取り敢えず、6キロ。
年末いい記事です。東奥日報の昨日の「天地人」欄です。
昨日は仕事納めだった。年の瀬も押し迫り、年越しまでの日数を数えながら、支度に追われる日々が続く。
「年の瀬も押し迫り」とは言うけれど、押し迫るという言葉が使われだすのはいつごろからか。調べた先生がいた。辞書づくりの功績で知られる国語学者のケンボー先生こと、見坊(けんぼう)豪紀(ひでとし)先生である。新聞、週刊誌などで「押し迫る」が使われだすのは12月18、19日ごろから-。昭和50年代初めに出版された見坊先生の本「ことばの海をゆく」に、そんな話が載っている。
世の中の言葉の使われ方、つまり用例をコツコツ調べるのが見坊先生の仕事だった。国語学者金田一(きんだいち)京助先生の紹介で辞書の道に入り、1992(平成4)年に亡くなるまで140万枚以上の用例カードを作った。
用例集めのために新聞、週刊誌、広告だけでなく、文学、例えば太宰治の作品にも目を通した。目にする、耳にする言葉すべてが仕事の対象。だから、見坊先生は落ち着いて休むことがなかった。
昨日が仕事納めで9連休の人もいるのが、この年末年始の暦の並び。とはいえ、落ち着いて休める人ばかりでもあるまい。「お正月に必ず1日だけトランプをしてくれた」。見坊先生の娘さんがそう語っていた(「明解物語」)。休みの長短にかかわらず、何かいい思い出が残ればいい。
昨日は仕事納めだった。年の瀬も押し迫り、年越しまでの日数を数えながら、支度に追われる日々が続く。
「年の瀬も押し迫り」とは言うけれど、押し迫るという言葉が使われだすのはいつごろからか。調べた先生がいた。辞書づくりの功績で知られる国語学者のケンボー先生こと、見坊(けんぼう)豪紀(ひでとし)先生である。新聞、週刊誌などで「押し迫る」が使われだすのは12月18、19日ごろから-。昭和50年代初めに出版された見坊先生の本「ことばの海をゆく」に、そんな話が載っている。
世の中の言葉の使われ方、つまり用例をコツコツ調べるのが見坊先生の仕事だった。国語学者金田一(きんだいち)京助先生の紹介で辞書の道に入り、1992(平成4)年に亡くなるまで140万枚以上の用例カードを作った。
用例集めのために新聞、週刊誌、広告だけでなく、文学、例えば太宰治の作品にも目を通した。目にする、耳にする言葉すべてが仕事の対象。だから、見坊先生は落ち着いて休むことがなかった。
昨日が仕事納めで9連休の人もいるのが、この年末年始の暦の並び。とはいえ、落ち着いて休める人ばかりでもあるまい。「お正月に必ず1日だけトランプをしてくれた」。見坊先生の娘さんがそう語っていた(「明解物語」)。休みの長短にかかわらず、何かいい思い出が残ればいい。
午後から大掃除。正月原稿3本作製。墓参り。社内の人達と蕎麦、夜は尾瀬ライブラリーの納会。2月頃講演会です。社内の皆さん1年間お世話になりました。良いお年を。