両親の頑張らない介護 ~日々のつぶやき~

継父令和2年7月他界、実母要介護4在宅で介護中、義父平成30年4月他界、義母要支援1施設入所

帰ってきました、また始まる

2020年07月29日 | 母の事
昨日ショートから帰宅しました。
疲れも見せず、足取りもしっかりしています。


久しぶりのショートだったので、
少し心配しましたが、
『久しぶり』と思っているのは私だけで、
母にしたら、前回いつショートへ行ったかさえ不明。
まずは何事もなく帰ってきたことが一安心。



さてショート中は、
自分が思った以上に身体はダメージを負っていたようで、
横になったら起き上がれず、ただただ、寝てるだけ。



夜が眠れないのではないかと思うぐらい、爆睡。
この状態が2日間、ずっとこの調子。自分でも驚くほど。



今でも疲れが少し残っていて、
モチベーションが下がったまま。
ですが、やらなきゃいけないので、何も考えず、
ただただ、身体を動かすのみ。




今日は訪問リハビリのみ。
真面目に取り組んでおりました。
自分のため、自宅で住むためにはリハビリは必須。
嫌なら、入所も検討します。



正直、継父が亡くなり、介護費用が母が一人分となり、
金銭的にも一人分なので、高額の施設に入所しなければ、
なんとかなりそうな経済状況。



がむしゃらにやってきた在宅生活は終わり、
今は『選択肢がある』介護生活に変わり、
どこか気持ち的にも余裕というか、
タイミングが合えば、一気に入所も考えよう、
という気持ちになっている。




そう思うだけで、少し気持ちが軽くなる。



今年の9月で在宅介護生活も12年目に入る。
12年・・・・もういいでしょう。
そんなことを最近毎日考えている。



そんな事を娘が考えているとは、
夢にも思わない母でしょう。
そんな母を、そろそろ、シャワー浴でもしましょうか。
さてさて、テンション低いですが、がんばりましょ!!
コメント (6)
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いまさら、何言ってんの?!③

2020年07月24日 | つぶやき
長くなりまして、すみません。
①、②の続きです。
今回で最終回としますm(_ _)m



ーーーーーーー


言い出したのは、次女の旦那の親と旦那です。
きっと自分たちは善人の行いをしていると、
勘違いしているのでしょう。



まさに、善人警察です。



「べき」、「べき」、「べき」、「べき」です。
理想は、昭和の家族ドラマのようです。
うるさーーーーーーーーーーーーーーーーい!!




実母が再婚し、新しい家族となった継父との美談な家庭。
苦難もあったが、それらを乗り越えてきた的な、
感動ドラマのような感じでしょう。



そんなもん、
一切ないわ!!




(次女の旦那は)「どうしても5人家族セットで行きたい。
施設に入所してからも、自分は家族みんなで会いに行きたかったと。
だから行くように勧めていた、と。
しかし行かない選択をしていたのはお前だ」と言っている、
と、次女は言う。



ってか、わたしはこれを知り、
いま、
あんた(次女の旦那)の気持ちは、
聞いてないわ!!

でした。



継父の施設に行き、会いに行かなかない選択をしたのは、
確かに『次女』です。
しかし、そこまで次女の旦那が次女に強く、
何度も面会を勧め、子供を連れて継父に会いたかった
自分がいるのなら、
なぜ、自分だけでも子供を連れて行かなかったのか。



いまなら、なんとでも言えるでしょ。



施設に入って、約10年ですよ。
10年もの時間の中で、そういう気持ちがあったなんて、
一度も聞いたこともないし、知りもしなかった。
継父本人さえも、思わなかったことでしょう。



次女の子供に至っては、
継父にとったら孫である次女の子供を1回しか見ていない子もいる。
そんな子を連れてきて、顔の知らない、
今にも死にそうな じーさんを見せられても・・・ね。



三女に連絡をしたらア然でした。



離れていても継父を気にかける連絡をしていたとか、
年に1回は会いに来て、顔を見せるとか、
そういうことをしていたのなら、コロナでも、
「ぜひ、来て欲しい。最期の見送りを一緒にしよう」と、
そんな言葉は自然に出ていたと思うのです。



もう、心が狭くてもいい、
感染者が多く出ている地域から、わざわざ来ました感出して、
何もしてこなかったのに、いまさら取ってつけたかのように、
シレッとした顔で葬儀には参加するのが許せなかった。



「最期だけかーーーい!!」と叫びたくなる。



とは言うものの、
あとからごちゃごちゃ言われても困るので、
最終的判断は次女の気持ち・考えを優先しようと思い、
返事を待ちました。



次女の結論は・・・・、
「わがままを通すけど、ごめん、行かない。
(継父に対しての)色んな気持ちはあるけれど、
まずはやっぱり感染させても怖いし・・・。
責任取れないから」
とのこと。



