奈良散策 第267弾
10月29日の午前中に家族と藤原宮跡に行ってみました。テレビでコスモスが綺麗だと放送していたようです。藤原宮跡は明日香の北にあります。大和郡山からは京奈和道で橿原北インターまで行き、そこから下道でしばらく行ったところにあります。家を10時過ぎに出かけて、30分ほどで着くはずだったのですが、橿原北インター付近で渋滞していてほとんど動きません。なんとか脱出したのですが、それでも50分ほどかかってしまいました。
ちょうどコスモスのシーズンなので、臨時駐車場が4,5か所設置されていました。平日なので、たぶん、空いているだろうと思ったのですが、駐車場は7,8割埋まっていました。藤原宮跡は初めてだったのですが、ともかく広々としたところです。背景に見える山が香具山です。立て札みたいなものが見えるので、近くに行ってみました。
藤原京の説明が書かれていました。藤原京は持統天皇の西暦694年に飛鳥浄御原宮から遷都された都で、持統、文武、元明天皇三代にわたって天皇の居住地になりました。これまで、天皇が変わるたびに遷都されていたのですが、ここは恒久の都として作られたようです。しかし、元明天皇の西暦710年、わずか16年間で平城京に遷都されました。その理由は、1)衛生環境がよくなく疫病が多発したため、2)唐の長安城との落差があまりにも大きかったため、3)難波津との水運がよくないこと、4)律令制を推し進める藤原氏の勢力拡大のため、・・・など、いくつかの説が出されていますが、謎として残されているようです。
藤原京の中心に藤原宮があったのですが、これはその中心にあった大極殿院の南門の支柱の跡です。
これは西側を見たものですが、ぽっこりした山が畝傍山です。その手前にコスモス畑が見えています。
この支柱は大極殿の南側にある朝堂院の東門跡です。
これは北側を見たものですが、遠くの山が耳成山です。
そしてコスモス畑です。これまでコスモス畑を何か所か見てきたのですが、これほど広い面積に植えられているのを見たことがありません。
藤原宮跡の西側に藤原京資料室がありました。JAならけん橿原の2階です。ややおざなりの展示だったのですが、藤原京の広さについては驚きました。藤原京は大和三山に囲まれた都だとばかり思っていたのですが、実は、5.3km四方もあり、大和三山は藤原京の中に含まれていたということです。
これは北側にある醍醐池です。
そこにマガモがいました。
帰りにお昼を食べに大和郡山にあるイオンモールに行きました。金魚水族館があり、いろいろな種類の金魚が展示されていました。大和郡山は金魚の町だからこんな水族館があるといいですね。
金魚にもいろいろな種類がいますね。
タイヤの中の金魚です。背景は郡山城になっているようです。
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