銀河夜想曲   ~Fantastic Ballades~

月が蒼く囁くと、人はいつしか海に浮かぶ舟に揺られ、
そして彼方、海原ワインのコルクに触れるを夢見、また、眠りにつく……

3つの新しいエチュード 第1番 ヘ短調

2006年10月30日 03時13分13秒 | ショパン作品からのイメージ素描
見えない蝶に憧れた

枕に左の頬をあずけて



見えない時計の音に憧れたから

幼い悪戯に流れて

目の前の大いなる胸に

どれだけ手を伸ばしただろう



金色の砂をまぶした蝶が

あの日々を滑り台の足に落としてゆく

さりとて

幾多の雨が刻み込んだか知れない砂の跳ね痕のように

2本の足は

ざらざらの褐色にまみれて



…砂……?

ふうらり舞う蝶の羽……?



油絵でもなく

水彩でもない

夜に溶けた命の色が

そう

彷徨の音刻み



蝶はいつでも枕の中に

鼻の奥の涙の尻に



左の胸を幻惑の草原にあずけて




ロミオの青い空

2006年10月26日 23時19分29秒 | 世界名作劇場
放送 1995年1月15日~12月17日(計33話)

監督:楠葉宏三
脚本:島田満
音楽:若草恵
キャラクターデザイン:佐藤好春
原作:リザ・テツナー( “ 黒い兄弟~ジョルジョの長い旅 ” )



全23作品ある第1期世界名作劇場の中で今でも非常に多くのファンを持つ人気作で、つい先日初めて鑑賞し終えたばかり。まだ当分、この感銘は鮮明に続きそうである。

何と言ってもまず、オープニングの主題歌 “ 空へ… ” が素晴らしい。明日への希望を歌っているのにも拘らず、哀調を帯びた旋律が実に見事に調和しているため、聴く者の心を強く捉えて放さない。歌手の声質がこの曲に良く合っているし、主人公ロミオをはじめ、登場する様々な子供達の心情を表しているからこれほどまでに魅力を感じるのだろう。
エンディングの歌は一転して可愛らしいものになっていて、何度聴いても微笑ましく感じる程度のものだったが、最終話に近づくにつれてこの曲もしみじみとした味わいが出てくるから不思議である。

佐藤好春氏のキャラクターデザインも言う事はない。スタジオ・ジブリで仕事をした事もあるから、宮崎駿やジブリの絵柄に似た感じを受ける人も多くいるだろう。この人の描く絵は、とにかく好きだ。



物語自体についてだが、そんな素手でロウソクを持ったらロウが垂れてきて火傷をするではないかとか、逃亡生活などせずに初めからアルフレドは国王か弁護士の下へでも馳せ参じていれば良かったのではないかとか、突っ込みたくなる細かい箇所は幾らかあるのだが、そうしたものを一切打っ棄ってストーリーは観る者を引き込む。
ロミオの双子の弟の健気さ、家族の絆、人身売買の卑賤さ、そうしたものが前面に出てくる序盤からテーマは友情へと流れ込んで、それがクライマックスまでずっと通される。

アルフレドとロミオの誓いに、幾度胸を打たれたろう。これ程までに固い契りを観て、心を動かされない人は果たしているのかと思ってしまうぐらいだ。
またアンジェレッタの様な気持ちを持った子供(人間)は今や世界のどこを探してもいないのかもしれないが、そうと感じていても彼女のひたむきな他者への想いには、ただただ心が打たれる。

もしもこの物語がもっと多くの話数を重ねていたら、例えば黒い兄弟11人の、それぞれの人物のエピソードに展開させられ(その人物像を深く描き出せて)、更に彼等の友情の結束を目の当たりにする事ができただろう。また、第2代黒い兄弟のリーダーとしてのロミオの奮闘振りがもっと存分に味わえた事だろう。もしくは、アンジェレッタのその後の様子も窺い知れたかもしれない。そう思うと、この物語がそれまでの世界名作劇場と比べて少ない33話で終わってしまった事が少し残念ではある。

アルフレド亡き後のニキータの台詞、
「どこかが、何かが間違っている!」
には、大切な人を失った者がいたく共感するだろう。



“ ロミオの青い空 ” には人を魅了し、牽引する力が強く漲っている。それでいて押し付けがましさがない。
このブログの最初に記したジョルジュ・サンドの以下の言葉、
人間が誤解し合い憎み合う事から世の不幸が生じている様な時代においては、芸術家の使命は、柔和や信頼や友情を顕揚して、清浄な風習や、優しい感情や、昔ながらの心の正しさなどが、まだこの世のものであり、もしくはあり得るという事を、或いは心を荒ませ或いは力を落としている人々に思い出させてやる事である。
これが、“ ロミオの青い空 ” では快い風の様に結実しているからだ。

