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旅するくも

『旅が旅であることを終わらせる為の記録』

土に触れる

2010-05-02 10:04:25 | 最南端
ゴールデンウイークだというのに僕には予定がない。
連休前に仕事が終わり、また無職になったので、わざわざ込み合っている時に
遊びに出かける理由は僕には無い。

このごろの休みの日の過ごし方はロマンず☆≡で借りた空き家へ行き、ひたすら畑仕事をしている。
運動不足のせいか畑仕事をしていると腰が痛くなり、体は筋肉痛になって硬くなり、
疲れていく一方だ。

不思議な事にそれと反比例するように僕は元気になっていくのを日々感じている。

『土をにぎったとき、私は縄文人である。
彼等とまったく同じ人間ではないかもしれない。
しかし、少なくとも無欲と分配の美徳をもつ彼等に少しでも近づきたいものである。』
新井司郎

意見が分かれるところだけれど、縄文人がある一定の作物を育て『農』を行なっていたことが、わかっている。
農を受け入れようとしなかった縄文の人たちがいたこともわかっている。

彼らが土器を作る際、土に触れてきたように、かたちは違えど畑仕事で土に触れ
僕の中に眠る縄文が内側に蘇るのを感じている。

もしかしたら、僕らは縄文人という地球で暮らす普通の人に戻る事なんてできないのかも知れない。
支配する事でしか地球と共に生きていく道を見出せないのかも知れない。

だとしたら、僕らはどこで『自然との折り合い』をつけるのか。

ボツになったもの。

2010-04-10 02:52:03 | 最南端
最南端3号目の裏は文字でぎっしり。
僕の文章ばかり載せているので減らすことになりボツになったもの。
まあ当然か・・・。

アメリカの森の中でアメリカ先住民のトミーという男と二人で焚き火をしていたときの事だった。
トミーは僕に「タバコをくれ」と無愛想に言い、僕は吸っているタバコを差し出すと 彼は
「違う!これはタバコではなくてシガレットだ!」と少し声を荒げて言った。
彼の言うタバコは紙で巻かれているものなんかじゃなくて、スピリットたちの好物と言われる、 ささげものとしてのタバコだった。

そんなタバコに関することで僕が個人的に調査をすすめている事がある。
テーマは「タバコと乳首の関係性」
紙で巻かれたタバコの太さは女性の乳首の太さと同じサイズにしてあるという
話がある。
タバコに依存しているのはタバコに含まれる成分だけではなく、子供の頃に
吸った母親の乳首を思い出して依存しているというのも大きな理由のひとつとしてあるようだ。

そこで僕は旅で会う喫煙者の男性によくこんな質問をする。
「女性のどこの部分が好き?」
すると高い確立で答えは
「胸です!」

どうやら喫煙者は子供の頃の母親から受けた愛情をタバコから思い出しているようだった。
もしかしたら乳首のサイズは母親の愛情のサイズだとも言えるのかも知れない。

調査するからには非喫煙者の回答も対象にしなくては調査にはならないので、 旅で出会ったタバコを吸わない学生にも質問してみた。

僕「女性のどこの部分が好きなの?」

学生「やっぱり胸ですかね~。」

僕「胸のどこ?」

学生「そりゃあ、乳首ですよ!」

僕「んん・・・。」

結局、僕が独自に調査している「タバコと乳首の関係性」は、わからなかった。
でも、わかったことはどうやらみんなママが好きなようだ。

街ですれ違う喫煙者に冷たい視線を送るのではなくて、「思い出してるんですよね!」と、気の利いた一言があっても良いのではないのだろうか。

自然との折り合いか・・・

2010-04-04 23:02:44 | 最南端
7Generationswalkで葉山に住む真砂さんの畑とギャラリーを訪ねた。
真砂さんは音楽(インディアンフルート)、絵、文章を書く人で、ライスペーパーという
大きな規模のフリーペーパーのライターとして僕は会う以前から知っており、一度、直接
会って話がしてみたかった人物の一人だった。

あの時は確かギャラリーで水彩画についての話を映像と音楽をかけながら聞かせてもらった時だったと思う。
真砂さんの言葉と、なんというか雰囲気に僕は飲み込まれていったことを良くおぼえている。

