12月19日 名古屋市民大学 世界の古代史 講座開催日。
先月に続きインドのBC75年ころからAD600年ころのインド古代史。
相変わら来場者多い。
先月も書いたがインドの歴史に全く疎いため、まとめるのが大変。写真もボケてるよ。
今日の主題は”ヒンドゥー教の成立と発展”。(レジメにヒンドゥーとヒンズーがあり表記が統一されていないので都度レジメに従った)
紀元前に栄えていたマウリヤ王朝がインド北西のギリシャ人(アレキサンダー遠征で残った勢力らしい)の侵入があって、大きく衰えた。
変わってイラン系のクシャーン族の王朝が確立された。
王朝3代目が有名なカニシカ王で仏教の保護に尽くし、仏典の結集(ブッダの教えを集めた)を図り寺院・仏塔を建立、結果は大乗仏教発展の基礎を固めた。
大乗仏教の成立には、保守的な長老たちの「上座部」グループと若手の進歩的な考えの「大衆部」グループが共存していたが、のちに「大衆部」が南インドに逃れ、南インド独特のバラモン教学の思想が加えられて大乗仏教が次第に発展していったものである。
世界の三大宗教というとき、仏教・キリスト教・イスラム教だが何故大がつくのか?大は講師曰く、人類平和をうたっている宗教だからだそうだ。信者数なら儒教・ヒンズー教だって多いはずだ。
ガンダーラ美術はヘレニズム文化の影響で仏像中心の仏教芸術に発展してゆく一方、大乗仏教の伝播と共中央アジア→中国・朝鮮・日本へと広がる。
AD320年ころグプタ王朝が成立。
2世チャンドラグプタの時代に最盛期を迎え北・中部インドの大部分を支配した。(アショカ王に次ぐ大統一)
文化的にもこのころインド古典文化が完成し、外部からの影響がなくなってくる。
典型は サンスクリット文学のカーリダーサ(インドのシエクスピア)の『シャクンタラー』はゲーテが一部を取り入れるほどのものであった。=初めて聞く話で???
天文学・数学では零という観念と十進法による数字の表記、円周率、無限の観念も成立した。
今我々は数字をアラビア数字と言っているが実は似て非なるもので、本来インド数字と呼ぶべきだ。
なるほどアラビア数字では現代の数字から読み取れない。
ヒンズー教もこのころ成立してゆく。
開祖もなく・特定の協議もなく・聖典もない多神教でシヴァ神・ヴィシヌ神(日本に来て吉祥天)などを崇拝する。やがて仏教をしのぐインド宗教の主流になってゆく。現在インド人の83%がヒンズー教徒。
606年ハルシャ王がヴァルダナ王朝を立てて北インドを統一するが、一代で終焉する。
ハルシャ王のときヒンズー教・仏教を保護、唐から玄奘がやってくる、ササン朝ペルシャとの交流があったが王の死後、国内は分裂した。以降5世紀の間インドが分裂の時代になる。
1時間半で話すには少々無理。ヒンズー教のマヌ法典(インド人の生活指導書)、ブッダの三十二相の話、玄奘とナーランダ僧学院の話など若干触れたが、ここに書くほどの内容はなかったので付記だけしておく。
今回のインド古代史Ⅱでインドは終わり、来年の1月・2月・3月は古代ローマの時代へ。
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