仮に子供時代にこのアニメに触れていたら、どんなに僕の心が強く広がり、今現在に至るまでどれだけ逞しく生きて来られた事だろう。少なくとも、放送当時に観ていれば良かったと悔やまれる。
とはいえ、今この作品に触れた事は僕にとって大きな意味があり、大きな財産となった。僕にとって宮崎駿作品と肩を並べるぐらいのものと言っても、過言ではない。

こうした友情に憧れる。芯から憧れる。--そして誰でも、きっと憧れるはずだ。

一生涯心に残る作品である。
この作品を観る事なく生涯を終えずに済んで、本当に良かったと思う。




白いおうむの森

2006年10月21日 00時10分13秒 | 絵本・童話・児童文学
作 安房直子 
偕成社文庫



安房直子という名前を知ったのは、4年程前。以来いくつかの作品を読んできたが、この文庫は書店で初めて見かけ、その表紙に一目惚れして買った童話集。
1973年に筑摩書房から刊行された同作品集の表紙もそれなりに味わいがあるが今や絶版で、こちらの表紙の方が僕としては好みでもある。


雪窓
白いおうむの森
鶴の家
野ばらの帽子
てまり
ながい灰色のスカート
野の音


以上7つの物語から成るこの作品集、解説にもあるように遠くにいる人に対する想いを悲喜こもごもに描いていて、そして安房直子らしい不可思議さがそこかしこから匂い立っている。読み手はその霧のような捉え所のない雰囲気に呑まれ、キツネにつままれた感じに襲われるだろう。



僕にとって特に絶品なのは、以下の3作品。

“ 鶴の家 ”
最後の件が素晴らしく、それまでの経緯が非常に上手く昇華されている。構成が1番優れていると思う。

“ ながい灰色のスカート ”
ムソルグスキーの “ 展覧会の絵 ” を髣髴とさせるシーンがいくつか登場し、またスカートの主とやらが異常に不気味でその正体が果たして何であるのかと想像を掻き立てられる。

“ 野の音 ”
女性作家らしく、裁縫を話の軸に据えた哀しい物語。幻想性が秀でている事に加え、勇吉とおばあさん双方の想いが分かるだけに読んでいて辛い一面もある。



こうした作品群に触れると、大人と子供とを分けている日常、あるいは隔てて考える事自体が全て意味を成さないと感じて止まない。
そして安房直子が50歳で早世した事が、本当に悔やまれる。