以下、そんな真砂さんの春の報告メール。

・・・ここで田んぼをするようになって、もう11年目、  
冬期湛水にして耕さなくなって6年目。

ここには森の腐葉土と少量の糠以外、肥料を入れていない。
でも毎年ほぼ同量のお米を、ここからいただいた。
・・・森の片隅でガーデニングをしているようだ。

まったく経済的な行為ではないが、自然との折り合いを感じることができる。
何より自分のいのちが喜んでいる。

経済って何だろう。

・・人間の生活に必要な活動の結果、形成される社会関係。
であるなら、経済を論ずる前に、まず自分が本当に望んでいる有機的な生活をつくることが先だろう。
有機的って何だろう。

・・生きているということ。
いのちという関係。

森は、誰が計画したわけでもなく、ひとつひとつの命が、一本一本の樹が、  
輝いて生きぬくことで自然に多種多様に共生し合い、生い茂って成長している。
僕たちも個を輝かせ、有機的な世界を生き始めているのだろう。・・・                    
真砂秀朗 Essayより

2010-03-22 00:21:55 | 最南端
ブログを休んでいるあいだに最南端のイラストを担当しているTakumiが、
2年位前に東京から地元に帰ってきて、また東京へ戻った。

友には3種類あって、
「薬のような友」(目的があって現れる)
「食べ物のような友」(親友)
「水のような友」(魂の友)があると、
北山耕平さんの『地球のレッスン』には書いてある。

僕にとってTakumiは3つの中のうち全てに当てはまるのかも知れないが、
あえてもう一つ付け加えて

「タバコのような友」(腐れ縁というやつだな)などとも言えるかもしれない。

彼と出会ってから早いもので今年で10年がたつ。
僕が大きく変化した10年を一番近くで見ていたのがTakumiだろうな。
ここ10年、たくさんいた友のほとんどが僕から離れていった。
僕はいつの間にかそれまでいた友と話す共通の言語を失ってた。
それでも一緒にいてくれる友でいられるのは、きっとお互いが変化し続けているからだろうな。

Takumiと彼女のさっちゃんで『inori books』というものを新しくつくり
これからの活躍が僕も楽しみだ。

Inori books→http://www.inori-books.net/index.html

ちゃんと飯食って頑張れよ!

なるほど!

2010-01-26 21:14:44 | 最南端
野草社という山尾三省などの本の出版している社長と以前お会いした。

北山耕平さん、インディアンフルートの真砂さんとお会いした時にも感じるのでけれど、
凄い人にはみな共通する独特な雰囲気がある。
それと同じものを野草社・社長の石垣さんからも感じた。

最近ではろくに話もしていないけど静岡のイタリ亭のオーナーからも近いものを感じたな。

石垣さんとお会いして、2時間ほど社長室で石垣さんのペースで口を挟むことなく話を聞かせてもらった。
本の話や野菜などの話や世代の話。

その中でも、特に強く響いたのは”必要なものは全てそろっている”という言葉だった。
世界が持続可能なものへとシフトする為に必要なもの、という意味で僕は受け取ったのだけれど、最近やっと理解できた気がする。

なるほど!

立教大学にて

2009-12-20 22:43:34 | 最南端
先週、池袋の立教大学へ北山耕平さんのトークを聞きに行ってきた。

最南端のデザイナーの牧と合流して、門を通るとこの寒い季節に汗をかいて扇子を扇いでいる人がいて、まさか!と思ったら北山さんだった。
あいかわらず、近づきにくい雰囲気はあるものの15分ほど話をした。
最南端は1号目よりも2号目の方が良かったそうだ。
でも、最南端の折り方が良くないようなので3号目から折り方を変えようと思う。

話の中で北山さんと阿部珠理教授との関係を訊ねると
”僕が彼女にアメリカのどこを訊ねたらいいかと聞かれて教えたんだよ”と
言っていた。
それで教授はラコタを訊ねて「アメリカ先住民の精神世界」という本の出版へと
繋がったわけだな。

http://www.rikkyo.ac.jp/shakai/present/abe_semi.html

今回初めて阿部珠理教授を見たけど面白い人で、雰囲気は
”お前ら聞く準備は良いかい?よく聞きな!”って感じで笑いそうになってしまった。
阿部教授もアメリカインディアンの世界に入っていくきっかけになったのは、
北山耕平さんの代表作「ネイティブ・マインド」という一冊の本からだと言っていた。
それは僕が”地球と共に生きる事を学びたい”と思ったきっかけの一冊でもあった。

