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インド、クソオヤジの心の旅(ガンジスを走れるか?)・・・9日目(その1)

2013年05月06日 | インド、オッサンの心の旅
<外国人の行方不明者は結構毎年いる>

昨夜は早く寝た。
ガンジス川の洗礼をうけたので、精神的にも疲れてしまった。

だから、逆に朝は早く起きてしまった。
まだ相当暗いうちから、ガートに出た。
それでも、その時間からすでに沐浴場には人が結構いて、水を浴びていた。

今日は、実質の最終日なので、チャイを飲み、朝日をみてから火葬場であるマカニカルガートへ行くことにした。
このころになると、祭りがピークに近づきつつあるため、日本人観光客が多くなった。
俺がバラナシに初めて来たときは、ほとんど見かけなかったが、今では石を投げれば…状態である。

年配のツアー客か、若者グループが多かった。
ひとりで、朝日を眺めていたら、若者が声をかけてきた。
どうやら、大阪の男女の若者たちのようだった。

良いホテルを探しているようで、俺はL君達から聞いた良いホテルを紹介してあげた。
ついでに、ボートの相場、オートリキシャの相乗りの仕方、も教えた。


サドゥには思えないサドゥ

火葬場では、火葬が始まっていたが、ひとりの30歳ぐらいの男が寄ってきて、勝手に火葬場の説明を始めた。
これは、大抵のガイドブックに載っているが、寄付金という名目での金目当ての詐欺野郎である。
払わないと脅したり、何人もの仲間が囲んで押さえつけられ財布を取られたりすることもあるらしい。
前に、この火葬場に来た時も、そういった若者が寄ってきたが、相手にしなかった。


だが、今日は敢えて相手になってやろうという気持ちになった。
なんとなく、やばいと感じたら、適当にRs100ぐらいでも金を渡して、逃げるつもりでいた。

インドでは外出時のお金は、小銭入れの他に、脅されたら渡す時のための財布(中はRs1000ほど)を持参していた。
それ以外は、旅行用の腹巻型の財布だったが、バラナシにきてからは、その程度では、なんとなくヤバイ感じがしていたので、ある程度の金(100ドル札数枚)はスニーカーのインナーシューズの下に入れていた。

それよりも、どんなふうに、寄付金をせびるのか、興味があった。


男は殆ど日本語がしゃべれないインド人だった。

普段は学校の先生をやっているが、休みの日は無償で火葬場のガイドをしているという。
そいつは、それらしく、白いワイシャツ姿だった。
だが、今日は月曜日、朝から先生がガイドなどしているわけがない。

念のために、ガイドは本当に無償なのかと再度確認をとった。
しつこく、何度も聞いた。
後で揉めた時に「言ってない」とは言わせないためである。
英語が完全に理解できたわけではないが、「ボランティアだから無償である」と言っていた。

とにかく、色んなことをペラペラしゃべっていたが、半分も耳に入らなかった。
というか、L君達から聞いて知っていることばかりだったから、そいつの顔ばかり見ていて言葉は耳にはいらなかった。

焼く前に、・ガンジス川に浸して清めることや、・女性は立ち会わせないこと、・喪主は白い服で頭を丸めていること、・24時間営業であること、・巻かれている布がオレンジなら女、白なら男であること、・赤ん坊とか、自然死じゃない人(たとえば火事で死んだ人)とか、お坊さんは石をくくりつけて、河に直接投げ捨てる、とかである。


そして、火葬場の種火なるものを見せてもらった。
そいつは3000年前から火を消さずに続いていると言っていたが、俺からすると疑わしい。
なぜなら、その割に扱いが雑だからである。
単なる太めの薪が石台の上にポンと置かれてるだけだった。
24時間営業だから、たしかに消えにくいが、大雨でも降れば消えるかもしれない。
それに、前来た時は5000年というやつもいたりしたから、適当だった。

男は、この火葬場にはバラナシで死を待つためのホスピスが隣接されているから、案内するという。
ホスピスとはいうものの。日本のそれとは違い、単に死を待つ人々の雨露をしのぐ待機所のようなものである。
ココが一番問題の場所であり、観光客を閉鎖空間に招き入れ、死を待つ人を見せた後、その人たちの薪代を寄付してくれというのが、お決まりのカツアゲコースである。

まず、そのホスピスは日本のJICAの支援で建てられたと言う。
俺は、そのこと自体が疑問だった。
建てるなら、もっとましな清潔な施設を建てるんじゃないだろうか?
そして、奴は日本人は大変親切だということを誇張するのだった。

奴は質問形式の言い方をした、

「薪は、菩提樹ですが、キロあたりいくらだと思いますか?」

そんなの、知ってるわけねぇだろうと思いつつ、適当に答えた。

たしか、非常に高価で1キロあたりRs150ぐらいだということだった。

貧しい人は、薪代が払えないとこぼすのであった。

兎に角、中を見てほしいというので、言われるがままに入ってみた。

もちろん、周囲に仲間がいないか、確認しながら入った。
(朝、早くて、その男以外は誰も近くにいなかった。
最悪、その男を振り切れば逃げられるし、その男は若いというだけで俺よりも背が低く、小さかった。
大男だったら、こんな気にはならない。)


