糸杉の中でセルフ4の字固めで決めてみました。
アルハンブラ宮殿全体が軍艦だとすると、その舳先のような城、アルカサバに入りました。
アルカサバは前にも書いたけど、アルハンブラで最も古い建物でローマ時代にムーア人が9世紀に築いたものです。
---ムーア人(モーロ人)---ウィキペディアより
ローマ時代に北西アフリカの住民(ベルベル人)をマウハリムと呼んだことに由来する。マウハリムはフェニキア人の言葉で「西国の人」を意味する。
7世紀以降には北アフリカのイスラム化が進み、イベリア半島に定着したアラブ人やベルベル人は原住民からモロと呼ばれるようになる。次第にモロはアラブ、ベルベル、トルコを問わずイスラム教徒一般を指す呼称となり、レコンキスタ以降は再び北西アフリカの異教徒住民を指すようなる。
------
展望台からの眺め、その1
屋根が統一されていてグラナダの町並みが素晴らしく綺麗です。
この日は日差しが強烈で写真が全部白っぽくなっていますが、白と赤褐色で統一された景色です。
おそらく、屋根瓦の種類、色がなく、自然と同じ素焼きの屋根瓦になったのでしょうが、現代の多種多様、良質な建材が豊富な色数があると、こうはなりませんね。
個人では好みのものを選べて良いのでしょうが、町全体の美しい景観ということを考えると残念なものになりますね。
全体の景色は入らないのでパノラマで撮ってみました。
まあ、写真じゃ、どうしても迫力がないですが、仕方ないです。
白い外壁と赤褐色の屋根が美しい街並みです。
街の中は迷路の様でした。
GPS携帯がなければ迷子になる可能性が大です。
前回に載せるべき動画を忘れてしまったんで、ここで載せます。
グラナダの街が前半で見えます。
展望台からの眺め、その2
アルカサバの城の中に街があったみたいです。
あそこは井戸かな、トイレかなとか、いろいろ想像してました。
展望台からの眺め、その3
遠方にネバダ山脈の白峰が見えるはずですが、ちょっとガスっていて見えませんでした。
なかなか攻めにくい強固な要塞にみえますね。
もしアルハンブラを攻めるとしたら、こちらからは難しそうです。
下から登るだけでも困難です。
そして、やや遠方にグラナダ市民の信仰の柱であるグラナダ大聖堂(カテドラル サンタ マリア デ ラ エンカナシオン)が見えました。
確かに上から見たら十字の形になっているのがわかります。
スペイン国内ではローマ・カトリック教会が圧倒的に最大規模のキリスト教の教派らしいですが、ほとんどのスペイン人、特に若者はカトリックの道徳的、政治的、性的な教えを無視し、ミサにも定期的に参列しないらしいです。
これは、スペインだけじゃないようです。
どうも世界的な傾向の様ですね。・・・参考:教会の危機(ウィキペディアより)
フランスでもカトリック教徒が、著しく減少しているようです。
なぜなんでしょうか?
日本における仏教みたいなものでしょうか?
そして、イスラム教がスペインでローマ・カトリックに次いで第二の宗教であるらしく、さらにイスラム圏からの「移民」もあるわけで、「歴史は繰り返す」からいえば、今度はローマ・カトリックを抑え、再びイスラム教がスペインを制覇する時代への移行期なのかもしれませんね。
現在、スペインのバルセロナの北、サルトという街では既に、ムスリムの割合が「40%」にも達しているということらしいです。
お互いが共存の心で認め合えば良いのですが、どちらも排他的一神教であるが故の定めなのかもしれません。
難しい問題ですね。
さて、次はイスラムの王様が宮廷の雑務からのがれて憩いの時を過ごすための「アルハンブラ宮殿の大奥、夏の別荘」という感じのヘネラリフェ離宮へ向かいました。
---ヘネラリフェ(ムハンマド3世(1302年-1309年)の時代に建設された)---以下、ウィキペディアより抜粋
ヘネラリフェは、アルハンブラ宮殿の北、チノス坂をはさんだ北側の太陽の丘に位置する。別荘内のアセキアの中庭(Patio de la Acequia)は細長い池を囲むように花壇、噴水、柱廊が設けられている。アセキアの中庭は、アンダルシア地方におけるイスラーム建築において、もっとも保存の状態が良いものの1つである。
------
コンサートなどが開催される野外劇場へと続く道として、最近新しく作られた庭園。
その途中、脇にそれて撮ってみました。
まだ、元気!
アセキアの中庭
庭にはグラナダの北にそびえるシエラネバダ山脈の雪解け水を利用した小さな噴水が多く設置されてます。
スルタナの糸杉の中庭
スルタナとは「王妃」のことで、ここで王妃が若者と密会していたと伝えられる場所だそうで、女性も負けてません。
チョロチョロ流れ出る噴水の水に落ちる音が涼しさを運んできます。
流しそうめんの階段?
