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ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

続・D I A R Y 10・11月

2023-12-02 11:54:48 | つぶやき
   10月 某日 ②
 5日間、東京に滞在した。
初日は、秋葉原の神田川沿いのホテルに宿泊。
 一度泊まったことがあったが、
シーズンなのかインバウンドなのか、
宿泊料金の高騰に驚いた。
 
 それもあって、朝食はホテルでなく、
ファミレスのモーニングにした。
 洗顔の後、散歩を兼ねて駅前の店をめざし部屋を出た。
 
 同じタイミングで、
廊下を挟んだ向かい側のドアが開いた。
 大柄な外国人男女が現れた。
笑顔を向けてきたので、
思わず、「グッドモーニング!」と一礼した。
 そのまま2人は、一足先にエレベーターへ向かった。

 宿泊した部屋は、思いのほか狭かった。
大きな体の2人では、きっと不自由だったろうと思いながら、
施錠後、やや時間を置いてエレベーターへ行った。

 2人は扉を開けたまま、私たちを待っていてくれた。
「サンキュー!」。
 なにか言葉を交わしたかったが、私には無理。
フロント階まで無言のまま。
 降りて左右へ分かれ時、
再び笑顔を向けてくれた。 

 玄関を出ると、川沿いに小さな稲荷神社があった。
出勤途中の方が立ち寄り、手を合わせていた。
 小銭を投げ入れ、私たちも二礼二拍手一礼をした。
 
 その後、狭い境内を抜け、鳥居の前へ戻った。
まだ7時前だったが、そこに大きなリュックサックを背負い、
ガイドブックを手にした長身の外国人男性がやって来た。

 神社の案内板には、小さく英語表記があった。
男性は、立ち止まってそれを読み、社殿へ進んでいった。
 こんなところのお稲荷さんも、
外国からの観光地になっていた。
 「確かに、古いお社だったが・・・」と思いつつ、
もう一度男性の後ろ姿を見た。

 さて、ファミレスの朝食だ。
入店すると、お好きな席へと言われた。
 案の定、その後はタブレットでの注文だった。
やり方は、どこも同じだ。
 慣れていた。

 しばらくしてトーストと目玉焼きのセットを、
ロボットが運んできた。
 これにも慣れていた。

 しかし、入店からずっと気になることがあった。
やや離れた席からの大きな話し声だ。

 朝にもかかわらず、店内は5割程度埋まっていた。
どの客も静かに食事をとっていた。
 にも関わらず、遠慮を知らない話し声に、
時折、笑い声が加わる席があった。
 私には、中国語のように聞こえた。

 大声に慣れなかった。
食べながら、イライラしてきた。
 私だけではなかったようだ。
近くの方が店員さんを呼んだ。
 「すみません。すみません」。
店員さんはくり返していた。

 すぐだった。
大声の席へ行った店員さんが、
たどたどしい英語で何かを言った。
 席の1人が、英語で応じていた。
その後、店内は静かになった。
 落ち着いて食事ができた。
 
 きっと、今朝だけのことではない。
都心のファミレスでは日常的なことなのだろうと想像した。
 簡単な英会話は、今時の店員さんに、
求められているスキルなのだろうと知った。

 ファミレスを出てから、
飲み物を買いにコンビニへ寄った。
 ペットボトルを1本持って、レジへ行った。

 そこに立っていた店員さんは、
慣れない日本語だった。
 名札と顔を見た。
東南アジアの人のように思えた。
 
 小銭がなく、5千円札を差し出した。
躊躇することもなく、お釣りを返してくれた。
 日本語よりも、手慣れたお金の扱いに驚いた。
「慣れてますね!」
 思わず言ってしまった。
彼は、明るく「どういたしまして」と言った。
 
