6/4東京デモパーティー、そして、6/29の大東合同お題追求会議で実演したデモ「学力低下をどうする?!」も、遂にVer.3を来る8/6の東京デモパーティーで三度実演することとなりました。
(Gen⇒やっさんと来て、第3の演者はS氏ですよ!)
ということで、現在露店で試しながらトークの最終調整に入ってる「学力低下をどうする?!」Ver.3です。
大東お題追求会議では、「なんで?」と「どうする?」の理論的繋がりの不十分さや、そもそも原因は「市場化」なのか「圧力衰弱」なのか?⇒2パターン作っては?などの議論がなされました。
それらを受けての方針は・・・
①路上でウケの良い「市場化」はそのままに、市場化に伴い衰弱した「身分圧力」「貧困の圧力」を「同化圧力」の衰弱という観点で盛り込む。
②そして、市場化に伴う同化能力衰退現象を軸に、「同化能力」「同化圧力」「同化対象」各々がなぜ衰退あるいは失われたの原因分析を行う。
③板書を横書きとし、「なんで?」と「どうする?」を直接矢印で繋いで分かり易くする。
④本来思考法とはオープンであり、「やりとり」が大事である・・・という論点は、多少トーンダウンし、お客さんがより具体的な解決策に関心を持っている場合は展開する。
長くなりますが、以下は全トークです。
「骨の折れる仕事」を本当に骨折する仕事だと思っている大学生、「八つ」を「はちつ」と読む小学生・・・信じられないような話ですが「学力低下」は、子を持つ親御さんや学校の先生は勿論のこと、日本の国際競争力にも関わる問題で非常に気になりますね。
それに対し、政府や文科省は、取り敢えず「ゆとり教育」を見直して授業時間を増やすなどの対策を講じつつあるようですが、「ゆとり路線」自体がそうであったように、なんだか非常に短絡的、目先的な感じがしてなりません。
そこで、なんで屋では、学力低下問題の本質と突破口を、その歴史を遡って考えてみました。
■学力低下とは?
○まず、そもそも「学力低下」とは何か?なのですが、聞いたことがある、あるいは身の周りでの現象事例を上げてみてください。
・漢字書けない、語彙が少ない、字が汚い、日本語になってない、人の話しを聞き取れない、読む人を意識してない、言いたいことを伝えられない・・・これらの事象から言えることは、「学力低下問題」とは、単に試験問題が解けないといったレベルの話しではなく、実は、そもそも【言語】能力・・・【日本語】力と言っていいですが・・・の衰退現象ではないかということです。
・因みに日本語能力が無ければ数学や理科の文章題も解けませんよね。
○更に、人間が言語を使い、思考することができるのは【観念】の力によるものであり、言語能力の衰退とは、【観念】能力の衰退現象・・・つまり【考える力】の低下を意味しています。
○次に、学力低下とは学ぶ力の衰えとも言えるわけですが、「学ぶ」の語源をご存知ですか?そう、「まねぶ」です。「学ぶ」・・・つまり物事の吸収は、まず真似るところからはじまるということです。例えば赤ちゃんが言葉を憶える過程を想像するとわかりやすいのですが、「まんま」とか「ぶーぶー」とか、とにかくお母さんやお父さんの発する言葉を、意味もわからずに耳で聞いてひたすら繰り返すことで、言葉を吸収していきます。
この真似をするという行為は、相手や対象と自分を重ね合わせて同化する過程であり、観念能力衰退や学力低下の背景には、【同化】能力の衰退現象・・・つまり【真似る力】の低下という大きな問題もあるのではないかと思います。
・実際に問題を解こうと思ったら、出題者の意図は何だろう?と同化してみる必要があるし、人の話しが聞き取れないとか、思ったことを伝えられないというのは、まさに相手に同化できてない証拠です。
◎ここで重要なのは、この観念能力や同化能力は、人類固有の能力市場拡大につれ、観念能力や同化能力は破壊であり、これらの能力を駆使して集団や社会を形成し、様々な外圧に適応してきた歴史だということです。
従って、学力低下問題とは、この人類最強の武器を失い動物レベルまで後退する一種の退化現象と言っても過言ではなく・・・【人じゃなくなる!】・・・というくらいヤバイ現象だということです。
■なんで?学力低下したのか?
