、
動けないようにすること。
 「ドラッグロック」は、薬物の過剰投与や不適切投与を行うことで、
利用者の行動を制御すること。
 この2つは、拘束具や薬といった道具がないと行えない。
でも、「スピーチロック」は、誰でも出来てしまう恐れがある。

 それだけに、私たち職員は互いに気をつけあって、
そういう声かけにならないよう、
取り組んで行かなければと、報告は結んだ。

 出席者の1人が、思わずつぶやいた。
「それは大変ですね。頑張ってください」。
 私も、同感だった。
そして、その考え方は学校教育にも通じると気づいた。




      シンボルツリーも 春爛漫
                    ※ 次回のブログ更新予定は、5月18日(土)です  
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D I A R Y 3 月

2024-04-06 12:31:10 | つぶやき
  3月 某日 ①
 東京圏で暮らす2人の息子とは、
グループLINEで、時々やりとりしている。

 そのLINEに息子から
『北海道人は、おおむね「したっけ」と
「なんも」で会話できる。
そうですね』
とあった。

 LINEには
『オールマイティーすぎる最強の北海道弁』
と題した「X」Twitterが添付されていた。

 早速、家内が返信した。 
「私がよく言うのは“なんもだ”です。
(2人とも)違和感なかったでしょう?」

 息子からは
「北海道の親戚の皆さんは、
みんな、なんもだ~って言ってましたね
 特にEおじさんが言ってるイメージある」
と返ってきた。

 そんなやりとりに惹かれ、
添付のTwitterにあった『なんも』を見てみた。
 そこにあった『喫茶店で伝票を押しつけあう時』の事例に、
思わず笑ってしまった。

 「いや、なんもなんも、
いやー、この前ごちそうしてもらったじゃないの、
 いやー、今回は私が出すから、
いやいいーのよいーの、
 なーーーんも、いやいいから、私が出すってば、
なーーーーんも、いいのいいの、   
 今日は私に出させて」

 道民なら、よく耳にする会話の一部だ。
私も、ごく自然に「伝票を押しつけ合う」2人の場面が、
イメージできた。
 確かに『なんも』はオールマイティーな言葉と言えそうだ。

 遣い慣れると実に便利な言葉で、私も利用するが、
『なんも』には、主にこんな意味があるようだ。 

 1つ目、「大丈夫」とか「気にしないで」の代わり。
例えば、
 「遅れちゃってごめんね」
「なんもなんも!」。

 2つ目、「いやいや」とか「ちっともだよ」として遣う。
例えば、
 「この前は送ってくれてありがとう」
「なんもだよ!」。

 3つ目、「いや~どういたしまして」の意味合いで。
例えば、
 「プレゼントありがとう!」
「なんもさ~」

 続いて『したっけ』だが、
これもなかなか使い勝手がいいようだ。
 ただ、私はうまく遣えないままでいる。
どうやら、『いたっけ』には2つの意味があるらしい。

 1つ目は、あいさつに遣う「したっけ」だ。
「さようなら」や「それではまた(失礼します)」
「それじゃ、また後でね!」の意味で、
帰り際に「したっけね〜!」と言って別れる。

 時々そんな光景に出会うことがある。
親しみがあって、ホッコリとする。

 2つ目は、接続詞として遣う「したっけ」だ。
例えば、「そうしたら」という意味の接続詞として、
「山本さんに出会って、したっけね」と遣うのだ。

 また、会話のつなぎの「それにしても」など
話題を変える場合に、
「雨になりそうだけども、したっけ、この花綺麗ね」。
 そして、「ちょっと」の部分を置き換えて、
「こんな講義意味ある?
 したっけ、飲み物買ってくるわ」。

 自治会で一緒に役員をしている方に、
活動報告で「したっけ」を多用する方がいる。
 臨場感があって、みんな真剣に聞いてしまう。
うまく遣えるといいのにといつも思う。  

 さて、北海道暮らしも12年になる。
『なんも』と『したっけ』以外の北海道弁も、
小さい頃は触れていた。
 今は、懐かしく想うことが多いだけで、
まだまだ私の日常語にはなっていない。
 徐々に徐々に馴染むことだろう。

 私を温めてくれる北海道の方言を羅列してみる。

・ぺったらこい = ひらったい      ・はっちゃきこく= 一生懸命やる
・もちょこい  = くすぐったい     ・あっぱくさい = 簡単だ 
・みったくない = みっともない     ・こてんぱ   = さんざん
・げれっぱ   = ビリ         ・だはんこく  = 無理を言って泣く
・ゆるくない  = たいへんなこと    ・じょっぴん  = 戸締まりをする
・あったらもん = あんなもん      ・しばれる   = 凍る
・ばんきり   = いつもかわらない   ・おばんです  = 今晩は
・かじける   = こごえる       ・やばちい   = きたない
・あずましくない= おちつかない     ・ごんぼほる  = 駄々をこねる
・めんこい   = 可愛い        ・かっちゃく  = ひっかく
・はんかくさい = ばかみたい      ・ごしょいも  = 馬鈴薯


