始めに、現況のお知らせです。
今回の投稿は昨年の2019年8月4日に走った内容を思い出しながら追っかけて書いています。
実際は2020年3月26日に旧甲州街道は完走いたしました。
どうしても、行動の方が先走りしてしまい、記録の方が遅れがちです。
ですが、暇を見つけながら、記録の方も早く実際の行動に追いつきたいと思っています。
今後の街道ランの予定としては旧中仙道ランが和田峠手前の佐久平のあたりでストップしていますので、新型コロナウィルス騒動の様子と和田峠の雪の状態(最深積雪18cmほどのようだ)と天候を考慮しながら、できれば5月あたりに和田峠越えを考えています。
それでは、旧甲州街道ランの続きを始めます。
本橋から数えて32番目の宿場、阿弥陀海道宿はとても小さくて笹一の辺りから笹子餅の小さな店、創業明治38年「みどりや」辺りまでが阿弥陀海道宿なのでした。
ですから、朝早く電車で到着した無人の笹子駅はもう次の黒野田宿に向かった位置のようです。
黒野田宿、天野本陣跡
建物の右脇に立派な門が残ってました。
やはり、明治天皇行幸の記念碑が残ってますね。
単調な国道脇の鮮やかな花をみるとホッとします。
この花のそばに1台の車が錆び錆びになって放置されていました。
しかも、ガードレールの内側なんでどうやって放置しなのか?
なるべく忠実に旧街道を辿りたく、こんなとこへ入っていきました。
昔の地形状況を想像するに、この方向に向かった方が自然。
ですが、完全に草叢の中に向かっていきます。
ただ、通れそうなんで進んでいきました。
道は完全に無くなって、草叢の上を歩いていきます。
マムシでも出たら嫌だなと思いつつも、慎重に歩いていきました。
そして、国道20号線を横切るところに出るのですが、・・・。
矢印が旧道です。
狭くて哀れな旧道です!
旧道はアスファルトの道路から山道へ
笹子川沿いを行くのですが、笹子川はこんなに細い澄んだ流れになりました。
川遊びにはよさそうな場所です。
当然ですけど、この川の源流部が笹子峠になります。
笹子峠に向かう山道
坂の途中で違法投棄された大量の空き缶などのゴミの山がありました。
缶が錆びているので、かなり前から放置されたままだと思われます。
直ぐ上(写真、そのガードレールが見えます)が県道212号線(日影笹子線)なので、誰かがまとめて捨てたんですかね?
何でこんなことするのか!
実に嫌な気分です。
観光地なのですから、綺麗に片づけてもらいたいです。
(「あなたが自主的に持ち帰りなさいよ!」、と言われそうですが、集めたら大きなゴミ袋にいれても何袋も必要なぐらい大量に散乱してありましたので、良心が痛みましたが、見ぬふりをして通り過ぎました。)
その県道にいったん出てから、しばらくすると再び山道に入ります。
(県道沿いには観光の見所として「矢立の杉」の案内旗が立てられてました。)
笹子峠自然遊歩道入口
そんな俗世間の観光旗から離れて山の奥へと入ります。
崩れ落ちそうな木の橋
落ちて足でも挫いたら周囲に誰もいないので、大変です。
慎重にそろりそろりと足を運びました。
矢立の杉に向う観光の道のはずですが、倒木が激しく、あまり整備されていません。
この山道を利用して観に行くひとはとても少ないのでしょうね。
大抵の人は先ほどの県道を利用するのでしょう。
明治天皇御野立所跡
荒れ果てた寂しい山道ですが、明治天皇もココを通って休憩したのですね。
この辺りには三軒ほど茶屋があって、そのうちの中野茶屋跡です。
蕎麦飯が名物だったようですね。
写真ではピンボケして見にくいですが、中野茶屋跡の石垣の上に、子供を抱いた小さな石仏を見つけました。さらに、その傍らにもうひとりの子が「抱っこして!」とせがんでいるように見えます。
矢立の杉
樹齢千年の大木でした。
ただ、中は空洞化して地上から22mの位置で折れ曲がっています。
(写真の根元の方をみると分かります。)
それでも青々とした杉の葉が生えていてシッカリ生きてます。
矢立の杉(観光地だけど人はいません)
広重の矢立の杉(画像はkzのブログよりお借りしました。)
杉良太郎が作詞作曲した「矢立の杉」があります。
その動画の中に杉の空洞の様子が映ってますよ。
杉良太郎/矢立の杉
こんな頼りない木橋を渡り、さらに上に向かって登っていきます。
突然、鹿に出会いました。
沢の対岸で、すぐそばです。
