碧田直の いいじゃないか。

演劇ユニット、ミルクディッパー主宰の碧田直が、日々を過ごして、あれこれ思ったことを、自由気ままに綴ります。

無題そのろっぴゃくごじゅうご

2018-02-02 22:28:10 | 日々
今日は午前中から昼にかけて雪。積もらなくてホッとした。

さきほどミクシィを覗いたら、大学の後輩が思い出話をつぶやいていた。大学の部室で、俺とYという後輩とで、ギターを弾きながら『二十二才の別れ』を唄い、それにいたく感動したというのだ。実のところ、そんなつぶやきを見るまで、そんなことがあったのを、すっかり忘れていた。
俺は大学時代、文芸同好会に所属していたが、俺の代が三年生になったときに、それまで部室の中央にデンと構えていた大きなテーブルと、それを囲む椅子を撤去し、カーペットを敷いて靴を脱いで上がることにした。提案したのは俺だったと思う。反対者は特にいなかった。それまで、椅子が埋まっていると、せっかく部室に遊びに来ても居場所がなく、帰るしかなかったので、もっと部室を楽に使用したいと考えての発案だった。
この目論見はまんまと当たって、部室は見事にだべるのに絶好の場所となり、一年から四年まで、くつろぎたいときに訪れては、馬鹿話をして時間を過ごすスポットとして、部員たちに愛された。そういえば部誌の名前を変えたのも、俺が三年のときで、それまで『麦星』だったのを『庚申塚』とした。部室のカーペットがどうなっているかは知らないが、『庚申塚』の名前は未だに残って、後輩たちに受け継がれているらしい。
で、ギターの話。
俺はギターは弾けない。ローコードをいくつか押さえることができる程度だ。Yは、俺よりは弾けた。部室には、何冊かコードのついた歌詞本があり、俺は暇なときで、かつ周囲にさほど人がいないときには、その本を頼りに、ギターをつまびきながら唄っていた。ギターは、同級生のSという女子学生が、家にあってもう弾かないオンボロギターを持ってきたのを使っていた。何しろオンボロなので、何度直してもチューニングがズレた。それでも平気でコードを押さえて唄った。つまり、その程度のものだったのだ。
Yとは、好きなアーティストが少し被るところがあり、ちょっとYが唄うのが上手かったものだから、やつの陰に隠れて、俺も唄っていたのだ。『二十二才の別れ』は、きっとそのうちの一曲だったのだろう。
錆びついた記憶が、後輩のつぶやきで少しだけ錆を落とされて蘇った。もちろん気恥ずかしいのだが、懐かしさもあって、ほんのひととき、二十代の初め頃に戻れた。感謝している。
しかし、若かったな、あの頃は。人前で唄うなど……。ああ、恥ずかしい。ではまた明日。
コメント
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