キョロキョロ散歩の雑記帳

あちらこちらの里山や緑地公園・史跡を探訪しながらキョロキョロ歩き回って思いつくまま記します。

世界の古代史第8回

2012-01-17 14:35:36 | 知識

新年最初(16日)の 市民大学 世界の古代史講座催。

今月はいつもより1週間ほど早い。(いつもは大体月末の月曜日)

少々早く着いたので、座席も前のほうが確保でき助かる。(黒板に書かれた文字が見やすい)

会場の様子毎回前のほうから撮影していたが、今日は最上階まで行って撮影。さすがに800人から受講する会場だ。下から見るよりはるかに大きく感じる。

講義はいつもの深草先生。

中国の古代史、インドの古代史と講座が進みこれから3回はローマの古代史となっている。

昨日は統一テストで少々疲れ気味だが、資料はいつも通りA4用紙で6枚全11ページ。

今日の講座演題は◆古代ローマの世界史 「共和制について」。

レジメは6項目。

1.古代ローマに関する「ことわざ」について。

  1. Rome was not built in a day.
  2. Do in Rome do as the Romans do.
  3. All roads lead to Rome.

  1.の言葉はドン・キホーテの作者セルバンテスがつくった?。3.は軍道と考えてよい。

2.建国神話と共和制の樹立。

(1) 神話・・・・トロイアを逃れたアエネーイスが幾多の苦難を乗り越えてローマの都を建設した。

    世界では神話が大切に引き継がれている

    それに引き換え日本は「古事記」1300年前に書かれたが脇に置かれている

(2) ラテン人が中部イタリアに建設した小都市国家から起こる。BC753年としているが伝説。

    ローマは7つの丘でなっている。その内の一つ カピトリヌス丘に牝狼と双生児の像がある。

           双子の兄弟の名前は Romvlvs、 Remvs (ロムルス レムス)。

           狼の乳を飲んで育た。 

    のちに兄弟争いからRomvlvsが勝利し、このロムルスからローマの名が派生している。           

(3) 原始王制が布かれていたが、エトルリア人の王で史実だ。BC509年共和制樹立される。

   エトルリア人はイタリアの北部におり、南部にはギリシャ人の都市が形成されていた。

   シシリー島にはフェニキア人の植民地が点在していた。

3.共和制の構造。

(1) 貴族の(パトリキと呼ばれた=すぐれた父祖をもつ者たちの意)寡頭政治 平民との対立が強まる。

(2) 政治機関 ・執政官(コンスル)consul 2名 任期1年

         ・元老院(セナトゥス)senatus 300名 終身 

         ・独裁官(ディクタトル)dictator 〈非常時〉 半年間

4.平民の権利伸長とイタリア半島統一。 ★平民の中心である重装歩兵活躍。

(1)半島統一に向かって戦の連続。アッピア街道も(BC282~272)南のタラントまで到達

(2)護民官(貴族1名、平民1名)制度化、十二表法(口承の法律から記述された法律への転換)BC451年制定。日本は縄文時代。

  • ほかに、カヌレイウス法(貴族・平民の通婚禁止撤廃 ) BC367年。
  • リキニウス・セクスティウス法(これも貴族・平民に関する法のようだが説明なし)
  •  ホルテンシウス法(貴族・平民の法律上平等)

(1)と(2)は同時進行しているので、講師は説明がしにくそうだった。

5.地中海への進出。

(1) ポエニ戦争。発端はシチリア島におけるローマとカルタゴの覇権争い。BC264~241。

ローマ軍は戦い方が問題。ローマ建国以来海戦の経験ないし。そこで、船の上を陸戦用にすることを考案する。

下の図の一番下に平たい船の舳先にカラス(カラスの嘴様)と呼ばれる敵船に引っ掛ける装置(船の下の図)を考えた。

 

  • 第1回 264~241 シチリア島を属州とする。ローマにとって初の海外領土。
  • 第2回 218~201 カルタゴの将軍ハンニバル対ローマの将軍スキピオ。

ハンニバルの有名な象を伴ってアルプス越えを果たし、ローマ軍壊滅的敗北。ローマ軍は戦略的(直接的に            は戦わず)に対処。

  • ハンニバル軍翻弄。第3回 149~189 カルタゴ滅亡。地中海の覇権掌握する
  • 以下の写真はローマの通史表。一番上の中央やや左に縦に緑の線を引いた部分がポエニ戦争。
  • 表の下の地中海地図はアエネーイスさすらいの旅程表。
  • 地図の下は7っの丘の地図。アンダーライン引いたし地名=パラティヌス丘(ロムルスが住んだ地)
  • 右側の黒い動物はカピトリーヌス丘の牝狼と双生児の像。
  • その下のコインの顔は手前がロムルス。

講座後このブログを書くときどうアップしたらよいか、結構悩んだ。

自分としては塩野七生さんの「ローマ人の物語」を読んでいたので、幾分理解できたものの、塩野さんの物語では文庫本で1・2だけで建国神話の辺りだから、いかに急ぎ足の説明であったことか。

ポエニ戦争だけで3・4・5を費やしている。

考えてみれば、西ローマの滅亡まで3回の講義で済ませるのだから、止むをえないか。まただいぶ以前に読んでいるので、忘れていることも多く、面白く聞けた。

レジメの 5.(2)東方進出(マケドニア戦争、シリア戦争)、6.社会変動 (1)(征服と支配、(2)貧民・奴隷・属州民の抵抗)は時間切れ。次回はここから始まるか。

午後からもう一つ講座が始まるので、昼は外食して名東生涯学習センターへ。

「名東へのみち」~名古屋城から高針道を歩む~という講座で、全6回。今日は公開講座なので、多くの人が聴講されると思われるので、やや早めに到着。

この講座は日を改めてアップするつもり。今日はここまで。

 

 

                                

 


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