旅するくも

『旅が旅であることを終わらせる為の記録』

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FORMOSA 自転車の旅4

2012-04-09 20:50:00 | Quiet Adventure
海沿いの9号線を進みながら太麻里という田舎町付近で今夜の宿を探す。
宿といっても、テントを張れて静かに眠れる場所という意味である。

コンビニで早めの夕食をとり、自転車に股がろうとすると、目の前に
やってきた車が道を塞いだ。
仕方なく自転車を少し先に停めて、荷物の整理を始めると女性が道の
向こうから走って現れ、僕に向かって必死に北京語で話しかけている。

ふと、自分の背後にある建物をみると、それはホテルで、彼女は
どうやら宿泊客と勘違いしたようで「泊まるんだろ?安くするわ!」と
言っているらしかった。
ホテルの柔らかいベット、温かい風呂という誘惑と闘い、何とか勝利を
もぎ取り、女性を冷やかすかたちでその場を去ったが、さっきまで
笑っていた女性の表情は嘘のように一変し、恐ろしい顔で僕をにらんでいる。

海沿いの道から少し入った公園を通過して、砂浜で海を眺め、
海沿いで風が強いことが難点ではあるが、昨夜の中央分離帯よりは、
百倍はマシだと思えた。



夕方になると目的地としている花蓮の方角から満月が昇り、夜になって
風が止んだと思うと、今度は雨が降り出した。
防水能力が全くないテントから滴り落ちる雨を避けるようにして、
うずくまり、昼間の女性の言うことを素直に聞いておけば良かったと
思いながら眠りにつく。
85キロ移動した二日目。
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FORMOSA 自転車の旅3

2012-04-03 20:18:07 | Quiet Adventure
2日目、午後。
海岸沿いに自転車を停めて地図を眺め、あいかわらずひとりの時間を
楽しんでいる僕がそこにいた。

このまま海岸線を南に行くのか、それとも近道の9号線を行こうか
迷っていた。
自転車を漕ぎつづけた脚は、すでに自分の脚ではないかのように
力が入らない状態だということと、海岸線の道は途中で道が無くなる
ということを友人のダン君から聞いていた。

そこに道がないのには理由がある。
台湾の都会が集中する西側の電力を台湾の先住民が暮らす東側の
原発が電気を供給しており、その先にはさらに核の最終処分場も
計画されている。
そこに道を通すということは、最終処分場に繋がる道をつくることを
意味している。
先住民を中心とした地域住民は国立自然公園にすることで、道を通すことを
阻止する方法をとり、人民党、国民党、みどりの党が国立自然公園にする
ということにサインしているが、選挙前のパフォーマンスだろう。

結局、僕は近道であろう9号線を進むが、そこには平面の地図ではわからない
テンションが高いというだけでは、とてもじゃないが乗り越えられない
強烈な上り坂。
坂道の大半は自転車を押し、時々ある緩やかな下り坂を自転車に乗るという
ことを繰り返すこと3時間。
やっと頂上に着く。
山の雰囲気はラオスの山にどこか似ていて、風が気持ちいい。


そこからいっきに、ブレーキから火が出るんじゃないかと思うくらいの
坂を下り続け、また海岸に出て宿泊場所を探す。
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FORMOSA自転車の旅2

2012-03-01 21:34:39 | Quiet Adventure
FORMOSA自転車の旅の二日目、大型トラックの轟音とともに起床し、うまれて初めて
中央分離帯で朝を迎えた。

薄暗い中でテントをたたみ、荷物をバックパックに詰め、自転車を中央分離帯から
歩道まで転がし、「いざ、花蓮!」とペダルに足をかけ自転車に股がったときだった。
「バキーン!」とケツに激痛がはしる。
ママチャリ仕様でフカフカしているはずのサドルが、板のように硬い。
いや違う。
僕のケツが板のように硬くなっているのだ。
それでも痛みに耐えて「フガ!フガ!」と言いながら進むが、今度は信じられないほど
ペダルが重い。
太ももの筋繊維が全て切れてしまったかのように脚に力が伝わらない。
予想以上に身体が疲労していた。

しばらくすると、ケツの感覚が麻痺して痛みを感じなくなった。
そうまでして台湾を一周する必要があるのかとも考えたが、まだ進みたいという気持ちの
方が勝っていた。
なんたって、まだ二日目の朝なのだ。

陽が昇って暑さを感じ始めた頃、道はあいかわらず退屈な田舎道。
一時間に一度の目安でコンビニで休憩して水分を補給するが、昨日と違い、今日はやけに
自転車に乗っている人が多い。
みんな台湾製の立派なロードレース用の自転車「GIANT」に乗っている。
彼らの目が「お前の、その自転車はなんだ?」と大声で言っているが、無視して先を急ぐ。