○まず、いつから学力低下現象がはじまったと思いますか?(→「ゆとり教育」が多いと思われる。)
・確かに、1977年の学習指導要領ではじめて提唱され、約10年前に本格化した「ゆとり教育」の弊害は大きいと思いますが、色々調べてみると実はもっともっと根が深いんです。
・大きくは【江戸】から【明治】への転換を境に明治~戦前、次に敗戦を境に【戦後】、そして、「ゆとり教育」と、概ね3段階に渡り低下してきています。
・例えば・・・「学問のススメ」をご存知ですか?・・・そう、福沢諭吉の書いた「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云ヘリ」という有名なやつですね。明治初期の小学生は、なんと、この「学問のススメ」をすらすら暗誦していたそうです。諭吉によれば「猿にでもわかる」ように書いた」とのことですが、漢字だらけの難しい文章であり、現在の我々大人でも読み込むには結構“骨が折れる”文章です。
○では、なんで明治以降言語能力・同化能力が低下したか?について考えてみましょう。
まず、江戸から明治と言えば、幕末にペリーの黒船がやってきて鎖国が解かれたわけですが、彼ら欧米人は一体何のために日本にやってきたと思いますか?
・・・商売ため・・・日本を開国させ、市場化しようと企んでやってきたんです。そして、それ以降は【市場】拡大の歴史と言え、市場拡大につれ、観念能力や同化能力は破壊されていってしまいました・・・・
○ではなんで、市場拡大が、こういった能力の衰退を招いたのか?ですが・・・
市場を拡大させるためには、次々と新しい商品を売り込む必要がありますね。
・・・テレビ、冷蔵庫、洗濯機といった三種の神器の次は、新三種の神器、カラーテレビ、クーラー、カー(3C)といった具合に。
・でっ、そのためには、次々と新商品の魅力をアピールし続け、新しい商品やサービスをみんなが欲しくなるように仕向ける必要があります。
・ここでポイントは、いかに「分かり易いか?」であり、分かり易く魅力を伝える手法として、活字から【映像】刺激への移行が進みました。
・・・例えば、フランス料理を広めようとしたら、あれこれ言葉で説明するより、フランス料理をおいしそうに食べている映像を見せるだけで「おいしそう~食べてみたい!」となるように、ある商品を活字で説明するよりも、具体的にその快適性や便利さを映像化して見せた方が圧倒的にインパクトがあるし伝わり易く、ついつい欲しくなっちゃいますよね。
・ところが、恐ろしいことに、この活字から映像への流れが、人々を【思考停止】に追い込むと同時に、同化能力を低下させてきた・・・つまり、活字は頭をフルに使って同化し、理解しようとする必要がありますよね。あるいはあれこれ頭を使って情景や心情をイメージする。ところが、映像というのは、そういった努力を一切することなく、一方的に頭に入ってくる・・・。一切発信する必要がないし、感覚(本能)に直接働きかけてくるため、同化機能や観念機能をほとんど使わなくて済むという恐るべき特性を備えているんですね。
・・・「テレビ脳」という言葉を聴いたことありませんか?実際、テレビをぼーっと見ている時は、脳の活動がかなり低下しています。
・・・お母さん、お子さんが大人しくなるからってテレビを長時間見せたりしていませんか?!
・これは、教科書の世界も同様で、参考に用意した資料を見て頂ければわかりますが、江戸時代は寺子屋で使われた「往来物」や藩校で使われた「論語」(「四書五経」の一つ)など、草書や漢文で書かれたすごく難しい教科書が使われていたのに対し、明治に入るなり、欧米の「ペスタロッチ主義」=映像主義の影響で文章から単語主体に、また、挿絵主体になっていき、現在の小学校低学年の教科書に至っては、絵と写真で埋め尽くされ、落書きするスペースも無いくらいです。これじゃあ頭を使わなくなるのも一目瞭然です。
◎「分かり易い」ことは良いことだと考えがちですが、実は思考停止を招き、観念能力や同化能力を衰退させている面もあるということです。
○次に、同化能力低下の原因として、同化圧力の衰弱があります。
例えば、江戸時代の子供達がこれほど難解な教科書に必死に同化できたのはなんででしょうか?