 朝から、たびたび外国の方と出会った。
都会ではそれが今や当たり前なのかも・・・。


  11月 某日 ②
 姉が、首都圏で勤務する娘の病院で手術をする。
そのため、兄と私たち2人で新千歳空港まで見送りに行った。

 帰宅した夕方から、体調が思わしくないと感じた。
早めに寝ることにした。
 夜中に何度も目がさめた。
眠れない時間をくり返した。

 翌朝、検温をした。
いつもより高かった。
 大事をとり、朝食後も横になった。
夜中に眠れなかったからか、よく眠った。

 目を開けるたびに検温した。
平熱よりもやっぱり高めだった。

 空港ターミナルは、すごい人だった。
なのにマスクもしないで、
ショッピングをし、レストランへ入った。

 まさかと思いつつも、
コロナやインフルエンザが気になった。
 様子をみながら、1日中ふせていた。

 次の日も体調は同じだった。
微熱と頭痛、倦怠感が続いた。
 何度かインフルエンザは経験があった。
2日間の経緯から、それではないと自己診断できた。  
 未経験のためコロナの不安はぬぐえなかった。

 コロナ検査キットの販売薬局を検索した。
市内の数軒で売っていた。
 早々、家内が1500円で購入してきた。

 自分で鼻から検体を採取し、
検査液に浸けた。
 そのジェル状の液体をキットに数滴垂らした。
キットの小さな窓に少しずつジェルが染み出た。

 赤い線が2本なら陽性、つまりコロナに感染、
1本なら陰性で感染していないことになる。

 それがわかるまでに、15から20分を要するのだ。
気が気でないまま、
15分ほどその小さな窓をじっと見続けた。
 1本の赤い線は、2本になることはなかった。
 
 すると急に食欲がわいた。
かき揚げ天がのった鍋焼きうどんが食べたくなった。
 わがままを言って、夕食はそれにしてもらった。
美味しさと一緒に体中から汗が流れた。
 すっかり元気になった。
「これにて 一件落着!」となった。 




  雪  吊  ~歴史の杜公園    
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D I A R Y 10・11月

2023-11-25 11:22:06 | つぶやき
  ① 10月某日
 いつ頃からか、朝食の最後は一杯のコーヒーになった。
若い頃は、インスタントだったが、
30歳になってからは、スーパーで袋詰めのUCCコーヒー粉を買い、
それを毎朝、少々時間をかけてペーパードリップで落とした。

 40代後半だったろうか、
電動のコーヒーミルを買った。
 以来、専門店でコーヒー豆を買うようになった。
コーヒーを淹れる朝の手間が一つ増え、
2杯分の豆をミルで挽くことが加わった。

 1回1回、使用したミルに残ったコーヒー粉を
小さなブラシで綺麗にしなければならず、予想以上の手間だった。
 それでも、挽き立てで淹れるコーヒーは味が違った。
以来、コーヒー粉は買わなくなった。
 
 やがて、ミルのついたコーヒーメーカーが出回り、
コーヒーを淹れる手間が俄然楽になった。

 さて、コーヒー豆だが、次第に違いが分かるようになった。
私自身の好みもだんだんとはっきりした。
 そして、行き着いたのが、
スタバで販売していた『スラウェシ』という銘柄の豆だった。

 新しいマンションに移ると、その敷地内にスタバがあった。
ずっとそこで『スラウェシ』を買った。
 ある日、その豆が店頭から消えた。
「似たお豆です」と店のスタッフが勧めてくれたのが、
『スマトラ』だった。
 確かに同じような美味しさだった。

 それからは、朝の一杯は「スタバのスマトラ」となり、
もう15年以上も続いている。

 ところが、当地に移住するとスタバがなかった。
仕方なく新千歳空港のターミナルを利用した時や、
苫小牧のイオンモールまで買い物に行った時などに、
スタバに立ち寄り、何袋かを買いだめした。

 また、東京からの来客には、こちらから
「おみやげにスタバのスマトラを」とリクエストしたり、
同じように贈答品の返礼にも、
図々しく『スマトラ』をお願いしたりしてきた。