午後になるとヘッドフォンから聴こえる曲を陽気に歌い、右手の二本指をブレーキに
掛けて、たいして弾けもしないベースを一生懸命に弾いている僕がいた。
それは、それまでの退屈な田舎の景色が一変し、海沿いの道で風を受けながら走って
いたからということと、なにより、いつも複数で行動する台湾ウォークから離れて、
久しぶりにひとりになれたからだった。
ひとりは楽しい。
結局、ひとりが好きだったんだと、自分が少しわかった気がした。

みんな仕事なんか休んじまって、台湾を自転車で一周すればいいのにと、勝手なことを
思っていた。
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FORMOSA自転車の旅

2012-02-10 23:25:34 | Quiet Adventure
台南から自転車をこぎだして、しばらくは緊張と興奮が入り交じってたが
時間とともに僕の緊張はほぐれ、興奮だけがそのまま残り平らな道を意味も無く立ち漕ぎ
していた。
たった2泊3日の限られた時間の自転車の旅が大冒険のように感じていたからだった。

そんな僕にもある心配事があった。
「想像以上に進みすぎてゴールである300キロ先の花蓮まであっというまに着いて
しまったらどうしよう」という事だったが、全くいらぬ心配だった。

マウンテンバイクにママチャリのサドルとハンドルの自転車は信じられないくらい
スピードがでない。
タイヤが太すぎるのだ。

道に迷って同じところをグルグルまわっている途中、バックパックからはみ出た
ディジュリドゥが木に引っかかって地面に叩き付けられ割れるアクシデントが起きた。
それは僕の想像を絶するほどの方向音痴が招いた結果だった。
さらに台湾の標識が不親切ということも加わって最初の大きな街である高雄を通るだけで
迷いに迷って5時間もかかる始末。

シャネルだのルイヴィトンだの、高級な店に群がるキレイな台湾女性を自転車で
眺めながら進むことさらに1時間半。
また道に迷った僕は、ひらきなおってカフェでタピオカミルクティ(約100円)を
注文していた。

時刻は夜9時すぎ。

暗くなる前に宿泊場所を見つける僕の計画は4時間前に白紙になっている。
何とか街を抜け出す空港沿いの薄暗い道を進みながら寝床を探すが、今度は永遠と工業団地が
つづく。
人気の無い空き地も公園もなければ、海岸は遥かむこう。

知らぬ土地で道に迷いつづけ、やけくそになった僕は幅3メートルほどで木が茂った中央分離帯に
視線を注いでいた。

「ここしかない!」

車が数分間途切れる隙を狙って自転車を中央分離帯へ乗り上げて倒し、目立たぬよう隠し、
あたりを見回す。

「いける!」

そのままゴソゴソとテントを建て初日54キロの距離を終えた。
翌朝、大型トラックの轟音とともに起床し、うまれて初めて中央分離帯で朝を迎えることになる。
まさしく大冒険である。
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FORMOSA

2012-02-06 22:20:42 | Quiet Adventure
台南に着いた翌日の朝。
僕は落ち着きがなく、少しの興奮と緊張でいつもより口数が多かった。

通訳のダン君の父親が拾ってきたというハンドルとサドルがママチャリ仕様で
それ以外がマウンテンバイクという、おかしな自転車を手に入れた。
自転車を車に積んで、自転車屋で整備しパンクした場合のチューブの修理方法を
教えてもらい工具も貸してもらった。

午後2時過ぎだ。

自転車のかごには上着、地図、工具と少しの水。
テントと寝袋を詰めたバックパックからはディジュリドゥがはみだしている。
これから二泊三日の台湾自転車300キロの旅が始まろうとしていた。

台湾を離れる飛行機の出発時間まで、僕には四日という中途半端な時間があった。
考えに考え、考えたあげく僕は台南(南側)から花蓮(東側)という街まで
行くことにしたのだ。


地図 Wikipediaより


このルートを選んだ理由はいくつかある。
時計回りに高雄から台北(徒歩)、台北から花蓮(電車)までは行っていたが、
反対側の高雄から花蓮までは観ることができていなかったということと、かつて
ポルトガル語でFORMOSA(美しい島)と呼ばれた島の特に美しいといわれている
東側を観ることができていなかったからだった。
それを自転車でやろうと思ったのは、それなりに色々やってきた僕の旅は
不思議なことに海外を自転車で移動したことが一度もなかったからだろうか。
あるいは、当時まだ知らなかったクワィエットスポーツという
『日々を静寂で満たしていく運動』をしてみたかったのかも知れない。

