碧田直の いいじゃないか。

演劇ユニット、ミルクディッパー主宰の碧田直が、日々を過ごして、あれこれ思ったことを、自由気ままに綴ります。

無題そのさんじゅうなな

2016-05-25 19:43:51 | 日々
今日はアニメ映画を鑑賞。『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』だ。今週末に予定している、芝居のワークショップでのディスカッションテーマである。
観るのは今回が初めてではない。映画館で観てはいないが、ほぼ近い頃にビデオで観て、それから何度か観ている。今回のディスカッションに備えても三度観た。

まず断っておかなければならないのは、自分は普段放送されている『クレヨンしんちゃん』は、一度も観たことがない。だから、登場するキャラクターのすべてを知らない。世界観もわからない。その上での感想である。

万博から始まり、ウルトラマンとおぼしきヒーローと怪獣(ゴモラ?)との戦いなど、わかりやすい懐かしネタの他にも、カリオストロの城や母をたずねて三千里など、いろいろの仕掛けがちりばめられていて、知っている大人は思わずニヤリとしてしまう。
しかし、この映画はそこが恐ろしい。誰もが気づくような、郷愁の共通アイテムで懐かしい気分にさせながら、心に冷や水を浴びせる。

映画の終盤、懐かしい匂いに侵され、子供に戻ってしまったひろしを元に戻したものは、ひろし自身の靴の匂いだった。この匂いはただ臭いだけではない。父の大きな背中を見上げ、安心感に包まれていた子供時代から、少年になり、初恋を覚え、上京して、仕事と格闘し、結婚して、やがて子供が生まれ、マイホームを購入し……といった人生を歩んできたひろしの、ここまでの半生が凝縮されている匂いだ。人はかけがえのない思い出を過去のものとし、現在の記憶を積み重ねながら生きていく。現在もまた、すぐに過去へと姿を変え、やがて懐かしい思い出になる。が、誰も思い出の中では生きられない。留まることなど、出来はしないのだ。それは永遠に叶わない夢である。
だから、子供時代の安心感を、一瞬でも取り戻したひろしはしかし、しんのすけの『オラがわかる?』との問いに、郷愁への未練の涙を流しながら抱き締めることで応じるのだ。個人的には、ここがこの映画のクライマックスである。

イエスタデイ・ワンスモアのケンとチャコにも軽く触れたい。彼らが単なる敵役ではないのは、映画を観終わった大人の誰もが感じると思う。それは、どの大人の心にも、二人が住んでいるからだ。みな、否定できない心の内の願望を、二人は象徴している。だからこそ、単純な敵役にはなりえないのである。

人は過去を懐かしみ、未来を思いながら、今を生きる。どこにも留まれないし、後戻りもできない。一足飛びもやれない。そうして思い出を積み重ねていくのだ。人生はもどかしいくらい、じりじりと一歩ずつ歩いていく。
最後にひとつ。しんのすけが鉄塔の階段を懸命に駆け上がる姿は、未来だけを信じられた幼い頃を思いだし、懐かしくもまぶしかった。
『オトナ帝国の逆襲』は、郷愁と未来への活力と今の大切さを、これでもかとばかりに何度もぶつけてくる傑作である。もっと歳を重ねた頃にまた観たい。そのときにどういう感想を持つか、いまから楽しみである。
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