階段の手すりのところが水が流れるようにできていました。
急ではありますが、流しそうめんが出来そうです。
階段の途中の小さな踊り場も小さなチョロチョロ水の流れる噴水
これなんだっけかな?
時間が経ちすぎて忘れてしまいました。
何かの壁の細工かなと思うけど。
一辺が15センチくらいのものだったと思います。
とても、細かくて見事ですね。
アルハンブラ宮殿を眺めたところ
ヘネラリフェとは小さな谷で区切られています。
手前に小さな畑がありました。
オリーブ以外の畑をみたのはこれが初めてなんで、ついでに撮ってます。
スペインのカラスでしょうか?
カラスにしては可愛らしい感じです。
あの大きな黒々としたパワフルなカラスに似てない?
なんか、今思い出すとゴミに群がるカラス的なものは全く見かけませんでした。
あれ???
カラスって、スペインにはいるのかなぁ?
この辺りで疲れ果て、小さな噴水で座り込みました。
とにかく、アルハンブラ宮殿は広い!
シッカリと見学しようと思ったら2日はかかりますね。
もう、心底疲れたので、グラナダの街に戻って一杯飲もうと決めたのでした。
まだ、見る箇所あるのですが、惰性で見ても心に何も残りません。
残りは全てパス!!!
これが帰り道です。
一歩一歩の足が重い!
宮殿前のバス停からアルハンブラバスC3で街の中心であるカテドラルまで戻りました。
さて、一旦ホテルまで戻って、荷物を受け取らなければなりません。
でも、再び、アルバイシンの街中の急な坂を登りたくない!
疲れちゃった。
そこで、かなり遠回りになりますが、アルハンブラバスC1(アルハンブラ宮殿北のダーロ川沿いに走り、サクラモンテの洞窟方面経由、アルバイシン行)を利用しました。
バス停がホテルの前にあるので、便利なんです。
荷物を受け取り、再びアルハンブラバスに乗り、カテドラルへ行きました。
目指すは昨日のバルです。
もう、アレコレ探すのは面倒で、早く一杯飲みたいし、雰囲気も気に入ってました。
この日は、疲れちゃったんで写真もあまりないです。
ひたすら、食べたいものを食べ、ワイン、シェリーを飲んで、ちょっと酔いました。
店長(手前)と配達人(奥)
客のことなどまるで気にせず、食材の配達に来た人と店長がカウンターの中で親しげに笑いながら長いことしゃべってました。
日本じゃ、こんなことはないだろうなぁ、
と思いながら見てました。
何をどう思ったかというと…
・配達の人は、サッサときりあげて、次の配達に行かなくていいんですか?
・日本だったら、店長と配達の人は「得意先という上下関係」があるから、こんなに親しくしてないよね?
ということで、( ^ω^)・・・
この緊張感のない緩い関係がいいなぁと思ってみてました。
日本じゃ、配達時間に遅れてきた配達人が店長に怒られていたり、客あしらいや配膳をテキパキやらないといけないような緊張感があったりで、まあ活気があるのは良いことなんですが、こんなノンビリ感も良いよなぁと思ってみてました。
それでも、この店は常に満員ですよ。
食べたものでなんとなく覚えているのは、小エビのアヒージョみたいなやつ、ホタルイカ?のフライ、チョリソ―、牛肉のアヒージョ、・・・
実は、今日は、深夜に飛行機(LCC)でバルセロナに向かいます。
本当は寝台列車で行きたかったのですが、どうしても予約が取れませんでした。
ネット上で予約するのですが、何故かとれない。
いまだにハッキリした理由がわかりません。
ちょっと飲みすぎたかな?と思う頃に店を出ました。
まだ、外は明るいですが、多少、明るいうちに行かないとバス停が見つけられないと思いました。
いつも背負ってるザックが重いです。
探しました、バス停
アチコチ、グルグルと・・・。
市内バスのバス停はハッキリしてるんですが、エアロバスの停まるバス停がサッパリわかりません。
お酒に酔っていることもあり、脳細胞が活発に動かず、なにがなんだか?
それでも、なんとか、なんとか、トボトボと空港まで行くバスが停まるバス停に行きつきました。
それが、これ↓
ですが、バスは丁度走り去り、次のバスが来るまでは時間がありました
もう、自分の旅のポリシーを無視し、さっさとタクシーに乗ったとさ!
