あの坂を上れば
真っ白な雲に会える
大好きなあの人に会える
遠い遠いせせらぎの
夢にも似た想い出が
そっと
瞼に腰かける
ずっと平坦な道のこの先に
あの坂は
いずれ母となる少女の乳房のように
大切に
静かにあるけれど
この胸の中にある泉にも似て
いつも白くなりゆく
ひとつの希望
辺りはかすんで
きっと一切は
どこかへ旅立つ
命の宿りは儚くて
ただひとつのところに皆あるだけなのに
下校の鐘だけが行方を示し
淡い綿のように
ふわふわと転がってきて
いつから
大人になったのだろう
どこから
写真を置いてきたのだろう
あの坂を上れば
大きく広がる雲に抱かれる
掌を透かして二重に映せば
その中で微笑む見えない柱が
この泉と呼応して
涼やかに
凛と生きている
頬を伝う睫毛は
知らぬ間に
白き雲の小さな影となって
ゆるやかに
心を震わせる
指の腹
あの坂よ
小さきものにこそ気高さはあって
柱の陰で
そよぎ立っている
愛しき人たち
デュエットは坂をなぞって
遠くここまで降りてくる
真っ白な雲に会える
大好きなあの人に会える
遠い遠いせせらぎの
夢にも似た想い出が
そっと
瞼に腰かける
ずっと平坦な道のこの先に
あの坂は
いずれ母となる少女の乳房のように
大切に
静かにあるけれど
この胸の中にある泉にも似て
いつも白くなりゆく
ひとつの希望
辺りはかすんで
きっと一切は
どこかへ旅立つ
命の宿りは儚くて
ただひとつのところに皆あるだけなのに
下校の鐘だけが行方を示し
淡い綿のように
ふわふわと転がってきて
いつから
大人になったのだろう
どこから
写真を置いてきたのだろう
あの坂を上れば
大きく広がる雲に抱かれる
掌を透かして二重に映せば
その中で微笑む見えない柱が
この泉と呼応して
涼やかに
凛と生きている
頬を伝う睫毛は
知らぬ間に
白き雲の小さな影となって
ゆるやかに
心を震わせる
指の腹
あの坂よ
小さきものにこそ気高さはあって
柱の陰で
そよぎ立っている
愛しき人たち
デュエットは坂をなぞって
遠くここまで降りてくる
何度も何度も読み返し、ショパンⅢ世さんの思いをあれやこれや想像してみたくなります。
命の宿りは儚いけれど、大好きな人に会えるというひとつの希望を胸に
常に気高く生きようぞ!
いつもやんわりと、そして控えめに表現なさるのですね。
わたしの解釈はいつも身勝手なものですが、幾度も詩を目で追いながら
奥にあるものを想像する楽しみを、いただいております。
そう言われてみればそうかもしれませんね。指摘されて初めて気付きました。
業突張りな趣のものも書いてみたいですが、その類はよほどの書き巧者でないと読み手を惹き付けられない、と思います。
>常に気高く生きようぞ!
この実世界で己の気高さを自負している人のほとんどは、実は大して気高くない。単なる高慢ちきに陥りやすいだけですね。
本物の気高さとは、自認するものではなくて第3者が感じ受けるものだと思います。