一条の暁

2006年10月10日 01時50分14秒 | 散文(覚書)
長袖の中に落葉の風が

指先から手首を伝って

僕をくすぐる

もうすぐ2人きりの夜明けだ



けれど

こんなにも眠いのなら

君と

またあの歌を聴けば良かった

遠く遠く

どこまでも続くベッドのシーツに

必死になって泳いだ君を

抱いていれば良かった



マスカラの転がった絨毯に

僕も黒い声を塗れば

君は納得したのだろうか

「ねえ、太陽の場所を教えて」

僕には、そう聞こえたんだ



湯舟からあがったばかりの長い黒髪に

裸電球の無聊さが映っていたのを

君は知っていたか

僕らの心細い太陽が当たっていたのを

君は感じていたか

その濡れた黒髪を

僕は黙って抱いただけだったのに



陽は伸びて

昨日と何ら変わりないように

高層ビルの窓ガラスに

その1枚1枚を割り振ってゆく

「きれい……」

その瞳を見たのが最後だったね

裸電球よりも眩しい

どんな一等星よりも輝かしい

朝焼けの歌

そこに僕はいなかった



交わした歌の契りは

一条の陽光に包まれて

君を元の眠りに戻した




長袖から落葉の風が

手首から指先を伝って

僕を震わす

もうすぐ1人きりの夜明けだ



あのビルに映えた太陽を、

あのビルに映えた太陽を、

あの---ビルに生えた太陽を、

僕は心の底から忘れない






恋一夜

2006年10月06日 01時20分58秒 | 散文(覚書)
恋することを忘れてしまった私には

どうやって傘をひらいたのかさえ思い出せない

秋の虫たちが蛍に別れを告げても

月明かりに星明かりは

眉宇に化粧を零すというのに



梨の生る木にもたれてみては

ほのかな甘い匂いをそっと抱いて

胸で鳴く虫たちへ与えてみた

さすれば果汁は雨に抱かれ

やがて虫は微睡(まどろ)み

一献の泥濘となりゆく



果たして

十の河があったとして

そこには一の砂塵もない

あるのはただ

ひたすら煙る雨向こう

河に投げ打つ身の粛清



透明の傘に広がる

幾夜の水滴よ

おまえたちが流れる度に

私の手は濡れるのだ

握り締めても握り締めても湯気を昇らせる握り飯のように

私の手は白く

この心臓に白く蒸留するのだ



私の耳にかかる

たったひとつの毛帽子よ

おまえが目蓋に口付ける度に

この手は震えるのだ

払い除けても払い除けてもまとわり付く幻影のように

私の手は紅く

胸の峡谷で紅く震えるのだ



星の滴が雨の名残りとなって

この手に余る傘に堕ちた時

私はその涙の筋間から

また星の瞬きを瞳に映し

何物も聴こえない鏡のピアスに

さらざら

さらざらと

両の耳たぶを差し渡す



すぼめた傘は

もはやひらけない

ひらくのは

私の雨向こう

雨彼方



あなたは梨の香りを

そこに嗅ぐだろうか






ミュージック・オブ・ハート

2006年10月01日 15時55分48秒 | 映画
1999年作品

監督:ウェス・クレイヴン
脚本:パメラ・グレイ
 
出演:メリル・ストリープ
     アンジェラ・バセット
     グロリア・エステファン
     エイダン・クイン  他
           


《物語前半の粗筋》

海軍の夫に逃げられ意気消沈のロベルタ(メリル・ストリープ)は赴任先で購入した大量のヴァイオリンとともに実家へ戻る。偶然里帰りをしていた同級生ブライアン(エイダン・クイン)の口添えで、ヴァイオリンを教える臨時教員の職にありついた。場所はイーストハーレムの小学校。ブライアンの支えもありロベルタは複雑な家庭環境に置かれた子供たちの指導に打ち込む。彼らはみるみる上達し、父兄を前に開いた演奏会も大盛況。だが実生活では息子が彼女の離婚以来荒れており、結婚観の食い違うブライアンとも別れて…。



以前知人に勧められて、昨夜初めて観た。
クラシック音楽を聴く人にとっては楽しめる事請け合いだし、聴かない人にとってもきっと何かしら得るところの大きい映画だと思う。

物語は主人公と彼女を囲む子供達のヴァイオリン演奏を軸に、日常の悲喜こもごもを織り交ぜて展開していく。ハーレムという特殊な環境で育つ子供の1人1人がヴァイオリンに魅せられていき、一方でその演奏(練習)から離れなければならない者もいたりと、鑑賞していてその度に心が揺れ動く。この作品が実話を基にしているというのだから、その感動は尚更深い。

練習の際は厳しく、折々汚い言葉も発する教師ロベルタ。彼女を演じたメリル・ストリープは正に適役で、本人その人ではないかと錯覚するほどだ。言うまでもなく名女優として数々の作品に出演してきたストリープは本作においても滋味溢れていて、一本気の強い主人公の性格も見事に表している。こんな先生が身近にいたら、子供達は厳しい練習に青息吐息になっても音楽を奏する喜びに浸れるだろうと素直に感じてしまった。

試練と苦悩、希望と歓喜が次から次へと波打つストーリーは片時も目が離せなく、まして後半で本物のプロの演奏家が登場するシーンでは心が沁みる。今は亡きアイザック・スターンをはじめ、ジョシュア・ベルやイツァーク・パールマン等が子供達と共にヴァイオリンを手にしている、その絵を観るだけでもクラシック・ファンにはたまらない。

セリフの1つ1つもまた各々の人物像を明瞭に表現していて、どのキャラクターに感情移入するか(できるか)でこの作品の楽しみ方が広がる。
例えば物語の大詰め、某場所へ向かう車中で主人公の母親が娘に言うセリフは皮肉にも聞こえがちだが、その心意気で生きていればどんな困難からでも這い上がれるだろうと思わせてくれる。どんなに長い時間がかかっても…。

こんなに感銘を受けたアメリカ映画は久し振りだ。内容に関してあまり多くは述べたくないので、未見の方には強く勧めたい映画である。