両親の頑張らない介護 ~日々のつぶやき~

継父令和2年7月他界、実母要介護4在宅で介護中、義父平成30年4月他界、義母要支援1施設入所

その後の経過③

2016年07月31日 | 主人の両親
今度は義母。あいかわらずですよ。

ガスは主人がコテコテに針金で縛っても解いて使うほど。

しまいには、「もうこなくていい」とまで言われたそうです。

ブチ切れた私。いいわ、わたしが仕返しに!!



今、週4ペースで義父の病院に連れて行っている私。

義弟、その嫁は知らん顔ですわ。相変わらず1,2日おきに食事を運ぶだけ。

30分も滞在しないでしょう。

これではね、おかしいでしょ。

我が家だけですよ、動いてるの。主人もさすがに切れまして、義弟に提案しました。



「両親ともに長期戦になる可能性があること。

自分1人では動かすことが不可能になりつつある現実。

できたら、両親それぞれの担当を決め、それぞれで動くことを提案したい。

こちらはどちらの担当になってもいいから、お嫁さんと相談し、

早急に答えを出して」




カッチンコッチンに固まったそうです、義弟。

まさかの展開でしょうね。

だからか、先日義弟に「来月の予定を教えて。お嫁さん分も」

そうLINEをすると、「嫁のスケジュールは直接本人に聞いてくれ」

って返信があったそうです。

冷戦状態か??


そんな担当決めの話を義母にしました。

「長男がね、そんなにごちゃごちゃ言うのが嫌なら、

お義母さんの担当は、○○さん(義弟)にしましょうか。

そのほうがお互いがいいでしょ。」



絶句ですよ、まずいですからね。

で、ちょうど仕事が忙しくなってきたこともあり、実家に行けない主人。

このタイミング、心配する義母。容赦なく、たたみ込む私。


これぐらいでいいのです、

自分中心で回っていると勘違いしているのです。

みんな忙しいのです、義母になんか付きっきりになるはずもない。



最近、めっきり来なくなった次男一家。

想定内だけに、どう対処したらいいものか。

でも、自分親には変わりなく、面倒だからと長男におまかせで、

調子いい時だけ顔を出す次男がムカついてしょうがない!!



明後日は義母の介護申請の認定調査が入ります。
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その後の経過②

2016年07月31日 | 主人の両親
一気にケアマネさんに話したわたし。

この以前から、主人の親のことは相談していた。

ケアマネさんもことの事態を重く見たのか、

「今あるデーター全部見せて」

看護師でもあるケアマネさん。

データー?!そんなもんありませよ。

あるのはワーカーから渡された療養型の施設のみ。

ケアマネさんも絶句です。ありえないと。

そして、「普通、3ヶ月は今の状態なら居られるよ。

動かすこと自体、かなり患者さんに負担がかかるでしょ?

移動手段は聞いたの?」


ちゃんと聞きましたよ、そしたらストレッチャーに乗せ、介護タクシーだって。

「あのね、この容体ならね、救急車を手配してもいいぐらいだわ」

そんなこと言われても・・・。


療養型の施設も目を通してもらいました。最悪です、どこも最悪。

ケアマネさん、言葉を失い、「ここ行けって?どんなとこか知ってるのかな?」

実はケアマネさんに会う前、一応2軒ほど見学しました。

人間の最期がここだと思うと、色んな気持ちを持っている義父でさえ、どうかと思う場所です。



そして出た答えは、母がお世話になった病院に転院する話です。

以前訪問看護で入っていてくださった所長さんが、この病院で師長さんをしていた。

これまた図々しく電話をかけ、母がお世話になった病院のワーカーさんにつなげることは

可能かどうか聞いてみた。

すると、「私から聞いてみてあげる。

個人情報だけど、聞いちゃってもいいかな?

すぐ今聞くから、またかけ直すわね」




本当にすぐかかってきた。

受け入れることは可能だが、どんな状態の方なのかわからないので、

主治医に診療情報提供書を書いてもらい、送ってもらうように指示が出た。



いそいで主人に連絡し、次の日の木曜日には主治医に書いてもらい提出。

ただ今連絡待ちです。たぶん週明けの明日、連絡が来るでしょう。

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その後の経過①

2016年07月31日 | 主人の両親
何から書いていいのか。書くことがありすぎる。



まずは義父。

5日前、事前に予約を入れていたソーシャルワーカーと面談。

要件は転院先の事。

同席者は主人、次男、義母、私の4人。

慣れた様子で淡々と話すワーカーさん。

事前に話をしておいた主人は冷静に聞き入ってますが、

次男、義母は途中から話が入ってこない顔をし、キャパオーバー。

数軒出た施設。全部療養型です。

そしてこの転院先の答えを明日までにお願いしますというのです。

確かに早めのお答えをしなければいけないのは分かりますが・・・、

ちょいと早すぎませんかね??




