銀河夜想曲   ~Fantastic Ballades~

月が蒼く囁くと、人はいつしか海に浮かぶ舟に揺られ、
そして彼方、海原ワインのコルクに触れるを夢見、また、眠りにつく……

ちひろの絵・その3

2006年09月28日 23時28分56秒 | いわさきちひろ、その人と作品
窓ガラスに絵をかく少女
1968年
絵本 “ あめのひのおるすばん ”



水色の雨をなぞっていたら、
 
        青がうまれて

薄紅色の雨をなぞっていたら、

        紫がうまれたよ

そうしてここにたくさんの滴が流れ着いて、

わたしはひとつの、大きな雨になった



あの日のてるてる坊主、どこに行ったかな

わたしを思い出して、今、ここにいるのかな



さっきから左手がきゅっとなって

わたしの心が海に流れるみたい

そう

母さんの帰りを待っている

昔のわたしのように



雨がね

また小川にうまれかわるのは

窓にこの手紙を

とどけるからなの








“ もののけ姫 ” の主題歌

2006年09月24日 23時29分21秒 | 宮崎駿、その人と作品
1997年に劇場公開された “ もののけ姫 ” は、当時、興行収入記録と観客動員数記録で日本映画史上トップとなった。作品規模の大きさからもジブリ・ファンの注目度は大きかっただろうし、“ 紅の豚 ” の公開から5年を経ていた事から生粋の宮崎駿ファンの期待度は相当に高かっただろうから、公開されるまでの予備初速とでも言おうか、旋風が吹き荒れる兆しは既に水面下で起こっていたと捉えて良いと思う。

この映画の話題は他にも色々とあるが、主題歌にも世間が注目した事を忘れてはならない。
米良美一(めらよしかず)--彼の功績も実に大きい。カウンターテナー歌手として、それまでクラシック音楽や日本の古い歌曲を歌っていた彼が “ もののけ姫 ” の主題歌の歌い手として抜擢され、一躍その名が知られる事となったのは周知の通りである。

映画館で初めてこの作品を観て、物語中盤で主題歌が流れた時、僕は異様なまでの冷気と畏怖を感じた。空調で館内が冷やされていたのとは別に、何と言えば良いのだろう、もののけ姫であるサンの絶対的な孤独と悲哀が切々と染み渡ってきて、心身丸ごと無常の雨に打たれたのだ。
この曲は序奏からして、人の心に儚い誠たるや如何なるものかを沁みゆかせる力が宿っている。その強靭な引力に、僕は一瞬にして呑み込まれた。
ましてこの歌が流れるシーンは劇中最大の見せ場といっても良いぐらいに緊迫したもので、アシタカとモロが問答する圧巻な様子に、ただただ息を呑むばかりである(トップ画像はその1コマ)。
米良美一の、夜天を覆う様な、そして澄み切った中性的な歌声に魅了された人も多くいるだろう。苦しいまでに、胸を丸ごと掴まれる。


宮崎駿監督作詞による主題歌は、以下の通り。


はりつめた弓の
   ふるえる弦よ
月の光にざわめく
   おまえの心

とぎすまされた
   刃の美しい
その切っ先によく似た
   そなたの横顔

悲しみと怒りにひそむ
   まことの心を知るは
森の精
   もののけ達だけ 
   もののけ達だけ



この曲は1番のみ歌詞が付いていて、2番は uh と ah の2音による歌唱で同じ旋律が繰り返される。
宮崎監督は2番の歌詞も考えたのだが、結局は1番と比べて相応しいものが浮かばなかったため、やむやむ uh と ah の2音による歌唱にしたのだそうだ。
僕はこの2番の、歌詞にならない歌詞も大変好きで、かえって下手な言葉を付帯させなくて良かったと思っている。この方が、サンの言い尽くせぬ複雑な心情が見事に伝わってくるからだ。抽象を以って具象とする技があるのだという事を、僕はここに学んだ訳である。

本心を言えば、ここに僕なりの2番を書き連ねてみようと考えていたのだが、改めて主題歌をじっくりと耳にしてみて、やはりそれが意味を成さないと痛感した次第である。
















イ・ムジチのヴィヴァルディ

2006年09月23日 23時39分56秒 | クラシック音楽
イ・ムジチ合奏団といえば、とりわけヴィヴァルディ作品の演奏の代名詞として今も多くの人に認知されている。その筆頭が “ 四季 ” だが、他にも僕が強く愛着を抱いている演奏がある。
それは、

協奏曲 ホ短調 “ お気に入り ” RV.277
協奏曲 ホ長調 “ 安らぎ ” RV.270
協奏曲 ハ短調 “ 疑い ” RV.199
協奏曲 ニ長調 “ 不安 ” RV.234
協奏曲 ホ長調 “ 恋人 ” RV.271

