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インド、クソオヤジの心の旅(ガンジスを走れるか?)・・・8日目(その1)

2013年05月02日 | インド、オッサンの心の旅
(ボートの上で、真面目にひとり瞑想をする人、全然動かなかった。)

<バカボンのパパ似のオヤジの哲学>

一度、早朝に起きたのだが、ガートは霧の中だった。
これでは朝日は見れないだろう。
再度、床に就き、朝は久しぶりにゆっくり起きた。

フロントにいき、明日の夜、オーナーと話をしたいと申し出た。
フロントの男は、今オーナーが不在だというので、その場でオーナーに電話してもらい約束をしてもらった。

バラナシで遊べるのは、残り今日と明日の2日間である。
そこで、今日はガンジス河を楽しむべく、ボート遊びをすると決めた。

朝霧はすっかりなくなっていた。

さっそく、ホテル前の河岸でボートマンと交渉しようと思ったのだが、客引きをしていたあるオヤジがバカボンのパパにソックリだった。
大宮デン助に続き、新たな人材を見つけてしまったのである。

もう、ためらわずに、そのボートマンと交渉した。

最初はRs200といっていたが、交渉の末、すんなり1時間でRs150に決まった。

世の中は不思議なものである。
このボートマンと喋っていたら、プージャの時に親切に俺の沈没しそうだった精霊流しの花を拾い上げて、再度浮かべてくれた花売り娘のオヤジだった。

その優しい三女

ボートに乗りながら花を移動販売している娘が俺たちのボートに寄ってきて花を売りに来たのだが、俺はその子(次女)の顔を覚えていた。
母親とともに3人の娘が一生懸命に花を売っていたから覚えていたのである。
その一生懸命に花を売る姿が美しかった。
そして、バカボンのパパは、その子は俺の娘だというのだった。
なんという偶然!

 
長女だと思われる女の子

色々話をしたけど家族全員で働いても、結構、生活は大変だということだった。
俺にズボンのポケットの袋を引っ張り出して、空の中身を見せたりした。
だが、人生が辛いと思ったことは一度もなく、家族と楽しく暮らせて幸せだと言っていた。
肉体労働階級で教育は受けていないのだろうが、なんだかバカボンのパパ似のオヤジの哲学のようなものを感じた。

オヤジがタオルで鉢巻をして「これでいいのだ。」と日本語で言ったら、絶対に日本人にうけるだろう。

バカボンのパパなのだ(10分)


朝のガンジスもいいけど、夕方、ガンジス川の対岸から夕陽をバックにバラナシのガートを眺めるのも美しいよ」、というので、その日の夕方のその時間に再度乗せてもらう約束をした。
対岸は不浄の地(そこで死ぬとロバに生まれ変わるらしい)といわれ、石がゴロゴロとした建物など何もない殺伐とした風景の河岸である。
対岸から、ゆっくり夕陽を眺めたいので2時間Rs300で約束をした。
外国人向けバラナシ適正価格である。


ボートから降りて、野菜市場のあたりの露店で朝食をすませ、17世紀につくられたマーン・マハル天文台に行くことにした。
インドではジャイプールの天文台(ジャンタルマンタル)が世界遺産に登録されているのだが、それに比べるとマハラジャの避暑地の遊び用に作られた天文台のような感じである。

この天文台は野菜市場の脇で、河のそばにあるマハラジャの別荘なのだが、インドの観光地としてはマイナーであり、地味なので場所が判りにくい。
アチコチさがした結果、道端のコブラ使いのオジサンがコブラに演技させるためにデーンと座っている場所の後ろの狭い入口が天文台入り口であることが分かった。


天文台入り口

俺は、演技中のコブラの目をみないように、そっとオジサンの後ろに回り込み、天文台に入った。
(その様子を入り口階段上から見ていた管理人が、商売の邪魔だとコブラ使いのオジサンたちを追っ払ったのだった。)
天文台は2人のオジサンによって管理されていた。
入場料はRs50だったかと記憶している。