  3月 某日 ②

 コロナ禍前だったと思う。
書店に並ぶ1冊に目がいった。
 『銀河鉄道の父』だった。

 表紙の帯には、
『父でありすぎる父親が
 宮沢賢治に注いだ無上の愛。
感動の「親子」小説!』
とあり、こうも書いてあった。

 『岩手県をイーハトヴにし、
銀河に鉄道を走らせた宮沢賢治は、
いかにして想像力豊かな詩人・童話作家になったのか。
 賢治の父・政次郎は
「質屋に学問は必要ねぇ」
と自分の父から言われ、進学を断念して店と家を守ってきた。
 だが、家業を継ぐべき賢治は学業優秀で、
上の学校へ行きたいという。
 苦悩する父と夢を追い続ける息子の、
対立と慈愛の月日』

 門井慶喜さんのこの小説は、
第158回直木賞受賞作だったが、
表紙の帯で俄然興味が湧き、買い求めた。
 それから、もう4年以上が過ぎている。

 ぶらりとレンタルビデオ店に立ち寄り、
DVDの棚を見ていたら、
 小説と同じタイトルで映画になっていた。

 役所広司さんが政次郎役を務め、
長男・賢治を菅田将暉さん、
賢治の妹・トシを森七菜さんが演じていた。
 早速、自宅でビデオ鑑賞した。 
 
 日本のアンデルセンにと願った妹・トシが、
肺結核で亡くなり、
そして、賢治も同じ病気で闘病。

 その時、政次廊は賢治の手帳にあった
「雨ニモマケズ」を見つける。
 そして、死の直前だ。

 その時を迎えて伏せる賢治に、
「雨ニモマケズ 風ニモマケズ
・・・・・ ソウユウ人ニワタシハナリタイ」
と、政次郎は暗唱する。
 映画ならではの感動の場面だった、

 死別を前に、役所広司さんが演じる賢治への愛に、
私の涙腺は崩壊してしまった。




      春 陽 に 孟 宗 竹    
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D I A R Y 1 ・ 2 月

2024-02-24 11:28:06 | つぶやき
  ① 1月 某日

 成人の日にドカ雪があった。
それまでの暖冬が、一気に真冬の景色に変わった。

 その後、2週間は日中も氷点下のままが多かった。
雪かきが必要な朝が、たびたびあった。
 厳しい寒さの日が続き、例年の冬に戻った感じで、
訳もなくホッとしていた。
 
 ところが、2日続けて急に気温が上昇した。
北海道全域が同じ、
テレビニュースはしきりに落雪に注意を呼びかけた。
 「雪解けが進みます。
屋根からの落雪に気をつけて下さい」
をくり返した。
 しかし、当地は暖かさで、
落雪と共に別の事態が発生した。

 大雪が降ると、住宅街の車道は、
市や委託業者の重機が除雪を行う。
 なのに、先日のドカ雪では、
除雪をやり残したままのところが多かった。
 我が家の前もそうだった。

 除雪しないまま車が往来をくり返したため、
路面は圧雪され、平らになった。

 その状態になると、例年同じことが必ず起きた。
路面の雪が急に解けると、ザックザック雪になるのだ。
 そのため最悪の場合、
車はハンドルをとられ、動けなくなるのだ。

 だから、「今からでも除雪をお願いします」。
1市民として、私は市役所にメールを送った。
 市からは、案の定無反応だった。

 そして、予測していた事態になってしまった。
2日間の暖かさで、ザックザック雪の車道には、
車輪の深いわだちができた。
 ハンドルが効かないまま、車はわだちに沿って、
のろのろ運転を強いられた。
 私も、車道から愛車を駐車場へ入れるのに、
そのわだちに難儀した。

 翌日の朝食時に、電話が鳴った。
「会長、市役所へ頼んでくれよ。
 俺の家だけでないんだ。
この道じゃ、隣近所みんな車出せなくて困ってるサ。
 頼むよ!
昨日、何回も市に電話したけど、
除雪に来ないサ。
 会長からも、頼んでくれないかな」。

 実は、そんな電話を私は心待っていた気がする。
市へ出向く口実ができた。
 「分かりました。
除雪してもらえるように、急いで陳情に行って来ます」。 

 朝食後、近隣地域を車で走りまわり、
道路状況の写真を撮った。
 そして、市役所の開庁を待って、
除雪の担当課へ出向いた。
 もう顔馴染みになった課内の面々に、
「お願いがあって」と口火を切った。
 