とにかく僕はバックパックを背負いダン君のオヤジさんが拾ったという、盗んだで
あろう自転車に股がりFORMOSAを訪れる旅にでたわけである。
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台湾巡礼報告会

2012-02-03 16:28:42 | Quiet Adventure
台北でゴールしたあと花蓮という街の近くにあるアミ族の村で新年を
迎え、台北に戻り市内のカフェで台湾巡礼の報告会をした。



映像と歌に加え、参加者の感想を持ち時間はひとりたったの10分で話す。
この10分で感想や思いを伝えるが、ひとりひとりがとにかく濃い内容で、
予想以上に集まった25人ほどのお客さんから質問は無く、ただ「感動した」
と言うだけだった。
それがお世辞ではないということは、その場にいた誰もがわかっていた。
報告会が無事に終わり、みんなそれぞれの国に帰って行き、ウォークは
終わっていった。



それから僕は通訳のダン君と台南へ1ヶ月のあいだ歩いてきた道を車で戻り、
思い出話に花を咲かせながら9時間のロングドライブ。
台湾巡礼は終わっても、僕の台湾の旅は簡単には終わらない。
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鷹の爪団のマナー

2012-02-02 22:46:56 | Quiet Adventure
台湾巡礼の最終目的地である台北に着く2日前。
最後に全員で歩いてゴールするために、いつも荷物を運んでくれた
サポートカーを台北に停めて、宿泊地に戻るということをする必要が
あった。




僕と同い歳で通訳のダン君がひとりでそれをやるというので、僕も
同行することにした。
台北の大渋滞をやり過ごして、ダン君の住んでいるアパートの近くに路駐。
台湾では駐車にお金をかけるのはマヌケがすることだという。

車を停めて、そこから初めて台湾の地下鉄に乗る。
ちなみに、左に立つのは東京、右に立つのは大阪と違いがエスカレーターに
あることは有名だけれど、大阪の右に立つ方が世界基準である。

電車に乗って5分もすれば、電車の中の雰囲気が日本とずいぶん違うことに
気がつく。
電車で長時間人を見るのは失礼で見られている方は不愉快であるが、それが
台湾では全くない。
過去に電車で帽子をズラして被っているツバがこちらを向いていてゲラゲラと
笑っている若者に「まぎらわしいわ」と怒鳴ったことがあったが、日本人の
マナーというものは台湾にはない。

この前、久しぶりに映画館で「ヒミズ」(古谷実)の映画を観たのだけれど
日本の映画館では「マナーを守り、静かに観ましょう」と泣くことも笑うことにも
あらかじめ釘を刺される。
これも世界的に観て異常であると思う。
映画の本場であるハリウッドでは映画館で映画を観るということはみんなで
同じ映画をみなで共有するというニュアンスが強く、例えば、スーパーマンが
弾丸を眼球で弾きかえすシーン(笑うところ)などは、「一緒に笑おうぜ!」
といわんばかりに、わざと大きな声で笑うのがアメリカでは普通だ。

日本の窮屈でお互いを縛りあうマナーというものを見直すと日本という島国が
いかに異常であるのかがよくわかる。

鷹の爪団が伝えている「映画が取りもつ仲間」は、当たり前のことのなのに
この国では斬新である。

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來吉村 ツオウ族

2012-01-25 19:53:05 | Quiet Adventure
來吉村に着いた日の夜、食事を済ませた一団は村にあるアトリエを訪ねることになった。
アトリエにはツオウ族の白紫(パイツー)という女性のアーティストがいて、やってきた
一団を受け入れていただいた。


白紫さん


アトリエにはツオウ族の神話をもとにした革細工や絵などが置かれており、ツオウ族について
聞かせてもらった。
まるでこれを逃したら次に訪ねてくる人はいないというくらいに、白紫さんはよくしゃべる方で
話が途切れることなく続く。
途中で、「ハッ」と自分だけが話していることに気がついたようで、「何か質問は?」と
聞くが質問の答から話がそれて、また続けるという感じだった。

白紫さんの話の中で興味深かったことは、ツオウ族は紫・青・緑という色をEnghovaと呼んでおり、
三つに境目がなかったということだった。
緑と呼んでいる色は、日本では最近になってできた色彩感覚なのではないかと僕は思っていて、
どこか共通点があるように感じた。

白紫さんが話していると作品やら、とにかく色んなものが出てくるのだけれど、そのなかに
一冊の本があった。
それは彼女にとってバイブルだという。


『台湾原住民影像誌』


たしかにバイブルと呼ぶにふさわしい貴重な本で、ツオウ族の狩り、住居、食、神話などを
写真付きでまとめられ、言語は北京語、英語、そして日本語!
まとめたのが日本人だったおかげで、僕にも読めたわけである。