飛行機の出発時間は22時30分。
それまで、ロビーの椅子で爆睡しました。
おやすみなさい
(つづく)
当ブログは若者の自立を支援する団体、NPO法人ネイチャーズを応援しています。
NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
悩める若者や親御さん、是非お御問合せください。丁寧に対応してくれると思いますよ。
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アルハンブラ宮殿全体が軍艦だとすると、その舳先のような城、アルカサバに入りました。
アルカサバは前にも書いたけど、アルハンブラで最も古い建物でローマ時代にムーア人が9世紀に築いたものです。
---ムーア人(モーロ人)---ウィキペディアより
ローマ時代に北西アフリカの住民(ベルベル人)をマウハリムと呼んだことに由来する。マウハリムはフェニキア人の言葉で「西国の人」を意味する。
7世紀以降には北アフリカのイスラム化が進み、イベリア半島に定着したアラブ人やベルベル人は原住民からモロと呼ばれるようになる。次第にモロはアラブ、ベルベル、トルコを問わずイスラム教徒一般を指す呼称となり、レコンキスタ以降は再び北西アフリカの異教徒住民を指すようなる。
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展望台からの眺め、その1
屋根が統一されていてグラナダの町並みが素晴らしく綺麗です。
この日は日差しが強烈で写真が全部白っぽくなっていますが、白と赤褐色で統一された景色です。
おそらく、屋根瓦の種類、色がなく、自然と同じ素焼きの屋根瓦になったのでしょうが、現代の多種多様、良質な建材が豊富な色数があると、こうはなりませんね。
個人では好みのものを選べて良いのでしょうが、町全体の美しい景観ということを考えると残念なものになりますね。
全体の景色は入らないのでパノラマで撮ってみました。
まあ、写真じゃ、どうしても迫力がないですが、仕方ないです。
白い外壁と赤褐色の屋根が美しい街並みです。
街の中は迷路の様でした。
GPS携帯がなければ迷子になる可能性が大です。
前回に載せるべき動画を忘れてしまったんで、ここで載せます。
グラナダの街が前半で見えます。
展望台からの眺め、その2
アルカサバの城の中に街があったみたいです。
あそこは井戸かな、トイレかなとか、いろいろ想像してました。
展望台からの眺め、その3
遠方にネバダ山脈の白峰が見えるはずですが、ちょっとガスっていて見えませんでした。
なかなか攻めにくい強固な要塞にみえますね。
もしアルハンブラを攻めるとしたら、こちらからは難しそうです。
下から登るだけでも困難です。
そして、やや遠方にグラナダ市民の信仰の柱であるグラナダ大聖堂(カテドラル サンタ マリア デ ラ エンカナシオン)が見えました。
確かに上から見たら十字の形になっているのがわかります。
スペイン国内ではローマ・カトリック教会が圧倒的に最大規模のキリスト教の教派らしいですが、ほとんどのスペイン人、特に若者はカトリックの道徳的、政治的、性的な教えを無視し、ミサにも定期的に参列しないらしいです。
これは、スペインだけじゃないようです。
どうも世界的な傾向の様ですね。・・・参考:教会の危機(ウィキペディアより)
フランスでもカトリック教徒が、著しく減少しているようです。
なぜなんでしょうか?
日本における仏教みたいなものでしょうか?
そして、イスラム教がスペインでローマ・カトリックに次いで第二の宗教であるらしく、さらにイスラム圏からの「移民」もあるわけで、「歴史は繰り返す」からいえば、今度はローマ・カトリックを抑え、再びイスラム教がスペインを制覇する時代への移行期なのかもしれませんね。
現在、スペインのバルセロナの北、サルトという街では既に、ムスリムの割合が「40%」にも達しているということらしいです。
お互いが共存の心で認め合えば良いのですが、どちらも排他的一神教であるが故の定めなのかもしれません。
難しい問題ですね。
さて、次はイスラムの王様が宮廷の雑務からのがれて憩いの時を過ごすための「アルハンブラ宮殿の大奥、夏の別荘」という感じのヘネラリフェ離宮へ向かいました。
---ヘネラリフェ(ムハンマド3世(1302年-1309年)の時代に建設された)---以下、ウィキペディアより抜粋
ヘネラリフェは、アルハンブラ宮殿の北、チノス坂をはさんだ北側の太陽の丘に位置する。別荘内のアセキアの中庭(Patio de la Acequia)は細長い池を囲むように花壇、噴水、柱廊が設けられている。アセキアの中庭は、アンダルシア地方におけるイスラーム建築において、もっとも保存の状態が良いものの1つである。
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コンサートなどが開催される野外劇場へと続く道として、最近新しく作られた庭園。
その途中、脇にそれて撮ってみました。
まだ、元気!
アセキアの中庭
庭にはグラナダの北にそびえるシエラネバダ山脈の雪解け水を利用した小さな噴水が多く設置されてます。
スルタナの糸杉の中庭
スルタナとは「王妃」のことで、ここで王妃が若者と密会していたと伝えられる場所だそうで、女性も負けてません。
チョロチョロ流れ出る噴水の水に落ちる音が涼しさを運んできます。
流しそうめんの階段?