 写真を見せるまでもなかった。
今日中には、
全域の除雪を済ませる約束をしてくれた。

 午後、再び電話が鳴った。
「会長! 除雪車来たよ。
ありがとう。助かったわ」。

 そして、深夜に今季2回目のドカ雪になった。
『Good Timing』に、胸を撫でた。


  ② 2月 某日

 社会福祉協議会から研修会の案内が、
自治会長宛に届いた。
 講演「避難所運営における地域の役割について」
とあり、出席を決めた。

 会場には60人程度がいた。
講師は、市危機管理課長だった。

 最近は、どこでも誰でも、
パワーポイントを使いプロジェクターで、
スクリーンに文字などの画像を示しながら
講演するスタイルが定番になっている。

 今回も同様のスタイルだった。
講演内容は違っても、テンションは同じ感じ。
 それだけで私の興味、いつも半減した。
だからか、今回は心に残ったことが2つだけだった。 

 1つは、『正常性バイアス』と言う聞き慣れない言葉だ。
「この程度の雨なら、去年も降ったさ、大丈夫!」
 「え!津波? ここまで来ねぇって。大丈夫だ!」
と言った根拠もない安全への思い込みを言うらしい。

 この心理が、大災害に対する無視や過小評価につながり、
遂には逃げ遅れの原因になると講師は強調した。
 
 聞きながら、ふと3、11の翌朝を思い出した。

 あの日、私の学校は『帰宅困難者』の避難所になった。
校長として経験のない状況下で、
職員と力を合わせ150人以上の方を受け入れ、
不安と緊張の一夜を過ごした。

 翌朝、鉄道各社は次々と運転を再開した。
避難した方も次々と帰宅の途に着いた。

 ところが、若い夫婦2人だけは帰ろうとしなかった。
2人は、学校の近所から避難してきていた。
 帰宅しない理由を、
「またあんな大きな地震が来るかも、怖くて帰れない」
と言う。
 帰宅してもらうまでに長時間の説得が必要だった。
 
 講演を聴きながら、
「あの時の2人の心理は、『正常性バイアス』とは
真逆だったのでは」
と思った。  
 そして、災害時の心理状況の複雑さに想いを馳せながら、
パワーポイントのスクリーンを呆然と見続けた。

 さて、もう1つは段ボールベッドだ。  
今や、避難所に欠かせないアイテムになった物だ。
 市危機管理課は、訓練や研修会のたびに、
このベッドの作成体験を企画する。
 今回も、出席者数人に体験させ、
私らはそれを見学した。

 講演の最後に課長は訊いた。
「このベッドはいくらすると思いますか」
 私は、「2000円と思う方?」に胸を張って挙手をした。
しかし、「15000円以上と思う方」が正解だった。

 人それぞれ、価値観に違いがあっていい。
しかし、どんなに強靱でも段ボールだけでできたベッドである。
 その高額に驚いたのは私だけだろうか。

 その上、このベットを市は60数個備蓄していると言う。
その少なさに唖然としたが、課長は堂々と
「少ないけど、近隣の市などと協定を結び、
災害時には借りることができます」
 「近隣の市はどれだけ備蓄しているんですか?」
思い切って質問しようした。
 不安をあおるだけになる気がして、
止めてしまった。 




     お気に入りの散歩道2 暖冬  
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D I A R Y 12月

2023-12-30 10:42:30 | つぶやき
  12月 某日 ①

 冬は、温泉がいい。
幸い、当地は恵まれている。
 有名な洞爺湖温泉までは車で20分もかからない。
市内には、日帰り入浴ができる温泉が2箇所もある。

 私が好きな日帰り温泉はそれらとは違う。
車で25分の豊浦温泉『しおさい』である。

 宿泊もできるが、とにかくお風呂が広く、
高中低温に分かれた3つの大きな浴槽がある。
 その上ジャグジーバス、露天風呂、サウナまでそろっている。
前面がガラス張りのお風呂からは噴火湾が一望でき、
開放感の中で、ゆったりと入浴を楽しむことができる。
 
 いつも通り入浴前に、併設の食堂で醤油ラーメンを注文した。
日曜日だったからか、私たちで満席になった。
 人手不足なのか、配膳用ロボットが活躍していた。
勝手な先入観だが、場にそぐわない気がした。
 残念だが、運んできたラーメンは美味しくなかった。

