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今日のコラム

2014-09-24 06:43:36 | インポート

☆ 9月24日は清掃の日    
1971(昭和46)年のこの日に、「廃棄物処理及び清掃に関する法律」いわゆる「廃棄物処理法」が施行されたことにちなんでいます。

お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆

9月24日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

人に尋ねる

 自分の才能に向くような仕事を自分で考えて進んでいくことが非常に大事だと思う。ところが、自分の才能というものは、自分ではなかなかわからない。そのときには自分の信頼する人の言葉を聞くとよい。しかし素直な気持で聞かないと、先輩の正しい言葉が正しく自分の耳に入らない。

 私も、自分でわからないことは、素直な心持になって先輩に尋ねることにしている。そして静かに考えていけば、必ず行く道は自然に決まってきて、希望が持てると思う。しかし、野心とか欲望とかいうものを強く持つと、そこに無理が生じ迷いが起こってくるような気がするのである。

【コラム】筆洗

2014年9月23日 東京新聞TOKYOWeb

▼秋のお彼岸で、先週末の墓地や霊園はどこも混雑していた。彼岸に先祖の霊を供養する人で墓おがちゃんと賑(にぎ)わうことにほっともする。日本人は変わっていない

▼暴走族めいた車が霊園に入ってきた。白いジャージーに妙な髪形の男性。何事かと思っていたら、車内から手桶(ておけ)と花をごそごそと、取り出している。失礼した。この方ももちろんお墓参りである。人を雰囲気で判断してはならぬ

▼富士山の保全費用を賄うために山梨、静岡県がこの夏から、「入山料」を徴収しているが、当てがはずれたようだ。一人千円を払ったのは登山者のだいたい半分。いろいろな事情もある。静岡側では徴収場所が分かりにくいというし、徴収自体に納得していない方もいる

▼山男や山女には、どこかおおらかで、さっぱりした人たちという印象を勝手に抱いていたが、これも間違いだったか。富士山では、登山客の「汚物」も目立っているとも聞いた

▼江戸時代、登山は信心で行われていた。山岳信仰である。両国(東京都墨田区)に垢離(こり)場の跡がある。江戸中期にブームになった大山(神奈川県伊勢原市)登山。大山に登る前には、ここで身を清めるのが習いで山は神様に結び付いていた

▼決まりを守らぬ。落とし物を残す。江戸の人が見れば、山神を畏れぬ所業に映るか。「山男にゃ惚(ほ)れるなよ」という歌があったが、頼まれずとも惚れまい。

☆ 昨日のカープ

23日神宮球場、カープ7―2ヤクルト、勝ち投手ヒース3勝、本塁打梵7号、ロサリオ12号、エルドレッド36号 詳しくは中国新聞朝刊で

今朝は曇り空です。雨の予報です。今日も皆様にとって良い一日で有りますように ☆


今日のコラム

2014-09-23 07:14:19 | インポート

☆ 9月23日は「秋分の日」「祖先をうやまい、なくなつた人々をしのぶ」

二十四節気のひとつ。昼と夜の長さが同じになる日。春分の日と同じように太陽が真西に沈む。

お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆

9月23日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

永遠に消えないもの

 高野山にはたくさんの墓があります。その中で一段と目立つ立派な墓は、おおむね大名の墓だそうですか、その大名の墓も、今日では無縁仏になっているものもあるということです。昔は相当の一家眷族を養い、しかも明治になってさらに華族として、財産も保護されるという状態が長く続いたにもかかわらず、そういう変化があったということを考えてみますと、人間のはかなさというものを身にしみて感じます。

 やはり世の中というものは形ではない。いくら地位があり財産があっても、それはいつまでも続くものではない。結局、永遠に消えないものはその人の心であり、思想であり、この世で果たした業績である、そう思うのです。

【コラム】筆洗

2014年9月22日 東京新聞TOKYOWeb

▼期日をぼかす人がいる。借金でいえば、返済の期日を明確にせず、時期をあえてあいまいにする。「松の明けるころには」「クリスマスまでかな」ならまだ良い方で、「桜の季節」や「寒くなる前には」となると、もういつ返済されるか分からない