 ところが今年の春だった。
隣町・室蘭市にスタバが出店予定の発表がニュースになった。
 車で30分で、好きなコーヒー豆が買える。
開店を心待ちにした。

 そして、ついに9月末、その日が来た。
地元紙は、スタバのファンが長蛇の列を作った写真を載せ報道した。

 それから10日後、
買い置きしていた豆がなくなり、
いよいよスタバの新店舗へ車で向かった。
 これで手軽に『スマトラ』が買える。
少々浮かれていた。

 東京の友人に、
「近くにスタバができました。
いつでもスマトラが買えます」とメールした。


  ② 11月某日
 5歳違いの姉は、何年も前から定期的に心臓の検査を受けていた。
徐々に徐々に、検査結果が思わしくなくなっていった。

 半年くらい前、検査結果が出るまで長い時間待たされた。
そして、診察室に呼ばれると、医師は早口で告げた。
 「もうダメです。すぐに手術です。手術です!」。

 姉には首都圏で看護師をしている娘がいた。
「手術するかどうか、家族とよく相談します」。
 姉はそう答えて、席を立った。

 その後、娘の病院で再検査を受けた。
やはり手術が最良の方法と診断がでた。
 娘の病院で手術を受けることにした。

 1ヶ月前、姉から電話があった。
「11月に娘の病院で手術が決まったの。
入院はどの位になるかわからないけれど、
元気になって戻ってこられるのは、
3月になってからだと思うよ」。

 思っていた以上の大手術に、
しばらく声が出なかった。
 私の動揺が姉の不安を誘ってはいけない。
「そうか。行く日が決まったら、連絡して」。
 急いで電話を切った。 
 
 手術日と出発する日が決まってから、
兄の店へ行った。
 「激励会をしよう」と提案した。
すぐに兄が連絡をとることになった。

 姉は、出発の前日まで仕事の予定が詰まっていた。
結局、出発日に空港まで私の車で送り、
そこで一緒に昼食をとることになった。

 兄は、今年のお盆のお墓参りで、
兄と姉と家内と私でお昼を食べた後、
「来年はサーロインステーキを食べよう」
と、約束したことを覚えていた。
 そして、「なあ、空港でサーロイン食べるべ」
と、電話で言ってきた。
 
 「サーロインは来年のお盆の楽しみじゃないの」。
私が返すと、
「いいから、サーロイン食べるべ。
4人で、そろってよ」。

 最近は急に涙腺が緩むことがある。
決して口にできない兄の不安がわかった。
 「そうだね。そうしよう。
空港でサーロインステーキが、
食べられる店を探しておくよ」。
 また急いで電話を切った。

 そして、姉の出発日だ。
正午を回ってから、兄の店と登別温泉の姉の所を回って、
新千歳空港に着いた。
 駐車場もターミナル内も、大混雑だった。

 膝の調子がよくないと杖をつく兄と、
少し背中が丸くなった姉と私たち2人で、
洋食の専門店へ入った。

 メニューには、道産牛のサーロインステーキがあった。
それを見て、姉も「これが食べたい」と指さした。

 年寄り4人そろって昼食に、ステーキ&ライスの注文だ。
オーダーを聞いて、店員さんは少し驚きの顔をした。
 当然驚くと思いつつ、
美味しくて柔らかい肉であってほしいと願った。

 期待通りの肉だった。
「美味しかった」と言いつつ4人で店を出た。
 決して忘れられない味になった。 

 
 

    一夜にて山も畑も道も銀世界 
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D I A R Y 9月

2023-10-07 11:24:51 | つぶやき
  9月 某日 ①
 夕食も入浴も終えた就寝前、
特に見たいテレビもないまま、
リモコン片手に番組探しをしてみた。

 すると、長崎の精霊流しを取り上げたドキュメンタリーがあった。
もう21年も前になるが、
9月の学校だよりに校長として記した一文を思い出した。
 一部を抜粋する。

  *     *     *     *     *  
 夏休み、私は長崎を旅する機会に恵まれました。
時はちょうど8月15日、旧盆でした。
 プライベートな話題になりますが、
私は若い頃から『さだまさし』のファンで、
彼の代表的な曲「精霊流し」の原風景を見ることができました。

 3拍子の流れるような「精霊流し」の歌曲とはうって変わって、
長崎の精霊流しは、夕方から深夜まで街中が爆竹の裂ける音で、
耳をつんざくばかりでした。
 そうして町中をねり歩く精霊船。
新盆をむかえた家から出されると言うその船は、
その夜一夜で1400艘。