の、副題付きのヴァイオリン協奏曲である。
これ等は、まだステレオ録音技術が産声を上げて間もない1958年1月に録音された、非常に貴重な演奏である。

現在も毎週日曜日に放送されているNHK-FMの番組《20世紀の名演奏》で初めてこの演奏を耳にした時(10年位前だったか?)、その弦の丸みを帯びた、そして一等艶やかな響きに心奪われ、運良く録音していたテープを何度も何度も繰り返し聴いたものだ。
例えば古楽器(オリジナル楽器)で鋭利に奏でられたり、もしくは疾風怒濤に捲くし立てられるものとは正反対で、まろやかで匂い立つ様な気配と一糸乱れぬ合奏能力の高さはこうして文章で評する事が無意味に思われる程だ。特に “ 疑い ” & “ 安らぎ ” & “ 恋人 ” に関しては、各々の作品世界と芳醇な香りが相俟って、ただただ素晴らしいの一言に尽きる。
番組内ではレコードを流していたので、CDでは入手しにくいのかとずっと諦めていた。そうして何年も過ぎた頃、滅多に立ち寄らない秋葉原の店で全く同じ内容のCDを見つけた時は喜び一入だった。

1952年4月、イタリアのラジオ放送用にリハーサルしているイ・ムジチを聴いたアルトゥーロ・トスカニーニが、ジャーナリストや音楽界の人々の前で彼等について熱っぽく語り、自らの写真に
「素晴らしい!絶品だ!まだ音楽は死んでいなかった!」
という言葉を寄せて彼等に贈ったという逸話や、単純に
「世界一美しい室内合奏団だ!」
と絶賛した事は有名だが、正に結成当時しばらくは、こうした賛辞に異を唱える輩はいなかったであろう。

初代コンサート・マスターのフェリックス・アーヨ以降、そこに座する者は目まぐるしく変化を遂げてきたが、《20世紀の名演奏》で司会の黒田恭一が口にしていた通り、アーヨの率いていた時代こそ間違いなくこの合奏団の一番煌めいていた時だろう。
実を言えば、イ・ムジチは1993年7月に同5曲+1曲を1枚のCDに再録音している。コンサート・マスターはマリアーナ・シルブ。しかしどの曲もフレーズが短く切られていて、作品自体が上手く呼吸できていなく、あたかも苦しげに喘いでいるようだ。イ・ムジチの音色も乾いたものになってしまっている。先に述べた1958年演奏の輝きには、到底及ばない。

更に付け加えるならば、これ等5曲は他の演奏団体も録音している(種類は少ない)が、やはり間違いなく、結成間もないイ・ムジチこそトップに位置する名演である。この合奏団のこの時期に奏でられたものを聴いて初めて、その醍醐味を存分に味わえると断言していい。
恐らくレコードの方が一層馥郁たる空気を伝えているだろうから、いつかもっと歳を経た晩秋の日にでも聴いたら、回転するレコードを見ながら若き日々を懐かしく思い出すのに一役買ってくれるのかもしれない。

とにもかくにも、この演奏がステレオで録音された奇跡に深く感謝したい。

画像は、昨年の演奏会のチラシで使われたもの。






トンボの唄

2006年09月18日 05時22分07秒 | 散文(覚書)
蚊のように

羽音の聞こえない

名もなき明日の

トンボの唄

すこしく止まって

また動き出す



水辺のアメンボに

ルルと言い残し

父が作ってくれた

暁の紙飛行機の羽とは

逆の方へ飛んで行き

おまえはどこから空を見る



畳に寝返り打って

布団は雨ざらし

そんなわたしの鼻に

トンボの唄

その尾のしなやかさが

弱った魚を食ってしまったのか



七輪に焼かれた鱗は

香草よろしく軒先まで這って

わたしの舌にのるけれど

ごうごうと音を立てる夕闇が

おまえをさらうから

舌はまた

なおさら痛む



トンボよ

とある魚がおまえを嘆いていたよ

止まるのは

切り株の上か

軒先の下に広がる空の一点か

どちらかにせよと

とある鱗が焼けながら

昇る煙と袂を絞っていたよ



忙しく羽を震わせ

何ら苛立ちも愚痴も立てない

おまえたちの愛しき言葉に

秋の風が

ただただ一息二息

草を乾かして

乾かして





ちひろの絵・その2

2006年09月07日 04時27分48秒 | いわさきちひろ、その人と作品
スケッチブックを持つ青い帽子の少女 
1971年



最後に、もう1度だけ。

わたし、何を描いたと思う?

お母さんがね、この帽子をかぶせてくれたの



秋になると、細い雨が降るから

もう1度だけ

白いワンピースを着させて



いいえ

スケッチブックを

羽織らせてね

ウスバカゲロウのように



みんな

傘で遊んでるわ



ここには

夏の前と後が

ひらいてるの



薄手のワンピースが

少しだけ

波を呼び戻して