でもね、まだ義父の容体は安定しているとはいえません。

だってね、発症してまだ2週間ですよ。治療がないのは分かります。

しかし熱は日によってあったり、痰だって、今は1時間に1回になりましたが、

この時は30分に1回ですよ。

経管栄養の量も定まっていない状態で、急性期は過ぎたとはいえ、

またまだ、経過観察が必要なのではないかと素人は思うのです。



このワーカーさんと面会する前に1回だけ主治医と病室で話したことがあります。

と言うか、データーを見せて欲しかったのです。

だってね、数字的なデーター、な~~~んにも出ていないんですよ。

血液検査だってしているはず、なのにデーターがない。

心エコーも撮っているはずなのに、主治医は「撮ってない」という。

脳波だって、CTだって撮っているのに何も見せてくれない。

不信感だらけ。



かなり大きな病院です。今居るうちに、一通りの検査はしてほしい。

特にMRIは撮って欲しくお願いしました。

そしたら、「脳波がないから意味が無い」だそうです。

ならば、拘縮予防でリハビリを少し入れることは可能かどうか聞きました。

「歩けると思ってるの?歩けないでしょ、食べることだって難しいのに」

ですって。私がおかしいのか??




そんなことを、たまたま母の利用表を持ってきたケアマネさん。

実母とは関係ない義父や義母のこと。

でも誰にも相談できないし、図々しく相談してしまった。



ここからものすごい勢いで物事が動きます。

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やっぱりね、使うわな!!

2016年07月24日 | 主人の両親
義母が訳の分からない話をし始めた。


全盲の義母。


ガスの使用を禁止したのにもかかわらず、元栓開け、使ってた。


それに激怒した主人が、大元のガスの元栓を閉めた。


昼過ぎに気になったので、実母を息子に監視させ、主人の実家へ。


すると玄関開けるなり大激怒の義母。


火事になったら大変だからと言っても聞き入れず。


更によくわからない理屈並べ、自分を肯定し始める。


やってられん…(ー ー;)


さて、どうしたもんか(ー ー;)
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時間経過とともに出てくる問題②

2016年07月22日 | 主人の両親
洗濯物が我が家にたくさんあったこともあり、眼科へ行った後の午後、

今度は義父の病院へ。朝4時半から動いている私。ヘロヘロです




しかし、話の流れで?!義母も一緒にいくことに。

ちなみに昨日の担当は次男なのですが、一緒に義父のところに行くつもりでいた義母。

次男に、あっさり断られたそうです。




理由は、「昨日行ったからいいでしょ!!忙しいんだよ、子どもも帰ってくるし」。

その日、終業式だったこともあり、早めに子どもが帰宅する予定だったのでしょう。




時間が余りある義母。外出も誰かが連れて出てくれなければ出れません。

家事(火元が危ないということで)ができなくなった今、誰かが作ったおかずを食べる日々。

やることといえば、あれこれと先の心配をするばかり。

状況としては良くはない。

そんなこともあって、昨日、義父の病院に一緒に義母も行ったのです。





発症し、初めて見る義父。想像はしていました。しかし、その想像より良い感じ。

思わず、9年前の実母を思い出します。ここからのスタートだったと。

ベッド柵をつたい、義父のもとに向かう義母。

何も見えない義母なので、行く先にある、点滴、モニター、チューブなど

私がそれらをこっそり動かします。


「おとうさん、おとうさん・・・・」



そう言って手を伸ばす義母の手をとり、義父の顔へもって行きます。

すると、驚く反応が!!




さっきまで何も変化がなかったのに、目は見開き、口は開き、頬ずりするようなしぐさ。

目は見えていないようですが、明らかに声に反応している。

そのうち、左肩を動かそうとする場面も。

気管切開をしてることもあり、声は出ません。

その都度、義母に説明し、その嬉しい反応に涙し、喜ぶ義母。



ああ、わたしも、9年前、同じだったな・・・。




義父の反応を見るために、義母と反対側から私が声をかけると、

『だれだ?』って顔をしてこちらを見ます。

残った神経細胞が動き始めている!!




あんなに憎らしかった義父、義母。

今でも腹は立ちますが・・・。

ですが、私も同じ経験をした身、希望の光が見たくて、必死になっていた9年前。

当時、涙も出なかった。




でも今になり、義父の姿を見て、9年前の実母のいろんなことを思い出す。

きっと、主人も9年前の私と同じでしょう。義母も同様に・・・・。

そして、義父の 「生きることへの力強さ」。 

この義父の思いがある限り、出来ることが増えそうな予感さえする。






そうは言うものの、実家に行けば現実が。

書類は山のようにある。先日主人と一緒に実家へ行き、2つの税金の未払いを発見。

慌てて、私がその日に市役所へ行き、我が家が立替え、支払い完了。




書類関係もそうですが、義父の施設探し、義母のこれからの生活、

み~~~~~~~~~~~~~んな、私たちがやってる。




次男夫婦ですか?!食事の配達のみ。それも1回が大量に。

なぜかって?! そりゃ~、



実家に行く回数を減らすため!!!




ちなみに先日主人が実家の冷蔵庫を見ると、

いつ持ってきたかわからない卵焼き、はんぺん、フライなど。

丼に山のように入ったカレー、大量のご飯、焼いた魚3尾。




あのさ、これさ、何日分なのよ??




こんなんですよ。





さてと、今日も午後から義母連れ義父の病院へ行く予定。

我が家に洗濯物が大量に運ばれるので。

洗濯した物を持ち、また洗濯物を持ち帰ることでしょう・・・。




まあ、いいです、想定内なので・・・。




ああ、ちょっと書いてすっきりした!!

すみませんm(_ _)m

がんばります!!

















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