 私は何万人という見物人の1人として、その行列を見ながら、
人の死を悲しみ、送り出す長崎特有の伝統行事に、
一種の違和感を持ちました。

 ところが、ある精霊船の先頭を歩く喪服の初老に胸を打たれました。
ものすごい爆竹の炸裂音ともうもうと立ちこめる煙につつまれる中、
明々と提灯の灯る精霊船の先頭に立ち、
その初老は見物の人混みにくり返しくり返し頭を下げながら涙を流し、
その姿は悲しみに包まれていました。
 船には初老によく似た青年の遺影がありました。
私は、何故か目頭が熱くなりました。

 この1年間で亡くなった人々をあんなにもにぎやかに送る。
そんな習慣や感性は私にはありません。
 だが、長崎の人々は、そう言う伝統の中で生きてきたのです。
     

  9月 某日 ②
 1年半におよんだ歯の治療から半年が過ぎ、
予約してあった日に定期検診へ行った。
 予約の定時に受付を済ませたが、
案の定30分以上も待たされた。

 やっと診察台につき、
歯間洗浄が済むと、これまたしばらく待たされた。
 そして、相変わらず、
院長先生の小走りの足音が近づいて・・・。
 穏やかな話声で「お待たせしました」の決まり文句を言う。
この声が、いつものように私のイライラ感を鎮めた。
 不思議な現象である。

 平常心で私は、歯の状態についていくつかの説明をする。
院長先生は手際よく、私の訴え通り治療を行い、
「これで、様子をみて、1週間後にもう1度見せてください。
予約をお願いします」と。
 
 さて、1週間後の診療を了解したその後だ。
診察台を降りた私に、タブレットを持った看護師さんが寄ってきた。
 「スマホをお持ちですか。
次から診察券ではなく、スマホのアプリで予約診療ができます。
 それに切り替えていいですか」。
「へえ! そんなことができるんですか。
ビックリ!」
 私は、ポケットからさっとスマホを取り出した。

 看護師さんは、手慣れていた。
「スマホで、このQRコードを読み取ってください」。
 スマホをかざす。
『my Dental』のアプリが、瞬時に取得できた。

 その後は、看護師さんの指示通りパスワードの入力を行う。
すると、確認した予約日時が『予約状況』として表示された。
 「次回は、受付の読み取り機に、
このアプリのQRコードをかざしてください。
 それで受付は済みます」。

 まだ半信半疑だった。
それにしても、スマホの時代は益々進化している。
 「すごい!」。


 9月 某日 ③
 自治会は5つの地区=ブロックに分かれている。
私のブロックでは、昨年から親睦事業として「焚き火の集い」を行っている。
 今年は、参加者が20名も増えた。
12台の焚き火を囲み、60名がピアノとサックスの音色に耳を傾け、
暮れゆく夕日を見ながら、幻想的な時間を過ごした。

 さて、集いが終了した後、
この会の運営に当たったメンバー10人で、残り物を囲んだ。
 参加者からたくさんの好評の声が届き、
明るい雰囲気で10人の会話は弾んだ。

 どんな話題から発展したかは覚えがない。
それは、私と同世代の男性のひと言から始まった。
 「まさか、逢い引きしてたんじゃないべ」。
すると、同じ世代の女性が、
「逢い引きって言ったって、今の人、わかんないでしょ。
ねえ、わかる?」
と、40代の女性を見て訊いた。

 「私は、何とかギリギリわかります。
でも、Sさんはどうかな?」。
 名指しされたSさんは40歳になったばかりの男性だ。
「何です! アイビキって?」。

 すかさず、横やりを入れ、混乱を楽しむ輩が現れ、
「40にもなって、アイビキを知らないのか。
牛肉と豚肉の合い挽き、あれだよ」。
 それには敏感に反応し、Sさんは続ける。
「合い挽き肉なら知ってますよ。
 でも、それじゃないでしょう。
なんですか。本当のこと、教えて下さい」。