それは、士農工商による強い【身分】圧力が同化圧力として働いていたからです。身分制度がしっかり機能している状況では、百姓に生まれれば、いかに百姓としてまっとうに生きるか?商人に生まれれば、いかに商人としてまっとうに生きるか?が生きる上での最重要課題となり、そのために必死になって難しい教科書や、集団の規範に同化し勉強しました。
→ところが、明治に入り身分制度が廃止され四民平等政策が採られることで、身分圧力は急激に衰弱してしまいました。
代って、明治以降主な圧力になったのは、【貧困】の圧力です。市場社会とは、誰もが己の利益獲得のために他人と争う社会であり、その競争に敗れれば、直ちに収入を失って飢え死にしてしまう可能性をもっています。よって、人々は、飢えの恐怖から逃れ、より豊かな生活を実現すべく、必死に教科書に同化し、勉強しました。
→ところが、市場拡大に伴い徐々に物的豊かさが実現されると、1970年頃遂にこの【貧困】の圧力も消滅してしまいました。(と同時にゆとり路線のはじまり。)
○また、同化能力低下のもう一つの原因として、同化対象の喪失があります。
明治初期、当時の政治家は、西洋に追いつくためには日本的なものを捨て、西洋の考え方を取り入れる必要があると考え、西洋思想の流入がはじまりました。(「脱亜入欧」)
この西洋思想の中核が「個人主義」思想です。個人主義思想といえばさも美しげな響きがありますが、所詮【自分】が原点です。同化とは、あくまでも相手や書物などの「対象が原点」ですので、自分が原点の個人主義思想の浸透は、同化能力の衰退をまねくと同時に、自己中化が進行→皆バラバラになってしまったのが現在の社会です。(現在のクレーマーやモンスターペアレンツ、秋葉原事件・・・)
◎どうですか?「近代化」とか「市場化」というと、あたかも能力が上がっていっていると考えがちですが、実は正反対で、物的には豊かになったが、徐々に言語能力が低下しているというのが歴史的な事実です。
・・・つづく
<Gen>
(Gen⇒やっさんと来て、第3の演者はS氏ですよ!)
ということで、現在露店で試しながらトークの最終調整に入ってる「学力低下をどうする?!」Ver.3です。
大東お題追求会議では、「なんで?」と「どうする?」の理論的繋がりの不十分さや、そもそも原因は「市場化」なのか「圧力衰弱」なのか?⇒2パターン作っては?などの議論がなされました。
それらを受けての方針は・・・
①路上でウケの良い「市場化」はそのままに、市場化に伴い衰弱した「身分圧力」「貧困の圧力」を「同化圧力」の衰弱という観点で盛り込む。
②そして、市場化に伴う同化能力衰退現象を軸に、「同化能力」「同化圧力」「同化対象」各々がなぜ衰退あるいは失われたの原因分析を行う。
③板書を横書きとし、「なんで?」と「どうする?」を直接矢印で繋いで分かり易くする。
④本来思考法とはオープンであり、「やりとり」が大事である・・・という論点は、多少トーンダウンし、お客さんがより具体的な解決策に関心を持っている場合は展開する。
長くなりますが、以下は全トークです。
「骨の折れる仕事」を本当に骨折する仕事だと思っている大学生、「八つ」を「はちつ」と読む小学生・・・信じられないような話ですが「学力低下」は、子を持つ親御さんや学校の先生は勿論のこと、日本の国際競争力にも関わる問題で非常に気になりますね。
それに対し、政府や文科省は、取り敢えず「ゆとり教育」を見直して授業時間を増やすなどの対策を講じつつあるようですが、「ゆとり路線」自体がそうであったように、なんだか非常に短絡的、目先的な感じがしてなりません。
そこで、なんで屋では、学力低下問題の本質と突破口を、その歴史を遡って考えてみました。
■学力低下とは?
○まず、そもそも「学力低下」とは何か?なのですが、聞いたことがある、あるいは身の周りでの現象事例を上げてみてください。
・漢字書けない、語彙が少ない、字が汚い、日本語になってない、人の話しを聞き取れない、読む人を意識してない、言いたいことを伝えられない・・・これらの事象から言えることは、「学力低下問題」とは、単に試験問題が解けないといったレベルの話しではなく、実は、そもそも【言語】能力・・・【日本語】力と言っていいですが・・・の衰退現象ではないかということです。
・因みに日本語能力が無ければ数学や理科の文章題も解けませんよね。
○更に、人間が言語を使い、思考することができるのは【観念】の力によるものであり、言語能力の衰退とは、【観念】能力の衰退現象・・・つまり【考える力】の低下を意味しています。
○次に、学力低下とは学ぶ力の衰えとも言えるわけですが、「学ぶ」の語源をご存知ですか?そう、「まねぶ」です。「学ぶ」・・・つまり物事の吸収は、まず真似るところからはじまるということです。例えば赤ちゃんが言葉を憶える過程を想像するとわかりやすいのですが、「まんま」とか「ぶーぶー」とか、とにかくお母さんやお父さんの発する言葉を、意味もわからずに耳で聞いてひたすら繰り返すことで、言葉を吸収していきます。
この真似をするという行為は、相手や対象と自分を重ね合わせて同化する過程であり、観念能力衰退や学力低下の背景には、【同化】能力の衰退現象・・・つまり【真似る力】の低下という大きな問題もあるのではないかと思います。
・実際に問題を解こうと思ったら、出題者の意図は何だろう?と同化してみる必要があるし、人の話しが聞き取れないとか、思ったことを伝えられないというのは、まさに相手に同化できてない証拠です。
◎ここで重要なのは、この観念能力や同化能力は、人類固有の能力市場拡大につれ、観念能力や同化能力は破壊であり、これらの能力を駆使して集団や社会を形成し、様々な外圧に適応してきた歴史だということです。
従って、学力低下問題とは、この人類最強の武器を失い動物レベルまで後退する一種の退化現象と言っても過言ではなく・・・【人じゃなくなる!】・・・というくらいヤバイ現象だということです。
■なんで?学力低下したのか?