長い棒をもったオジサンがヒンドゥー訛りの英語で建物の中の丁寧に説明してくれる。
(もちろんチップを見込んでの話だけど)
訛りが酷くて、理解が難しいが、ニコニコしながら説明されると何をいっているかわからないというのは悪くて解ったような顔をして頷いてしまうのだった。



それでも、英語の天文学用語は物理学科出身の俺は多少理解できたので、おおまかな理解はできたのだった。
とにかく、当時は望遠鏡はなかったわけで、すべて天体の位置を肉眼で観察するためにつくられているものなのだが、その構造配置が天文学的知識がなければできないものであり、非常に緻密に作られていた。
また、そのデザインそのものも美しかった。
天文台は占星術と大きな関わりがある。
占星術のために天文台が作られたようなものである。
だから、今でもインド人は占星術には興味がある人が多いみたいだった。
ただし、西洋占星術とは違うらしく、インド占星術なるものがあり、バラナシにもインド占星術占い師がガートにいた。
鑑定料はRs500ぐらいらしいが、占いに興味のない俺には無縁だった。
今考えてみたら、なかなか経験できないことなのだからやればよかった。



ウィキペディアより
インド占星術とは・・・???
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インド占星術(インドせんせいじゅつ)は、インドに伝わる占星術のこと。インド本国の他、ネパールやチベットなど周辺の地域でも行われている。 もともと、白道上の月の位置に着目したナクシャトラ(中国系暦法・占星術では二十七宿という)を用いた占星術だったが、ヘレニズム時代にギリシアから太陽と月、5惑星とラーフ、ケートゥといった九曜、十二宮と十二室に基づくホロスコープ方式の占星術を取り入れて、現在のナクシャトラ(白道二十七宿)と黄道十二宮を併用した形になったと言われているが、古い時代のことなのではっきりしたことはわかっていない。 また仏教に取り入れられたものは、簡略化(月の厳密な度数で決めず、1日に1つというように割り当てる)・仏教化し 『宿曜経』 にまとめられ、密教の一部として中国に伝えられた。さらに、平安時代には日本にも伝えられて宿曜道となった。
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マーン・マハル天文台

さらには、その場所から眺めるビシュワナート通りの眺めが素晴らしかった。
カメラの電池がなくなったことを一番悔いた場所だった。



仕方がないので、スケッチブックを取り出して、水彩画を描くことにした。
ガイドしてくれたオジサンに、そのことを話して一人にしてくれるよう頼んだのだった。

だが、オジサンは「猿が悪ふざけをするから、ちょっと離れたとこにいるよ」、というのだ。
オジサンが持っていた長い棒は猿除けだったのである。
たしかに、相当な数の猿が天文台で遊びまわっていた。
ここだけ、小さな猿の惑星である。

猿は賢いから、棒をもったオジサンは避けて遊ぶのだった。

そういえば、日本の旅行会社を訪ねたとき、インド旅行中の客の人が
「猿に噛まれたからどうしよう?狂犬病になるんじゃないか?」
というインドからの長い電話があって、従業員の人が対応に困っていたことを思い出す。

「どうしようと言われても、『病院に行きなさい』というしかない」
と言っていた。

インドじゃ猿はアチコチにいた。
ふと屋根をみると猿の方がこっちを見ていたし、路上でも人を恐れず平気で落ちているものを漁っていた。
気が付いたら、もう、俺の傍、1mぐらいのところに猿がいたなんてことはよくあった。
日本の猿よりも小さいし、危険性は全然感じなかった。

オジサンが、危ないと言ってくれたのは有難いことなのだが、「ちょっと離れたところ」というのは1mであった。
もう、描きにくいったら、ありゃしない。
俺のちょっとは、少なくても10mである。
とにかく、俺の周りをグルグル回りながら、ときには30センチぐらいまで寄ってきて、スケッチブックを覗くのだった。
バラナシじゃ、人がいるところで静かに絵をかくなんて無理なのだ。

俺は超スピードで、10分程度で色は塗らずに、鉛筆で描いて終わりにしたのだった。
オジサンにはRs20ほどチップを渡した。
その受け取った時の顔が嬉しそうで、これも写真に撮りたかった。

この後、ネットカフェに行ったのである。

(つづく)



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