 世代ギャップである。
『逢い引き』は、Sさんの世代では死語らしいのだ。

 ここはと『逢い引き』の意味を、
私も同世代も口口に説く。
 するとSさんは、まとめた。
「わかりました。要するに不倫のことでしょ!」。

 「いや、不倫もそうだけど、それだけじゃない」。
同世代は皆、口ごもる。
 「だけど、男と女が人目を避けて逢うことでしょう。
それなら不倫でしょ」。
 「いや、不倫でなくても、
人目を避けるようにして逢っていたんだ。
 俺たちの頃の男女は・・」。

 Sさんは、納得がいかない。
「不倫でないのに、人目を避けるなんて変ですよ。
あり得ませんよ。変じゃないですか」。
 「いや、私たちの時代は、そうだったのよ」。

 確かに、男女のあり方は変わった。
人目を避けるようにして男と女が逢う『逢い引き』。
 逢い引きのような男女関係は、すでに消滅している。
死語になって当然であった。
 
 男と女が人目を気にせず逢うのは当たり前。
いつの間にか、ずっと前からそんな時代になっていた。
 そう思えた時間だった。




     9月26日 昭和新山・山頂崩落
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D I A R Y 8月

2023-09-02 11:46:50 | つぶやき
 世界中が猛暑に見舞われた今年の夏。
当地も例外ではなかった。
 8月は、30度越えの日が何日もあった。
その上、最高気温の更新まで追加された。
 そんな夏から、私のトピックスを幾つか拾ってみた。
 

 8月 某日 ①

 確か5月だったと思う。
校長として3校12年にわたり勤務したS区教育委員会から電話があった。 
 突然のことで、その内容がなかなか理解できなかった。
落ち着いて聞くと、この私を
「小学校教育功労者として感謝状の贈呈候補者として、
都教委と文科省に推薦したい」
と言うことだった。

 予期しないことに、思わず尋ねた。
「私でいいのでしょうか?」。
 「様々な方からご推薦を頂きました。
私どもも今までの資料や先生の功績に関する文書にあたり、
決めさせて貰いました」。
 そんな返答だった。
そして、電話は「正式に決まり次第、
またご連絡致します」で終わった。

 5月6月が過ぎ、音沙汰がなく、
その話は立ち消えになったのだろうと思っていた7月の終り、
『03』から始まる電話が鳴った。

 S区教委の同じ声の方からだった。
「感謝状の贈呈が決まりました。
通知文を送ります。
 ご出席くださいますよう、よろしくお願いします」。

 数日後の8月某日、
『小学校教育功労者に対する感謝状の授与について』
と題する文書が届いた。
 以来ずっと、「感謝状の贈呈者が私でいいのか」と、
自問自答をくり返す日が続いている。
 ただただ恐縮している。


 8月 某日 ②

 昨年のお盆の墓参りは、兄夫婦と姉、
そして私たちの5人だった。
 今年は、義姉が施設に長期入所したため、
4人で行くことになった。

 あいにくの小雨模様だった。
登別にいる兄と姉の住まいを車で周り、
お墓へ行くことになっていた。

 雨が降り続いていた。
墓参の後で昼食にする予定だったが変更した。
 先に、昨年同様、温泉街や国道沿いの飲食店をさけ、
霊園から遠くないゴルフ場のレストランへ向かった。 

 クラブハウス内のレストランからは、
ゴルフ場の広々としてゴルフコースが一望できた。
 雨に洗われた緑が、一段と綺麗だった。
ふと、義姉にも見せてあげたいと思った。

 さて、4人とも同じ天ざる蕎麦を食べることにした。
食べながら、雨が止むことを期待した。
 時間は、十分にあった。
食後のコーヒーも追加した。
 しかし、天候は変わらず、
仕方なく、雨の中をお墓へ車を走らせた。

 車内で兄がつぶやいた。
「メニューにあった、あのサーロインステーキの定食。
 あれが食べたかったなあ」。
ハンドルを握りながら、耳を疑った。
 「お昼に肉を食べるの?」
思わず訊いた。
 「そうだよ。俺、朝からでも牛丼、食べるもん」。

 すかさず姉までもが言う。
「私も本当はサーロインがよかった。
めったに食べないからねえ」。
 
 メニューには、ざる蕎麦がなかった。
仕方なく、私は天ざるに決めた。
 それに、みんなが従った。 
年寄りは誰でも、その程度の軽い昼食がいい。
 自分勝手にそんな解釈をしていた。