自分も沢の音だけしかしない自然の中に溶け込みたくて、なるべく音を立てずに歩いていましたから、鹿も俺のの気配に気づかなかったようで、ビックリして一目散に崖を少し駆け上がり、いったんコチラをチラ見してから更に急な崖を登っていってしまいました。
あまりの、素早さに良く見てません。
ただ、コチラをチラ見したのはよくわかりました。
慌ててスマホのシャッターを切りました。
多分、写ってないだろうと思いましたが、帰ってきてから写真をみたら端の方に映ってました。
写真の〇の中を拡大してみた。
分かりますかね。
笹子峠の鹿の声(俺は興奮)
なお、表題を間違って和田峠としてしまいましたが、笹子峠の間違いです。
道はどんどんと急登な坂になりました。
狭い尾根筋を登っていきます。
足を踏み外すと、木や枝に引っ掛かるまで落下しますね。
息も絶え絶えですよ。
笹子峠は急ですね
一般道に出ました。
道路わきの山肌をみると砂岩でできているのがわかりますね。
ということは、ココは海とか川とかだったという事かな?
このあたりは斜面崩壊しやすいのではないでしょうか?
そして、1938年開通した笹子隧道にでました。
昭和レトロな粋なトンネルです。
隧道はくぐらず、隧道の右脇を高巻きしていきます。
先ほど書いたように砂岩で急こう配ですから、滑りますね。
ズルズル足元が滑りながら登ります。
狭い峠に着きました。
気持ち良い風が通り抜けていました。
ここから、下りです。
笹子峠と「白鳥」
あっと言う間に一般道(隧道の反対側)に出ました。
チューバでしたね。
車でここまできて、練習ですか。
偉いですね。
(つづく)
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NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
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今回の投稿は昨年の2019年8月4日に走った内容を思い出しながら追っかけて書いています。
実際は2020年3月26日に旧甲州街道は完走いたしました。
どうしても、行動の方が先走りしてしまい、記録の方が遅れがちです。
ですが、暇を見つけながら、記録の方も早く実際の行動に追いつきたいと思っています。
今後の街道ランの予定としては旧中仙道ランが和田峠手前の佐久平のあたりでストップしていますので、新型コロナウィルス騒動の様子と和田峠の雪の状態(最深積雪18cmほどのようだ)と天候を考慮しながら、できれば5月あたりに和田峠越えを考えています。
それでは、旧甲州街道ランの続きを始めます。
本橋から数えて32番目の宿場、阿弥陀海道宿はとても小さくて笹一の辺りから笹子餅の小さな店、創業明治38年「みどりや」辺りまでが阿弥陀海道宿なのでした。
ですから、朝早く電車で到着した無人の笹子駅はもう次の黒野田宿に向かった位置のようです。
黒野田宿、天野本陣跡
建物の右脇に立派な門が残ってました。
やはり、明治天皇行幸の記念碑が残ってますね。
単調な国道脇の鮮やかな花をみるとホッとします。
この花のそばに1台の車が錆び錆びになって放置されていました。
しかも、ガードレールの内側なんでどうやって放置しなのか?
なるべく忠実に旧街道を辿りたく、こんなとこへ入っていきました。
昔の地形状況を想像するに、この方向に向かった方が自然。
ですが、完全に草叢の中に向かっていきます。
ただ、通れそうなんで進んでいきました。
道は完全に無くなって、草叢の上を歩いていきます。
マムシでも出たら嫌だなと思いつつも、慎重に歩いていきました。
そして、国道20号線を横切るところに出るのですが、・・・。
矢印が旧道です。
狭くて哀れな旧道です!
旧道はアスファルトの道路から山道へ
笹子川沿いを行くのですが、笹子川はこんなに細い澄んだ流れになりました。
川遊びにはよさそうな場所です。
当然ですけど、この川の源流部が笹子峠になります。
笹子峠に向かう山道
坂の途中で違法投棄された大量の空き缶などのゴミの山がありました。
缶が錆びているので、かなり前から放置されたままだと思われます。
直ぐ上(写真、そのガードレールが見えます)が県道212号線(日影笹子線)なので、誰かがまとめて捨てたんですかね?
