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両親の頑張らない介護 ~日々のつぶやき~

継父令和2年7月他界、実母要介護3在宅で介護中、義父平成30年4月他界、義母要介護4施設入所

3年前の思い出

2011年06月03日 | つぶやき
今日は自宅待機の日。のんびり過ごしています。


昨日、デイでサイコロにそれぞれ質問事項が書かれているものを転がし
出た問題に答えるというゲームをやったそうです。


母の番になり勢い良く転がし出た質問が、


『一番すきな場所』


で、母の答えは、


母 「家」


と一言。



スタッフコメント『やっぱりお家が一番ですね』



確かにね~~~~、



分かるけどさ~~~~~。



でもね、来月と再来月はショートに行ってもらわないとね~~~。



お母さん、ゴメンよ~~~~~






デイから帰宅後、ラジオをつけるとナイター中継ばかり。


私「CDにしようか」


いつもなら舟木一夫さんなんですが、今回は違うのをセレクト。



母が元気だった時、好きだったCD。
アメージンググレースが入ったCD。



この曲が流れると、色んな事が思い出されました。



このCD、母が発症して意識がない時、師長さんが、

師長さん「意識はないけど、耳は聞こえてるよ。
    だから刺激の為にお母さんが好きだった音楽を聞かせてあげて」



と言われ、病室で何曲か流していた中の1曲がこの曲。


この曲と一緒に聞こえるのが、人工呼吸器の音。
あと、ピコーン・ピコーンと警告音。


こんな細かい音まで思い出される。


母の周りは機械に囲まれ、点滴は何本もつながった状態。


乾燥のためか肌はカサカサに。


なので、毎日の日課だった事、
母のカサカサ肌にクリームを塗る事。


洗面所のお湯でタオルを温め病室に戻り、
点滴を気にしながら、母の顔・手・足を拭き、最後にクリームを塗る。


意識のない母に話しかけたり、母を真ん中に看護師さんとおしゃべりしたり。
師長さんの温かい言葉に何度も励まされたり・・・。


毎日が緊張の日々。
頭痛薬が手放さず、サプリメント状態で飲んでいた鎮痛剤。


こんな時、しっかりして欲しかった継父は母の病室で会うと必ず泣いていた。



いいね、泣けて。



私、泣いてる場合じゃなかった!!



この母がいない状態をどうするか、



この先、どうなるのか、必死だった。



考えてよ、自分の事だよ!!



みんな考えてるのに、自分だけ、考えてないの。



継父「しょうがないわな、オレ分からないし」



って全部丸投げ。



で、勝手にやれば文句ばかり。





転院の2・3日前。
突然、師長さんに呼び止められたことがあった。


師長さん「お姉ちゃん、頑張ったね。
    ○○さんも(母)頑張った!!

    
    朝の申し送りの時によく話すの、○○さん(我が家の事)とこの話。
    

    『ご家族の思い・ご本人の思い。それに対して私達ができる事は何か?
                それぞれ看護師同士で絶えず考えるように』




    これからが大変になるけど・・・、おとうさまも大変で心配だけどね。
    色んな方面で考えて行ったほうがいい。

    方法は1つじゃないよ、困ったら色んな人に相談していって。
    きっといい案が出るから。

    抱え込まないよ」




と。


見てたんでしょうね、色んなこと。



   
コメント
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