▼米映画の「エンジェルス」(一九九四年)にひどい約束の場面がある。やくざな父親が息子を残して家を出る。息子は父親に聞く。「いつごろ帰ってくるの」。「そうだな。エンゼルスが優勝するころだ」。悲劇である

▼当時大リーグのエンゼルスは弱小球団で、父親は「もう二度と帰らない」と宣言したのと同じ意味になる。それでも少年は父親が早く帰るよう、エンゼルスの優勝を神に祈り続ける

▼これもまたひどい約束だった。北朝鮮による日本人拉致被害者の再調査の話である。日朝両政府は初回報告の時期について「夏の終わりから秋の初め」で一致したはずだが、この日程が過ぎていく。秋の彼岸に至るこの時季を「夏の終わり」とはいわぬ。「秋の初め」も苦しい。報告は先送りになった

▼中身のない報告なら意味はないし、あの国を相手に短気は禁物とも分かっている。それでも、ぼんやりとした期日がぼんやり過ぎることが、不安でもどかしい

▼待つ身はつらいが、祈り続けるしかないのか。祈り続けた少年には、幸せな結末が待っていた。慰めにもならないが。

☆ 今朝も良い天気で、秋晴の空です。今日も皆様にとって良い一日で有りますように ☆


今日のコラム

2014-09-22 06:21:28 | インポート

☆ 9月22日は孤児院の日 1887年のこの日、日本で初めてとなる孤児院が設立しました。

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9月22日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
平和のための前提条件

 平和が大切だということは、何千年も前から繰り返し唱えられているにもかかわらず、その一方では戦争をしている。はなはだしきは、平和のための闘争とか戦争といったことが口にされ、行なわれているというのが、過去、現在における人間の姿だと言えましょう。

 それでは、そのような状態を脱却し、平和を実現する前提として、何が必要かというと、人間としての意識革命ではないかと思います。つまり、真の平和というものをはっきり見きわめ、心からそれを切望するというような一人ひとりの意識革命が、一国の政治の上にも教育の上にも醸成されていくならば、求めずして平和は生まれてくると思います。

【コラム】筆洗

2014年9月21日 東京新聞TOKYOWeb

▼何かが人の顔に見える。ネコの毛の柄や、空の雲。人面魚というのも昔あった。怪談の時季はとうに過ぎたが、そんな話を時々耳にする

▼落語「崇徳院(すとくいん)」で、若旦那はたまたま出会ったお嬢さんに一目ぼれする。もう一度会いたいが、名も所も分からない。恋煩いに寝込む。「鉄瓶がお嬢さんに見える。床の間の掛け軸の達磨(だるま)さんが、お嬢さんに見える…」。何を見てもお嬢さんの顔が見えてくる

▼一風変わった研究に贈られるイグ・ノーベル賞。今年の研究では日本人研究者の「バナナの皮を踏むとなぜ滑る」も面白いが、「トーストに出現するキリストの顔」も興味深い

▼食パンをトースターで焼いた時の焦げ目にキリストの顔が見えるという現象は日本ではあまり聞かないが、欧米ではよく話題になる。トーストに限らぬ。牡蠣(かき)の貝殻、アイロンの焼け焦げ。いろいろなところでキリストの顔を見つけてはちょっとした騒ぎになる

▼研究によると、この現象はもちろん、奇蹟(きせき)ではない。人間の脳には顔を認識する部分があって、例えば二つの黒い点など、わずかでも顔に見える要素があると無意識に顔と認識してしまうそうだ。正常な脳の活動で、これがトーストの顔の正体という

