娘のお盆帰省を利用して「雲仙・長崎」へ1泊2日で出かけました。
この日は台風が近づいており、午前中に九州の東側を北上し、午後には四国に上陸する予報となっていました。
風はそこまで強くありませんでしたが、あいにくの雨の中、少し遅れて福岡を出発。
当初は、長洲港から有明フェリーで雲仙に渡ろうと思っていたのですが、台風による欠航のため、陸路で移動することにしました。
大村湾PAに着いた頃は小雨模様に、その後、徐々に雨は上がってきました。
(大村湾PA)
予定より遅れて、14時頃に島原市へ到着。
(島原城)
島原城近くの「姫松屋」さんで遅めのランチにします。
いただいたのは郷土料理の「具雑煮」です。
具雑煮の由来は、1637年島原の乱のとき、総大将天草四郎が、農民たちに餅を兵糧として貯えさせ、山や海からいろいろな材料を集めて雑煮を炊き、栄養をとりながら3ヶ月間戦い続けたといわれています。
やさしいスープで美味しくいただいた後に、同じく郷土料理の「かんざらし」をいただきました。
こちらは少し甘め汁の中に白玉が入っていました。
昼食後は「雲仙岳災害記念館 がまだすドーム」を見学しました。
施設内には、1991年6月3日に発生した雲仙普賢岳の火砕流・土石流の映像をシアターでみられるほか、様々な展示がされており、当時を振り返ることができました。
また、すぐ近くの「道の駅 みずなし本陣」には、当時の土石流災害の爪跡が保存されていました。
その後、ホテルへ移動しチェックインを完了。
宿泊したのは「雲仙小地獄温泉 国民宿舎 青雲荘」さんです。
(ネットより拝借)
リニューアルされたホテルは、きれいで清潔感のある部屋でした。
(ちょうど精霊流しの船がホテルへ着いて、玄関前では爆竹が鳴らされてました。)
温泉は、大浴場と露天風呂がありましたが、早速、露天風呂で疲れを癒しました。
白濁の温泉は源泉かけ流しです。
(ネットより拝借)
ゆっくりと疲れを癒した後は、夕食です。
「季節の魚介と旬彩会席」の12品で、メインは「国産牛の陶板焼き」でした。
ハイシーズンのリーズナブルな値段での宿泊でしたが、意外にも料理も大満足でした。
食後は、温泉定番の「卓球」です!
ここでは雲仙名物?の「鍋ぶた」による卓球「鍋ブタッ球」をプレイ。
普通のラケットもありますが、球のはじき具合が全然異なり、初めての感覚でとても楽しめました。
これで1日目は終了です。
この日は台風が近づいており、午前中に九州の東側を北上し、午後には四国に上陸する予報となっていました。
風はそこまで強くありませんでしたが、あいにくの雨の中、少し遅れて福岡を出発。
当初は、長洲港から有明フェリーで雲仙に渡ろうと思っていたのですが、台風による欠航のため、陸路で移動することにしました。
大村湾PAに着いた頃は小雨模様に、その後、徐々に雨は上がってきました。
(大村湾PA)
予定より遅れて、14時頃に島原市へ到着。
(島原城)
島原城近くの「姫松屋」さんで遅めのランチにします。
いただいたのは郷土料理の「具雑煮」です。
具雑煮の由来は、1637年島原の乱のとき、総大将天草四郎が、農民たちに餅を兵糧として貯えさせ、山や海からいろいろな材料を集めて雑煮を炊き、栄養をとりながら3ヶ月間戦い続けたといわれています。
やさしいスープで美味しくいただいた後に、同じく郷土料理の「かんざらし」をいただきました。
こちらは少し甘め汁の中に白玉が入っていました。
昼食後は「雲仙岳災害記念館 がまだすドーム」を見学しました。
施設内には、1991年6月3日に発生した雲仙普賢岳の火砕流・土石流の映像をシアターでみられるほか、様々な展示がされており、当時を振り返ることができました。
また、すぐ近くの「道の駅 みずなし本陣」には、当時の土石流災害の爪跡が保存されていました。
その後、ホテルへ移動しチェックインを完了。
宿泊したのは「雲仙小地獄温泉 国民宿舎 青雲荘」さんです。
(ネットより拝借)
リニューアルされたホテルは、きれいで清潔感のある部屋でした。
(ちょうど精霊流しの船がホテルへ着いて、玄関前では爆竹が鳴らされてました。)
温泉は、大浴場と露天風呂がありましたが、早速、露天風呂で疲れを癒しました。
白濁の温泉は源泉かけ流しです。
(ネットより拝借)
ゆっくりと疲れを癒した後は、夕食です。
「季節の魚介と旬彩会席」の12品で、メインは「国産牛の陶板焼き」でした。
ハイシーズンのリーズナブルな値段での宿泊でしたが、意外にも料理も大満足でした。
食後は、温泉定番の「卓球」です!
ここでは雲仙名物?の「鍋ぶた」による卓球「鍋ブタッ球」をプレイ。
普通のラケットもありますが、球のはじき具合が全然異なり、初めての感覚でとても楽しめました。
これで1日目は終了です。
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