幅1mくらいの石の 階段を上がると 数名の 老人が 石畳みの上で毛布を被って寝転んでいる。
皆、遠方の地から歩いてココまでやってくる貧乏人である。
窓を背負って真ん中で小さな焚火をして座っている老サドゥがいた。
どうも、サドゥが死を迎える人の面倒をみているようだった。
だが、そのサドゥも相当な老人で、老老介護状態に見えた。

サドゥが、俺に向かって、こっちへ来い、という。
家族はいるのか、とか、元気なのかとか、男を介してヒンドゥー語で聞いてきた。
そして、家族のために、祈ってやるというのであった。
俺のお凸にサフランの黄色い粉を付け、なんだかんだと呪文らしきことをするのだった。

その後に、男はサドゥの前で俺に寄付の話をし始めた。
まず、お坊さんにいくらか渡してやってくれないか、と言い出した。
俺は、この坊さんならと思い、Rs50札を渡してやった。
例によって、坊さんは淡々と受け取った。
いくらかでも、貧しい人のためになるならと思い、渡したのである。

そこからが問題である。
「昨日も優しい日本人が貧しい人のためにRs2000寄付していった。」、そして「本当に日本人は優しい。」というようなことをまわりくどく言ったのち、お前も寄付をしないかと言うのだった。

この寄付はまずインチキである。
貧しい人につかわれることなく、タバコやマリファナなどに使われるだけだ。
だから、絶対払うつもりはなかった。
だから、その話を聞いたとき、そいつの顔をジッと見たのち、黙って階段を下りて行った。

男は後ろから、ベラベラ寄付の話をしながら付いてきたが、俺に払う意思がないとみるや最後にこう言ったのだった。

「ガイドしてやったんだから、ガイド料よこせ!」

ついに、本音が出てしまったようだった。

振り向いて、できるだけ静かにこういった。

「まず、寄付するだけのお金は持ちあわせていませんよ。
貧乏旅行なんでね。
それに、あれだけ、何度もボランティアだからガイド料はいらない、と貴方はいったじゃないですか?」

結局、その男も仲間も俺を追いかけてこなかった。


だが、後でL君に聞いたら、
「火葬場は悪い人間だけじゃないが、悪い奴はものすごく危ない。
ゴロゴロある死体の中で暮らしてるから、人を殺してもなんとも思わないよ。
外国人の行方不明者は結構毎年いるから、気を付けろ。」
というのだった。
それを聞いて、俺は何もなくて、良かったと安堵し、自分自身の行き過ぎた行動に反省したのだった。

その辺の道端で死んでも、誰も関心をもたない国である。
また、睡眠薬入りの飲み物を飲まされてお金をむしりとられたり、サドゥだからと安心し有難い良い話を聞きたいと、気軽にテントに座り込み、タバコだといって飲めとすすめられたら、実はマリファナで、気が付いたら見知らぬ土地で身ぐるみはがされていたとか、マリファナに溺れてインドのどこかに消えていくとか、とにかく危険がゴロゴロしている国なのだ。
しかも、ガンジスに流されたら、確実に行方不明者である。

その日は、朝だというのに、なぜかホテルの方に戻る途中、色々な男に声をかけられた。
祭りが盛り上がってきているからだろうか?
ボートはもちろん、葉っぱは要らないか?とか、女はどうだ?とか、マッサージはどうだ?とか、である。

 
(エルビーから売り出されているラッシー)



野菜市場で朝食をとり、ダシュメナートガートに戻ると、朝のプージャの後片付けをしていた。

 
プージャの時に使うもの、そして朝のプージャ

掃除は消防ホースのようなもので、ゴミごと一気にガンジスに流し落とすという荒い方法である。
ゴミを拾って捨てるなどという気持ちは全くないように思えた。



ホテルのそばで、昨日のバカボンのパパ似のオヤジにあった。
朝日はとっくに昇ったというのに、まだ、客を捕まえてないという。
日本人がその辺で、ウロウロしてるのにである。

日本語でRs150で乗せるといえば、簡単につかまるんじゃないかと言ってやった。

だが、祭りが段々と盛り上がってきているため、Rs200~300ぐらいで乗せたい様子である。
日本人観光客が増えてきているので、相場が上がっているのである。

だから、言ってやった。

「日本人の若者は大抵、3人以上できてるから、声をかけて、
『普段なら1人ならRs150だけど、今は祭りの最中だから、もうすこし稼ぎたい。
もし2人以上なら、2人で300、3人以上なら一人プラスRs100でどうでしょうか?』
と言ったらのるかもしれないよ。」

ボートが静止状態から動き出せば、慣性の法則で多少人数が増えても、労力はさほど変わらないはずである。


ホテルに戻り、明るいうちに明日のために帰国の荷物準備を始めた。
今夜のオーナーとの話し合い次第では、ホテルを変えなければならないかもしれないからである。

(つづく)


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