 ところが、サーロインステーキだと言う。
兄姉の旺盛な食欲に驚いた。
 2人の元気の秘訣が少し分かった気がした。

 だから、「じゃ、来年のお盆は同じところで、
サーロインの定食を食べることにしよう」。
 私が提案した。
てっきり同意の返答があるものと思った。

 しばらくして、兄が再びつぶやいた。
「もしも元気だったらなあ・・。
 でも、いつ家の奴みたいになるか分からんからなぁ・・」。
急に胸が詰まった。

 霊園に着くと、突然雨が上がった。
この晴れ間は、兄の思いを父と母が汲んだからかも・・・。
 そう思うと、さらに胸が詰まり足が止まった。


 8月 某日 ③

 8週間ごと、定期的に眼科に通院している。
診察の予約券にも明記されているが、
診察終了までに2時間以上はかかるのだ。

 医師の診察前に、4から5種類の検査がある。
すぐにできる検査もあるが、
しばらく時間をおいてからのものもある。
 そこまででざっと1時間はかかる。

 そこから医師の診察までに、
次の1時間は、じっと待たされるのだ。
 そこにどんな理由があるかはわからない。
とにかく患者はみな、
その2時間を病院に居続けなければならないのだ。

 眼科診療の特殊な事情があるのか知らない。
機会があったら、誰かに教えてもらいたいといつも思う。

 さて、待合室で私の前の長椅子にいた老夫婦のことだ。
奥さんは、自前の車いすに座っていた。
 検査に呼ばれた。
検査のため病院の車いすに乗り換えるよう勧められた。
 
 しばらくして検査が終わり、待合室へ戻ってきた。
病院の車いすのまま、ご主人が座る長椅子の前にいた。

 やがて小さなうめき声が始まった。
車いすの奥さんからだった。
 近くのご主人は気にも止めない様子。
「いつものことなのかな」と思った。

 ところが、看護師さんが奥さんの前を通った時だ。
「ねえ、私の車いすに移して!」。
 奥さんが呼び止めた。
「どうしました」。
 「この車いす、座りづらくて!」。

 看護師さんの手を借りて、自分の車いすに移動した。
うめき声はすぐに消えた。
 その後も、待ち時間が続いた。

 さて、気づくと、奥さんはご主人の手を借りたのか、
長椅子に移り横になっていた。
 辛そうな様子が、私にもよく分かった。

 再び、奥さんは看護師さんに声をかけた。
「退院したばかりで、辛いの。
診察までまだまだかかるの?」。
 「そうですね。
まだしばらくはかかります」。

 奥さんの様子を見れば、
先に診察を受けさせても、誰も苦情など言わないと思う。
 それができなくても、
眼科医院でも急患に備えて、ベッドの1つはあるだろう。
 せめて、そこで横になるくらいの心遣いはできるはず。

 患者に寄り添う様子など全くない看護師の振る舞い。 
いや、「寄り添う必要などない!」この患者のいつもの振る舞いかも・・。 
 
 実は、釈然としないまま、他人ごとと見過ごすし、
何も言い出そうとしない自分に、苛立っていた。




   オオウバユリ 花のあと  
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D I A R Y 7月

2023-08-05 15:15:51 | つぶやき
  7月 某日 ①
 数年前から家族4人のグループLINEがある。
6月末、そこに長男からメールがあった。
 『なんとまあ6月が終わりそうですねえ。
40代最後の1年が始まるわ』。