階段の手すりのところが水が流れるようにできていました。
急ではありますが、流しそうめんが出来そうです。
階段の途中の小さな踊り場も小さなチョロチョロ水の流れる噴水
これなんだっけかな?
時間が経ちすぎて忘れてしまいました。
何かの壁の細工かなと思うけど。
一辺が15センチくらいのものだったと思います。
とても、細かくて見事ですね。
アルハンブラ宮殿を眺めたところ
ヘネラリフェとは小さな谷で区切られています。
手前に小さな畑がありました。
オリーブ以外の畑をみたのはこれが初めてなんで、ついでに撮ってます。
スペインのカラスでしょうか?
カラスにしては可愛らしい感じです。
あの大きな黒々としたパワフルなカラスに似てない?
なんか、今思い出すとゴミに群がるカラス的なものは全く見かけませんでした。
あれ???
カラスって、スペインにはいるのかなぁ?
この辺りで疲れ果て、小さな噴水で座り込みました。
とにかく、アルハンブラ宮殿は広い!
シッカリと見学しようと思ったら2日はかかりますね。
もう、心底疲れたので、グラナダの街に戻って一杯飲もうと決めたのでした。
まだ、見る箇所あるのですが、惰性で見ても心に何も残りません。
残りは全てパス!!!
これが帰り道です。
一歩一歩の足が重い!
宮殿前のバス停からアルハンブラバスC3で街の中心であるカテドラルまで戻りました。
さて、一旦ホテルまで戻って、荷物を受け取らなければなりません。
でも、再び、アルバイシンの街中の急な坂を登りたくない!
疲れちゃった。
そこで、かなり遠回りになりますが、アルハンブラバスC1(アルハンブラ宮殿北のダーロ川沿いに走り、サクラモンテの洞窟方面経由、アルバイシン行)を利用しました。
バス停がホテルの前にあるので、便利なんです。
荷物を受け取り、再びアルハンブラバスに乗り、カテドラルへ行きました。
目指すは昨日のバルです。
もう、アレコレ探すのは面倒で、早く一杯飲みたいし、雰囲気も気に入ってました。
この日は、疲れちゃったんで写真もあまりないです。
ひたすら、食べたいものを食べ、ワイン、シェリーを飲んで、ちょっと酔いました。
店長(手前)と配達人(奥)
客のことなどまるで気にせず、食材の配達に来た人と店長がカウンターの中で親しげに笑いながら長いことしゃべってました。
日本じゃ、こんなことはないだろうなぁ、
と思いながら見てました。
何をどう思ったかというと…
・配達の人は、サッサときりあげて、次の配達に行かなくていいんですか?
・日本だったら、店長と配達の人は「得意先という上下関係」があるから、こんなに親しくしてないよね?
ということで、( ^ω^)・・・
この緊張感のない緩い関係がいいなぁと思ってみてました。
日本じゃ、配達時間に遅れてきた配達人が店長に怒られていたり、客あしらいや配膳をテキパキやらないといけないような緊張感があったりで、まあ活気があるのは良いことなんですが、こんなノンビリ感も良いよなぁと思ってみてました。
それでも、この店は常に満員ですよ。
食べたものでなんとなく覚えているのは、小エビのアヒージョみたいなやつ、ホタルイカ?のフライ、チョリソ―、牛肉のアヒージョ、・・・
実は、今日は、深夜に飛行機(LCC)でバルセロナに向かいます。
本当は寝台列車で行きたかったのですが、どうしても予約が取れませんでした。
ネット上で予約するのですが、何故かとれない。
いまだにハッキリした理由がわかりません。
ちょっと飲みすぎたかな?と思う頃に店を出ました。
まだ、外は明るいですが、多少、明るいうちに行かないとバス停が見つけられないと思いました。
いつも背負ってるザックが重いです。
探しました、バス停
アチコチ、グルグルと・・・。
市内バスのバス停はハッキリしてるんですが、エアロバスの停まるバス停がサッパリわかりません。
お酒に酔っていることもあり、脳細胞が活発に動かず、なにがなんだか?
それでも、なんとか、なんとか、トボトボと空港まで行くバスが停まるバス停に行きつきました。
それが、これ↓
ですが、バスは丁度走り去り、次のバスが来るまでは時間がありました
もう、自分の旅のポリシーを無視し、さっさとタクシーに乗ったとさ!
飛行機の出発時間は22時30分。
それまで、ロビーの椅子で爆睡しました。
おやすみなさい
(つづく)
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NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
悩める若者や親御さん、是非お御問合せください。丁寧に対応してくれると思いますよ。
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