あの本と出会ってからの6年で、何かになる必要なんてどこにもないのだと気が付き僕の生き方は大きく変化した。
当然、いまも大きな変化の中に僕はいるのだけれど、”人である”事を学んでいく中で不思議なのは、6年前の自分が思い出せない事だ。
変化というよりも本来の自分に歩み寄っていく、そんな感覚だな。

スポンサー

2009-12-06 10:31:49 | 最南端
僕らの最南端は完全自費というスタイルで行なっている。
それは、スポンサーがついていると言えない事が出てくるからであり、
自由に書けないからだ。
自由にやる事ができないのなら時間をかけてつくる必要など僕らにはない。

いまの日本のテレビがいい例で、スポンサーに左右されるもののどこに情報と呼べるものがあるのだろうと不思議だ。

”全てを地球のために ”と言いながら地球を破壊し続ける企業にあきれてしまう。

そもそもNEWSというのはNorth East West Southの頭を取ってNEWSになるのだが、どの情報も4つの方角の1つだけ取り上げているだけではNEWSとは呼べやしない。

そんな意味でも”そろそろ、自分たちのメディアをつくらないか”という北山耕平さんの著書「雲のごとくリアルに」は僕達の背中を強く押してくれた一冊だった。

でも、一方で現実として偏ったものを情報として信じる人たちが大勢いるのは確かだ。
その中に真実を一つでも載せることができるならそんなに良いことはない。
そういった意味でも週刊スパに載せた高尾山のトンネル工事の情報は画期的だった。

スポンサーとぶつかってしまう記事をメディアに載せさせ、その代わりに、
記事に対する反響をつくりだし、スポンサーからメディアを守るというケンジュウの会の坂田さんの活動は面白くて画期的で”自分たちのメディアをつくる”という事よりも先に進んだ動きだと言えるのではないだろうか。

ケンジュウの会

2009-11-09 21:34:09 | 最南端
最南端2号目で記事を依頼してあった人がいた。
それは高尾山のトンネル工事反対の活動をしているケンジュウの会の坂田さんだ。エコ議員つうしんぼなどで、ハードすぎるスケジュールの為に倒れてしまい文章の締め切りに間に合わず2号目に載せる事ができなかった。

実は、みのる座でイベントをやろうと思ったのも坂田さんとの会話からアイデアが浮かんだものだった。

88(ライスペーパー)の特集で載っていたり面白いイベントを企画したりしている。
スポンサーがPatagoniaだったのには驚いた。
今まで受けた依頼をすっぽかした事のない坂田さんが初めてすっぽかしてしまったのが、我らの最南端。

そんな坂田さんが今回こそは!と、記事を書いてくれるそうなので
お楽しみに!!

僕もそろそろ文章を書き始めなきゃならなくて、
毎日パソコンと向かい合う日々を思うと少し気が重いが楽しんでやるとする。

ケンジュウの会のイベントのフライヤーが届いたので興味のある人どーぞ!

最南端

2009-11-06 00:28:27 | 最南端
「人と地球を再び繋ぎ合わせる」という、とてつもなく大きなテーマで
4回の発行を目標としているフリーペーパー最南端。
そのブログとして書き始めてから一年がたった。

僕らがどれだけテーマに近づき、表現できているのかには、あまり満足してはいないが、完全自費というスタイルで、この田舎から何かを発信する意味は十分にあると思っている。
なぜなら、発信する人間がいるなら、その先には必ず受け取る人間がいるからだ。


これからも「人と地球を再び繋ぎ合わせる」という無謀とも思える大きな
テーマで、このブログを少なくとも最南端の4号目で完結するまでは書き続けたいと思う。


Struggle (もがく)

「なにの為に」

ある日、名古屋のお寺で雨宿りをしていた。
隣にいる友人がいう。

「きみのすることはほとんど無意味だが、それでもやらなくてはならない。
なぜならそれは世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためだからだ。By ガンジー」

イノシシであれ!

2009-09-16 22:14:50 | 最南端
むか~しむかし。
ブタはイノシシだったそうだ。

イノシシを家畜化したものが、いま僕達の食卓に並ぶブタなんだ。

都合のいいように変化させられた生き物を見ると複雑な気持ちに
なるのは僕だけではないと思う。

自分がブタだと思った事はないだろうか。
自分の意思で生きていると思っていても、誰かの都合のいいように
かたち作られているって感じた事はないかい?

ブタである前にわれわれはイノシシだ。
日本人である前に、われわれは地球人だ!

最南端2号目はそんな視野で読んでもらいたいと思う。
イノシシであれ!!!!!!