○まず、いつから学力低下現象がはじまったと思いますか?(→「ゆとり教育」が多いと思われる。)
・確かに、1977年の学習指導要領ではじめて提唱され、約10年前に本格化した「ゆとり教育」の弊害は大きいと思いますが、色々調べてみると実はもっともっと根が深いんです。
・大きくは【江戸】から【明治】への転換を境に明治~戦前、次に敗戦を境に【戦後】、そして、「ゆとり教育」と、概ね3段階に渡り低下してきています。
・例えば・・・「学問のススメ」をご存知ですか?・・・そう、福沢諭吉の書いた「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云ヘリ」という有名なやつですね。明治初期の小学生は、なんと、この「学問のススメ」をすらすら暗誦していたそうです。諭吉によれば「猿にでもわかる」ように書いた」とのことですが、漢字だらけの難しい文章であり、現在の我々大人でも読み込むには結構“骨が折れる”文章です。
○では、なんで明治以降言語能力・同化能力が低下したか?について考えてみましょう。
まず、江戸から明治と言えば、幕末にペリーの黒船がやってきて鎖国が解かれたわけですが、彼ら欧米人は一体何のために日本にやってきたと思いますか?
・・・商売ため・・・日本を開国させ、市場化しようと企んでやってきたんです。そして、それ以降は【市場】拡大の歴史と言え、市場拡大につれ、観念能力や同化能力は破壊されていってしまいました・・・・
○ではなんで、市場拡大が、こういった能力の衰退を招いたのか?ですが・・・
市場を拡大させるためには、次々と新しい商品を売り込む必要がありますね。
・・・テレビ、冷蔵庫、洗濯機といった三種の神器の次は、新三種の神器、カラーテレビ、クーラー、カー(3C)といった具合に。
・でっ、そのためには、次々と新商品の魅力をアピールし続け、新しい商品やサービスをみんなが欲しくなるように仕向ける必要があります。
・ここでポイントは、いかに「分かり易いか?」であり、分かり易く魅力を伝える手法として、活字から【映像】刺激への移行が進みました。
・・・例えば、フランス料理を広めようとしたら、あれこれ言葉で説明するより、フランス料理をおいしそうに食べている映像を見せるだけで「おいしそう~食べてみたい!」となるように、ある商品を活字で説明するよりも、具体的にその快適性や便利さを映像化して見せた方が圧倒的にインパクトがあるし伝わり易く、ついつい欲しくなっちゃいますよね。
・ところが、恐ろしいことに、この活字から映像への流れが、人々を【思考停止】に追い込むと同時に、同化能力を低下させてきた・・・つまり、活字は頭をフルに使って同化し、理解しようとする必要がありますよね。あるいはあれこれ頭を使って情景や心情をイメージする。ところが、映像というのは、そういった努力を一切することなく、一方的に頭に入ってくる・・・。一切発信する必要がないし、感覚(本能)に直接働きかけてくるため、同化機能や観念機能をほとんど使わなくて済むという恐るべき特性を備えているんですね。
・・・「テレビ脳」という言葉を聴いたことありませんか?実際、テレビをぼーっと見ている時は、脳の活動がかなり低下しています。
・・・お母さん、お子さんが大人しくなるからってテレビを長時間見せたりしていませんか?!
・これは、教科書の世界も同様で、参考に用意した資料を見て頂ければわかりますが、江戸時代は寺子屋で使われた「往来物」や藩校で使われた「論語」(「四書五経」の一つ)など、草書や漢文で書かれたすごく難しい教科書が使われていたのに対し、明治に入るなり、欧米の「ペスタロッチ主義」=映像主義の影響で文章から単語主体に、また、挿絵主体になっていき、現在の小学校低学年の教科書に至っては、絵と写真で埋め尽くされ、落書きするスペースも無いくらいです。これじゃあ頭を使わなくなるのも一目瞭然です。
◎「分かり易い」ことは良いことだと考えがちですが、実は思考停止を招き、観念能力や同化能力を衰退させている面もあるということです。
○次に、同化能力低下の原因として、同化圧力の衰弱があります。
例えば、江戸時代の子供達がこれほど難解な教科書に必死に同化できたのはなんででしょうか?