わたしも、継父の最期のとき、深夜に駆けつけ、
継父のもとに寄り添うこと数時間。
自然に自分から出る言葉を継父に投げかけていた。



その言葉の中には最後まで、
「ありがとう」という5文字は出てこなかった。
(ちなみに、義父のときも同じく)



ちなみにわたしから自然に出ていた言葉は、
「自分のタイミングで逝ってください」でした。




薄情ですよね、
でも、私の素直な最後の継父へのメッセージでした。
だから、次女が「行かない」という選択をしても、
責めることは出来ません。





そして、音信不通になっている他県の親戚には、
こちらも今さら感があるので連絡すら入れていません。
継父自身、そういう人でしたから、いいんです。




いろいろ考えはあるでしょうが、
後悔はありません。(次女もそうだといいけれど)



今後ある四十九日、あと一周忌もね・・・、
その頃にはコロナ問題も落ち着いているかな。



長くなりましたm(_ _)m



最後に、今朝咲いていたハイビスカス。







ビタミンカラーの赤。
パワーを貰いました。
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いまさら、何言ってんの?!②

2020年07月24日 | つぶやき
①の続きです。
愚痴になります。
すみません。




ーーーーーーーー


3姉妹で話し合いをしました。
その前に、前フリとして、ずっと継父を看ていた三女には
先に話をしました。



今までの家族間でしか知らない継父と次女とのこと。
そして、今まで面会に行かなかった次女の行動。
三女からしたら一番末っ子で、一番面倒な継父を担当することになり、
何も思うことがなかった、とは考え難い。



そんな事もふまえ、このコロナというご時世も含めた上で、
ぶっちゃけ話をした。



三女の答えとしては、
「まずはコロナでしょ」でした。




緊急事態宣言はとかれたけど、感染者が多い地域から来る。
それも5人家族で来る。
『マスクして、消毒して、だから絶対大丈夫』とは言えない。
もしものことを考えると怖いと。
子供らは葬儀そっちのけで、大騒ぎでしょう。
密、密、密だらけだと。




だよね・・・。



三女も最後は、「まずは本人(次女)の意見も聞いた上でしょ」と。
ということで、あらためて次女に連絡。



次女本人の意見としては、
「正直、コロナがあるおかげで『行かなくて良い』という口実ができる。
ということでした。
(きっとこれが次女の正直な答えでしょう。
そう私は捉えました。)




それと同時に、
自分の意思をコロナを口実に隠し、
何もしてこなかったことも見ないふりをして、
自我を通すことは、ワガママではないかとも話していた。



しかし現実問題、次女の住む地域でも感染者は日に日に増えている。
もしものことを考えると怖い、責任は取れない、とも言う。



結局、この時点では、「行かないでいいのなら、行きたくない」
というのが答えでした。




しかし、これが、継父が亡くなる一週間前に覆るのです。
急に血圧が下がり、危ないと言われた時期でした。
もちろん、妹2人にも連絡。
すると次の日に次女からLINEが。



「今からでも間に合うなら家族揃って見舞いに行きたいと。
葬儀も参加したいと言っているけど、だいじょうぶ?」と。




なんだって~~~ヽ(`Д´#)ノ



わたしの最初の感情でした。



(すみません、思いの外、長くなってしまいました。
次回で最終回としますm(_ _)m)








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いまさら、何言ってんの?!①

2020年07月24日 | つぶやき
やっと、待ちに待ったショートが明日です。
前回のショートは、葬儀当日だったのでキャンセル。
キャンセル後は、ショート入れずに24日間がんばりました!!



マジでキツかった・・・(-_-;)



継父のことが落ち着かなかったことで、
先延ばしにしていた車検もやっと受けれ、
一安心。



明日からのショートをどう過ごそうか、
今からワクワクしてちょっと楽しみでもありますが、
結局、自宅で映画見たり、ゴロゴロしたり、
あっという間に時間が過ぎそうですが、
まっ、それでもいいかなって。




ーーーーーーーーー



さてさて、ちょっとここから愚痴になります。
すみません。





ここに至るまでに色々ありました。
正直、義父のときに、そこそこ旦那の兄弟で
ごちゃごちゃ問題が勃発したこともあったので、
それを教訓として、行き違いがないように、
思い違いがないように、頻繁に姉妹間では連絡を密にしていました。



看取りの段階になったときも、
近くに居る妹(三女)とは主治医の話も一緒に聞きましたし、
直接会って、お互いの意見交換をしながら、
一番長く継父を看ていた三女夫婦の意見を尊重してきました。
これはあくまでもわたしのポリシーで。



で、関東方面にいる妹(次女)とは距離があるので、
リアルタイムに主治医の話も聞けないので、
事後報告となっていましたが、LINEでも電話でも、
細かくやり取りはしていました。
さらに、継父のもしものときのことも、何度も想定。