読んで行くなかで、さらにおもしろいことを発見したのでまた次回。
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あるいて來吉村へ

2012-01-19 18:20:37 | Quiet Adventure
台湾で観光地として有名な阿里山へ、休みの2日を利用してメンバーみんなで行くことになった。
目的は観光地である阿里山を通り越して、その先にある來吉村のツオウ族を訪ねてみようと
いう事だったが、前日に連絡して行くことは知らせてあるが、どこに泊まるのかは特に
決めずに行ったのであった。いつもの通りである。

阿里山へは電車とバスを乗り継いで着いたが、そこからは交通手段が何もない観光地からは
大きく外れた場所だった。
行く手段は、徒歩のみだ。

ネットで調べると17キロだという村までの距離を、現地の人に來吉村までどのくらいかと
訪ねるが、「車で20キロくらいかな?でも、歩いて行ったことがないからわからない。」
という返事。
歩いて行くのと車で行くのとで距離に違いがあると思っているのか、おかしな返事だった。

ゴールまでの距離がわからないというだけで、凄く長い時間歩いたように感じるのは
不思議である。
5時間という永遠にも感じられるときを歩いて、ようやく來吉村にたどり着いた。

滅多にやって来ない観光客という事もあってか、ありがたいことに村ではツオウ族の
若い頭首が迎えてくれた。
そして、その日の泊まる場所を交渉すると、屋根付きの場所を無料で提供してくれた。
実際には最初、屋根がない場所を提供してくれたが屋根付きの場所を指差して、
「あそこがいい」と言ったのだ。
まったく、ずうずうしい一団である。


來吉村
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韓国メンバー

2012-01-13 21:45:35 | Quiet Adventure
韓国メンバー


左:チャントル 34歳 ハングル語

今回出会った中で一番のアホである。
それも世界規模のどアホ!
日本で行われた洞爺湖サミットで捕まり、しばらく日本に入国できないそうだが、
今年から来れるようになるらしい。
北朝鮮に歓迎されて北朝鮮を歩くものに参加するが、実は兵隊と毎日ほとんど寝ず、
食事も歩きながら食べるもので1日100キロを数日歩いて本気で死ぬかと思ったそうだ。

いつも先頭を歩いて歩くペースとみんなの安全を確保してくれていた。

相手が誰であろうと理解できないハングルでひたすら話しかけ、一人で笑っている
いつもご機嫌な男である。

メンバーの中で寝る時間が一番早いのがチャントルで、
「いま8時ってことは韓国は9時って事だ!こりゃ寝る時間だ!」
と台湾にきて一ヶ月以上たっても言っているところはさすがアホである。

「アホが世界を変える!」というのが彼のモットーのようだ。

中:フニ 31歳 ハングル語・簡単な英語・簡単な日本語

韓国人はチャントルを中心に非常に突っ走るメンバーが多い。
その突っ走るメンバーとまわりとのバランスをとるのがフニだった。
親切すぎるくらい親切で、良い奴だ。
「デブ」と言うと非常に傷つく。

右:ロッキー 31歳 ハングル語・日本語・北京語・タイ語・英語

最初にロッキーがダン君と出会った事から台湾を一周しようということに
なったそうだ。
普通、韓国国籍のビザでは台湾に1ヶ月しかいられないけれど、ダン君が韓国メンバーの
受け入れ人となって最初から最後までの2ヶ月滞在することができるようになった。

ロッキーは人間翻訳機かと思うほどたくさんの言語を話し、ウォーク中は通訳をしてくれた。
夜の街や店の中を一人でうろつくのが好きなようで、いつもウロウロしている。
太巴朗という台湾の原住民のアミ族の曲がお気に入りでいつも歌っている。

ミーティングのあとにテントで寝ようとしている僕に興奮して、
「今日のミーティング面白かったね~!」と横になって、「うーん」としか答えない僕に
永遠と話し続けるところは彼もチャントルと同じく突っ走る韓国人である。

韓国はオルン 16歳(女)と ヒョヨン15歳(女)の合わせて5人だった。

韓国メンバーはとにかく仲が良くて、家族のようだった。
ウォーク中は大量のキムチをみんなで仕込むのも役割が勝手にできていて見事だった。
そして、なによりみんなでキムチ鍋をしたときは韓国の特に男3人の連携は実に見事で、
チャントルが鍋の番人になって、フニがチャントルの指示を実行し、ロッキーが全体の修正をする
といった実に見事な連携で、僕が鍋のふたを開けようとすれば「まだだ!」と、3人同時に言う。
韓国人と鍋をする時は手を出さない方がいい。
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