それは、士農工商による強い【身分】圧力が同化圧力として働いていたからです。身分制度がしっかり機能している状況では、百姓に生まれれば、いかに百姓としてまっとうに生きるか?商人に生まれれば、いかに商人としてまっとうに生きるか?が生きる上での最重要課題となり、そのために必死になって難しい教科書や、集団の規範に同化し勉強しました。
→ところが、明治に入り身分制度が廃止され四民平等政策が採られることで、身分圧力は急激に衰弱してしまいました。
代って、明治以降主な圧力になったのは、【貧困】の圧力です。市場社会とは、誰もが己の利益獲得のために他人と争う社会であり、その競争に敗れれば、直ちに収入を失って飢え死にしてしまう可能性をもっています。よって、人々は、飢えの恐怖から逃れ、より豊かな生活を実現すべく、必死に教科書に同化し、勉強しました。
→ところが、市場拡大に伴い徐々に物的豊かさが実現されると、1970年頃遂にこの【貧困】の圧力も消滅してしまいました。(と同時にゆとり路線のはじまり。)
○また、同化能力低下のもう一つの原因として、同化対象の喪失があります。
明治初期、当時の政治家は、西洋に追いつくためには日本的なものを捨て、西洋の考え方を取り入れる必要があると考え、西洋思想の流入がはじまりました。(「脱亜入欧」)
この西洋思想の中核が「個人主義」思想です。個人主義思想といえばさも美しげな響きがありますが、所詮【自分】が原点です。同化とは、あくまでも相手や書物などの「対象が原点」ですので、自分が原点の個人主義思想の浸透は、同化能力の衰退をまねくと同時に、自己中化が進行→皆バラバラになってしまったのが現在の社会です。(現在のクレーマーやモンスターペアレンツ、秋葉原事件・・・)
◎どうですか?「近代化」とか「市場化」というと、あたかも能力が上がっていっていると考えがちですが、実は正反対で、物的には豊かになったが、徐々に言語能力が低下しているというのが歴史的な事実です。
・・・つづく
<Gen>
解りやすさは良いものとして、多様な教材が出回っていますが、その多くが受け身的で流れてくる情報を見てるだけのように思います。
思考停止ってやつですね。
>デモパーティー、お疲れ様でした
ありがとうございます。・・・ここまで来るのは長かったです・・・
>『市場拡大』が学力低下に与えた影響は、こんなにも大きかったんですね
市場拡大っていうのは、結局人々を目先の私権課題に縛りつけ、快適さや便利さのみを追い求めさせ・・・結果我々は無能化させられたのだと思います。
>構造認識の重要性、改めて実感してきました
どんな生き物でも状況を「なに?なんで?」と探索して適応してゆく・・・その意味では構造認識は本来あるべき思考法だと思います。
みんな(周り)の期待圧力を受けて「なんで思考」を繰り返し、本来の思考能力、同化能力を取り戻していきましょう
>路上でどれだけ響くのか、反応が知りたいです。
私は多摩センターで露店をやってますが、土地柄もあってか学生さんからの反応が大きいですね。
長めのデモですが、皆最後まで聞いてくれて、関心の高さを感じます。
また、中身的には「やりとり」が人間の本来の思考・・・という部分もかなりウケがいい感じです。
うっちーさんも是非路上でやってみてくださいね
デモパーティー、お疲れ様でした
『市場拡大』が学力低下に与えた影響は、こんなにも大きかったんですね
構造認識の重要性、改めて実感してきました
路上でどれだけ響くのか、反応が知りたいです。
>論語をはじめとする漢籍は当時の序列規範の結晶物。漢籍を暗唱するだけの引力を持っていたのは、序列規範圧力が強く働いていたから。
江戸時代は士農工商や幕藩制度といった絶対的な身分制度・序列制度の中で生きていた。だから、農民でれ、商人であれ、武士であれ、自分の属する身分における規範に強く同化して生きていたのではないかと思います。
その意味で、武士は論語ですが、寺子屋に通う庶民が「往来物」という彼らの教科書に強く同化した(寺子屋では論語は用いられていなかったらしい)のも、同様に序列規範圧力が働いていたからではないでしょうか?
論語をはじめとする漢籍は当時の序列規範の結晶物。漢籍を暗唱するだけの引力を持っていたのは、序列規範圧力が強く働いていたから。