 さて、今回はサウナにも入りたかったので、
家内とは利用時間1時間の約束をした。

 その時間ギリギリで脱衣室に戻った。
直後に、風呂場から赤い肌をした親子が出てきた。
 父は、全身が痩け、足が不自由だった。
息子は、屈強は体をしていた。
 
 息子の手を借り、ゆっくりと風呂場から現れた父は、
出入り口で立ち止まってしまった。
 若干、その様子が気になり、それとなく2人を見た。

 「どうしたの? 服はむこうで脱いだんだよ。
むこうへ行こう!」
 息子は手を引き、父を誘導しようとした。
しかし、父は黙ったまま動かず、反対方向に顔をむけた。

 「なんだ。体重を計りたいの?」
父は、黙ってうなずいた。
 2人は、体重計へゆっくりと向かった。

 年格好は、私よりやや上の父。
息子は、まだ40代のように見えた。

 「そんなに痩せてないよ。
よかったね。
 心配しなくてもいいみたい」。
父の不安を気遣う息子の優しい声が、
体重計のある脱衣場の隅から聞こえてきた。

 私は約束の時間に遅れないように
着衣を急ぎながら、2人の様子を時折気にかけた。

 父は、1人で立っているのが精一杯で、
着衣の全てに息子の介助を必要とした。
 息子は、自身の体を拭く間もなく、
父の手助けに専念していた。
 
 その後、息子は服を着終えた父を立たせたまま、
自分の身支度を急いた。
 そして最後に、父を椅子に座らせ、
残っていた靴下を履かそうした。

 ここで父の叱責が飛んだ。
私は、必死で笑いをこらえることになった。

 父は、息子が手にした靴下を見て、
小声だが強い口調で言った。
 「それは、お前のだ!
お父さんのはお前が履いている。
 しっかり、シロ!」

 「あ、しまった!」。
息子は、慌てて靴下を脱ぎ、
「これ、お父さんのだったね」
と、父の素足に履かせていた。

 
  12月 某日 ②  

 近隣に認知症のグループホームが、いくつかある。
その1つから地域住民の代表として、
運営推進委員を頼まれた。
 
 近隣住民からの施設に対する苦情や、
施設から近隣への要望などの仲介役を、
期待してのことと理解し、
2ヶ月ごとの会議に出席している。

 4月から、施設長さんが変わった。
その施設で、長年介護職員をしていた女性だった。
 施設の舵取り役に慣れず、
手探りでその役を務めていた。

 委員の多くは、そこを利用している方の家族で、
いつも話題の中心は、自分の親の近況に関わることだった。
 頻繁に出るのが、介護職員によって対応に違いがあること。

 「そうなんですよね。
私たち職員も、色々な考えの方がいます。
 だから、みんながみんな同じように
利用者さんに接する訳にはいかないんです」
 彼女はどことなく頼りなく、
毎回同じように応じていた。

 すると、委員からはいつも通り、異論がいくつも飛び出した。
彼女は職員の足並みをそろえることの難しさを、
弱々しくくり返すのだった。

 ところが、今回はちょっと違った。
彼女は、相変わらず遠慮がちだったが、
いつもと同じ返答の後に、こう話した。

 「ここだけでなく、このような施設はどこもずうっと、
人手不足が続いているんです。
 だから、職員にも気持ちよく
長く働いて貰いたいと思っています。 
 だけど現状は、私たちと違う考えで働いている人は、
長続きしないんです」。

 彼女の口調は変わらず、続いた。
「ご存じのように、夜間勤務は職員数が少なくなります。
 だから、全員を9時までに、
布団に寝かせてほしいって言うんです。
 でも、週に1回だけ9時からのテレビを見たい。
11時までテレビを見てから寝たい。
 私は、人手が少なくても、見せてあげたいと思うんです。
それを続けますと、
寝かせてほしいと言った職員は、やがて辞めていくんです。
 残念ですが、仕方ないと思っています。
同調できないことって、ありますから」。

 彼女の本気の強さと毅然とした態度、
そこで暮らす利用者への優しさに、深く共感した。

 「これからもよろしくお願いします!」 
委員の1人が言った。
 それぞれ、静かに頭を下げていた。


  12月 某日 ③

 教頭として最初に赴任した小学校は、
国際理解教育の研究推進校だった。
 初めて国際理解教育の大切さについて学んだ。

 「これからの時代は、
今まで以上に、世界はグローバル化し、
『多文化共生社会』へと進化していきます。
 共存共栄が最も重要なキーワードです」

 校内研究会で聞いた講師の言葉だ。
違いを認め合い助け合って生きる時代になるとの示唆に、
胸を熱くした。
 心強くもあった。

 ところが、それから20年が過ぎた今は、どうだ。
それぞれの国や民族には、それぞれの正義がある。
 その違いを認め合うはずが、
それぞれ正義が『分断と対立』へと進んでいる。
 
 来年は、それが益々深刻化するのだろうか。
それとも解消へと向かい、
軌道修正ができるのだろうか。

 20年前に学んだ、あの『多文化共生社会』を切望する。 
2024年を前に強く願うことだ。




      表玄関・伊達紋別駅
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