▼その顔がなぜキリストか。説明はないが、若旦那と同じで愛(いと)しく、会いたいお方の顔であろう。政治家の顔が見えたという報告はあまり聞かぬ。

☆ 昨日のカープ

21日マツダスタジアム、カープ3―2DeNA、勝ち投手戸田4勝1敗、セーブ・ミコライオ1勝1敗24S、本塁打エルドレッド35号 詳しくは中国新聞朝刊で

今朝は曇り空ですが晴の予報です。今日も皆様にとって良い一日で有りますように ☆


今日のコラム

2014-09-21 06:30:49 | インポート

☆ 9月21日はファッションショーの日 まだまだ日本で和服が主流だった昭和2年のこの日、銀座にある三越呉服店で日本初となるファッションショーが開催されました。

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9月21日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

中小企業は社会の基盤

 私は中小企業というものは、日本経済の基盤であり、根幹であると思う。それが健在であってこそ、大企業も持ち味を生かすことができるし、経済全体の繁栄も可能になる。とともに、中小企業は単に経済においてだけでなく、いわば社会生活の基盤にもなるべきものだと思う。つまり、いろいろな適性を持った人が、それぞれに色とりどりの花を咲かす、そういった社会の姿がより望ましいのであり、そこに人間生活の喜びというものもあるのではないだろうか。

 その意味において、たくさんの中小企業が、それぞれにところを得て、さかんな活動をしているというような社会の姿が一番理想的なのではないかと思う。

【コラム】筆洗

2014年9月20日 東京新聞TOKYOWeb

▼スコットランドは、独立の道を歩むべきか否か。表決の最後の瞬間まで、行方は見えなかった。ぎりぎりの攻防と思われたが、開票の結果、ほぼ六対四の比で独立維持派は敗北した。一七〇七年の出来事だ

▼表決の舞台は、スコットランド王国の議会。併合を目指すイングランド王国は、市場からの締め出しなどで経済的圧力をかけ、反対派の議員を買収した。かくして両王国の連合は決まった

▼何の関与もできないまま国の運命を決められた民衆の多くは屈辱的な連合に反対し、抗議行動が起きた。スコットランドの時の宰相は、こう言ったそうだ。「旧(ふる)き歌にも終わりはあるのだ!」(トランター著『スコットランド物語』)

▼三百年余の時を経て、スコットランドは再び独立を問うた。時は変わり、市民が主役となっての選択だ。一国の独立が一発の銃弾が放たれることもなく、票で決まるというのも、歴史的には画期的なことだ。成熟した民主主義の懐の深さを示したともいえるだろう

▼結果は独立派の敗北に終わった。しかし投票率は八割を超えた。十六歳にも投票権が認められ、若い世代が政治のありようを根本的に考える機会を持てたことは、かの国にとり、計り知れぬほど大きな財産に違いない

▼旧き歌すなわち古(いにしえ)に失った独立の復活はならなかったが、スコットランドは、「新しき歌」を得たのではなかろうか。

【社説】東京新聞TOKYOWeb

高山市の“宣言” 旅は平和であってこそ

2014年9月20日

 春と秋の高山祭などで知られる岐阜県高山市が、今年から九月二十一日を「平和の日」に定めた。「自由な旅は平和であってこそ」と。山里の小さな観光都市が何を発信してくれるのか注目したい。