最初の話し合いの時期は緊急事態宣言真っ只中。
不要不急、県をまたぐことが禁止されていました。
しかし、看取り・葬儀となれば不要な行動ではない。
さて、どうするか。



私が判断することではないので、
次女に答えは任せました。
というのも、再婚当時から継父からかなりの圧力が次女にはあり、
何も言わない次女をいいことに、継父の悪態ぶりが、
日に日に、年々エスカレートしていたのは事実。



そんなこともあり、
継父が入所しても次女は一度も面会は行きませんでした。
私達もわかっていたので誘いもしませんでしたし、
あえて話題にもしませんでした。



以前から、私個人では、
継父の看取り時の面会や葬儀に対して、
次女がどんな決断をしても、受け入れようと思っていました。
それは世間ではNGと言われることでも、尊重してしかるべきだと、
そう思うぐらい、次女に対する継父の態度はひどかったのです。



しかし、考えもしなかった「コロナ」という問題。
病院にも、施設にも、まともに家族が出入り出来る状況ではなく、
看取りの段階になったときでも、施設側から、
「感染者が多い地域からの面会は遠慮願いたい」との通達。



さらに葬儀社でも同様で、
「『来たい』という方々に『来るな』とは言いづらいでしょうが、
出来ましたら少人数で、短時間。
さらに会食は出来ないことをご理解願いたい」
ともいわれたのも事実。




これをふまえ、3姉妹で検討に入りました。




(長くなりそうなので、ここで一旦切ります)
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後悔はなし

2020年07月21日 | 継父の事
お久しぶりです。
少しずつ、通常通りになりつつあります。


昨日、市役所で継父の手続きが終わり、
あとは年金のみ。
その他の手続きも少しずつ妹と相談しながら
やっていこうと思います。


母は元気です。ありがたいです。
今日も変わらずデイサービスに行ってもらいました。



わたしは・・・バテております(笑)
最後のショートから、すでに21日目が経ち、
次のショートまであと4日!!
あと少し、踏ん張って頑張っています。




ーーーーーーーー



継父は帰りたかった家に戻り、
今はホッとしていることと思います。



一人で旅立ったのですが、
正直、「やっぱりね」っていうのが本音。
サラッと一人で逝きたかったのかもしれません。



というのも、亡くなる1時間半前まで継父の傍に
わたし一人居たのです。



老健から「血圧が低下している」と電話があったのが深夜1時。
すぐに向かうことを伝え、妹にも電話。
「どうしよう」を連呼する妹。行く行かないの判断は自分でしてもらう。
朝まで帰れないことを想定し、早めの母のトイレを行く。



真夜中の老健に着いたのが電話をもらって30分が経過。
酸素を入れていても、かなり苦しそう。
声をかけても反応はないものの、
耳は聞こえているような素振りはする。



頻繁に看護師さんが覗きに来て、
痰の吸引をまめにしてくれるのがありがたかった。



刻々と過ぎる時間。
時刻は明け方の4時。焦る。タイムリミットだ。
気になる人はもうひとり居る。
でも目の前にいる継父も気になる。



看護師さんに事情を話し、一旦自宅に帰ることにする。
継父に最後かもしれないと思い、声をかける。
老健出たのが4時半過ぎ。



自宅に戻り旦那と少し話、母のトイレを済ませたあと、
もしものことを考え母の支度を済ませ、
出かけようと思ったら老健から電話。
慌てて老健に向かうが、心のどこかで間に合わないだろうと、
一人で逝くだろうと思っていた。



ほんの1時間半前まで居た場所は静かになっており、
目を真っ赤にした看護師さんが「ごめん」って。
謝ることないのにね。



妹に電話し、施設スタッフとこれからの予定を話し、
施設に妹一家が来た時点で老健と継父のことは任せ、
わたしは老健を出て母のもとに向かう。



妹の話だと、老健を出るとき、出入り口まで直線につながる通路に、
びっしり並ぶスタッフ。
最後はお世話になった主治医、リハビリの先生、
相談員さんが見送ってくれたらしい。



さすがにこの光景は妹も感無量で泣けてきたと言っていた。
一緒に居た姪っ子、甥っ子も今でも「あれはすごかった」というぐらい。




ーーーーーーーーー





今も思い出すと、めちゃくちゃハードな一日だった。
よく乗り越えたと自分を褒めてあげたい。



そして、亡くなった実父にも感謝。
きっと実父が連れて行ってくれたのだと思うのです。
だって、実父が亡くなったのが40年前の7月13日。
継父が亡くなったのが7月10日。



偶然かもしれませんが、
亡くなった実父の仕業だろうなって思っている。
そして「世話かけたな。わるかったな」って声も聞こえる気がするのです。




長くなりましたm(_ _)m
また、ボチボチ書いていこうと思います。
ここ1ヶ月間、いろいろあったんです(苦笑)
吐き出していこうと思いますので、
よろしくお願いいたしますm(_ _)m
コメント (4)
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