何でこんなことするのか!
実に嫌な気分です。
観光地なのですから、綺麗に片づけてもらいたいです。
(「あなたが自主的に持ち帰りなさいよ!」、と言われそうですが、集めたら大きなゴミ袋にいれても何袋も必要なぐらい大量に散乱してありましたので、良心が痛みましたが、見ぬふりをして通り過ぎました。)
その県道にいったん出てから、しばらくすると再び山道に入ります。
(県道沿いには観光の見所として「矢立の杉」の案内旗が立てられてました。)
笹子峠自然遊歩道入口
そんな俗世間の観光旗から離れて山の奥へと入ります。
崩れ落ちそうな木の橋
落ちて足でも挫いたら周囲に誰もいないので、大変です。
慎重にそろりそろりと足を運びました。
矢立の杉に向う観光の道のはずですが、倒木が激しく、あまり整備されていません。
この山道を利用して観に行くひとはとても少ないのでしょうね。
大抵の人は先ほどの県道を利用するのでしょう。
明治天皇御野立所跡
荒れ果てた寂しい山道ですが、明治天皇もココを通って休憩したのですね。
この辺りには三軒ほど茶屋があって、そのうちの中野茶屋跡です。
蕎麦飯が名物だったようですね。
写真ではピンボケして見にくいですが、中野茶屋跡の石垣の上に、子供を抱いた小さな石仏を見つけました。さらに、その傍らにもうひとりの子が「抱っこして!」とせがんでいるように見えます。
矢立の杉
樹齢千年の大木でした。
ただ、中は空洞化して地上から22mの位置で折れ曲がっています。
(写真の根元の方をみると分かります。)
それでも青々とした杉の葉が生えていてシッカリ生きてます。
矢立の杉(観光地だけど人はいません)
広重の矢立の杉(画像はkzのブログよりお借りしました。)
杉良太郎が作詞作曲した「矢立の杉」があります。
その動画の中に杉の空洞の様子が映ってますよ。
杉良太郎/矢立の杉
こんな頼りない木橋を渡り、さらに上に向かって登っていきます。
突然、鹿に出会いました。
沢の対岸で、すぐそばです。
自分も沢の音だけしかしない自然の中に溶け込みたくて、なるべく音を立てずに歩いていましたから、鹿も俺のの気配に気づかなかったようで、ビックリして一目散に崖を少し駆け上がり、いったんコチラをチラ見してから更に急な崖を登っていってしまいました。
あまりの、素早さに良く見てません。
ただ、コチラをチラ見したのはよくわかりました。
慌ててスマホのシャッターを切りました。
多分、写ってないだろうと思いましたが、帰ってきてから写真をみたら端の方に映ってました。
写真の〇の中を拡大してみた。
分かりますかね。
笹子峠の鹿の声(俺は興奮)
なお、表題を間違って和田峠としてしまいましたが、笹子峠の間違いです。
道はどんどんと急登な坂になりました。
狭い尾根筋を登っていきます。
足を踏み外すと、木や枝に引っ掛かるまで落下しますね。
息も絶え絶えですよ。
笹子峠は急ですね
一般道に出ました。
道路わきの山肌をみると砂岩でできているのがわかりますね。
ということは、ココは海とか川とかだったという事かな?
このあたりは斜面崩壊しやすいのではないでしょうか?
そして、1938年開通した笹子隧道にでました。
昭和レトロな粋なトンネルです。
隧道はくぐらず、隧道の右脇を高巻きしていきます。
先ほど書いたように砂岩で急こう配ですから、滑りますね。
ズルズル足元が滑りながら登ります。
狭い峠に着きました。
気持ち良い風が通り抜けていました。
ここから、下りです。
笹子峠と「白鳥」
あっと言う間に一般道(隧道の反対側)に出ました。
チューバでしたね。
車でここまできて、練習ですか。
偉いですね。
(つづく)
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NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
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すごいです!かっこいい!
千と千尋の冒頭に出てきそうなトンネルもいいですね!
カッコいいと言われると、照れますね。
ザック背負って走る変なオジサンですよ。