 高山市は北アルプスなどの山々に囲まれた約九万二千人の町だ。

 昨年は約四百万人の観光客が訪れた。このうちアジアや欧米など海外からの宿泊客は過去最多の二十二万人余を数えた。

 台湾など海外の観光展への積極的な出展や、フランス・ミシュラン社の旅行ガイドで必見の観光地として三つ星を獲得するなど、積み重ねてきた誘客対策が実を結んでいる。

 その高山市が「世界が平和でないと旅もままならない」と、国連の国際平和デーである九月二十一日を「平和の日」に決めたのは、昨年の九月議会だった。

 日本の民間団体が贈った「平和の鐘」が、国際平和デーに合わせてニューヨークの国連本部で鳴らされる習慣がある。これが、平和の日制定の弾みになった。

 高山市は、二十一日の本番に向け、正午に一斉に鐘を鳴らすよう全国約二百の自治体や市民団体、宗教者などに協力を呼びかけた。多くの賛同が得られるといい。

 きょうは被爆地の広島、長崎や姉妹都市の長野県松本市からパネリストを招き、地方から平和と文化をどう伝えるか公開討論する。

 これは息長く続けるべき企画であり、他の観光都市と連携していくのも一計ではないか。

 観光とは別に「平和の日」を制定している自治体は全国に多い。

 東京都が東京大空襲に遭った三月十日、沖縄県沖縄市が沖縄戦の終結日とする九月七日など。大半は先の太平洋戦争の戦禍に関連した日を充てている。

 日を定めて観光と平和を結びつける高山市の取り組みは、むしろ珍しい。昔は往々にして自由に旅ができるということ自体が困難でもあった。

 国島芳明(みちひろ)・高山市長は自民、公明などの推薦で再選されている。

 しかし安倍政権の集団的自衛権の考えには「もっと国民的議論をしていくべきだ」と話している。平和政策も国任せでなく、地方から伝えられるはず、と。

 旅では異なった文化や人々と出会う。互いに共感し、理解が深まることもある。「平和へのパスポート」(国連の標語)ともいう旅の魅力を、この山里の観光都市から発信し、国や地域同士を結ぶきっかけにつなげてほしい。

☆ 昨日のカープ

20日マツダスタジアム、カープ3―1DeNA、勝ち投手福井4勝4敗、セーブ・ミコライオ1勝1敗23S 詳しくは中国新聞朝刊で

今朝は快晴です。今日も皆様にとって良い一日で有りますように ☆


今日のコラム

2014-09-20 06:55:52 | インポート

☆ 9月20日は空の日 1940(昭和15)年に「航空日」として制定されていましたが、運輸省航空局(国土交通省)が1922(平成4)年に「空の日」と改めました。

お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆

9月20日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

立ち話の会議

 社長が実際の仕事についてあまり知らず、会議で「どうだ君、やれると思うのだがどうだ」というようなことを言っていると、甲論乙駁、議論百出となって、三日ぐらいもかかることになりかねません。それはいささか極端ですが、会議というものは概してそのような傾向が強いのではないでしょうか。それでは何かにつけてテンポの速い今日の世の中では、結論が出たときにはもう状況が変わっているということにもなりかねません。

 ですから会議だからといって、会議室に集まり椅子に座ってするというのではなく、言うなれば立ち話で会議をして即決するというくらいの心構えが必要だと思います。

【コラム】筆洗

2014年9月19日 東京新聞TOKYOWeb

▼<秋の空露をためたる青さかな>は、正岡子規の句。秋の空には、喜びと悲しみを一緒に溶かし込んでしまったような色合いがある

▼<柿食えば遥(はる)か遠くの子規思う>は、昨年出版された『ランドセル俳人の五・七・五』がベストセラーになった小林凜(りん)君の句だ。きょうは糸瓜(へちま)忌。子規の命日に、凜君の新しい句集が出る。『冬の薔薇(ばら)立ち向かうこと恐れずに』(ブックマン社)である

▼小学校に入った時からいじめに苛(さいな)まれ続けた凜君を支えてきたのは、俳句だ。そうして詠み続けた句を編んだ『ランドセル俳人の…』は多くの人の心に響いたが、学校でのいじめは続いた。<いじめられどんぐりぽとり落ちにけり>

▼それでも、うれしい出会いがあった。三重県松阪市の小野江小学校の六年生は凜君の俳句を読み、昨年の秋に教室に招いた。一緒に給食を食べていたら、凜君の目から涙が止まらなくなった

▼みんな楽しく笑顔で食べる。そういう当たり前の時間が凜君には奇跡のようなひとときとなり、小野江小の子どもたちには「当たり前の生活のかけがえのなさ」を教えてくれる出来事となった。凜君は<コスモスに囲まれし我涙かな>と詠んだ

▼十三歳、中学生になった凜君はぐんぐん背が伸び、元気に学校に通っているそうだ。<とんぼうの体の青は空の青>。その目に映る秋の空が喜びの青に染まっていれば、と思う。

☆ 今朝は曇り空です。今日も皆様にとって良い一日で有りますように ☆