 月が変わり7月になった。
彼の40代最後の誕生日がきた。

 東京と北海道、離ればなれの暮らしだ。
お祝いは、グループLINEで、
ハッピーバースデーのスタンプを送るだけ・・。

 でも、幾つになっても親は親。
大きなお世話と思われるのを承知で、
様々な心配がいつも続く。

 ふと、彼が誕生してすぐのエピソードを
思い出した。

 昭和49年のことだ。
まだ育休制度がない時代だった。
 産休が終わると、
家内は職場復帰をしなければならなかった。

 住まいは、できて間もない新興団地。
新しい保育所は12月に開設予定だった。
 開設と同時に、長男の入所は決まっていた。
しかし、家内の復帰はそれ以前だった。

 それまでの間、保育ママが必要だった。
今と時代が違う。
 保育ママを募集する手段がなかった。

 私は行動に出た。
募集案内を書き、密かに学校の印刷機で、
300枚のチラシを作った。

 『共働きの夫婦です。
12月に保育所ができるまで、
ご自宅で我が子を預かって下さる方を探しています!』。
 そんな文面だった。 
日曜日、団地の一軒一軒の玄関ポストに入れて回った。
 
 電話のベルに期待する日を送った。
誰からも連絡がなく、
翌週、募集範囲を広げ、再びチラシを配って歩いた。

 再び、誰からも連絡がなかったらと、
考えるだけで、気持ちが沈んでいた。
 そんな矢先だった。
「お困りのようですね。
 我が子以外育てたことはありませんが、
それでいいなら」
 女性の声だった。
 
 そして、3ヶ月余り、大事に大事に
長男を預かってくれた。
 翌日から保育所に行く日、
2人で迎えに行った。

 「いつかこの日が来るって分かってました。
でも、辛いです」。
 そう言って、ずっと長男を抱いて離さなかった。


  7月某日 ②
  昨年から自治会の親睦事業として「夏まつり」を行っている。
今年は、コロナの規制緩和も進み、
ちょっとした飲食も提供することにした。
 
 その1つが串焼きだった。
豚串2本と鳥串1本をセットにし、予約をとり販売するのだ。
 私とYさんが、串に刺した肉を調達する係になった。

 どこでどう調達するか、当てがなかった。
そこへ、ある方からいい情報が入ってきた。
 豚も鳥も冷凍だが、すでに味がついている。
解凍して、温めればいいだけだと言う。

 私もYさんも、その製品の話に喜んだ。
その方を通して、扱う業者から価格や納品の条件などを、
尋ねてもらうことにした。

 何度も何度も、回答を催促した。
「私も早く知りたいと言ってるんです」とその方は言う。
 そして、ついに夏まつりのお知らせを作成する今日になった。

 私も気が気でなくなった。
そこへ、やっと回答があった。
 「鳥串は、何本でも応じられるが、
豚串は、品薄で応じられない」。

 それを聞いて、目の前が真っ暗。
途方に暮れた。
 「近くのスーパーに頼んでみては・・」。
回答と一緒にそんなアドバイスがあった。

 スーパーの食品担当に青ざめた顔で尋ねた。
案の定「品薄だから難しい・・」と歯切れが悪い。
 2件目のスーパーも同じだった。

 私もYさんも困りに困った。
「今日中に調達業者と価格を決めないと・・・」。
 カッカカッカと血が上った。
「怒るのは後にして、考えましょう」。
 Yさんのひと言で、ひらめいた。

 自治会が過去の催しで、
精肉を仕入れた店があるのではないか。
 Yさんの持っている資料で、それが分かるかも。

 Yさん宅前に車を止め、待った。
10分もしないで、肉を発注したコピーを持ってきた。
 その店がどこにあるか分からないまま、
急ぎ車の中から市内と違う局番に電話した。

 女性が電話にでた。
「ハイ、J畜産です」
 「伊達市T町で自治会会長をしている者です。
大変失礼ですが、お宅はどこにあるのでしょうか」。

 そんな失礼な質問から、切り出した。
でも、女性は私の思いをくみ取り、丁寧に応じてくれた。
 そして、
「お急ぎでしょう。
たぶん大丈夫だと思いますが、
1時間以内には、価格を含めお返事します」。
 思わす、スマホに向かい一礼した。

 1時間もしないうちに、スマホにその女性の声が、
「豚串も鳥串も50本単位で何本でも注文に応じます。
塩コショウの味付けは、そちらでお願いしますね」。

 「ありがとうございます」。
何度、くり返したことか。
 浮いたり沈んだり、長い一日だった。




   「クサキョウチクトウ」だけ 涼しげ
                 ※次回のブログ更新予定は 8月19日(土)です
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