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昭和の名僧の著書の紹介

2008-09-24 23:45:30 | 宗教(主として仏教)について
昭和の名僧、中川宋淵老師、の著書(俳句とその解説を主とした書)のご紹介
 (注記3を追加しました--2008/10/09)

以下に述べる中川宋淵老師の”十句” は、俳句に託された老師の提唱であり、
老師の解説は、素晴らしく ”仏教とは何か?” を端的に感じさせてくれます。是非購入して読まれることを推奨いたします。きっと目からうろこが落ちると思います。

私は大学一年生の時から中川宋淵老師から坐禅の指導を受け、仏教について種々教えて頂き、大学卒業後は、直接お会い出来ませんでしたが、老師の眼差しを意識して今日まで生きて来ました。従って、中川宋淵老師は私の人生の師です。
老師は、1907年岩国市で軍医を父として生を享けられました。大学院在学中の1931年に、大菩薩岳の近くの塩山市(現在の甲州市)の向嶽寺で出家され、1934年に後輩の旧制第一高等学校の学生に坐禅の指導をすべく一高陵禅会を発足されました。東京白山道場での山本玄峰老師(太平洋戦争の終結を陰で演出され、終戦の勅を起草された禅宗臨済宗妙心寺派の傑僧)との法縁により、1935年、山本玄峰老師が師家をされていた円通山龍沢寺(静岡県三島市)に転錫され、1951年山本玄峰老師の法嗣となり、龍沢寺の師家となられました。以来日本だけでなく、英語も堪能だった為、世界を舞台に坐禅の指導をされニューヨーク禅堂の正法寺、及び国際山大菩薩禅堂金剛寺を開創をされ、多くのアメリカ人が老師に師事していました。またCatholicのお坊さんの瞑想(Meditation)の指導も請われてされていました(イスラエルのエルサレムに屡出向かれ、建造された禅堂で、瞑想の指導をされました)。遷化されたのは1984年です。今もニューヨークでは後継の禅僧が引き継いでアメリカ人を指導しておられます。
大学は国文科に席を置かれ、卒論は芭蕉の”猿蓑”だったそうです。出家されてすぐに(1931年)、飯田蛇笏先生に師事され、先生から ”芭蕉を正しく理解し,措きがたく憧憬したことほど左様に、元禄の俳聖芭蕉は芭蕉として既往に存在し、宋淵君は宋淵君として1934年の日月のともに存在することの奈何ともし難い’個’の現存が,分明に自覚されつつあることが作句を透して解る” と絶賛され、度々飯田蛇笏先生の主宰される 雑誌”雲母” の巻頭の句を老師の句が飾ったと有ります。

老師の著作は、今まで ”詩がん”(1936年)、”法光寿”(1985年)、”空華”(1986年)、”蜜多海月情”(1987年)、”蜜多余香”(1990年)、”蜜多窟提唱”(1994年)、”明暗雙々--(東京大学六十年史)--”(1995年)が編纂されましたが、殆どは龍沢寺蔵版(非売品)として宋淵老師に法縁のある方々に頒布するかたちがとられたため、一般の方の目に触れることがありませんでした。
4年前の2004年に、老師が遷化されて20年経ったことと、東大修養道場(三昧堂)の改修の記念事業として、東大陵禅会後援会が石井正躬先輩を中心にして一般の方々に中川宋淵老師の教えを知ってもらうべくぺりかん社から ”十句” と ”命篇” を発行しました。
私も偶々インターネットをbrowsingしていて見つけたのですぐ購入しました。
”十句” は ”詩がん” から 老師が 十句 を選び出され、1973年11月16日NHK教育テレビで ”自選十句”として解説されたものを録音したcompact disk(所要時間33分)が入っています。(”NHKアーカイブスに保管されていたものをNHKのご好意により、提供戴いた” と あとがきに、石井正躬先輩が記しています)

この”十句”の本は、最初にcompact disk の内容がそのまま入っており、それに続いて、”俳句と私”、”詩がん”、その後に中里介山先生御賛、北原白秋先生御跋(おんおくがき)、飯田蛇笏先生跋文、となっています。
また”命篇” は ”詩がん” に続く 1936年~1949年の間の老師の詩集であり、一部俳句を含む詩集です。

”十句”は全て素晴らしい句なので全て、以下に紹介します。

1. (大菩薩山中にて)  仏法僧 鳴くべき月の 明るさよ。 
2. 七つ星 樹氷の空を 歩(あり)くなる。
3. 媼(うば)が手に 摘まれて草の 萌ゆるなり
4. 春しぐれ いつより僧と 呼びにけむ
5. 禅院の あっけらかんと 冬支度
6. アメリカの 日本晴れと なりにけ里
7. 死海より這い出て 春の 身の雫
8. 菩薩嶺(ぼさつね)に 月太るなり エルサレム
9. 不二(ふじ)見えて あの世この世の 若菜摘む
10. 年木樵(としきこり) ぬかるみを踏み 雲をふみ

注記:
1. ”蜜多窟” は 中川宋淵老師の 別称
2. ”詩がん” の ”がん” 現在の日本語の漢字には無く、”合”かんむり の下に ”龍” と書く漢字で、意味は ”壁の隅の像などを置く凹所” 
(台湾で購入した漢英辞典の”niche for an idol”の私訳)
3. 山本玄峰老師(1866年~1961年)の自著としては、禅の公案集である”無門関”を老師が懇切に滋味溢れる提唱をされたものを、そのまま書物にされた”無門関提唱”(1960年、大法輪閣刊行)があります。老師を慕う禅僧方や居士方の求めに応じられたもので今も絶えず購入される人が多いようで、申し込まれれば1週間以内に届くはずです(現在の版は28刷です)。また老師の伝記としては最近発刊されたものでは、帯金充利著”再来--山本玄峰伝”(2002年、大法輪閣刊行)があります。仏教に興味のある方には、購入して精読されることを推奨致します。


               (完)
コメント (2)
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